人魚俳優 (Pixiv Fanbox)
Content
「やります」
私は即答した。マネージャーさんが説明した内容はとんでもないもので、本音を言えば怖いし、やりたくはない。けど、こんな大きな仕事のチャンスは二度とない。これを逃したら、私は一生パッとしないモブ演者のまま終わってしまうような気がした。
私にオファーが来たのは映画の主演。人気少女漫画の実写化企画。本来なら私なんかに回ってくるはずがない仕事。私はもう二十四歳になる。女優を志したのは小学生の時。事務所に所属できたまではよかったが、私にチャンスは中々巡ってこなかった。レッスンとバイトに明け暮れる日々。初めて名前のある役をやったのは十九歳。それ以来、パッとしない女優生活……女優と名乗る自信もない。時たまモブ役をやらせてもらえるぐらいで、自分より年下の若い子が事務所の大プッシュを受けて華々しい舞台へ上がっていくのを、私はずっと忸怩たる思いで眺めてきた。そりゃ、時機を逸した半端なロートルに回すよりも若い子、実績あるベテランの方がよいというのが理屈だろう。でも絶対に私の方が演技はうまいのに、まともにレッスンもしていない若い子たちが大きな仕事を取っていくことに心から納得できたことはない。
「ん……でもいいの? もっかい言うけど、コレ、特殊メイクとかじゃなくて本当に」
「はい、わかっています」
「で……」
「やります。やらせてください」
断る選択肢はなかった。これを断ったら、きっともう事務所にもいられなくなる。私にだってそれぐらいの裏事情はわかる。厳密にいえば私に来たオファーではなく、事務所に来たオファー。スケジュールの空いている、それでいて今後も埋まることはないであろう人材、そしてそれなりに見られる容姿。それで私にお鉢が回ってきたのだ。勿論最初は有名どころ、売り出し予定の新人に話がいったに違いない。だが人気どころはみな断ったのだろう。なぜなら企画の内容が信じられないぐらいぶっ飛んだ内容だからだ。
原作の漫画は、人魚が人間界にやってきて高校生のイケメンたちと恋愛するという内容。これを実写化するにあたり、企画サイドはとんでもないことを考えた。演じる役者を本当に人魚に改造しようというのだ。
医療用の人造細胞が実用化されて久しい。今は用途も拡大し、架空の生物を人工的に造り出し、動物園や水族館に展示するケースも増えている。近年は人魚も大人気。この映画化もそれに乗っかっているのだろう。しかし本物の人間の下半身を溶かし、人造細胞で魚に変えるだなんてとんでもない話だ。あとで戻すと言っても、生まれ持った天然の両脚は失われてしまうわけで……。私にまで話が降りてきたのも頷ける。私だって、本音を言うならそんな恐ろしいことしたくない。本来なら足に撮影用の被り物をするだけでいい話。安全面でも倫理面でもヤバい。
でも、恋愛映画の主演なんて大きな役を見送りたくはなかった。ここで私の演技が認められれば、映画がヒットすれば……薄々限界を感じつつあった私にも時代のめぐり合わせがやってくるかもしれない。
方々で断られまくりスケジュールが押していたらしく、あっという間に話は進んだ。まあ、私のスケジュールが真っ白だったのもあるけど……。
邪悪なアイディアを出したプロデューサーとも会い、直々に企画趣旨の説明を受け、絶対安全だから大丈夫、手術費も全てこちら持ちだと何度も念押しされた。そう何度も言われるとかえって怖くなるんですけど……。
しかし後には引けない。私が尊敬する有名な俳優の中には、常軌を逸した役作りに臨んだ人も何人もいる。私もその一人になるんだ、女優になるという夢を本当に叶えるのは今なんだと自分を言い聞かせ、同意書にサインを行った。
制作発表記者会見に、主演女優として登壇した時は感動で震えた。小さいころから憧れたステージにいよいよ上ることができたのだ。残念ながら、私を長年支えてきたこの脚とはもうすぐお別れだけど……。引き換えに得たチャンス、絶対に失敗したくない。
私が無名なので、専ら制作陣や主演男優に記者の注目は向いていた。劣等感を感じる。私なんかが彼らと一緒にここに並んでいてもいいんだろうか?
