異世界相撲道~巡業、はじめました~・先行公開 (Pixiv Fanbox)
Published:
2020-01-07 06:30:24
Imported:
2026-06
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第2話~初取組~
「美味い……!」
異世界の料理ということで多少身構えていたが、その心配は杞憂に終わった。
穀粉を用いて作られた薄焼きパンをスプーン代わりにして煮込み料理をかっ込む。ピリリとしたスパイスが絶妙に食欲を刺激する、後を引く味わいだ。大降りにカットされた肉と野菜も食べごたえ抜群である。
丁寧に灰汁抜きした山菜をサッと炒めて味付けしたものをパンにはさんでも絶品だ。思った以上に癖がなく、それでいて食感も多彩で食べているだけでも面白い。
まぁ、肉も野菜も名前すら知らないのだが、それでも確かに美味である。
「おかわりもあるがら、どんどん食ってけれ」
向かいに座る少女はニコニコと笑みを絶やさない。
彼女の名はミスカというらしい。一見すると童子の様だが実年齢は数百歳を超えているそうだ。道理で見た目以上に落ち着きがあるわけだ、と妙に納得してしまう。
「すいません、じゃあおかわりお願いします」
「はいはい。いやぁ、お兄さんよく食っでぐれるがら作り甲斐があるべ」
ちなみに、言語に関しては自動翻訳が働いているらしい。一から言語を学ぶ必要がないのでありがたい限りだが、異国の少女がバリバリの東北弁を喋っているのは違和感満載だ。
ひょっとしたらまさかこの世界の人間の言葉は全て東北弁で聞こえるのではないか……などという考えが頭をよぎった。
とはいえ、まずは先にすべきことがある。
炎亀道はゴクリと口の中のモノを嚥下したのち、
「ありがとうございました、ミスカさん。このご恩、一生忘れません」
少女に対し、深々と頭を下げた。
対する彼女はわずかに目を見開いて驚きをあらわにしたものの、すぐにカラッと笑ってひらひらと手を振る。
「んにゃんにゃ。こっちこそ助かったよぉ。荷物持ってくれてありがとね」
見た目は小学生ほどだが彼女の浮かべる笑みには不思議な“深み”があった。炎亀道は顔をあげるなり居住まいを正し、コホンッと咳払いをする。
「改めまして……炎亀道彰義と申します」
「エンキドー……ふぅん。ここの人じゃぁなさそうだなぁ」
「えぇ。信じてもらえないかもしれませんが、僕は別の世界から来ました。魔王を倒す勇者として」
「……あんれまぁ」
少女は驚いたように目を剥く。あんぐりと口を開いて目を丸くしたかと思えばその場で膝立ちになり、炎亀道をじろじろと舐めまわすように眺めてくる。
少々むず痒い思いをしながらも身動き一つしない炎亀道。やがて観察を終えたらしきミスカは感嘆のため息を零しながら腰を落ち着けた。
「いやぁ、変わった格好だなぁとはおもっとったけども、まさか勇者様とは」
「正直僕も実感ないんですけどね……ところで、魔王というのはどこにいるんです? 見たところ、この山には魔物などもいないようですが」
「そりゃそうだべ。こっだらとこ占領しても何もならんよ」
確かにそうだ。攻め入るならばもっと重要な場所に力を注ぐだろう。仮にここを占拠したとしても得られるのは薬草やら山の幸だ。魔王軍もそこまでほのぼのしているわけでもあるまい。
ではどうしたものか……と腕組みして考え込んでいると、妙案を思いついたとばかりにミスカは手を打ち合わせた。
「そうだ。今からさっと下さ降りるんだども、よがったら来るけ?」
「……すみません。ではご厚意に甘えさせていただきます」
