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第一章


────ハイランダーは鉄道路線の拡大に乗じて他学園を侵略している。

これは、ハイランダー鉄道学園に寄せられる数多の苦情の中でも、特に公式サイトお問い合わせフォームで散見されるタイプの、長々とねちっこいお気持ちメールで非常にありがちな文脈だ。

結論から述べれば、この批判は全くもって的外れ極まりない。

確かに、決まった領土や領海を持たないハイランダー鉄道学園にとって、自治区とは即ち、線路と駅周辺の行政権と同義だ。

だが、ゲームではないのだ、彼女らとて好き放題線路を引きまくれるわけではない。寧ろ、こと路線の新設に関しては、しがらみと制限で雁字搦めにされている。

たとえば、トリニティ総合学園。ここに線路を引こうと思えば、本当に面倒臭い。

数ある歴史的・文化的価値の高い遺跡や建造物、更には広大な茶畑を避けて線路を構築する必要に迫られる上、隣接するゲヘナ自治区に少しでも路線を入れようものなら、「ゲヘナの土地で汚された列車をトリニティに入れるな」なんて苦情が鬼のように流れ出る。

……ただ。それでも。昨今のトリニティは、ホストを筆頭に変革の兆しが見られつつある。ある程度の妥協や融通をもって、他学園との交流に手を加えんとするトリニティの姿勢は、少なからず、ハイランダーにも良い影響が及んでいて。

────そう。駅舎の新設などが、分かりやすい一例と言えるだろう。


『────ご乗車頂き誠にありがとうございました。西ムミアー駅、西ムミアー駅……』


「ママー、おなかすいた」


「そうねぇ。屋台とかあるかもだし、ちょっと探してみようね」


種族も年齢も様々な人の群れが、わらわらと列車の中から溢れ出る。

その内、丸っころく可愛らしい鳥人の子供が、その母親と思わしき女性の羽に抱き着き、愛らしい駄々を捏ねてみせる。

そんな我が子の頭を撫でながら、母親は人混みの中を縫うように歩き進む。

背後に茶畑を拵えるようにして、郊外にポツンと佇むこの駅に、これほどの賑わいが生じている理由。それは、この駅が開業して一週間も経っていない新米駅舎であるからだ。

トリニティに駅が出来るなぞ、実に珍しい珍事だ。ハイランダーとトリニティもそれを知ってか知らずか、両校総出で催事を大々的に行っている。この親子も、そんな流行が魅せる一時の熱に誘われた市民の一部ということであろう。


「……あら、お土産屋さんが意外に大きいわ。パパのお土産もここで選ぼうかしら」


「………………」


「?」


パンフレットを広げ眺めていた母親。ふと、子供の意識も目線も、どこか明後日の方向に注がれていることに気付く。

目線を追う。その先には、「魔法少女ヘヴィキャリバー特別ショー」とカラフルなフォントで彩られた看板があった。

納得したように頷く母親。そっと優しく、子に問いかける。


「見に行く?母さんは構わないよ」


「いいの!?」


「あんまりウチの近所でこういうことしてくれないし、せっかくだからね。ほら、丁度ショーが始まるところみたいだよ」


「やった~~!!」


弾むような足取りで走っていく子供の先には、既に大勢の同年代、そして腕を組んだ訳知り顔の成人男性数名が後方にひしめいており、興行の期待値を高めてくれている。

観衆が見つめるステージ。その舞台袖から、突如、可愛らしい犬の着ぐるみが現れた。


「みんな~~!!今日は来てくれてありがとうシュポ~!!」


ハイランダーの校章が輝く制帽を被り、山吹色の大きなリボンと、見ているだけで身体が温まりそうなファーを首に巻き付けた、白い毛並みの犬のキャラクター。

ハイランダー鉄道学園におけるマスコットキャラ、シュッポだ。

ご存じ……と、称するにはまだ知名度が浅いのか。コミカルなステップで現れたシュッポに対し、客席の子供たちからは冷ややかな目線が向けられていた。


「……だれ~?」


「テルミットピンクは?」


「今日集まってくれたお友達みーんな、この西ムミアー駅の新設を祝ってくれているシュポね!そう、古くから対立することの多かったトリニティとハイランダーの関係改善を象徴するかのような存在であるこの駅は、まさに祝福を受けるべき駅シュポ!更に、トリニティ郊外の豊かな自然環境に一切の悪影響を与えずに路線を構築することに成功したハイランダーの技術力は、ミレニアムにも匹敵すると言っても過言ではないのだ!あ、シュポ!」


「────フン!お気楽なものだな、ハイランダーの人気マスコット風情が!」


「!?だ、誰シュポ!!」


身構えるシュッポの反対側。華麗な跳躍と共に、奇怪なフォルムの生物が現れた。

新幹線のノーズを切り取ったような純白の頭部。ギロリと、如何にも人相の悪い目つきが光る不気味な被り物から、漆黒のタイツに包まれた気色の悪い胴体が飛び出している。

その奇妙極まりない様相を呈した外見を見れば、このバケモノがショーにおける何の役割なのか一目瞭然であった。


「悪の幹部エラ様の忠実なる僕が一人、ヘルトッキュー様とは俺のことッ!!この駅、確かに悪くない……キヴォトス征服への足掛かりとして、我々が盛大に使い倒してやろうではないか!!」


「そ、そんなこと許さないシュポ!」


「やかましい!」


「あ~~~!」


怪人がシュッポを蹴り飛ばす。大袈裟にコケたその身体を、怪人が容赦なく踏み付ける。

その厚い毛並みに筋肉質な足が押し付けられた。


「エラ様が足を踏み入れ、悪の領土へと染め上げること以上に尊き所業は無いというのに、よもや光栄に思わない貴様のような人気マスコットがいては、先鋒の名折れに等しい!!」


「痛いシュポ~~~」


「よかろう!まずはこの俺自らが、貴様を骨の髄まで消し炭にしてくれる!!俺の特急魔法で狂い死ねぃ!!」


「そこまで、ですっっ!!!!」


冷え切っていた観客席を、急速に熱が包み込む。隣と勝手に雑談をしていた子供たちの意識が、一瞬でステージに引き戻される。

それもそのはず。今しがた流れ始めた、情熱と明るい未来を彷彿とさせる軽快なBGMは、今度こそご存じ、魔法少女ヘヴィキャリバーのOPだったからだ。


「マジカルッ!!リリカル~~~………テルミ゛ットピンクッッ!!!」


猛々しく螺旋を描く両の髪の毛が、艶やかに照明を反射しながら揺れ動く。

濃淡入り混じる紫に染まった小柄な体躯が、まるで撃ち放たれた弾丸のようにステージに着弾する。カフスのはためく握り拳を両腕に硬く拵え、空手家の如き堂々とした構えを見せる少女。

そう────名を、宇沢レイサ。否、テルミットピンク。


「マジカル!リリカル!……えっと、テ、テルミット、ホワイトっ……!!」


縋るように握り締めた桃色の錫杖をお供に、慎ましく、かつ俊敏な影が純白の奇跡を描く。

腰まで伸びた精錬な白髪は茶畑から吹きすさぶ風に乗り、見る者の視線を掴んで離さない妖艶さを醸し出す。ふわりと夢現に彩るフリルが眩しいスカートは、その上品に駆ける足運びを可愛らしく整えた。