「本当に人魚になることについて不安のようなものはありませんでしたか?」
ようやく記者の質問が来たらコレだ。
「全く怖くないと言えばウソになりますが、それ以上にワクワクします。何より私も小さいころから人魚に憧れが~」
事前に用意された答えを返す。監督にも質問が飛ぶ。思い切った撮影手法に踏み切ったのはなぜですか、と。監督はそれっぽい答えを得意気に返すが、それは嘘だ。別に彼がキューブリックのような監督だからというわけではない。プロデューサーの発案だ。プロモーション、話題作りでしかない。
しかし効果は大きく、ネットでもずいぶん話題になった。批判も多いけど……。まあ仕方ないか。
クランク・インの前日。私はホテルで執拗に自分の足を撫でた。スマホで写真も撮った。脚に思い入れとか特になかったけど、もうすぐ失われると思うと、妙に愛おしくなってくる。今からでも断ろうかなんて思ってしまうほど。
(最後だから……よろしくね)
生まれたときから私を支えてくれた両足。病気でもないのにそれを溶かしてしまうなんて、なんとも冒涜的で反倫理的行為な気がする。ほんとにいいのかなそんなことして……。でも撮影のためだもん、しょうがないよね……。許してね。
私は感傷に浸りながら、何度も自分の脚を手で撫でた。
撮影前半は陸のシーンに集中する。つまり、足がある場面を先に撮ってしまうのだ。その後私の手術とリハビリを挟み、後半で海のシーン、クライマックスの川上りと医者を呼ぶシーンを撮影する予定だ。
初主演にしておそらくラストチャンスということでプレッシャーが大きかったが、この後私に待ち受ける運命を知っているおかげかスタッフは優しく、順調に撮影を進めることができた。しかしうまく撮れているということは、それだけXデーが早く来るということでもある。別の重圧も日に日に増してきたが、同時に私の足の最後の活躍を存分にカメラに収めなければという使命感も生まれた。「生えた足」を自慢するシーンは最高の演技ができたと思う。
始まってみると、撮影はあっという間だった。足の生えた私が出るシーンだけ集中的に撮ったのだから当然と言えば当然。いよいよ別れの時は来た。私はスタッフさんたちに頭を下げて、声援を受けながらロケ地から去ることになった。私の出ないシーンを撮っている間、東京で私の手術が行われる。
飛行機の中で私は何度も無意味に足を動かした。床を踏み、太腿を撫でる。覚悟はできていたつもりでも、やっぱり怖い。下半身を溶かされるだなんて。そして代わりに形成されるのは、人造細胞で作られた魚のしっぽだという事実。
隣のマネージャーも私の不安を察しているはずだが、何も言ってくれない。それどころか、私が「やっぱり怖いから嫌です」などと言い出さないか不安がっているようだった。何よりもその態度に傷ついた。あなたたちのために、映画のために足を溶かそうって相手にする態度? 優しい言葉の一つぐらいかけてくれたっていいのに。やっぱり私がずっと売れなくてパッとしなかったから? だったら悔しいな。寂しいな。
私が送られたのは病院……ではなく研究所。人造生物の作成を行っているところらしい。私は水槽の中のピンク色の人魚を紹介された。人造生物に人並みの知能を持たせることは禁じられているため、彼女たちは人間でいえば2.3歳程度の知能しかない。しかし彼女の顔は、上半身は、まぎれもなく人間そのものに見えた。ニコニコと笑いながら水槽の中で丸まっている。顔立ちは美しく、彫刻のように整っている。人造生物なんだから当然だけど、私は敗北感に襲われると同時に、恐怖した。いざ目の前に人魚を出されると、自分がこの仲間に……人造生物みたいになってしまうのかと思うと恐ろしい。見分けは……つかないだろうな、きっと。人間じゃなくなることへの恐怖。私はこの手術が何をするものなのか、ずっと誤解していた。足を溶かして尾びれを生やす? 違う。人でなくなるのだ。
さらに、呼吸器にも改造を加えることをこの時初めて知らされた。
「あれ? 説明してなかった?」
「……い、いえ、聞いてません」
「おかしいな。説明したはずなんだけどな。ま、同意書にも書いてあるから」
嘘だ。記憶にない。それとも本当に聞き落としていたんだろうか?