「あははっ、そう畏まらでねぇ。エンさんは礼儀正しいなぁ」
「え、エンさん……」
若干呆気にとられながらもミスカの後を追い、小屋を出る。
彼女が向かったのは離れにあるあばら家だ。彼女のサイズに合わせているせいかこじんまりとしていてウサギ小屋のような印象を受ける。
入り口で頭をぶつけないよう入ると……そこには驚く程たくさんの工芸品が所狭しと並べられていた。
「……すごい、ですね」
色や形も様々で日用品から観賞用まで揃えられているが、その中でも特に目を引くのは奥の方に飾られている壺だ。
幾何学的な紋様が描かれた朱色の壺は見るからに精巧な作りで手に取るのも躊躇われる。下から上へ流れるような流線型のボディは陶芸にあまり興味のない炎亀道でも思わず見入るほどに美しい。
他の物とは別にして飾っているところから見ても、彼女にとっては大切なモノなのだろう。
「……いつから作り続けてるんですか?」
「んーっ? わがんね。うん百年もやってると時間も曖昧になるでなぁ……ッと、エンさん。ちょいと手伝ってけれ」
「はい」
彼女に支持されるまま食器を箱に詰める。仕上げに緩衝剤を入れ、
「よっと」
「おぉ……やっぱり男の人だねぇ」
「いえ、これくらい軽いモノですよ」
ふと、新弟子時代を想起する。
炎亀道は学生横綱――高校相撲で優秀な成績を残し、鳴り物入りで角界入りを果たしたエリートだ。が、どれだけ実績があろうと幕下以下は力士養成員。大部屋での生活を義務付けられ、他の弟子たちと一緒にちゃんこ番や関取の付け人などをしていた。
正直慣れない事ばかりだったし大変なことの方が多かったが、それでも今はいい思い出として胸に残っている。
(たまにはいいかもしれないな……こういうのも)
原点回帰というべきか。新しい世界に来たのだからまた一から始めるのも悪くないかもしれない。
「んじゃ、行くべ」
「はい」
ミスカの後ろをてくてくついていく。歩幅が違うので気をつけないと大変だ。
ゆっくり、のんびり山道を歩く。普段彼女が通っているらしき道は比較的緩やかで歩きやすい。小石なども落ちていないので安心だ。
「そういえば、ミスカさんも裸足なんですね」
「んだ。まぁ、産まれた時からずっとだから履物は落ち着かなくてなぁ……エンさんも裸足だども、痛くねか?」
「大丈夫ですよ、ほら」
ニカッと笑って片足を上げる。長年の稽古で鍛えられた足裏はゾウの皮膚を思わせる硬さだ。小石を踏んだくらいではビクともしない。一度誤って画びょうを踏んだこともあるが弟弟子から指摘されるまで気づかなかったほどだ。
一目見てそのすさまじさがわかったのだろう。ミスカは目を剥き、感心したように頷く。
「なぁ、エンさん。よがっだら、前いたとこの話、聞かせてくれねか?」
「えぇ、もちろん。じゃあ、まずは……」
と、口を開きかけたその時。
上空から気配が降ってきた。
「――ッ!」
動き出しは早かった。ミスカの身体を咄嗟に抱き寄せ、後方へ飛ぶ。
直後、先ほどまで自分がいた場所を白刃が通過した。自分の首が飛ぶ瞬間を幻視し、総身がぶるりと震える。
だが、怯みはしない。野生の獣じみた殺気を放ちながら、襲いかかってきた男を見やる。
「……今のを躱すとは、ちょっと驚いたぜ。ただのデブじゃねえようだな」
長身痩躯の、見るからに盗賊然とした男だ。全身至る所に裂傷が残り、それだけでどれほどの修羅場をくぐってきたのかわかる。練り上げられた剣気も大したものだ。おそらく名のある剣客か、はたまたどこぞの騎士くずれか。どちらにせよ、ただの落伍者でない事だけは明らかである。