頭部の羽根を三度動かし、ステッキを背中に仕舞い、先んじたピンクの隣に立つ少女。

そう────名を、守月スズミ。否、テルミットホワイト。


「友情と愛と火力をミックス!輝く明日にフルファイア!!」


「二人合わせて、魔法少女ヘヴィキャリバー!!」


膝を曲げ、ソーラン節のように勇ましく身を屈めるピンク。そして、愛を象徴するハンドサインを、交差する腕と共に堂々と掲げるホワイト。その可憐な決めポーズは、まるで創作の世界からそのまま飛び出てきたかのように煌めいている。

客席の子供たちから、賞賛するかのように高らかな声援が響き渡る。だが、唯一、二人を見つめる怪人だけは、忌々し気に握り拳を固めていた。


「出たなァ、魔法少女ヘヴィキャリバー!性懲りもなくエラ様の邪魔をする不届き者ども!」


「当然、ですっ!!正義の味方はいつだって、虐げられる人々の悲鳴を聞き逃しませんから!」


「怪人。そのジッポ君に乗せている足を退けて下さい」


「シュッポ君です、ホワイト!」


「……シュッポ君。さもなくば、正義の魔法で三代先まで消し炭にします」


「ハッ!何が正義、何が魔法!片腹痛いわ!!我が崇高なる悪の所業、せいぜい指を咥えて見ているがいい!手始めに、路線上にある各駅で使用可能な交通系ICカードをブランドバラバラにしてくれるわ!」


「ひ、酷いです!!ただでさえ似たような色とデザインが多くてややこしいのに!」


「間違えて違うカードにチャージした時は最悪ですからね」


「ちなみに、ハイランダー公式アプリを使えば、どの駅でもスマホ一つで乗り降りできるシュポ!」


「……ともかく。その所業も今日これまで。徹底的にマジカルに成敗します」


「ぬかせ、やってみろ小娘どもがーーーッッッ!!」


怪人が罵声を共に、魔法少女に向かって勢いよく走りだす。

突き出された右拳を、ホワイトが無表情で受け流す。そのまま羽交い絞めにして関節技を決めそうになる手癖を抑えながら、短く息を吐き、一発……返礼とばかりに拳を突き出した。

拳は直撃する寸前に寸止め。肉を打ち付ける痛々しい打撃音は、鳴り響くそれっぽいSEで置換される。


「ぐっ……!」


「まだまだ、いきます!!」


よろめく怪人に、駆け寄り距離を狭めるピンクが横なぎのチョップを繰り出した。

コレも、寸止め。怪人は上手くタイミングを見極めると、日々のショーや鍛錬で培った脚力を元手に、後方へ派手に吹っ飛んだ。


「があぁぁぁぁーーーっっ!!!」


都合よく積み置かれていた一斗缶の山に背中からダイブする怪人。それを見た客席後方の大きなお友達が、感心するように頷いた。


「……拙者には分かる。このショー、中々のレベル」


「我が友もそう思われるか。いえ、一斗缶への倒れ方を見ればアクターの技量は推して測れると相場が決まっておりますからな」


瓦礫のように崩れた一斗缶の山に埋もれるように横たわっていた怪人。ゆっくりと、苦し気に呻きながら身を起こす。


「くっ……舐めるなよ、ヘヴィキャリバー……!俺はまだ……!!」


「むっ、しぶといですね!マジカルチョップを食らって息があるとは!」


「ピンク、アレをやりましょう。状況を打破するには圧倒的火力です」


背中のステッキを取り出すホワイトに対し、全てを察したピンクが勝ち誇った笑みで頷く。そして、大きなリボンの結ばれた可愛らしいロケットランチャーを、どこからともなく取り出した。


「フィードランプよりチャンバーへ!!六条右回りの魔法!!」


舞を踊るように、円を描くように。

二人がぐるりと舞い踊り、膝を曲げて身を屈めるピンクと、その後方にホワイトが陣取る。

右手のピースサインを横向きに目尻に添え、少し顔を赤らめるホワイト。チラリと手の甲を見やり、肝心な台詞をチェックした。


「引き金は決意!げ、撃鉄は勇気!撃ち出し放つは正義の印!…………もう悲鳴も謝罪も必要ありません。一切の慈悲無く、その悪しき魂を骨の髄までマジカルにしますので」


「────!!その構え、その呪文……まさか、ソレは……!!」


左手に持ったステッキを華麗に手元で回転させ、怯える怪人に向かって先端を突きつける。

流れるBGMが盛り上がりの最高潮に達し、俗にいう────処刑用BGMに様変わりする。子供たちの応援と大きなお友達の歓声で、観客席もボルテージがマックスラインにまで高まっている。

悪の敗北を。野望の消滅を。魔法の引導を。

誰しもが期待し、確信していた。


「マジカル・テラ・ティタノマキア!!」


息を合わせて必殺技を高らかに宣言する二人。

「えいっ」という声と共に、ホワイトのステッキに装着されたスイッチがカチリと指で押される。

怪人の床下。ありったけ埋め込まれた大量の爆薬が、一斉に轟音と火花を轟かせながらド派手に炸裂した。


「ぎゃあああああーーーーッッッ!!!!呪ってやる魔法少女ヘヴィキャリバァアァァァァーーーーッッッ!!!!!」


桃色。白色。僅かに橙。

カラフルな爆薬が怪人を舞台袖まで吹き飛ばし、スタッフが構えていたクッションに落下する。

サムズアップ。怪人とスタッフが揃って親指を立てる様を確認したホワイトは、静かに頷き、ピンクと共にステージ中央へ急いで駆け寄る。

いつも、毎週日曜朝8時30分にテレビを付ければ確実に目にできる、お決まりのポーズ。ホワイトとピンクは客席で煌びやかに目を輝かせる子供たちに向かって、堂々とソレをキメてみせた。


「正義は!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!勝ちます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


「皆さん、本日はありがとうございました」


「駅構内のお土産屋で、魔法少女ヘヴィキャリバーのグッズも発売中シュポ~~!!!買ってくださいシュポ~~~!!!!」


・

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・


「────なんか、妙じゃないですか?」


安っぽいパイプ椅子に腰を下ろし、湯飲みに注がれた緑茶を上品に啜る。

フリルやレースがふんだんに盛り込まれ、肩回りに至っては大胆に曝け出されているような、桃色に煌めくファンシーな衣装。しかし、それに身を包むスズミの佇まいは、華やかとは真逆だ。

その赤い瞳と引き締まった眉は、まるで研ぎ澄まされた刀剣のように清廉で。もし、彼女が袖を通しているのがコスチュームではなく直垂で、手にしているのがステッキではなく日本刀であったなら、どこぞの名門の女武者と勘違いしてしまうに違いない。

そんなスズミの凛とした眼差しに見つめられたもう一人の少女──レイサが、大切なステッキを丹念に磨きつつ、親友の問いに耳を傾けた。


「?何がです?」


「ここのショーです。一週間キャストとして従事してきましたが、どうも、こう……シナリオの随所から政治的圧力を感じると言いますか……販促的思惑が見え隠れしているといいますか……」


「んー、そうですかねー?」


長机を挟んで、スズミの対面に座っているレイサが、うーんと腕を組む。

常に背筋を正し、話し相手から絶対に目を逸らさない彼女の姿勢は、まるで採用面接終盤の役員のような圧を抱かせるが、レイサにソレを気にするほどの共感力はない。もちろん、良い意味で。


「確かに、スタナグちゃんが存在しないものとして扱われていたり、本来は火山の傍でしか使用不可能なマジカル・テラ・ティタノマキアが必殺魔法に採用されている点には私も疑問を覚えましたが……」