水中で長く息が続くようになるだけだから、むしろ得だよ。と笑うプロデューサーに「そうですね」と相槌を打ちながら私は震えた。本当に大丈夫だろうか。でももう止められない。
服をすべて脱ぐよう指示された私は少し躊躇した。室内には男だらけ、というか女性の職員など一人……。名前もわからない人たちに裸を、それも大事なところまで全部見せないといけないとは……。
まごまごしている間に、周囲ではどんどん準備が進んでいく。なんとなく手術台のようなところに寝転がる想像をしていたものの、大きい機械の中に埋め込まれたような形で存在している透明なケースの中に入るらしい。全裸で。不安と不快感が急激に押し寄せる。まるで見世物……室内で飼われる動物のようだ。
職員からせっつかれ、私はいよいよ服を脱ぐ羽目になった。更衣室すらないし、部屋から出ていったのはプロデューサーとマネージャーだけ。施設の人たちは誰一人出ていかない。必要だというのはわかるけど、もう少し配慮があってもよくない?
渋々服を脱ぎ、下着さえも取り去り、私は生まれたままの姿になった。男性職員たちの視線が鋭く槍のように体を貫く。ケースの扉が開く。胸と股間を必死に隠しながら、私はケースの中に足を踏み入れた。
大きな水槽のような透明ケース。天井の角にはチューブのようなものが見える。私は横になるよう指示された。何も敷かれていない冷たく無機質な床。私は静かにその上に横たわる。寝心地は最悪だ。
麻酔のためのマスクを被った時、私は自分が後悔していることを認めないわけにはいかなくなった。人造生物を作るための研究所、そのための機械。人が使うことなど想定もしていないのだろう。そういう場所で前代未聞の施術を受け、足をなくすことになる。怖い。女優になる夢のためとはいえ、酷い仕事を引き受けてしまった。もしも失敗とかしたらどうなるんだろう。足……私の脚。
「はい、じゃあ麻酔いきまーす」
「あ、目が覚めた?」
(……ん?)
床よりは柔らかい感触に背中が包まれている。ベッドの上だ。終わったらしい。全身麻酔って一瞬なんだな……。私はえっと……。
(あっ!)
脚! そうだ私は脚を溶かして魚にする施術を受けて、それで……。意識と記憶が明瞭になるにつれ、鳥肌が立つような下半身の感覚が襲い掛かってくる。両脚がくっついて一体化してしまったかのような一本足に近い感覚。脚はその先に向かうにつれて次第に細くなり、そして、一点に消える。そこに足首のようでいて違う奇妙な筋肉がある。足首を横に倒して磨り潰されたような心地だった。ひんやりとした空気を敏感に感じ取る尾びれの感覚が私の脳に届く。
上半身を起こす。飛び込んで来た光景にゾッとした。わかってた。わかってはいた。けど、本当に……ああ、そうか……。光り輝く青い鱗にビッシリと覆われた下半身。感覚と視覚情報が次第にリンクしていく。魚だった。私の下半身は、とても立派な魚の尻尾に変身していた。
「どう? 違和感ない?」
違和感しかないよ。脳が悲鳴を上げてる。いずれ慣れるんだろうか?
かつて足首だった筋肉を動かしてみた。尾びれが揺れる。人魚……私は本当に人魚に改造されちゃったんだ。水族館のニュースで見る、この研究室でもみたあの子のような……。
私の髪はついでにオレンジ色に染め上げられ、腰まで伸びる大ボリュームに進化させられていた。撮影前半ではウィッグでやっていたけど、今は本当に地毛そのものをオレンジにされているらしく、いちいち染め直さなくてもよいのだと言われた。便利だろう、嬉しいだろうと言わんばかりの態度で。
(やだなあ、地毛がこんな……カラフルな色に……)
アニメキャラじゃあるまいし。漫画の実写化だからしょうがないけど。研究室の水槽にいたピンク色の人魚を思い出し、あれよりはマシだと自分を慰める。
その後、色々な検査を受け、さっそく「リハビリ」が開始された。撮影にあまり間を空けるわけにもいかないのだ。プールのような水槽に運ばれ、人魚としての泳ぎ方、体の動かし方を練習。参考に、とおなじプールに運び込まれたピンクの人魚は、私を仲間だと思ったのか一直線に寄ってきて、すりすりと頬っぺたを私にこすりつけてきた。
(ちょ、ちょっと……!?)