トントン、と長刀で肩を叩く男の目には敵意しかない。狂っているように見せて腹の底では獣を飼い慣らしている。こういうタイプが一番厄介だ。
「っと、下手に動かねえほうがいいぜ? 一応、一人じゃねえからな」
男がクイッと顎で示した先には似たような風貌の男たちが構えていた。ザッと見た限りでも十名ほど。多勢に無勢、という言葉が頭をよぎる。
けれどミスカは怯えた様子など微塵も見せず、むしろ嬉々とした様子で炎亀道の手を握る。
「エンさん! ほら、出番だべ! 思う存分やってけれ!」
「…………無理です」
長い沈黙ののち、炎亀道が放ったのはなんとも情けない一言だった。敵から目を離さず、しかし諦観を滲ませた様子で口元を歪める。
「な――なぁ!? ちょっ、悪い冗談言わねえでけれ!? そんたおっぎい身体してんだから、ぢゃぢゃっと倒せるべ!?」
「たぶん、やれるとは思います。……でも、自分は力士ですから。土俵の外で素人(よかた)に手を出すわけにはいかないんです」
――そう。鍛え上げられた力士の身体は凶器になりうる。ゆえに力士は力をふるう場所を定められているのだ。
炎亀道もそれをよく理解しているからこそ、この話に乗った。
魔王討伐としか聞いていなかったのでてっきりモンスターやそれに類する者たちとばかり戦うと思っていた。人間と違う相手ならば全力でぶつかっても大丈夫だろう、と。
だが、目の前にいるのは人間。鍛えていると言っても力士のそれとは身体の造りからして違う。
ならば――ッ!
「ミスカさん、すみませんっ!」
「えっ? ひゃぁっ!?」
彼女をサッと肩に担ぎ、男の横を通り抜けようとする。
「させるかよぉ!」
当然男が逃がすわけもなく眼前に立ちふさがってきた――が。
パァンッ!
と鋭く乾いた音が鳴り響くと同時、男たちの動きが一瞬止まる。
猫だまし――現役時代は使った事がなかったが、親方から上手いやり方を聞いていて助かった。男もまさかそんな手を使ってくるとは思わなかったのだろう。
怯み、目を瞑った隙に横を通り抜ける。やっと男たちが追走しようかという頃には、二人の姿は豆粒ほどの大きさになっていた。
「野郎……!」
「よせ、無駄だ」
手下の一人を制しつつ、リーダー格の男は無精ひげを撫でつける。
完全な奇襲戦法。してやられた、という気分だ。長い事戦場に身を置いているがあんな技を使った相手は見た事がない。
「おもしれえなぁ……アイツ」
ククッと喉を鳴らして、ごまかすように咳払い。
自分はもう戦士ではない。ただの盗賊かぶれだ。昂ぶる心を鎮めるように剣の柄で肩を叩く。
「ですが、隊長。このまま手ぶらで帰るってのも……」
「んー……そうだなぁ」
言われてみれば確かにそうだ。こちとら食うに困ってこんな商売をしている。金目の物でも置いていけばいいのに、と舌打ちしつつ炎亀道たちが来た道に視線を向けた。
おそらくそこに彼らの宿があるのだろう。食料や金品も置いてあるに違いない。
ならばそれを根こそぎ奪わせてもらおう。
そしてあわよくば、あの男と……。
「とりあえず、行くか」
『うす!』
「あと、俺はもう隊長じゃねえ。二度とそう呼ぶな」
ギロリと部下たちを睨めつけながら、歩を進める。
その口元には不気味な笑みが貼り付いていた。
***
「すみませんでした、ミスカさん。情けないところを見せて」
麓まで逃げ延び、村まで向かう途中で炎亀道が呟く。心底申し訳なさそうに、その大きな身体を丸めながら。
けれど彼女はさして気にした素振りもなくにへらっと笑う。
「んやぁ。全然気にしてねぁよ。なんぞ事情があったんだべ。そりゃ、同じ人間だもんなぁ。争うごどねぇ。それより、そんた顔してらが問題だ。ピシッとしてげれ、勇者様」