唸るように顔をしかめていたレイサ。だが、すぐに、自信に満ち溢れキラキラと目を輝かせるいつものソレに切り替わった。


「ですが!私としては、二次元を三次元に落とし込むという苦労が前提にある以上、些細なことは大目に見ると決めているので!とりあえず、魔法少女が悪を打ち倒す流れが崩れてさえいなければ、私はなんとも!……それに、お客さんも喜んでいましたし」


えへへ、と。浴びせられた賞賛を思い出し、どこか恥じるように顔を赤らめるレイサ。

スズミはそんなレイサを見て、ハッと気づきを得たように目を丸くする。そして、目の前の輝きに目を眩ませるかのように、気まずそうに目線を逸らした。


「す、すみません。せっかくの楽しい気持ちに水を差すような指摘を……私ったら、また……」


「いえいえ!!!!!スズミさんは流石ですね!!!私では気付けなかった細かいポイントにも意識が向いていて!!!……また一緒にまほリバ、視聴しましょうね!」


白い歯を見せながら、屈託のない笑顔を浮かべるレイサ。

スズミは、どこか安堵したように息をつくと、ゆっくり、一度だけ頷きを見せた。つられるように、穏やかな微笑みを向けながら。


「……はい。そうですね、次はこの前サブスク入りした劇場版でも────」


「必殺魔法と言えば!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


「わっ」


突如机を叩き、身を乗り出して叫ぶレイサ。スズミはその落差と声量に驚き、危うく湯飲みから手を滑らせそうになった。


「マジカル・テラ・ティタノマキアを使用するシーン!!!とても、とても良かったですよ~~~っ!!」


「あ……ありがとうございます。ですが、セリフをまだ暗記しきれていなくて……」


「いえいえ、それよりも着目すべきはスズミさんのステッキ捌き!ちゃんと原作同様の6-6-6の回転をさせていたことに、私はひじょ~~に感動しました!!きっと、沢山映像を見返して、沢山練習して下さったんですよね!!」


「あ、あはは……」


目を星のように輝かせながら、捲くし立てるように言葉を紡ぎ続けるレイサ。スズミは頬を赤らめながら、思わず、手元にあったステッキを握り締めた。

内心……スズミは嬉しかった。あの手捌き、実はショーのためではなく、元々レイサに喜んでもらうために、夜な夜な一生懸命練習していたのだ。

自信をもって友と呼べるほどの友が少ないスズミにとって、誰か気の置けない仲間と趣味を共有することは前代未聞の経験であり、同時に、彼女の中では健全な承認欲求が生まれていた。

────喜んでくれるかな。

そんな、ささやかで可愛らしい願いが、この求めていた反応として存分に返ってきたのだから。嬉しくないわけがない。

羽をパタパタとはためかせながら、スズミはふと、「こほん」と咳払いする。それはそれは、わざとらしく。


「……実は、ちょっと、もう一つ、ありまして。練習していた、ものが」


「え!?」


「マジカル・マスディストラクションを、こっそり……」


遠慮がちに呟かれる至極物騒な魔法名。

瞬間、レイサが腰を抜かした。文字通り。


「え~~~!!!!???OVA限定のあの、あまりにも表現が過激すぎて掲示板とPTAを中心に苛烈な物議を醸したあの大技を!!!???」


「はい。その、一度レイサさんに披露してもよろしいでしょうか?」


「ぜひぜひ!!!」


ぴょんぴょんと飛び跳ねるレイサ。スズミは小さく息を吸い、吐き出した。衆目が集まっている場ならいざ知らず、友一人だけのこの場なら、ギリギリ許容の範囲内だ。


「……では」


目を閉じ、開く。集中力に満ちた赤い瞳は、レイサにも緊張を伝播させた。


「────極みマジカルパワー、オーバーチャージ!!この地に巣食う悪の騎士団、5億8574万7547匹の手先を、今、ここで……!!!」


天井に放り投げられるステッキ。錫杖が宙を舞う刹那、スズミは手を虎の爪に見立てながら前方に構え、そのまま雲海を突き抜ける龍のように、両腕を激しく荒ぶらせる。

落ちてきたステッキを口で咥える。瞬間、目が見開かれた。


「まふぃかる、まふ、でふふぉほはふほん!!!!!!!!!!」


「おお~~~~~~!!!!!!」


「いや、言えてないじゃん」


「あはは、そうなんです。アニメでは対象の脳内に直接────」


照れながらステッキを口から外すスズミ。


「────え?」


練習の成果が成就された嬉しさと高揚で一瞬気付けなかった。

背後。キャスト用控室の出入り口のドアが、僅かに隙間を生じるように開いている。

隙間から、パシャパシャと鳴り響くスマホの閃光が迸る。

そして。ニヤニヤと此方を見つめる少女が────。


「……シャッターチャンス」


「わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!??????」


「パ~~~ッッヒャッヒャッヒャアヒャアヒャパヒャヒャパヒャ!!!!!!」


おおよそ、スズミが生涯出したことも、今後の人生で出すことも無いであろう絶叫に共鳴するように、まるで悪魔のような──彼女のお尻からは実際に悪魔族の尻尾が生えているのだが──笑い声を轟かせる乱入者。

レイサよりも若干小柄な体躯で、小走りで部屋に入ってくる少女。さっきまでスズミが座っていた席に当たり前のように腰掛けると、頬杖をつき、愉しそうな笑みと共にレイサを見つめた。


「どもどもー。いやー、一週間お疲れ様。どうだった?少しは慣れた?」


「い、一体、一体いつからっ……」


わなわなと震えるスズミ。だが、そこは自警団。

数度冷静に深呼吸をすると、元の冷徹な目線が面持ちを覆った。


「……えっと、すみません。関係者以外の方は立ち入り禁止なんです。お引き取り願えませんか」


「えー?私ってそんな水臭い対応されるような立場に見える~?」


少女が呆れながら掲げた、左腕の水色の腕章。

瞬間、スズミは理解する。彼女がハイランダー鉄道学園における中央管制センター、俗称「CCC」の幹部生徒であり、自分たちをキャストとして雇い入れた張本人。橘ノゾミであることを。


「────ッ」


緩んでいた意識が引き締まるのを、スズミは実感した。

「ハイランダーの双子の幹部は曲者」という噂は、キヴォトスで一度でも鉄道を利用したことがある人間なら誰でも知っている。

更に言えば。自分たちは決して、お嬢様学園から参上したお客様ではない。大袈裟かもしれないが、自分一人の迂闊な発言で、トリニティとハイランダーの学園関係にヒビが生じる可能性も十分考慮すべきなのだ。

チラリと、レイサに目線を向ける。案の定、人見知りな彼女は椅子の上で怯えるように縮みこんでしまっていた。

スズミの眉間にシワが寄る。今度は、自分が。


「……大変失礼いたしました。CCCの幹部生徒殿とは露知らず」


「いいっていいって~。私もトリニティのことあんま知らないし。ティーパーティって、トップが77人いるんだっけ?」


そんなにいない。それはトリニティの禁止指定同人コメディ映画「77人の殉教者」だ。


「…………3人です。それはそうと、どういったご用件で此方に参られたのでしょうか。もしや、ショーの内容に不手際が……」


「お菓子食べていい?」


「あ、はい」


ショルダーバッグからビスケットを取り出し、もしゃもしゃ齧り始めたノゾミ。パイプ椅子に背を預けながら足を組み、キコキコ椅子を傾ける姿は、実に自由な態度である。


「ほんと、助かったよ。元々あのショーはシュッポ君だけで演るつもりだったんだけどさ、ほら、アイツ引くほど人気なくて。事前チケットのあまりの売れ行きの悪さに上が痺れ切らしてさ~。『どうにかしろ!』って。でも私だってどうすんだよーって。パヒャ」