見た目は中高生ぐらいなのに、行動は幼児……いや犬猫並かもしれない。正直ちょっと生理的に嫌悪感を催してしまった。パーソナルスペースも以上に近いし……。しかしこの子は知能を抑えられているんだからしょうがないか。この子のせいじゃないもんね。
医療用とは異なる安い人造細胞で作られた低知能の人魚。その彼女はスイスイと水の中を軽やかに舞った。私は必死にお尻……はもうないか、下半身を振りながら沈んでいくだけなのに。
(ぐう……)
彼女は私の周囲を回りながらこれ見よがしに尻尾の動きを強調するような態度を見せた。馬鹿にしているのかと思ったけど、それは作り物の亜人に後れを取っていることに耐えられない私の劣等感から生じる見方だろう……。あの屈託のない笑顔に負の感情は一切感じられない。きっと生まれたばかりの赤ちゃん人魚に泳ぎ方をレクチャーしているつもりなのだろう。
(~っ!)
死ぬほど悔しいが、一刻も早く撮影を再開させる務めが私にはある。彼女の動きと職員さんたちのアドバイスを参考に、私は頑張って水中の行動を学んだ。こうなってくると、呼吸器に改造を加えられたのはよかったかもしれない。普通なら到底続かない時間、私は水に潜っていられたし、水中で口を開けても全く苦しくはならない。
日に日に、ピンクの子のスキンシップも激しくなった。ずっと独りぼっちだったのかな、と思うと私も徐々に嫌悪感をやわらげ、友好的に接することができるようになっていった。近所の子供に懐かれたようなものだと思えばいい。うん。
ロケ地に移送される日、私はプールから運搬用の水槽に移される際に彼女に別れを告げた。
「ありがとう、またねー」
ピンクの子は簡単な単語会話は通じるものの、それ以上は理解できない。身振り手振りや表情でコミュニケーションをとるのが常なので、いつの間にか私もオーバーリアクション気味になっていた。表情筋を大きく動かして笑顔を作り、大きく手を振る自分に気づいた時、ちょっと恥ずかしくなってしまい、私はひっそりと身を縮めた。
ピンクの子は明日も私と会えると思っているだろうか? きっとそうだろうな。なんだか悪いことしてる気分。同じ人魚になったからか、思ったよりも私はあの子に情を移していたらしい。
私がもう戻ってこないことを理解した数日後の彼女の姿を想像し、少し心が痛んだ。
「おおーっ!」「すげーっ!」「可愛い!」
久しぶりの現場に水槽に入れられたままご披露された私は熱烈な歓迎を受けた。本当の人魚になった私に人が、カメラが群がる。水槽の中なので逃げ場もなく、私はガラスの壁を隔てて笑いながら手を振るしかなかった。人間として仕事を共にした人たちに人造生物同然となった自分を晒すのは全裸で出るぐらいに恥ずかしく感じる。
撮影前に髪に特殊なジェルを塗る。水中でも髪がある程度束になったまま綺麗に靡くようにするための処置だ。乾かせば水中に長く浸かっても溶けないから大丈夫だと説明を受ける。そしていよいよ、私は水槽から海の中に解き放たれた。プールにはなかった波が私を押し、引く。水の感覚もプールのものとは違う。鱗を叩く海水はどことなく神経をひりつかせるものがあった。
「大丈夫? 泳げる?」
「は……はい、なんとか……」
少し練習が必要かもしれない。その申し出は受理され、しばし私は港の中を泳ぎ回った。面で押し寄せる波に身をゆだね、時にそれを貫く。段々楽しくなってきた。何もなかったプールとは異なり、コンクリートの壁には藻やフジツボがビッシリと張り付き、地面には砂が敷き詰められ、生き物の姿が見える。当初は汚いなあと思っていたゴミやよどんだ水も、その背景に思いをはせると味わい深く思えてくる。海からやってきた人魚は、このゴミ一つ一つに未知の発見を感じ、陸上の世界を想像する糧とするに違いない。実際に海を人魚として泳ぎ回ることで、私は自分の役柄について急速に理解を深めた。地上シーンも取り直したいなぁ。今ならもっといい演技ができるよ。
役作りと相まって夢中になり、気づいた時には大目玉をくらった。地上からは私を呼んでいたようだけど、水中の私には聞こえなかったのだ。
撮影は翌日から開始された。私は自分でも驚くほど脂の乗った演技ができたと思う。撮り直しもほとんど起こらず、順調に進んでいく。やっぱり、本物の経験に勝るものはない。人魚になってよかったかもしれない。そんな気さえしてきた。撮影の合間は皆私をチヤホヤしてくれるし。陸上では自力で移動できないのでスタッフに運んでもらうのだが、なんだか大物女優にでもなれた気がして悪くない気分だった。私の鱗をつっついてきたり、胴体の境目を興味深そうに観察してくるのは恥ずかしかったけど。