言われて、自覚する。自分は勇者なのだと。
力士と勇者。その妥協点を見つけるのが今後の課題かもしれない。
「ほら、見えできたべ」
彼女の指が指し示すのは本当に小さな村だ。ザ・農村という感じで派手なものは何もない。思わず田舎を思い出し、炎亀道の頬がにわかに綻ぶ。
「あっ! ミスカさん! いらっしゃい!」
門番の男性はミスカを見るなり走ってきた。おそらく自警団だろう。鍛えているようではあるが、先の男たちに比べると幾分迫力に欠ける。
「久しぶり。今日は色々たがいで来たよ」
「たがい……あぁ、持ってきてくれたってことね。ていうか、そこの人は?」
門番は炎亀道を見るなり、その体格に圧倒される。以前村にオークが攻めてきたことがあったが、その時よりも威圧感があった。
しかし、浮かべる笑みは人を和ませ、警戒心を解く柔和なものだ。門番も軽く会釈を返す。
「驚がねでよ? 実はこの人、勇者様なんだべ」
「ゆっ!? ゆゆゆ、勇者様!? この人が!?」
「んだ。見るからに強そうだんべ?」
「……どうも」
ぎこちない様子で頭を下げる炎亀道。門番は呆気にとられていたがハッと我に返り、
「お、おぉーい! みんな! 大変だぁーッ! 勇者様が、勇者様がいらしたぞぉー!」
などと大声で喚きながら大慌てで村の中に入っていった。それに導かれるようにして大勢の人間たちがぞろぞろとやってくる。
老若男女、誰も彼もが物珍しそうに炎亀道を見つめていた。その囲いを割るようにしてやってきたのは杖を突いた男性だ。だらんと垂れた瞼を指で押し上げ炎亀道を見やるなり、ダンッと杖を地面にたたきつける。
「おぉぉ……! その佇まい、まさしく本物の勇者様……! よもやこんな村へいらして下さるとは……長生きするもんじゃわい」
「んだんだ。オラもたまげた」
「皆のもの! 宴の準備を! 勇者様を出迎えるのじゃ!」
『おぉーっ!』
トントン拍子で話が進んでいく。ミスカの手伝いできたはずがとんだ一大事になってしまった。村の者たち……特に長老はすっかり舞い上がり、杖をぶんぶん振り回して檄を飛ばしている。
「ササッ、勇者様。どうぞこちらへ」
「ッ!?」
むにゅっと。腕に柔らかい感触を覚える。見れば花も盛りと言わんばかりの美少女が炎亀道の腕に抱きついていた。小玉スイカほどはあろうかという双乳は硬い腕に押しつぶされ、ぐにゃりとひしゃげている。
瞬間、炎亀道の頭は沸騰した。顔が真っ赤に染まり、あうあうと口をパクパクさせる。
「あ、ずるい! 勇者様、アタシがご案内しますぅ」
「いやいや、ここは私が……」
次から次へ村の娘たちがやってくる。女性に対しての免疫が皆無の炎亀道は完全にパニック状態だ。
――実を言うと、巡業などファンとの交流がある場でも女性との絡みはちょっと苦手だ。今までずっと相撲一筋でやってきたし、高校も男子校だったので女っ気は皆無。相撲部屋に入ればなおさら男所帯だ。
しかし、炎亀道は角界でも一、二を争う美形である。女性人気も高い。ゆえにサインや握手をねだられる時もガチガチになりつつ誠意をもって応えたが、その初々しさがまた話題を呼び……と、女性ファンは増えるばかり。
免疫をつけるため、と兄弟子にキャバクラへ連れて行かれたこともあったが、緊張のあまり足がもつれてシャンパンタワーに頭から突っ込んだ。もはや筋金入りの童貞気質である。
「あ、あのその、ちょっと……」
何かを言おうとしたが聞き入れてもらえず、そのまま村の中へと押し込まれる。
その様を、ミスカはどこか不安げな様子で眺めていた。
***
朝日が昇るころ、炎亀道はおぼつかない足取りで山道を歩いていた。