「そういう経緯だったんですね。それならそうと説明くらいして下さっても……。驚きましたよ、正義実現委員会から呼び出しを受け、『ショーをしてくれ』と依頼された時は……」


「パヒャヒャ、ごめんごめん。いや、私らも時間なくて。ヒカリとけん玉でも披露しよっかなーって諦めてたら、先生が……君たち、自警団を紹介してくれたんだよね」


「先生が……」


スズミが脳裏に過らせたのは、呑気な表情で両手にピースサインを浮かべる大柄な男性。

今まで、彼からは何も連絡や説明がなかった。……恐らく、彼なりの配慮だろう。先生の頼みとなると断りづらいことを心配して、とかで。


「私が言えたことでもないけどさ、四か月も住み込みで働かせることになって、ごめんね。一応ステージの整備や火薬の準備で週に二日休みはあげられるし、バイト代もあの成果なら色付けられるだろうから。でも、急なトラブルで戦闘の助っ人とかも頼んじゃうかも。私たちの学園って『今は』そんな強い人いないから……」


「その点に関しては、ご心配なく。元より、私たちは無給でも無休でも今回の仕事を引き受けるつもりでした。正義実現委員会では対応できない、トリニティに関連する、トリニティをより良くすることに繋がる活動こそ、自警団の存在意義であり────私の正義の為すところですから」


「そのとーーーーりですっ!!!!」


それまで地蔵のように固まっていたレイサが、突然、撃ち放たれた弾丸のように椅子から立ち上がった。


「自警団に不可能も不履行もありません!!!求められれば、どこへだって星のように駆け付ける!!それこそが、自警団のモットーであり!自警団のスーパースターこと~~~~~~~~私ッ!!!宇沢レイサの!!誇るべき責務、です!!!」


「へー」


熱く語るレイサに対し、ノゾミはまるで電車から外の景色を眺めるような反応を示す。これは決して小馬鹿にしているわけではなく、寧ろ割と興味を持っている部類の反応なのだが、そのことを当然知らないレイサは、己のハイテンションを後悔するように座り直した。


「……ちょ、調子に乗りました」


「カッコイイじゃん、スーパースター。私は良いと思うよ」


だが、ノゾミの忌憚無き意見に、俯いていた顔を上げ戻した。


「!そ、そう思いますか!?そうですよね!!?」


「うん。だから聞きたいんだけど、スーパースターってどの辺がスーパーでどの辺がスターなの?」


「…………え?」


「スターってことは無敵なの?マリオだとそーだよね。ショー見てた感じ結構動けるみたいだけど、もしかして銃の腕前も凄いの?私あんまり銃撃たないから分かんないや。列車で轢いちゃえばソレで済むし」


「あ、えっと、スーパースターと、いうのは……」


「てかさー、トリニティって何で宗教組織と医療組織のトップがアイドル活動やってるの?私最初にそこに依頼した時ビックリしたよ?パヒャヒャ、普通に断られた。……あ、トリニティってワイルドハントとも交流あるらしいじゃん?もしかして一人一芸が生徒としての義務だったり??」


「えっ……えっと、えっと……」


「ねーねー、なんか面白いことしてよ」


「ちょ、ちょっとノゾミさん!それ以上は、レイサさんが────」


「ばびゅーーーん」


ゴロガラゴロとキャスターが地を跳ねる音が響く。

乱雑に押された台車が運ぶのは二つのダンボール。そして、ソレを繰るのは、腰まで伸びた横髪を揺らし、堂々と控室に侵入してきた一人の少女だった。

あわやテーブルに衝突寸前といったところで、間一髪の急停止。ズレた制帽を直すその容姿は、金の眼に緑の長髪。ノゾミと瓜二つな外見だ。

……否、瓜二つどころの騒ぎではない。巻かれた腕章を見れば、彼女がハイランダーの双子の幹部の一角であり、ノゾミの姉であり、橘ヒカリその人であることは、一目瞭然だった。


「ヒカリ貨物特急列車、フェティッシュにとーじょー」


「お、きたきた」


ビスケットの欠片をぽいっと放り込むと、そのまま立ち上がり、ヒカリの元まで歩み寄るノゾミ。

そうして、続けざまの乱入者に困惑し、硬直しているマジカル二名を見やると、眉を八の字に歪めながら、意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「ごめんね~、ちょっと揶揄っちゃって。用事自体はさ、実はあったんだ。サプライズにしたくて黙ってたけど」


「サプライズ……?」


ノゾミが手招きする。顔を見合せたレイサとスズミは、目線だけで意思を交わした後、おずおずと姉妹の傍に近付いた。

一人一つずつ手渡されるダンボール。受け取った瞬間、両腕にずっしりと襲い掛かる重量に、スズミは警戒の色を益々濃くする。


「……あの、私、特に何か配達を頼んでいたわけでも、誕生日が近いわけでも……」


「いいから、開けてみてよ」


喉に生唾を通すスズミ。

先の話ではないが、「77人の殉教者」では、四人目の被害者はダンボールにバラバラにされた状態で発見された。過度なブラックジョークであり、作中の名シーンでもある。

得体の知れない何かに心拍数を高めながら、ゆっくりと、封じるガムテープをカッターで開いていく。

────そこに詰め込まれていたのは。


「……こ、これは……!?」


見開き、驚愕の色を濃くするスズミの眼に映ったのは。

毛並みの美しいテディベア。リボンの巻かれた銀の缶。スナック菓子や、少し豪華に見える洋菓子の包み紙。

多種多様で、煩雑で、だがしかし、それでいて一様に平等に温かい感情を伝えてくる品の数々だった。

慌てて隣に目を向ける。レイサがポカンと見つめるソレも、自分と似たような顔ぶれだ。


「一体、何が……どうなって……」


「嬉しい~?」


ノゾミがにまーっと、悪戯に成功した子供のような笑みでスズミらを見る。


「それね、全部二人へのプレゼントだよ。この一週間、ショーを見たお客さんが私たちハイランダー宛てに送ってくれたやつ」


「私たちに……?」


「そ。感謝してよ~?こういうのって、普通は運営側で全部処分しちゃうんだから。何入れられてるか分かったもんじゃないし。……まぁでも、ここでは特別ってことで!幹部権限で倉庫は私らが管轄してるからね~」


「シークレット、ぷり~ず。バレたら死ぬほど怒られるー」


「ま、もし変なモノ入れられてて、変なヤツに目付けられても、アンタたちなら何とかできるでしょ?パヒャヒャ」


「は、はぁ」


ここで中身を確認しようとすれば、テーブルが埋まってしまう。そう感じたスズミは、静かにダンボールの封を閉じ直そうとする。

だが、ふと、己のすぐ傍に、目を輝かせてダンボールの中を覗き込んできているレイサの姿があることに気付いた。


「レ、レイサさん?」


「すっっっごいですね!!!!!」


「え?……あぁ、そうですね。この熊のぬいぐるみなんて、一体何万円するのか……」


「違います!!あ、いえ、それもそうなのですが!!……このいっぱいのプレゼントは、全部、スズミさんがお客さんの心を動かした証拠なんですよ!この駅まで来た手間と、ショーを見るために費やした時間、ソレを合わせても足りないくらいに、スズミさんの演技や立ち振る舞いが価値あるものだったんです!心っていうのは、動かそうとして動かせるものじゃないのに……何かを贈ろうって気持ちにまでさせてしまったのは、本当に、素晴らしいことです!!!」