しかし日が沈めば一転して惨めな思いをする羽目になる。夜はホテル……に設置された水槽に入れられる。一般客に見られないよう、設置場所は倉庫。皆は楽しそうに交友を深めているのに、私だけ一人隔離されるのだ。ご飯は運んできてもらえるけど、まるで餌を待つペットのようで、どうにもいい気分じゃない。
(私……主演なのになぁ)
誰か来てくれてもいいのに。スタッフも共演者も訪ねてきてはくれない。映画のために下半身溶かして改造までしたのに、こんな扱い? 私がもっと知名度のある女優だったら違ったんだろうか? 悔しい。
早く明日にならないかな。そうしたらまた現場で皆と話せるのに。
大きなトラブルが起こることもなく、撮影は無事クランクアップを迎えた。皆は本当に体を改造してまで撮影に臨んだ私を称賛し、思わず私は泣いてしまった。よかった。本当に。女優になるという夢が叶った瞬間。
その後水槽に移された私は、トラックの荷台でガラス越しにとんでもないことを説明された。私はこれから研究所に移送され、しばらくそこで人魚のまま暮らすことになるのだと。元に戻れると思っていた私は仰天。しかし水中からのガラス越しでは中々声も伝わらない。私はガラスをドンドン叩きながら抗議の姿勢を見せたが、プロデューサーは譲らなかった。公開時期には人魚の姿でプロモーションをやってもらうから、それまでは元に戻せないというのだ。短期間で改造を繰り返すことは肉体への負担が大きく、無事を保証できないから、と。
「そ……そんな。聞いてません」
しかしプロデューサーは私の声に返事せず荷台から降り、無情にもトラックの扉は閉められた。
「待ってください! おろして! ちょっと!」
水槽がガタンと揺れた。ビクッとして私はそれ以上暴れられなくなった。固定はされているけど、今水槽が割れたりしたら……。
トラックが発進する。私は狭い水槽の中で尻尾を折りたたみ、移送を静かに受け入れることしかできなかった。
その後、研究所の大プールに放たれた私をピンクの人魚が歓迎してくれたのはいうまでもない。私は元に戻りたいということを職員たちに訴えたものの、健康面の問題からそれはできないのだと粛々と説明を受けるばかりで、受け入れられることはなかった。プールや水槽にスマホやその他の連絡手段はないし、下半身が魚のままでは逃げることもできない。私はピンクの子と遊ぶ以外何一つ娯楽のない世界に閉じ込められることになってしまったのだ。
(ひ……酷いよぉ、別いいじゃない、広告は被り物でも……うぅ……)
「それでは近日公開『人魚注意報』主演、海原ミズキさんどうぞー!」
「は~い、こんばんは~!」
私は車輪のついた水槽に収められたまま、スタジオの中央に運ばれた。ひな壇から歓声が上がる。
数か月の監禁生活を経て、私は映画プロモーションのためようやく外に出してもらえるようになった。勿論、自由意志での外出はできない。こうしてバラエティ番組で見世物になったり、インタビュー動画を作ったり、仕事での外出ばかり。それが終わればまた研究室の水槽に戻される。もうずっと自分の家に帰っていない。マネージャーは「ちゃんとしてるから」と言うけど、どうなっていることやら……。知人とも連絡取れないし、最悪。
勿論、人気のバラエティに出られることは嬉しい。けど、私が座るのはあのひな壇ではない。座ることすらできない。スタジオの中央で珍獣扱いで見世物になるだけ。これも映画のため、私のキャリアのため……。水槽から顔だけ出して、ニコニコと受け答えをする。それが私の仕事だった。
「えー、それどうなってんの?」
「あはは、触ってみますか~?」
私の心を蝕むのは、自分の魚下半身を誇らしげに紹介しなければならないこと。そりゃネガティブに扱うことはできない。それはわかってるけど、釈然とはしない。まるで私が本心から人魚に憧れ、改造を受け入れ、そして元に戻るのを拒んでいるかのような印象を内外に振りまいてはいまいか。それが気がかりだった。
(映画……映画が公開終わったら戻れるんだ)
自分の初主演映画なのに、私はいつの間にかできるだけ早く公開終了してほしいと願うようになっている。ダメダメ、ヒットを願わないと。そうしないと私のこの珍獣行脚も全て無駄だったことになる。頭と心でちぐはぐな思いを抱えながら、私は懸命に求められる役柄を演じ続けた。
映画公開直前、研究所を訪れたプロデューサーはまたしてもとんでもない企画をぶち上げた。公開中、私を水族館に展示するというのだ!