昨日は結局村人たち……主に女性陣に翻弄され、十分な休息が取れなかった。完全に寝不足である。
「大丈夫け? エンさん」
心配そうな表情でミスカが訪ねてくる。彼女も昨日は料理の手伝いやら長老との話し合いやらに駆り出されていた。けれど今日はけろりとしている。実年齢は数百歳を超えているのに若々しい限りだ。
「ごめんなぁ。昨日は色々と面倒かけちまって」
「いえ、お気になさらず……ああいう場は割と慣れておりますので」
大関ともなれば国内外のパーティーや後援会員との会食など様々な社交場に駆り出されることになる……が、あそこまでぐいぐい来られたのは正直初めてだった。
おそらく力士という職業がこの世界には存在しないのだろう。ベタベタ触られジロジロ見られ、完全に珍獣扱いだ。
もちろん、彼らに対する悪感情はない。が、同時にある思いが去来する。
(相撲を広めるのもいいかもしれないなぁ……)
魔王を倒す。これはもちろん第一目標だ。だが、その合間を縫って人々に相撲を布教するのもいいかもしれない。将来的に親方株を取るのであれば、指導の経験はあるに越したことがないだろう。
ちょうど進路に迷っていたのでいい機会かもしれない。現役続行か、はたまた廃業か。土俵から離れて心に余裕もできた。時間もあるのでじっくり考えられる。
「あどちょっとだがら、けっぱって」
ミスカに連れられ、坂を上りきる。やっと頂上までやってこれた。ぶはぁっと大きく息を吐く。
――けれど炎亀道が浮かべたのは安堵の表情ではない。鋭く尖らせた視線の先には、行きで出会った盗賊たちの姿があった。その周囲には、おそらくミスカの家から盗んだと思われる食料が散乱している。
「よぉ、遅かったじゃねえか。待ちくたびれたぜ」
顎ひげを撫でながらリーダー格の男は喉を鳴らす。好戦的な気配は最初にあった時よりも強くなっている気がした。
炎亀道はミスカを庇うようにしながら、視線を一ミリたりともずらさず告げる。
「……どうしてここにいるんです? 金だけ持って逃げればよかったでしょうに」
「そりゃお前、あんな真似されて『はい、さよなら』というわけにもいかんだろう」
「なるほど。ですが、僕はあなたたちと戦いたくはありません」
「なんだよ、そのデケェ図体は飾りか?」
安い挑発だ。酔っ払いに絡まれた時と似ている。ただ流せばいい。
両手をあげて戦いの意思がないのを伝えるため、その場に膝をついた。周囲から笑い声が上がるが、炎亀道は気にもしない。
対してリーダー格の男はというと、それも予想済みだと言わんばかりに何かを取り出した。
「あ……ッ」
目を剥くのはミスカ。男の手には例の壺が握られている。
炎亀道の顔にもわずかな動揺が走ったのを、男は見逃さなかった。
「大事なモノなんだろ、これ? じゃあ、こうしたら、どうだ?」
まるで息をするように自然な動作で、壺を地面へと叩きつけた。
一瞬、時間が止まる。壺が割れる乾いた音だけが虚しく響く。
一拍遅れて事態を理解した時にはもう手遅れだった。壺は跡形もなく砕け散り、トドメとばかりに男の足が振り下ろされる。
「……ッ」
炎亀道は無言だった。ただ、胃の腑が沸々と煮立つのを感じる。
そして男たちの視線がミスカへと移った瞬間、何かが爆発した。
「いいでしょう。そんなに戦いたいなら相手になります」
のそり、と幽鬼のごとく立ち上がる。これまで見せていた柔和な雰囲気とはまるで違う、びりびりと肌を突き刺すような殺気に男たちも一斉に身構えた。
「……やはりな」
そんな中でリーダー格の男だけが炎亀道の底知れなさを感じ取る。上着を脱ぎ捨てた彼の身体は傷だらけで、それだけで数多の死線を潜り抜けてきたのを感じ取れた。