「……!」


スズミの赤い瞳が、ルビーのように輝いた。

もう一度、眼下に目線を戻す。

そして、口元を僅かに緩ませた。


「……そうですね」


「!!はわ~~っ、このお菓子、前に杏山カズサから貰いましたが、すっごく高いですよ!!?有名なヤツです!!むむ、こ、このアクセもどこかで……どこかでぇ……??」


「む、そういうレイサさんも、私に負けないくらいたっぷり貰っていますね?……ちょっと見せて下さいよ」


ニヤりと、彼女には珍しい意地悪な笑み。レイサは思わずギョッと冷や汗を流すと、頬を赤らめながら目線を泳がせた。


「えっ……あはは、いやー、私はスズミさんほどでは……あ、いえ、贈り物は素晴らしいのですが、えっと、それに似顔絵とかもあって、人に見せるのは……」


「ほう、いいじゃないですか。ふふ、レイサさんばっかりズルいです」


「あっ、ちょ、だ、駄目です!!スズミさん!!スズミさん゛ッッッ!!!!」


「────なかよしー」


わちゃわちゃと両手両足をもみくちゃにしながらじゃれ合う二人に、ヒカリの興味深そうな目線が注がれる。

即座に、固結びされた糸のように絡み合っていた魔法少女二名が、気まずそうに身を離した。

そして、正座に身を正したスズミが深々と頭を下げる。当然、レイサも慌ててソレに続いた。


「……身を切るほどの配慮、本当にありがとうございます。正直に申しますと、貴女方のことを警戒しておりました。肩書きや言動、上辺だけの情報で勝手に失礼な認識をしていたこと、心よりお詫び申し上げます」


「あはっ、土下座!??うっそ、真面目~~!!!先生以外でしてる人初めて見たんだけど!!……いいよー。私らも幹部らしくビシッとしてれば良いんだろうけどさ、ソレをしないって選択を取ってるわけだしね。気にしないで、ソレが普通だよ」


「む、ヒカリはいつもビシッと仕事してるー」


「パヒャヒャ、今日4月1日じゃないけど」


頬を膨らませるヒカリに、ノゾミが揶揄うように明るく笑う。

姉妹だから当然なのだろうが、やはり、この手の光景は微笑ましく見えてしまう。

……自分たちも、傍から見ればそうなのだろうか?

スズミは気取られないように目線だけレイサに向けると、少し、気恥ずかしい思いに胸をチクりと刺された。


「じゃ、用事も済んだし、私たち帰るねー。また一週間後に来るから」


「ちょ、ちょっと待ってください!」


乗り込んだヒカリごと、台車を押して帰ろうとしたノゾミを、スズミが咄嗟に呼び止める。


「どうしたの?」


「……一つ、聞かせて下さい。どうして、貴女方はここまで私たちに親切に尽くして下さるのですか?」


「え、そういうこと聞いちゃうんだ」


「す、すみません。野暮で失礼な質問だとは重々────」


「あぁ、もう、そういうんじゃなくて。あはは、ほんと真面目だね~。……そうだなぁ」


肩から下げられたホイッスルを弄りながら、少し考え込むノゾミ。

そして、答える。


「────私さ、頑張ってる子好きなんだ。それだけ」


今日何度も向けられた笑みを浮かべながら。

だが、その微笑みには、意地の悪そうな口角の歪みも、揶揄うように細まった目も盛り込まれておらず。

ただ、とても純粋に、優しい笑顔がそこにはあった。


「ノゾミさん……」


「じゃ、今度こそ帰るね~。帰って地面師たち見ないと」


「ヒカリ貨物特急列車、フェティッシュにしゅっぱーつ」


「……ヒカリ、その言葉の意味知ってるの?」


「しらなーい」


行きの運行とは打って変わって、静かに進む貨物列車。

二人きりに戻った控室。スズミは静かに頭を上げた。


「スズミさん」


「……そうですね。調子に乗らないようにする、という大前提の上ではありますが……私は、自分自身の頑張りや良い部分を、もう少し自覚した方が良いのかもしれません。過度な卑下は失礼に当たりますから。頭では理解できているのですが、難しいですね。……私たちを採用して下さった方々や、見て下さる人たちにより強く感謝を抱きつつ、来週もまた一緒に頑張りましょうね、レイサさん」


「あ、いえ、そうなんですけど、そうではなくて」


「?」


「……その、よろしかったんですか?……写真」


「………………………………あ゛ッ」


スズミの美しく純白な顔面から、一瞬にして血の気が引き、青みが増す。

ステッキの代わりにアサルトライフルを鷲掴みにすると、撃ち出されるように控室を飛び出した。


「待ってください!!!!!写真、消してくださいね!!!???絶対消してください!!!!!!」


流石特急列車と言うべきか。台車はもう既に廊下の先の曲がり角へと消えていく最中。

スズミの優秀な視力がその刹那に捉えたのは────あっかんべーをする生意気な妹と、口の両端を指で伸ばして挑発を見せる姉の姿だった。


「え、なんです、その顔!!!あの、ちょっと待ってください!!!!!その、ちょ、ま、ま゛てぇっっっ!!!!!!」


高らかに打ち付け、音を鳴らすヒール。轟音を叫ぶ銃器の遠吠え。

……そして、一人取り残された親友。

暫し呆然と座り尽くした後、レイサは静かに、それはそれは丁寧に、二人分のダンボールをガムテープで閉じ始める。

その厳かな手捌きには、まるで後日モモスタグラムに勝手に上げられ、「美少女キャストの素の姿」として、一時のブームとなり無駄に盛り上がる親友の未来を予見し、慰めるかのように、心がこもっていた。


・

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橘姉妹と激烈な追いかけっこを繰り広げた後、遂に徒労に終わってしまったスズミ。諸々の疲労が重くのしかかった肉体を引きずり、貸し出されている駅併設のホテル──ハイランダー所有の──に戻ると、簡単な夕食を済ませ、吸い込まれるように入浴を終えた。

いつもであれば、軽く武器のメンテナンスを行ったり、今日の自警団活動の振り返りをするなどして、22時には早々に床に就くのだが……大仕事を任されたというプレッシャーに駆られている今のスズミにとって、夜の過ごし方は些か変化を帯びていた。


『────大いなる母に抱かれて塵と化せ!!マジカル・ラブ・ティタノマキア!!』


「……成程。マジカル・ティタノマキアは海底火山を発動条件として参照することも可能なのですね。しかも、属性が爆発属性から水属性に変化し、技の特性も小規模高火力だったテラとは異なり、広範囲中火力の絨毯爆撃的性質に変化している……」


ラップトップの液晶上で華やかな戦いを魅せる魔法少女。その光景をオーバル型の眼鏡に映しながら、ペンの尻を顎下に付けるスズミ。彼女のチャームポイントでもある純白の絹のような髪の毛は、バンスクリップによって丁寧にまとめられている。

ふと、動画を一時停止させたスズミ。小首を傾げた。


「……一般的な火山と海底火山が魔法発動座標から等間隔に離れている場合は、どちらの条件が優先されるのでしょうか?詠唱者側に選択権があるのか、或いは………後日レイサさんに聞いてみましょう」