「どうだ、映画に出てる人魚本人と直に、リアルで触れ合える! すごいことになるぞ!」
そりゃ……「すごい」でしょうよ。でも嫌だ。二十四時間、ずうぅーっと見世物になるなんて! しかも私は人間なのに、水族館に展示!? 魚みたいに!? 冗談じゃない!
「い、嫌です。それは流石に……」
しかし、彼曰くすでに水族館側とも話はついていて、企画はスタートしてしまっているらしい。すでに告知もされているようだ。私は彼を恨んだ。わざとだ。絶対に断れない状況になってから私に話を……。
公開は二日後……。私が今このタイミングで断れば映画は……。動物として檻の中の展示品になるか、初主演映画にケチをつけるか……。ここまで身を捧げてきて最後に台無しにするの? 私の中で「人魚派」が囁く。どうせ断ったってここでブラブラしているだけじゃない、と。
「わかり……ました……」
私は水族館入りを了承した。はぁ……いよいよ本当に人魚だな。一度だけ水族館で見たことがある。あれに……私が……。人間様が通るための通路と人魚が入る巨大水槽に一メートルの幅もない。しかしそこは、人間と動物を隔てる絶対の境目だったはず。私はそれを犯して向こうの世界に行かなければならない。仕事とはいえあんまりな境遇に、私は移送中涙をこらえることができなかった。
「人造生物の飼育を任されております、山岡です。よろしくお願いします」
「海原です。お世話になります……」
私は大きな大きな水槽に投入された後、「飼育員」と顔合わせした。若い男性で、爽やかな声の持ち主だった。すでにこの水族館には二匹の人魚が展示されており、私も今日から同じ水槽で暮らすことになる。互いに気まずい空気を醸しながら、ぎこちなく挨拶を交わす。当然だ。向こうだってまさか「人間」を魚たちと並べて世話しなければならないだなんて、思いもしなかったろう。
(わ、私も……来たくて来たわけじゃないんですよ……)
と心の中で言い訳しながら、私は「同僚」となる二匹の人魚とも顔合わせを行った。片方は見ごたえのある美人で、彫刻のように美しいラインを持つ。もう片方は小さい子供といった感じで、愛嬌のある可愛らしい顔立ち。美少女とはこういう子を指すのだろう。人間じゃないけど。
私は激しい劣等感と気まずさに襲われた。私は……一応自信のあるほうだが、到底彼女らには及ばない。ここではぶっちぎりの最下位、ブスとなってしまう。彼女らと並んだ自分を想像すると惨めな気持ちになってしまう。大丈夫だろうか。来客者たちは私を笑わないだろうか……。水中ではメイクも効かない。髪を綺麗に靡かせるジェルだけが私の唯一の武器かもしれない。完全に落とすの忘れてただけだけど。
開園まで私は水槽の中を泳いで回り、具合を確かめた。流石に港より恐ろしいほど水が澄んでいる。透明で綺麗。でもちょっと少し寂しいかも。
透明な板で区切られた向こうに通路が見える。ここからお客さんたちが私を……私たちを覗きに来る。私たちは今や覗かれるために存在する生物なのだ。でも……女優だって壁がカメラだというだけで、同じような存在かもしれない。しかし大変になりそうなのは、死角がないこと……。私の一挙一動が、常に監視の目に晒される。休みのない一発撮り。それが閉館まで十時間以上続くのだ。毎日毎日……。
想像するだけで気が滅入るが、それをこれから否応なく体験する羽目になる。ああ……なんでこんな仕事受けちゃったんだろう。あの日夢見た女優の夢に、こんな光景は存在しなかったよ。
開館すると、流石に展示初日に映画公開も重なって、相当の人数が訪れた。通路が埋まる埋まる。海の波のように押し寄せる。顔ぶれは常に変わるが、人数は一切衰えない。
