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ウイッグを被せられて、ウイッグに人格を乗っ取られ女性化させられる男の話です。

以前、pixivに投稿したものを少しだけ直し、FANBOXでも全体公開いたします。

2024年の新京都(帝都)が舞台です。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

プロローグ

「残念だなあ。俺のところに来て何年になる? もう五年か。すっかり騙されたよ、おまえが潜入捜査官だったとはな」


「なぜ、わかった?」


「おまえがネズミだったように、おまえたちの組織にも、こっちのネズミが入りこんでいたのさ」


「くそっ、裏切り者がいたのか」


「それはこっちのセリフだ。一歩遅れていたら、立場は逆だったんだからな」


「ふん、もう少しだったのに……。さあ、好きにしろ。殺すなら殺せ」


「殺す? 大事な商品を殺すわけがないだろ。これからお前は、うちの商品になるんだよ」


俺は、内閣安全保障局からの出向で、警察の組織犯罪対策課に属する潜入捜査員だった。五年前から、人身売買を組織的に行っている疑いのある組織に潜入し、ようやく組織の中枢に辿り着こうとしていたところだった。


「商品? っていうことは、俺も売られるってことか」


「まあ、そういうことだが、お前が想像している人身売買とは、ちょっと違う商売でね」


「人身売買に違いなんてあるわけないだろ」


「お前に知られたところで、もう問題はないから教えてやろう。俺たちは、実験動物の売買をしているんだ。普通と違うのは、その動物が人間ってことくらいだな」


「人を実験に……」


「最近は動物愛護の観点から、動物実験にもかなり制限がある。表立って大量の動物を使った実験ができなくなったわけだ。それでも実験動物が必要な科学者の先生は、闇業者から手に入れるようになった。どうせ裏の世界を使うんなら、人間で実験すれば手っ取り早い。まあ、こんな感じで、この組織の商売にも需要があるってわけさ。ちょっと、おしゃべりが長くなったな。悪いが、しばらく寝てもらうぞ」


俺は左腕の正中静脈に針を刺され、何かを注入されたところで意識を失った。

ヘアチェンジ

どれだけ意識を失っていたのだろう。気が付くと、俺は何もない真っ白な部屋の真ん中で、椅子に座らされていた。手足は固定され、逃げ出すことは不可能だった。


「目が覚めましたか」


背後から男の声がした。聞いたことのない声だ。


「田中さんから聞きましたよ。あなたは潜入捜査官だったそうですねぇ。ほんと、いらないことをするのは止めてくれませんか。田中さんのところの商品があるから、私たちの研究は進むんです」


「なにが商品だ。人間を売買していいわけがないだろう!」


「本当にそう思っているなら無知な人ですね。ティッシュペーパーも食品用ラップも、もとは軍需用品として発明されたんですよ。どんなことにも犠牲はつきものです。犠牲の上に、我々の便利な暮らしは発展してきたんですからね」


「狂っている」


「まあ、なんとでも言ってください。もうすぐ、そんなことを考えられなくなりますからね」


「俺をどうするつもりだ」


「いまは詳しく言えませんが、あなたは特別な実験動物なので、スペシャルな実験に参加してもらいます。詳しいことは後で説明しますが、とりあえずウイッグを被ってもらいますよ。前の鏡を見てください」


いつの間に用意されたのか、俺の前には大きな鏡が置かれていた。


「い、いつの間に、俺の髪を剃ったんだ!」


鏡に映る俺は、スキンヘッドになっていた。背後で喋っていた男を、俺は鏡越しに睨んだ。男の手には、ロングストレートのフルウイッグがある。男は俺の問いには答えず、静かに俺の頭にそのウイッグを被せた。