大学ノートの紙面に、適度にカラーリングされた文字が並び連ねる。

メモ書きを残した付箋を挟むと、スズミはソレを静かに閉じる。ノートの表紙には「⑤」とマッキーで銘打たれていた。


「もうこの一冊も終わりそうですね。また日用品申請を出しておかないと……んんっ……」


長時間の視聴で凝り固まった身体を伸びでほぐす。

通気性抜群で着心地に優れたアメニティパジャマは、ゆったりとした快適さをスズミに提供していた。しかし、だからこそ、欠点もある。


「……えっ!」


ふと、何気なく視界に入れた壁掛け時計。その針が、天辺をやや通過していることに気付いたスズミは、思わず上擦った声をあげた。


「も、もうこんな時間だったんですね……。明日が休みでよかった……」


快適なパジャマは、いつもよりも更にスズミの夜を長くする。

徹夜どころか、夜更かしすら経験の浅い彼女にとって、日付を超えるという感覚は些かの恐怖を覚えさせる。「明日自分はどうなってしまうのだろう」という、好奇心とも似た紙一重の緊張が、皮肉にも、スズミの眠気を薄くする。

だが、そうは言っても寝なければならない。スズミはラップトップを閉じる。

そして、もう就寝しているであろう、自部屋の丁度真下に割り当てられた親友を起こしてしまわないか不安を抱きながら、重いとすら言えない体重で慎重にベッドへと歩みを進めた。

だが、その時。彼女の細い腰回りから、聞きなれない異音が響き渡った。


「きゃっ……!?」


猛獣の唸り声のような、くぐもったソレ。反射的にスズミの口から飛び出した可愛らしい悲鳴と比べると、随分な低音。同時に、腹部、その奥底からせり上がるように伝わってくる、絞られるような絶妙な不快感。言いようのない焦燥感。

これらの情報を分析したスズミ。一つの結論に至った。


「……お腹がすきました」


なんてことは無い、面白みの欠片も含まない結論。だが、眼鏡をかけた白髪の少女が真剣な面持ちで口にするだけで、まるで世紀の大発見かと錯覚してしまう。

寝間着の上から、お腹にペタペタと触れる。思えば、最後に食事を口にしたのは、18時過ぎ。駅構内の売店で購入したハイランダーコロッケ弁当。495キロカロリー。

そこから6時間以上何も口にしていなかったのだから、およそ健全で健康な肉体を誇るスズミの場合、空腹に陥ってしまうのは当然である。


「成程。なぜ夜間に二度も食事を摂るのか、夜食というものにイマイチ共感できませんでしたが……こんな深夜にまで起きていると、自然と食欲を刺激されるものなのですね」


そういえば、朝当番の仕事でシャーレに向かうと、先生がカップ麺の残骸に包囲されながら気絶している事件現場に遭遇することが稀にあったことを、スズミは思いだした。

アレは朝食ではなく、夜食だったのか。


「……うっ」


そんなことを考えている最中でも、宿主の思考を邪魔することすら厭わず、空腹を訴え続けるスズミの胃袋。

いつもの空腹とはワケが違う。喧騒鳴り止む静かな夜だからこそ、その胃袋が鳴る音は過分に大きく鼓膜を震わせ、より濃く強大にスズミを苦しめる。


「ぐっ……これでは、耳元でレイサさんが叫んでいる中就寝するようなものです……!何か、何か口にしなければ……」


その時。スズミの脳内に閃光走る。

彼女の意識は、玄関先に置いたままにしていたダンボールへと注がれた。

バタバタと縋るように向かう。封じていたガムテープを外す。

そこには、今日一度見た中身と全く同じ。ショーを見たお客さんからの、温かい贈り物の山が、変わらずスズミの視線を受け止めてくれた。

無論。彼女がよりハッキリと焦点を合わせていたのは、小袋に分けられた洋菓子、チョコ菓子たちである。

スズミが両手を合わせ、感涙に震える。余談だが、スズミは無神論者だ。


「ショーを見てくれた皆様……ッ!!ありがとう、ございます……!!改めてッ……!!」


小袋を一つ手に取り、躊躇いもなく開ける。視界に飛び込んでくる茶色の甘味は、スズミの瞳孔を一手に引き受ける。

だが。いざや口に運ばんとした瞬間、チョコを口内に放り込む寸前のところで、動きがピタリと止まってしまった。

再度見つめ直すチョコ。スズミの眉間にシワが寄った。


「……本当に、こんな時間にお菓子を食べて良いのでしょうか」


時刻は深夜1時過ぎ。恐らく────否、確実に。こんな糖質を摂取してしまえば、その栄養素は全て脂肪に変換されるだろう。

スズミとて、女の子である。

齢16。同年代の子と比べれば、多少交友関係が薄く、流行に疎く、閃光弾のメーカーに異様に詳しく、聞いている音楽にクセがあるとはいえ、それでも……女の子だ。体重だって毎日気になってしまうし、むくみは怖いし、ニキビは考えるだけで寒気がする。

もし、太ってしまったら。

そんなことを考えるだけで、果て無き恐怖に苛まれる。

単純に太ることに対して嫌悪感があるのもそうだ。しかし、それ以上に、決して美少女なんて大それた身分ではない自分が、不器用ながらも魔法少女として奮闘し、それを応援してくれた人たちが抱いた自分に対する好意的イメージを……魔法少女ヘヴィキャリバーという作品を預かる身として、蔑ろにしてしまう愚行に手を染めて良いのだろうか。


「このお菓子は……た、食べるべきでは、ありません……」


振り切るように、目線をお菓子から逸らすスズミ。しかし、チョコを持つ指の力は、依然、しっかりと込められたままだ。

そう。スズミとて、女の子である。

齢16。閃光弾やメタルと同じくらい、甘いものが大好きだ。レイサや、彼女伝手に関わっている放課後スイーツ部、信頼している大人であるシャーレの先生、そんな人たちから教えて貰い、時には共に享受するスイーツの味は、筆舌に尽くし難い幸福をスズミに与えてくれている。

そんな、乙女の甘味へのプライドに、深夜の空腹というバフが練り込まれる。

スズミは、誰に向けたものか、謝罪の気持ちを天に捧げた。


「……ひ、一つだけなら……!!一週間、頑張りましたし……!!ご、ごめんなさいっ……!!」


月下に聳える無敵の牙城に、蟻が紛れ込んだ。

チョコを歯で勢いよく齧り削る。

クランキー仕立てのチョコレートは、噛みしめる度に、サクサクと小気味いい弾けるような音を奏で、チョコならではの甘く深い味わいを、線香花火のように、口いっぱいに広げていく。


「お……美味しい……」


何の変哲もない……と言ってしまえば至極失礼なのだが、コンビニで容易に手に入れられることは事実である。そんなチョコレート。

だが、スズミの表情は、先生に誕生日を一番に祝われた時に浮かべた笑顔に勝るとも劣らないほど、柔らかく、穏やかに、幸福を振りまいていた。

緩む口。無意識にパタパタと動く頭の羽。

残っていた半分の欠片も口に入れ、丁寧に、ゆっくりと、石臼で蕎麦粉を拵える職人のように、咀嚼を進めていく。

あぁ、甘い。

あぁ、ココアが欲しい。

十分過ぎるくらい味わったチョコをようやく飲み込む。スズミは、まるで一流のオーケストラの演奏を聞き終わった文化人のような面持ちで、静かに手を合わせる。咀嚼が織り成す一曲の行進曲、その余韻に浸っていた。