私は通路に近づき、柔和な微笑みを浮かべて手を振った。すると通路の向こうでざわめきが起こり、皆が関心しているのが伝わってきた。同時に、自分が動物園のサルになったのだということを嫌というほど実感させられ、胸がギュッと締め付けられる思いだった。どうして私はあの通路の中にいないんだろう。人間はあっちにいるはずなのに……。
しかし映画のためにも、そして私自身の評判のためにも、不機嫌な態度など取るわけにもいかない。これも仕事……アイドルの握手会みたいなものだ。そう自分に言い聞かせながら、私は水槽の中を華麗に泳ぎ回り、通路を行く人だかりに笑顔で手を振った。
しかし気を抜けないのがほかの人魚たちの存在だ。彼女らは人懐っこいのですぐ私のもとへ近寄ってくる。仲よくした方がいいのはわかっているし、生理的な嫌悪感は研究所のピンクの子のおかげでほぼ抜けきっている。しかし、あんなにたくさんの人たちの前で理想そのものな美人と並び立つのは嫌だった。私は「仲間」が近寄ると、すぐに遊ぶような雰囲気を出して水槽の奥へ引っ込むように振る舞った。それに私は息継ぎもしなけりゃいけないし。
逃げ場のない見世物小屋の初日はかなり早く過ぎた。水面から顔を出し、連絡通路の山岡さんから閉館したことを聞かされると私は心底ほっとして、全身の力を抜いて底に沈んでいった。
(あ~。終わったぁ~)
ずーっと見られてるって想像以上に疲れる……。座ることすらできないし……。体力続かないよ。張りつめていた神経が解放され、私は砂の上で間抜け面を晒したまま上空の連絡通路の影をぼーっと眺めた。山岡さんはまだいる。私のボケーっとした間抜け面を見ているだろうか。……まあいいや。どうでも。
人魚二匹は大きな貝の中に入り込む。あれが部屋らしい。私は山岡さんに引き上げてもらい、半分水で満たされたベッドの上に運んでもらった。斜めになっていて、下半身だけが水に浸かるようになっている。研究所で寝ていたのと同じだ。私一人のためにわざわざ用意してもらったのかと思うとちょっと申し訳なくなる。重いのに運んでもらっているし。
「すみません、わざわざ……」
「はは、歩けないんだからしょうがないですよ」
研究所との違い。私の周囲には人間がいない。厚い壁の向こうにいる客たちは、一方的に私を観察するだけで、会話はできない。素の自分を晒すことも実質禁じられている。研究所には多くの職員がいたから、雑談相手には困らなかった。
ここで私と会話をしてくれるのはただ一人、山岡さんだけなのだということを、二、三日のうちに私は悟った。無性に寂しい。本当に人間界から隔離され、動物の世界に落とされてしまったみたいだ。
最初はお互いどことなく気まずかった彼とも、数日もすれば打ち解けてきて、かなり話せるようになった。まあ話す機会はご飯時と開館前、閉館後のちょっとの間だけだけど。今や私には外界との繋がりは勿論、娯楽すらも彼しかいないのだから、自然と私の中で山岡さんの存在が大きくなっていく。
「いい子いい子。えらいえらい」
私が食事をとっている横で、他の人魚たちが餌を受け取り、彼に褒めてもらいながら撫でられる。
(私もご飯食べてるのに褒めてもらえないなあ……)
なんて考えていることに気づいた時は我ながら驚いた。アホか私は。
たまにマネージャーが来て、仕事が入る。映画の宣伝のためにテレビに出たり、取材を受けたりする。そしてそれが済むとまた水族館に戻ってくる。
「おかえり」
と山岡さんが言ってくれるのが嬉しい。同時にちょっと動揺する。まるでこの水槽が私のお家みたいだ。