ウイッグの内側には何かが塗られていたらしく、被せられた瞬間、頭皮にネチョっとした感覚が広がる。


「しばらくすれば定着して、頭皮からウイッグが取れなくなります。そうしたら手足の拘束を外しますね」


そう言い残し、男は背後のドアから出ていった。


鏡には、長い髪の俺が映っていた。もちろん、男の俺にその髪型は似合っていなかった。一時間ほど経った頃、


ガチャン


という音とともに、手足の枷が外れた。すぐに両手でウイッグを引っ張ってみたが、男の言っていた定着が終わったのか、まったく動かなかった。


ブン


かすかな電子音が左側から聞こえ、振り向くと、そこは大きなモニターになっていて、さっきまで部屋にいた男が映っていた。


「やあ、かわいいモルモットくん。自由になった気分はどうですか?といっても、しばらくそこからは出られませんけど。実験動物に実験の概要を話しても意味はないでしょうが、あなたも暇でしょうし、説明すると約束しましたからね」


そう言って、男は信じがたい話を始めた。


男は自分を、生体工学の研究者だと名乗った。生体臓器を代替できる工学的なインプラントを研究しており、特に人工脳の研究が専門らしい。事故などで脳の一部の機能が損傷した場合、それを補完するシステムだという。


「あなたが被ったウイッグの中には、小さなコンピュータが内蔵されていて、AIが搭載されています。いまはまだ、ウイッグが頭皮に癒着しただけの段階ですが、やがてウイッグから人工神経が伸び出し、頭蓋骨の骨縫合のところから頭蓋内に侵入し、脳の表面に結合します。そうなれば、AIがあなたの脳に干渉するようになる。性格、思考、それに記憶の改ざんまで、思いのままに操れるようになるんです。外からもコンピュータにはアクセス可能ですが、一応、基礎となる人格は事前にインプットしてありますから、しばらくすればあなたはその人格に統合されるはずです」


「そんな技術があるのか。信じがたい話だな」


「まあ、そうでしょうね。ただ、これから体験すれば、本当のことだとわかりますよ」


「その人工神経が俺の脳に結びつくまで、どれくらいかかるんだ?」


「なかなか冷静ですね。ただ、その質問には答えられません。なぜか?今回が初めての動物実験で、私たちにもわからないからです」


「そうか。じゃあ、別の質問をしていいか。俺に書き込まれる人格は、どんなものなんだ?」


「それなら答えられますね。ウイッグを見ればわかると思いますが、書き込まれるのは女性の人格です。彼女は仮想現実世界――メタバースの中で育ちました。彼女が暮らしていたメタバースの時間は、現実世界の二十四倍の速さに設定してあります。一時間が一日、一日で二十四日、一年で八千七百六十日、つまり二十四年。この世界の時間で一年間育てたので、いまは二十四歳ですかね」


「仮想現実世界で人格を育てる?俺の理解を超えているな」


「メタバースは、この現実世界の一部をコピーして作っています。彼女の場合は、この街をコピーした街で育っていますから、この街への違和感はないはずです。普通にこの街で生まれ育った人間と同じ。違いは、この世界に物理的な身体がないことだけです」


「で、俺が彼女の身体になるってわけか」


「そういうことですね。先ほど、人工神経が脳に到達する時間はわからないと言いましたが、少なくとも数時間以上はかかるはずです。お休みになっておいてはどうですか。隣の部屋にベッドを用意してありますので」


気が付くと、反対側の壁にドアがあり、それが開いていた。俺がそちらを見ている間にモニターは消え、男もいなくなっていた。やることのなくなった俺は、ドアの先の部屋へ行ってみた。


「ベッドが用意してあるって、本当にベッドだけかよ」


思わず独り言が出る。その部屋には、ベッドが置かれているだけだった。仕方なくベッドに横になると、ほどなく俺は寝てしまった。

侵入

強烈な頭痛に襲われて、俺は目が覚めた。これまでに経験したことのない激しい痛みで、眩暈と吐き気も同時に襲ってきて、ベッドの上でうずくまったまま動けなかった。頭痛は体感で数時間続き、そして突然、ウソのように消えた。


頭痛が消えると、次に訪れたのは、暖かいピンク色の霧に包まれたような多幸感だった。母親のおなかの中にいる胎児のような安心感。さっきまでの苦しさとの落差にくすぐったさを覚え、思わず、


「ンフ、フフフ」


と声が漏れる。


「頭痛は収まりましたか?」


突然、どこからか声をかけられた。キョロキョロと見回すと、壁の一部がモニターに変わっていて、あの男が映っていた。


「だいぶ苦しんでおられましたが、もう大丈夫なはずです。無事に人工神経が頭蓋内に入り、脳に結合したみたいですからね」


(あの痛みは、人工神経が頭の中に入ってきたからだったのか)


「ええ、そうです」


(えっ、今、俺が考えたことに、コイツは答えたのか?)