それ以上に驚くべきは、彼が単なる肥満体でないということだ。肉はついているのに弛んでおらず、腕も脚も丸太のように太い。脂肪の鎧の下にどれほどの筋肉がついているのか、想像しただけで怖気がする。
炎亀道は呆気にとられる男たちをよそに四股を踏み、柏手を打つ。
直後、彼を中心に土俵が出現した。直径4.55メートルの円。白い仕切り線と勝負俵が盛られた簡素なモノだ。
「どうぞ、上がってください。――ただ、最初に警告しておきます。ここに上がったら手加減はしません。その覚悟があるならば、何人でもお相手しましょう」
炎亀道は淡々と告げる。先ほどまでの昂ぶりが嘘のように落ち着いた表情だ。
が、その言葉が嘘でもハッタリでもないことは男たちにも理解できる。土俵は彼の間合いだ。一歩でも跨いだならば、言葉通り彼は全力を持って自分たちを叩き潰しに来るだろう。
しかしそれがわかっていてなお、リーダー格の男は一歩を踏み出す。
「下がってな。お前らじゃ荷が重い」
かつて魔王軍幹部と相対した事もある身だからこそわかる。目の前にいるのは人間ではない。人の皮を被った化け物だ。巨体も相まって、威圧感が倍増する。
それでも怯まず俵を跨いだ瞬間、男の衣服が弾け飛んだ。
「なっ、はぁ――ッ!?」
気づけば、炎亀道と同じまわし姿になっている。握っていたはずの剣もいつの間にか消滅していた。
《土俵召喚》――彼が授けられたスキルの一つであり、この中では如何なる武器、魔法の使用も禁じられる。純粋な肉体のぶつかり合いのみを強制される、炎亀道だけの固有結界だ。
「ルールは簡単。足裏以外が地面に着けば負け。土俵の外に出ても負け。いいですね? さぁ、手をついて」
彼は手本を示すように両手をつき、前傾姿勢を取った。
さながら、野生の獣を彷彿とさせる構え。全身の筋肉がはちきれんばかりに膨張している。思わず、男もゴクリと喉を鳴らした。
「いいぜ、やってやるよ」
右手を突いて構え、そして――
「――ラァッ!」
渾身の右ストレートを、炎亀道の鼻面めがけて叩き込んだ。ハッと目を塞ぐミスカをよそに、盗賊たちは下卑た笑い声を上げる。
対する男も会心の笑みを浮かべていた。不意打ち気味で入った最高の一撃。その顔が苦痛に歪む様が想像できる。
――しかし、
「手つき不十分ですね。仕切り直しです」
炎亀道は素知らぬ顔で言い放つ。間違いなくクリーンヒットしたはずなのに、その巨体は少しもブレていない。
肉の鎧を身に纏った力士のぶちかましの衝撃は一トンにも及ぶ。それに比べれば男の拳など蚊が止まったようなものだ。どれだけ体重を乗せていようが、鍛えられた足腰と太い首が衝撃を無効化する。
炎亀道は一度立ち上がって気を整え、再度両手を突く。いつでもかかってこい、とでも言わんばかりに。
「チッ」
男も再度右手を突き、改めて眼前の男を睨む。
ただ構えているだけだというのにすさまじい圧力だ。呼吸が震えて胃が縮む。
半面、神経が研ぎ澄まされる感覚も覚えていた。雑念が削ぎ落とされ、より鋭く尖っていく。
「……ッ」
皆、無言だ。口を挟む余地がない。
一秒が永遠にすら思える時間の中、ついに男の左手が地面を打つ。
『――はっきよい!』
どこからともなく聞こえた土霊の声とともに、男が動く。
全身をコマのように回転させ、威力を倍増させた右フックが炎亀道に刺さる。続けて鋭いアッパーカット。痛烈な肘打ちまでもが鳩尾へ深々とめり込んだ。
「エンさん!」
炎亀道は微動だにしない。ガードもせず、ただ殴られているだけ。口から、鼻から、衝撃のたびに血が飛び散る。
盗賊たちは好き勝手に歓声を上げている……が、
(なんだ、こいつ……!)