「……素晴らしいチョコでした。不幸中の幸いですね、このシチュエーションで口にしたからか、お客さんからの贈り物を最大限味わえた気がします」


お腹に手を当てるスズミ。供物を差し出した甲斐あってか、魔物は満足げに鳴りを潜めている。

安堵の息をつく。ふと、まだ自分は贈り物の内容を完全に検めていないことを思い出した。


「まだ奥の方にも沢山ありますね……どれどれ」


小分けのお菓子や小物、アクセサリーを掻き分けていく。すると、何か硬い手触りの物体に手が触れた。

興味を惹かれ、底から引き抜いてみる。それは、一袋の袋麺だった。


「『アビドス一番』……見慣れない銘柄ですね」


袋にはクリーム色の可愛らしい、それでいてどこか漢気も感じさせる犬の店主が印刷されている。加えて「ヘヴィキャリバーコラボ」という文字も見える。恐らく、おまけでプロマイドか何かが入っているのだろう。

特製ナルトと煎り胡麻入りの、アッサリ風味な塩ラーメン。

────そういえば、随分とラーメンは食べていないな。

スズミがそんなことを思い耽った瞬間。ついさっき手懐けた筈の胃袋から、再び凄まじい轟音が響き渡った。


「えっ!!?」


驚きを自覚する暇も与えられないまま、腹部を中心に急速に広がっていく猛烈な空腹。


「そ……そんな!さっき、チョコを食べたばかりなのに……!」


否。それが間違っていた。

一度薪を入れてしまえば、竈から火が消えるまで時間がかかってしまうのと同様に。一度食べ物を取り入れ、消化するために稼働してしまったスズミの消化器官は、もう完全に目を覚ましてしまった。この夜中に。

もっと早く寝ればよかった。しかし、後悔先に立たず。こんな状態で寝ようとしても、先程より更に厳しい就寝環境になるのは自明の理だ。

そして。そんな飢えに苦しむ少女を、ただひたむきに見つめる視線を、スズミは感知してしまう。

袋麺。パッケージで豪気に腕を組む謎の犬が、そのつぶらな瞳をもってして、見つめてくる。まるで、「何を躊躇ってるんだ?腹が減ってるなら俺がいるじゃねぇか」と言わんばかりの、頼りがい溢れる言葉を投げかけているかのように。


「くっ……!誰なのですか、この犬さんは……!」


その選択を躊躇いなく選べるなら、心からそうしたい。眉間にシワをキツく寄せながら、握り潰すような勢いで袋麺を鷲掴みにする。

空腹を完全に紛らわすならば、コレ以上の選択はないだろう。

だが、流石に、ラーメンは、この時間のラーメンは、決定的にダメな気がする。

ただカロリーがという話ではない。自分の中の何かが…………今まで理性と常識をもって、ひたむきに積み重ねてきた何かが、壊れてしまうような気がするのだ。


「だ、だめです。食べては……た、食べては……」


裏面の成分表示を見て、即座にひっくり返す。あのカロリーが全て自身に流れ込んでくると考えるだけで寒気がする。

────しかし。そのカロリーこそが、自分を苦しめる飢えを解消する唯一の存在なのではないだろうか。


「ぐっ……うぅっ……!!」


袋麺をその場に置いたスズミ。そのまま突如走り出したかと思えば、ベッドにダイブする。

そうして枕に顔面を押し付けると、バタ足選手のように暴れ始めた。

何やら叫んでいる。あーーだの、うーーだの。

もはや、言語なのかも怪しい叫びが、枕によって吸音される。

パトロール中に何が起こっても冷静に対処し、どんな不良生徒にも毅然とした態度で立ち向かう。そんなクールで清廉とした彼女を見慣れている者ほど、このワニのデスロールのように寝床で大暴れする守月スズミには、目を丸くしたまま戻らないほどに驚かされるだろう。

空腹は、人を壊してしまうのだ。


「……………ぐすん」


顔面から枕が退かされる。その整った顔には元の冷静さが戻っていた。目元の涙を除けば。

そうして、無言でキッチンへと向かう。心なしか、ドスドスと足音が荒い。

小鍋に水をブチこむ。IHのボタンを連打しながら起動し、強火で適当に沸かした湯の中に、袋麺から取り出した乾麺を放り込んだ。

ふと、裏面の調理法を見る。「3分」と書かれていたのを見つめたスズミは、眉一つ動かさずに、IHタイマーを1分半に設定した。

沸き立つ湯に茹でられる乾麺。それを見下ろすスズミの眼。

────死んでいた。光の欠片も宿っていない。

まるで、生きたまま茹でられている受刑者を眺めているヤクザの仕事人のような、冷徹な目だった。

茹で上がったラーメン。鍋に粉末スープを入れて、かき混ぜる。ワンルームホテルに相応しい、そこそこの狭さのキッチンでは、沸き立つ香りがすぐに充満する。上品に鼻腔を擽る塩気の湯気が、スズミの顔を包み込み、撫でた。


「…………いただきます」


ごくり、と喉を鳴らし、手を合わせる。

鍋の中に箸先を突っ込むと、そのまま、立った状態で、スズミは麺を啜り始めた。

少し芯が残っているような、歯ごたえのある食感。袋麺特有のチープな味わいを魅せる麺には、塩っ気のあるスープが程よく絡んでいる。

もしょもしょと麺を咀嚼するスズミ。ふと、ポトポトと、少女の目から涙が零れ落ちた。


「────おい、しい……美味しいです……」


それは一体、何に対する涙なのか。何のための感情表現なのか。

ズゾゾゾ、と麺を啜り、心底美味しそうに飲み込んでいく。ふと、ナルトと胡麻を乗せ忘れたことに気付いたが、すぐに頭から捨て去った。

鍋に口を付け、スープを思いっきり飲み込む。

湯気で真っ白に曇った眼鏡。だが、白霧に隠されていても、今彼女がどんな目をしているのか、容易に想像できるものだ。

胃袋に流れ込むジャンクフード。全身にみなぎっていく満腹感と満足感。

今宵、この一時、少女の中で夜に対する価値観が捻じ曲げられてしまった瞬間であった。


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第二章


「────それでは、次の問題に参ります」


「よしきた!」


ぐっと力強くサムズアップしてみせた先生。

その隣に座っていた少女は、こくりと、無表情のまま頷くと、手元にあった手帳のページを一枚捲った。


「『レストランにはタロウとハナコしか人がいなかった。しかし、二人は近くの客の話を何度もしている。これはどういうことか?』」


「近くの客……」


顎に手を当て、難し気に悩む先生。だが、すぐに目を見開き、指を鳴らす。


「……分かった!早口言葉をずっとしていたんだ!ほら、隣の客はよく柿食う客だ……って!」


「違います。正解は『近くの客は全員既に死んでおり、人ではないタンパク質の塊になっている。二人がしていたのは、死体になった客に関する会話だった』です」


「…………そ、そう」


「それでは、次の問題に参ります」


納得のいっていなさそうな先生を他所に、少女がまたページを捲る。

同時に、彼女の頭上に浮かぶ、車輪と矢印を組み合わせたかのような光輪が、ゆっくりと一回転した。


「『男は長い間待ち望んでいたものを手に入れた。しかし、中々ソレを見ようとしない。何故か?』」


「コレは簡単だね!!男が貰ったのは好きな女性からのモモトークの返信!待ちに待っていたモノではあるけど、恋心が────」


「全然違います。正解は『男は貰った直後に見ることもなく発作で即死し、死体に成り果てていたから』です」


「おかしいってぇ!!!!!」


悲壮感溢れる素っ頓狂な声で抗議する先生。隣に座っている少女は、それでも無表情を貫き、しかし、どこか呆れたような声色で、彼と目線を合わせた。


「おかしいと言われましても。私が問題を作ったのですから、何が正解かを決めるのも私に委ねられているのは当然のことです」


「いや、まぁ、そうなんだけど……こう、水平思考ゲームって、こういうのじゃ、ないと思うんだよなぁ……」


腕を組み、ぶつくさと小言を呟く先生。

そんな彼を見つめていた少女は、ふと、目線を眼下に落とし、手帳を寂し気に閉じてしまった。心なしか、ヘイローの輝きを弱めながら。


「…………言い訳ではありませんが、実はこういった娯楽としての問題を作るのは初めての経験で。ですが、慣れないことをするものではありませんね。つまらない思いをさせてしまい、申し訳ございません」