「ええ、あなたの脳とこちらのシステムが結合したので、考えていることがわかるようになったのですよ。とはいえ、複雑な思考まで読み取るのは難しいですが」


「これから俺はどうなるんだ?」


「さあ、どうなるんでしょうかね。実験の本番はこれからです。新たな人格があなたの脳に入ってきて、完全に上書きされるのか、それとも混じり合うのか。しっかりモニターさせてもらいますよ。外が見えないので一日の感覚はつかめないでしょうが、今後は照明を調節して二十四時間を再現していきます。今は午前六時。これから三時間ごとにインタビューに答えてもらいます。二十一時のインタビューの後は就寝時間で、インタビューはありません。翌朝はまた六時から。食事は六時、十二時、十八時のインタビュー後に運びます。モニターは二十四時間、続けていますからね」


「は~、実験動物の気持ちがよくわかるよ」


「それでは早速、六時のインタビューを始めます。体調や気持ちに変化はありませんか?」


「う~ん、今のところはないかな。ああ、頭痛のあと、暖かいものに包まれたような、くすぐったい感じがしたかな」


「なるほど、それはオキシトシンやβ-エンドルフィンの分泌効果でしょうね。他には?」


「それ以外にはないかな」


「そうでしょうね、まだこれからですから。次のインタビューは九時です。それまでは自由にしてもらって構いません。言い忘れていましたが、何か食べたいものや必要なものがあれば、頭の中で思い浮かべてください。私たちが常にモニターしていますから、できるだけ用意します」


「声に出さなくていいのか。便利だな」


「ハハハ、まあそうですね。それでは」


男がそう言うとモニターは消え、元の白い壁に戻った。


朝食は、パンとハムエッグ、ホットコーヒーだった。


(朝は和食がいいんだけどな)


そう思うと、壁の一部に、


『明日からは和食で用意します』


と文字が浮かび上がった。


(まったく、近未来的だな)


朝食を終えると、やることがまったくなかった。


(暇だなぁ。スマホかタブレットでもあれば暇つぶしになるんだけどな)


そう思ってから十分ほどすると、白い壁の一部が開き、ファミレスで見たことのあるような猫耳付きの給仕ロボットが入ってきた。


(あそこがドアになっていたのか)


ドアと壁の継ぎ目はほとんど見分けがつかず、閉まれば他と変わらない白い壁にしか見えない。そばまで来た給仕ロボットには、タブレットが載っていた。


(タブレットか。さっき考えたことも読まれていたってわけだな。何でも筒抜けか)


俺はそう思い、できるだけ雑多に考えるようにした。考えが多ければ、一つ一つは目立たなくなるはずだ。


タブレットを受け取ると、給仕ロボットはクルリと向きを変え、もと来た方へ戻っていく。ロボットが壁の前まで来ると、ドアが開いた。


(チャンスだ!)


俺はドアに向かって走った。


(あそこまで十歩ほどだ。ロボットが通り抜ける前に着けるはず)


そう思ったのも束の間、三歩ほど進んだところで脚がピタッと止まり、動かなくなった。その間にロボットはゆっくりとドアを通り抜け、ドアは閉まって元の壁に戻ってしまった。


「残念でしたね。あなたの運動中枢は一番最初に支配してあります。逃げ出そうとしても脚が動かなくなるようにプログラムしてありますから、いくら思考が読めなくても問題ありませんよ」


モニターには映っていなかったが、あの男の声がどこかから聞こえてきた。


(逃げ出すのは無理ってわけか)