男は殴り続けながら、焦燥を覚えていた。
どれだけ殴っても身体が沈まない。まるで大木を殴り続けているかと思うほどに手ごたえがないのだ。鳩尾、顎、こめかみ――急所を打ちつけられても、炎亀道は怯みもしない。
分厚い脂肪の鎧に衝撃がほとんど吸収されている。ならばと思って足を蹴っても効果はない。恐るべき把持力にて地を掴み、むしろ蹴った男の足に激痛が走る。
最初こそ調子づいていた盗賊たちも違和を覚え始め、次第に表情を曇らせた。責めているのは男のほうなのに、追いつめているのは炎亀道に見える。
「く、そ、がぁっ!」
苛立ち紛れに頭突きを見舞う。当然、効かない。それ以上に腹立たしいのが炎亀道の目だ。まっすぐで、澄んでいて――自分の心までをも見透かされるような、嫌な感覚。ギリリと歯ぎしりし、さらに殴る速度を上げた。
鈍い打撃音が響くこと、十分。先に息が上がり始めたのは男の方だ。全身びっしょりと汗をかき、はぁはぁと荒い息をついている。
対する炎亀道は汗一つ掻いていない。そして男の猛攻が止むと同時、彼が初めて動いた。
「……相撲では拳は使いません。やるのならば、こう」
刹那、炎亀道の痛烈なツッパリが男の胸を穿つ。骨が砕け、内臓が軋んだと錯覚するほどの一撃。決して軽くはない男の身体が宙に浮く。
「んっ、ぐっ!」
土俵から出るすんでのところで踏みとどまり、腰を落とした。その時すでに炎亀道はこちらの間合いに入り、まわしを取っている。
逃げようと身を捻った直後、世界が回転した。
浮遊感を覚えた次の瞬間には背中に強い衝撃を受け、空を仰いでいる。何をされたのかまったくわからない。
ただ、
「つえぇ……」
呆然と、そんなことを呟く。負けたというのになぜか清々しい気分だ。こうも力の差を見せつけられては、言い訳の余地もない。自然と口元がほころぶ。
「これが、相撲です。中々面白いでしょう?」
そう言い放つ炎亀道の顔は晴れ晴れとしていた。器の違いを見せつけられた気分だ。負けた、と改めて自覚する。
「……参った。かなわねえ」
「謝罪なら、私ではなく彼女に」
それもそうだ、と改めてミスカに向き直る。いつの間にやら土俵は消えて、衣服も元に戻っていた。
「すまなかった。色々と……好きにしてくれ」
どっかと地面に腰掛け、腕組みする。彼女に殴られても、それは相応の報いだ。自分たちはそれだけのことをしたのだから。
他の盗賊たちも男のもとへ集まり、頭を下げる。
対するミスカはというとリーダー格の男の頬をムギュッと両手で挟み、
「そんたに気にしてねぁよ。それより、動いたら腹減ったべ? 何か作るから待っててけれ」
「……は? いや、怒ってないのか?」
「なんもなんも。こんなご時世だがらねぇ。みぃんな生ぎるのに必死さ。あんたたつもなんぞ事情のあるんだべ? 腹がへってりゃ喧嘩する。こりゃ当たり前のことだ」
ミスカは言いながら、割れた壺を片付ける。本当に何も気にしていない様子で。
「あの、ミスカさん。その壺、大事なモノじゃあなかったんですか?」
「ん? あぁ、これか。これはオラが嫁入りの時さ作っだ奴だ」
「じゃあ、大切なモノなんじゃ……」
「えや、もう別れだがら気にしてねぇ。それにもうウン百年も前の物んだんて、区切りがづいでよがっだ」
「え、あの……ひょっとして、ミスカさん。バツイチ……?」
ミスカはたはは、と困ったように笑うだけ。
見た目は童女そのものなのに、実年齢は数百歳でしかもバツイチ。
炎亀道も盗賊たちも、すっかり毒気を抜かれてぽかーんとしていた。