他の人魚が彼に可愛がってもらうたびに、私の胸中にモヤっとした気持ちが渦巻く。私だってあんな簡単なことはできるのに。そして人魚のように扱ってもらいたがっている自分に呆れる。でも、まさかそんなこと言えるわけない。恥ずかしすぎて死んじゃう。
悶々としながら水族館の目玉を勤め続けていたある日、山岡さんから映画がヒットしているらしいことを教えてもらった。怖くてマネージャーにはついぞ聞けていなかったことだけに驚き、そして心の底からホッとした。よかった……。私のしてきたことは無駄じゃなかったんだ……。気づくと涙がこぼれていた。
「ど、どうしたの?」
「あっ、いや、気にしないでください。ホッとして……というか嬉しくて」
手で涙をぬぐうと、硬くて優しい手が私の頭を撫でた。
「いい子いい子。えらいえら……」
山岡さんは一瞬フリーズしてから慌てて飛びのいた。
「あっすいません、癖で! じゃなくて、その、人魚のつもり……じゃなくってですね、ええと」
「あっ、あっ、いえ、大丈夫です、はいっ」
私は静かに水中に没した。顔が赤い。人魚たちが寄ってきて、私の頬っぺたをつついた。
それ以来、たまに私と山岡さんはスキンシップを交わすようになった。彼が人魚を撫でるのと同じ手つきで私の頭や尻尾を撫でるたびに、心が暖まる。そして戸惑うのだった。ゆっくりとだが着実に、私は二匹の人魚と同じように扱われていくようになっている。彼に優しく愛でられることを密かに喜んでいる自分と、立場が人魚と同列に落ちつつあることへの不安が入り交じり、いつも複雑な気分だった。
夏も終盤に差し掛かると、私を見に来る客の数も減ってきた。それでもだいぶ多いけど。映画は終わるのは夏いっぱいのはず。もう少しでここともお別れかぁ……。あれほど人間に戻りたがっていたのに、今はここを出ることに葛藤してしまう。もう少し人魚でいたい。いや違うな。山岡さんと一緒にいたい……かも。
別に人間に戻っても普通にお付き合いすればいいかもしれないけど、それだと……人魚たちのようには可愛がってもらえなくなるだろう。毎晩抱きかかえてベッドまで運んでくれることも、ごはん食べるだけで褒めてもらえることもない。いやいい歳してそんなこと要求してるのがおかしいんだけどさ。でも……。
悶々としながら過ごす夏の終わり。九月になるとマネージャーが訪ねてきた。研究所に戻されて人間にされるのかと思いきや、驚きの展開が待っていた。続編制作が決定したのだ。公開は来年夏だから、割とすぐに撮影が始まる。私を元に戻すと間を置かず人魚改造することになるから、体への負担がうんぬんかんぬんで、私はまだしばらくこの水族館にとどまってもらうことになった。
彼はそれだけ告げてさっさと連絡通路から立ち去った。細かいことはまた連絡するから……と。きっと私が怒ると思ったのだろう。当然だ。でも私は……喜んでいる。表には出せないけど。変かな。うん、おかしいのわかってる。
それでもとにかく、私は人魚としてまだ一年、山岡さんと一緒にいられることが嬉しい。戻ってきた山岡さんも続編制作が決まったことを喜び、私の頭を撫でてくれた。
「そうだ、原作の新刊買ってこようか」
「はいっ、お願いしますっ!」
私は水中に潜った。顔がニヤニヤしてしまう。何か良いことがあったのかと、お客さんたちにもバレてしまいそうだ。
そういえば、制作発表記者会見はどうなるだろう。私、このまま出るんだろうか。人魚のままで? うわー恥ずかしいな。でも話題になりそう……かな?
次の仕事について思いを巡らせながら、私は今日も人魚水槽の中を泳ぎ続けた。