俺はいつもの自分らしくもなく、すぐに逃げることをあきらめた。


インタビュー

モニターがついた。


「九時のインタビューの時間です。まずは、名前を言ってもらえますか」


「名前?」


「これもチェック項目の一つなので」


「名前は……俺の名前は……あれ?」


自分の名前が思い出せなかった。というより、口から出かけていた名前が、綿あめのように口の中で溶けていく感じだった。甘さだけが残り、実体がない。


「思い出せませんか。焦らなくていいですよ。よ~く、頭の中を覗いてみてください」


なぜか男の言葉に素直に従い、言われたとおり頭の中で名前を探す。


(……はるかぜくれあ? はるかぜクレア、春風クレア)


頭の奥から、何かが浮かびあがってくる。


「思い出したみたいですね。口に出して言ってみてください」


「は、春風クレア」


「可愛らしい名前ですね」


「いや、これは……俺の名前じゃない」


「しっくりきませんか? じゃあ、何度か言ってみましょうか」


「春風クレア、春風クレア、春風クレア……」


男に言われたとおり、何度もその名前を口にした。最初は口にするだけで違和感があったが、徐々にそれが消え、しっくりしてくる。


(俺は何を考えていたんだ。俺は春風クレアじゃないか。こんな可愛い素敵な名前を忘れるなんて。これもこの実験のせいなのか)


「どうです? やっぱりさっきの名前ではありませんか」


「いや、危ないところだったよ。実験のせいで、自分の名前さえ忘れかけた。残念ながら、俺はちゃんと思い出した。俺は春風クレアだ」


「そうですか、思い出しましたか。フフフ」


「何がおかしい。実験がうまくいかなくて残念だな」


勝ち誇ったようにそう言った。


「ところで、タブレットで暇つぶしはできましたか。何を見ていたんですか?」


「動画とかだよ」


「春風さんはどんな動画を見るんですか?」


「どんなのって……あれ? 何を見ていたんだったかな」


「忘れましたか。これも実験のインタビューの一環ですから、思い出してください」


思い出せる寸前まで出ていたのに、名前のときと同じで消えてしまった。


(でも名前は思い出せたんだ。よく考えれば……あっ!)


「思い出した。メイク動画だよ。よし、これも思い出せたぞ」


「そうみたいですね。なかなか頑張りますね。じゃあ、次は十二時に」


(思い出せてよかった。いまは逃げるのが難しくても、俺が俺でいられれば、いつかチャンスはあるはずだ……。うん? なんか違和感があるな)


そのときは違和感の正体がわからなかったが、すぐに忘れてしまい、暇になった俺はメイク動画を見ることにした。


(上手いもんだよな。俺なんか、こんなには上手くできないな。あれ? 俺ってメイクしたことがあったかな? ……おいおい、しっかりしろよ。高校に入学して、周りがみんなメイクしていたから、慌てて始めたんだったよな。ほんと、気を抜くと思い出まで消えていくのか)


*****


モニターがついた。


「十二時のインタビューの時間です。春風さん、なにか違和感はありませんか?」


「ハハハハ、どうせそう聞かれると思っていたよ。答えはわかっているからな。違和感の正体は、ずばりメイクだ。今日の俺はメイクをしていない。高校でメイクを始めてから、一日も欠かしたことがなかったからな」


「なるほど、そうですね。じゃあ、あとでメイク道具を届けますね。他にはありませんか?」


「ほかに……。ほかにもあるのか?」


「さあ、どうでしょうか。私はインタビューしているだけですから」


「う~ん」


(たしかに、まだ何か違和感が残っている気が……。あ~、そうだったぁ!)


「わかったぁ~!? なんでこんな簡単なこと気づかなかったんだろ。てか、いつからこうなってたわけ? はずっ、知らないうちになんかおじさんみたいな喋り方になってたんだけどぉ。ウチ、俺とか言ったことないのにぃ~。でもわかってよかったぁ~」


