先行公開・ミヤコ小説プロローグ (Pixiv Fanbox)
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凡庸に述べるなら、バケツをひっくり返したような雨。
ここ数日のぽかぽかとした陽気で平和ボケしていた身体、その脳天から足先までを、季節外れの夕立が、容赦なく洗い流してきた。
「はっ、はっ、はっ……!」
この雨脚では力不足でしかないビジネスバッグを傘替わりに掲げ、最寄り駅から全力で駆ける。
ブラウスは、その白い布生地が透けてしまうくらいびしょ濡れになり、跳ねた泥水でデニム諸共、足元がどうしようもなく汚れている。
せっかくの定時退社に浴びせられた、文字通りの冷や水。げんなりした気持ちを抱えたまま、一旦の雨宿りとして、近所の公園の屋根付きベンチに逃げ込んだ。
ずぶ濡れのバッグをハンカチで拭き、髪の毛に溜まった水気を絞る。
幾ばくかの期待をしつつ空を見上げてみる。案の定、向こう数時間は止みそうに思えない土砂降りを延々と吐き出し続けている暗雲が、ただ広がっているだけだった。
「はぁ……油断した」
思わず、ため息をついた。
天気予報を見忘れる。そんなこと、SRTにいた頃の自分ならば、絶対に起こし得ないミスだった。……正確には、学園が復活するまで、公園でのキャンプ生活を強いられていた時代の自分だが。
なにせ、このくらいの雨量ならば、備えの無い状態のテントは一瞬で濁流の中に沈み滅ぶ。
だからこそ。ラジオから流れる気象情報は一つ残らず頭に叩き込み、従って万全の体制を整えるのは、野宿生活者にとって最低限の生存戦略なのだ。
もっとも。食糧や弾薬を洗濯したい「綺麗好き」であるならば、話は別だが。
「痛ッ……」
休憩しようと腰を屈めた瞬間、右の足首に刃物で切られるような痛みが走った。
恐る恐る見てみれば、擦れたような傷跡と共に、痛々しい鮮血が滲み出ていた。思えば、パンプスで全力疾走したのなんて、初めての経験だったかもしれない。
勿論、歩けないほどではない。しかし、この生傷が与えたダメージは、肉体的なソレよりも、精神的な意味合いの方が大きい。
ベンチに腰を下ろし、モモトークの画面を開きながら、今日二度目の重い嘆息を漏らした。
「一年、 かぁ」
SRT特殊学園からの卒業から、はや一年。その一年という月日が自分に与えた影響は、思っていた以上に大きかったことを、改めて思い知る。
自分の知識を活用できる理想的な職業に就き、紆余曲折ありながらも、一年目にしては中々のキャリアを積んできた日々。
まだ二十歳にも達していない若僧ではあるが、確実に成長できている。……そう小さく自画自賛していたのだが、こうも冷や水を浴びせられる不運が続くと、流石に己を疑ってしまう気持ちを否定できない。
前進しているつもりが、後退していた。そんな醜態、お笑い草だ。だが、「そんなわけない」と鼻で笑うように否定してくれる小隊の仲間は、もう自分の傍にはいない。
「大人って、大変なんだ」
こんな時に限って、先月自分のミスで起こしたトラブルの苦い記憶が蘇る。
しかし。もう己の口から、三度目の溜息が顔を出すことはなかった。
「────ミヤコ!」
ばしゃばしゃと、落ち着きのない足音が、水たまりを蹴散らしながら近づいてくる。筋トレばかりで運動をろくにしていないせいだろうか、随分と見るに堪えない酷いフォームだ。
屋根の下まで辿り着いたかと思えば、傘をたたむのも忘れて、膝に手を突き、肩を上下に動かしている。
出会った頃から変わらない、あまりにも不器用な姿。自然と、口元に笑みが浮かんでしまった。
「ぜぇ……ふぅ……ほ、骨が折れたって、ホ……ホントッ……⁉」
連絡してから、まだたったの五分。家からココまでの距離、そして彼の足の速さから考えると、必死に走ってきたのは明白だ。
その献身に免じて。「伴侶」として相応しい労いを、精一杯の可愛い笑顔として披露する。
「ウソです」
「は?」
放心する彼に、ぺろっと舌を出す。
さて、申し遅れた。私の名前はミヤコ。
────シャーレの先生の妻だ。