「ああ、そうだったんですね。ウフッ、春風さんの一人称は『ウチ』なんですね」


「そうだけど~、なんで笑ってんの? うける、っていうかきもいんですけどぉ」


「すみませんでした。ところで、メイクは高校デビューだって言ってましたけど、春風さんの出身高校はどこですか?」


「出身高校? え~、なんだっけ、忍び里学園……じゃない、ちがうちがう、そんな聞いたこともない高校じゃないし、ウチ桜花女子だもん」


「ああ、桜花女子高校だったんですね。ってことは、春風さんは女性ってことですか?」


「え? いや、ウチ男……? え、なんかおかしくない? 男だったら女子高行ってるわけないし、自分のこと『ウチ』とか言わないっしょ……。あれ、なんなのこれ」


「あ~、すみませんでした。一旦、そのことは考えなくていいですよ。ちょっと早かったか」


最後は小声で聞こえなかったが、ウチは男の人の言うことに素直に従い、考えないことにした。


(いろいろややこしいこと考えると、頭、痛くなっちゃうしぃ)


バカなウチは、考えることが苦手だ。


「十二時のインタビューは以上です。次は十五時に」


その後に届けられたランチは、とんかつ定食だった。


(美味しそうだけど、いまダイエット中なんだよなぁ。もうちょっとカロリー控えめのランチがよかったのにぃ)


そう思うと、


『明日からはカロリーに気を使って用意します』


と、また文字が壁に浮かび上がった。


ランチのあと、一緒に届けられたメイク道具を使ってウチはメイクをした。メイク前の鏡に映ったウチの顔は、いつもと違う気がしたけれど、メイクをするといつものウチの顔になった。


(ウチ、メイクの天才すぎ。整形級じゃね?)


ウチは自分の顔に満足した。顔には満足したけれど、


(あれぇ~? なんでこんな服着てんの。なんかダサくない?)


自分の身体を見下ろすと、ワイシャツのような襟付きのシャツとネイビーのスラックスを着ていた。今のメイクには似合っていない。


(誰も見てないだろうけど、もう少しマシな服がいいなぁ。例えばこんな感じ?)


見ていたImstagramで水上悠菜が着ていた私服――ぴったりしたニットとデニムを思い浮かべながら、ウチはそう思った。


ただ思っただけで、要望というほどでもなかったのに、一時間後、給仕ロボットが服を持ってきたときには驚いた。さらにご丁寧に、上下の下着セットまである。


(そういえば一日以上下着替えてないかも~。シャワーも浴びたぁい)


すぐに、


『反対側のドアの向こうが、ユニットバスになっています。トイレもあります』


と壁に文字が現れた。振り返ると、いつの間にかワンルームマンションにあるようなユニットバスへ続くドアがあった。ウチは下着と服を持って入った。中にはタオルとバスタオルも置いてあり、久しぶり――正確にはどれくらい経ったのかわからなかったが――と思えるシャワーを楽しんだ。


シャワーを上がり、下着をつけると、なぜかパンツはいつもより窮屈で、ブラは逆にスカスカな感じがした。なぜ違和感を覚えるのかウチにはわからなかったが、しばらくすると慣れてしまった。


服を着て、シャワーで落ちてしまったメイクをやり直すと、ようやくユニットバスの鏡にいつものウチが現れた。


(いろいろ気に入ってるとこあるけど、やっぱウチの自慢はこの髪っしょ。ヘアメンテにも力入れてるしぃ。・・・あれ、これウイッグじゃなかった? しかも強引に被せられたし・・・。でもでも、ヘアメンテした記憶もあるんだよなぁ。それに、りょーくんもウチの髪綺麗だねって褒めてくれたし・・・。あれ、りょーくんって誰だっけ? う~ん、なんか変だなぁ)


そんなことを考えていると、モニターがついた。


「十五時のインタビューの時間です。クレア、だいぶいつものクレアらしくなったね」


「でしょ、だいぶいつものウチっしょ。あっ、パパだったんだぁ。でも、いままで、なんで気付かなかったんだろ」


モニターに映った男の人は、ウチのパパだった。小さい頃から、いろんなことを教えてくれた人だ。


「でも、まだ何かいつもと違うよね。どこかなぁ?」


「そうかなぁ? ねえ、パパはどこが違うと思う?」


「クレアは女の子だよね?」


「もちろんそうだよぉ」


(なんでパパはそんな決まりきったこと聞くんだろ)


ウチは少し不安な気持ちになる。


「そうだよね。いつものようにクレアは可愛いけれど、そんなに胸が小さかったかな? それに他にも、女の子の身体とは違うところがありそうだけど……」


パパに言われて、シャワーを浴びて着替えたときの違和感を思い出した。


「キャー」


何かがウチの頭の中に押し寄せてきて、パニックになる。


(ウチは、春風クレアなんだけど、そうじゃなくて男で、潜入捜査官で……。でも、女の子でりょーくんの愛人で。うん? ウチ、俺、りょーくんの愛人だったんだぁ)


ウチ、俺の頭の中に浮かんできた、りょーくんの顔は、組織のボス田中竜馬だった。


(俺、いやウチの人格は、りょーくんの愛人なのか。それに、いつの間にか俺は自分のことを春風クレアと思っている。というか、俺の名前は思い出せないのに、クレアの名前も過去の記憶も鮮明に思い出せる。どちらかというと、春風クレアとしての自分にリアリティーを感じてしまっている)


「おや?混乱しているようですね。あなたの思考をモニターしているのでわかりますよ。でも、そうじゃないといけません。さっきのまま、春風クレアの人格が簡単に上書きされただけだと、いつか元の人格が浮かび上がる可能性がありますからね。しっかり混乱して考えて、この状況に整合性をつけてくれないと困ります」


(パパ、何言ってんだろ? いや、こいつパパじゃない。こいつ、ただのいかれた科学者じゃん)


「クレアが、そんなことを思うなんてパパは悲しいよ。こんなに愛情を注いできたのに」


パパが悲しそうな顔をすると、ウチも悲しくなってしまう。


「ごめんね、パパ。ウチ、なんかおかしくて、ウチの中に誰かいるみたいな感じするの」


「そうなのか。クレア、お前の中にいるのは、きっと悪魔だ。でもお前はきっと悪魔に打ち勝つことができる。だから頑張るんだよ。ところで、悪魔はなんて言っているんだ?」


「ウチの中の悪魔は、パパやりょーくんは悪い人だって言ってる。だから自分が捕まえに来たって。でも、パパもりょーくんも悪い人じゃないよね?」


「もちろんだよ、クレア。田中さんがクレアにしてくれたことを思い出してごらん。これまでも、いっぱい気持ちよくしてくれただろ。それに、美味しいものを食べさせてくれて、きれいな服もいっぱい買ってくれただろ。そんな田中さんが悪い人なのかな?」


ウチは、これまでりょーくんがしてくれたことを思い出してみる。高校を卒業して、やることのなかったウチを愛人にしてくれて、いっぱい気持ちいいことをしてくれたし、いろんなものを買ってくれた。


(そんな人が悪い人のはずないじゃん)


(いや、騙されるな、俺。そんなのは全部作られた記憶だ。本当の俺は潜入捜査官で、田中が犯罪者だってことを知っているじゃないか)


(そんなことないし。りょーくんもパパもいい人だもん。パパは世の中のためになる研究してるし、りょーくんはそれをお手伝いしてるんだよ)


(でも、そのやり方は犯罪なんだ。いくら研究のためでも、人身売買は犯罪なんだよ)


(ジンシンバイバイ? そんなのウチわかんないけど、とにかく二人はイイ人なの!)


(聞いてくれ! 俺は操られているんだ。本当の俺は、お前じゃない。俺は、おれは……)


少しずつウチの中の悪魔の声が小さくなっていく。


(ウチが悪魔に勝ってきてるぅ)


(お願いだ……、聞いてくれ……、おれは、おれは……、消えたくないぃぃぃ……)


ウチの中の悪魔は小さくなって消えていった。


「クレア、大丈夫かい?」


パパの声が聞こえる。


「うん、大丈夫。もう、悪魔の声は聞こえなくなったよ」


「そうか、それはよかった。クレアは強い子だね」


「でも……」


「でも?どうした?」


「ウチの身体、悪魔のせいで男の人みたいになっちゃった」


「そうか、でも田中さんは、そんなクレアのことも愛してくれるよ。田中さんはそういうのも好きだからね。それに、今のクレアには、悪魔だった男の記憶もあるはずだから、その身体を生かして、パパや田中さんの敵になる人と戦うこともできるからね」


「それって、パパやりょーくんの役に立てるってこと?」


「そうだよ。だから悲しまなくていいんだよ」

愛人

それからしばらくして、ウチは自分のマンションに戻った。といっても、その部屋はウチのためにりょーくんが新しく用意してくれた部屋だ。


あれから、さらにウチの人格はしっかり元の人格と混じり合いながら、ウチが優位に抑え込んだ。だから、今のウチは自分の状況がよくわかっている。


ウチの人格は、メタバースで育てられたもので、この身体の持ち主――つまり元潜入捜査官の脳に植え付けられた。そして脳の外からのパパのアシストもあって、彼の人格に打ち勝ち、この身体を奪った。つまり、この世界にはもともとウチの巨乳の身体はなかったわけ。それに、りょーくんとも向こうの世界でしか会っていなかったってこと。だから部屋なんてあるはずがない。でも、優しいりょーくんは、こんな男の身体のウチにも、この世界での居場所を作ってくれた。


ピンポーン、ピンポン、ピンポン


インターホンのチャイムが鳴る。せわしなく三回も鳴らすのは、りょーくんしかいない。


「は~い、いま開けま~す」


ウチが玄関に行く前に、せっかちなりょーくんは自分の合鍵でドアを開け、もう上がってきていた。


「クレアちゃ~ん」


りょーくんは、ウチにいきなり抱きついてキスをした。


「も~、りょーくんはいっつもせっかちなんだからぁ~。でも~大好きだよ」


「俺もクレアちゃんのこと大好きだから」


「ウチがこんな身体でもぉ?」


「身体? 胸のそんなにあるし、あそこも膨らんでないぞ」


りよーくんは、ウチの身体をやらしい目でジロジロみる。


「それは、だいぶ寄せてるし、イソフラボン摂ってるし、あそこはちゃんとタックしてるからねぇ~」


「うんうん。まあ、俺はクレアちゃんの性格も性癖も、中身がぜ~んぶ好きだから。それに、この身体、クレアちゃんに記憶があるのかわからないけど、顔や背格好が好みだったから、ずっと俺のそばに置いて可愛がってたんだよね。俺、そっちの方も行けるから。でも結局、裏切られたんだけどね」


「ごめんね、りょーくん」


「いやいや、クレアちゃんが謝ることなんて何もないから。それに、その身体もクレアちゃんの入れ物になってくれたんだから、よかったよ」


「ウチ、この身体の記憶も少し読めるんだよね。ほんと、りょーくんがよくしてくれてたのに、ひどい奴だよねぇ。飼い犬にアソコ嚙まれるみたいなぁ」


「それを言うなら、飼い犬に手を噛まれる、だけどね」


「だから、ウチがそのかわりに、りょーくんの役に立つね」


「ほ~、クレアちゃんが」


「この身体、その潜入捜査官のだったけど、何にも弄ってないから、メイク落とせばばれないと思うよ。記憶もあるから、警察に潜入して、りょーくんのために情報流してあげるね」


「クレアちゃんは、そんな危険なことしなくてもいいんだよぉ」


「ううん、ウチ、この身体の記憶あるから、りょーくんに申し訳ないんだよね。だからやらせて」


「でも、ほんとはその身体弄りたいでしょ。女の子になりたいんじゃないの?」


「まあねぇ。でも、それは後でもいいかな。りょーくんはこの身体でも愛してくれるし」


「もちろん、クレアちゃんがどんな姿でも、俺はだ~い好き」


「ウチもりょーくんのためなら、なんでもしてあげる。あっ、でも髪の毛は切りたくないかな。ウチの髪はウイッグで、切ったら伸びてこないし、このヘアスタイル気に入ってるんだよねぇ。だから潜入するときは、ショートウイッグ被って何とかするね。髪は女の命っていうけど、うちの場合ほんとそうだからね」


ウチは小さなコンピューターが入った頭頂部を、そっと触った。


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