「!!!」


しゅん、と落ち込む少女。先生は血の気が引いたような表情を浮かべた。


「い、いや!!!た、楽しいよ!!すごく楽しい!!ちょっと聞きなれないクイズだったから、困惑しちゃっただけで!大丈夫、面白いよ、『セナ』のクイズ!!!」


セナ。

そう呼ばれた少女が、再び顔を上げ、先生に目線を戻す。

今度は無表情ではなく。どこか安堵の入り混じったような、柔らかな笑み。夜空に浮かぶ月のような瞳が特徴的な顔に、ソレがふわりと生じていた。


「そう、でしょうか?……安心しました。クイズを作っている側は答えも当然知っているわけですから、その問題が娯楽として面白いのかつまらないのか判断がつかないので。応急処置検定の問題作りなら得意なのですが」


「はは、私としてはそっちの問題も気になるけどね………あ、すみません」


「はい?」


飲み物や積まれた紙コップが乗ったカートを押していた少女が、呼び声に足を止める。

落ち着いた色合いのシャツに、よく目立つ可愛らしい山吹色のリボンを付けた制服を着こなす少女。そんな彼女が被るローキャップには、ハイランダーの校章が輝いていた。


「コーヒーを2杯いただけますか?」


「かしこまりました。どうぞ」


にこっと微笑む列車乗務員から、湯気の上る紙コップを二つ受け取る先生。一つを自分のテーブルに置き、もう一つをセナに手渡した。

会釈し、コーヒーを口に含むセナ。彼女が徐に眺める車窓からは、葉の抜け落ちた木々が延々と立ち並んでいる景色が続いていた。

つまらない光景と言えばそれまでだが、セナが目線を注ぐ瞳には、退屈の色が見えない。

およそ四か月前にできたばかりの西ムミアー駅に向かって、トリニティ西自治区の線路を順調に走っている特急列車。セナにとっては馴染みの薄い他自治区の自然風景ともなれば、物珍しさに溢れているのかもしれない。


「あと数分で着くと思うよ」


「!そうですか」


先生の言葉に反応し、セナが膝上に置いていたナースキャップを被る。

こうした記号とも言える要素が見た目に加わると、途端に救急医学部の部長としての貫禄が出始めるような気がした。


「やっぱり緊張する?トリニティ自治区だし」


「いえ、トリニティには仕事で何度か足を運んでいるので。もし私が緊張しているように見えたのでしたら、それはハイランダーと協力して仕事を行うという未知性に対して気を引き締めている心情が、態度として出てしまっていたのだと思います」


「……ドクタートレインだっけ」


セナが頷いた。

ドクタートレイン。それは名前の通り、重症患者を迅速に医療設備の整った環境にまで移送するための特別列車である。列車砲のノウハウがあるゲヘナが開発したことで有名だ。

このトリニティ西自治区の場合は、救護騎士団が拠点を敷く自治区中央よりも、ゲヘナ自治区の方がやや近い。この点に着目したセナが、今回ドクタートレインの運行開始に向けたプレゼンをハイランダーに対して行うために、西ムミアー駅に向かっている……という次第である。


「せっかくこうしてゲヘナとのアクセスがより円滑になったのです。死た……怪我人や救急患者に対して、より迅速な処置を施すためにも、この路線を通じたドクタートレインの運行は必須だと私は考えています」


「セナはすごいね。傷ついた人のためなら、ゲヘナの外にも躊躇なく手を伸ばしていくんだから」


「いえ、当然のことですから。……それよりも。お忙しい中こうして同行を受け入れて下さり、ありがとうございます。いつもいつも、先生にはご迷惑をおかけしてばかりですね」


「いやいや!ちょっとした旅行気分で楽しいよ!向こうでの私の仕事なんか、ハンコをポポンと押しちゃうだけだし!」


ハンコを押すジェスチャーを陽気に披露する先生に、セナはくすくすと笑う。今日、初めて彼女が笑った瞬間だった。

そんな中、車内にアナウンスが流れると同時に、彼らを乗せていた列車の歩みがゆっくりと速度を落としていく。現地到着の合図に、二人は顔を見合せた。


「んじゃ、降りよっか」


「はい」


シャーレ所属をアピールする純白の厚い外套を羽織る先生に倣うように、鞄を手に立ちあがるセナ。

列車から外に出ると、当然ながら、初冬相応の空気に身を冷やされる。

ポケットに手を入れ、寒そうに歩く大柄な先生と比較すると、頭一つ分背丈の離れたセナは、なんだかより小さく、可愛らしく見えてしまう。先生の背後で追従するセナが、こっそり彼を寒風避けに利用していることは、恐らく気付かれてはいないだろう。


「まだ11月なのに、めちゃ寒いなこりゃ」


「めちゃ寒いですね。よろしければ、めちゃ温かいカイロをお渡ししますが」


「おー、サンキュ」


カイロを振りながら、到着を待ってくれていたハイランダーの生徒と駅構内を歩く二人。

案内された簡素な事務室で、先生が書類に何度か印鑑を押す。

これでもう、彼はお役御免と化してしまった。


「いやー、ラクな仕事。私の仕事全部コレにならないかな」


「お疲れ様でした。私はこの後話し合いをした後、プロジェクト担当生徒の方々と共にゲヘナに向かいます。先生はどうしますか?同行なさるのでしたら……」


「んー、私はー……いいや。もう私がいても邪魔になるだけだしね。せっかくだし、ここを適当に見て回った後、手頃な時間にD.U.に戻るよ」


「了解です。それでは、また」


「うん。セナも仕事頑張ってね」


二名の生徒に手を振りながら別れを告げ、一人、西ムミアー駅を散策する先生。

お土産屋で買ったホットスナックを咀嚼しながら、駅を出る。すると、何やら広場の方から響いてきた歓声のようなものが、彼の耳に伝わってきた。


「?何かショーでもやってるのかな。……ん、ショー?あぁ!」


合点がいったとばかりに手を叩く先生。

思いだした。半年ほど前に、新しくできる駅で行われるイベントショー、そこで出演してくれるキャスト探しに困っていたノゾミに対して、自分が自警団の二人を推薦したのだった。

確か、その駅は西ムミアー駅だった筈だ。


「四か月間ショーをやるって言ってたっけ。……二人、頑張ってるのかな」


大事な生徒の晴れ舞台に、興味を惹かれる先生。

しかし、その心配性な気持ちを振り払うように首を振る。歓声が上がっているということは、盛り上がっているという証明。スズミやレイサから悩み事のようなモモトークも来ていないし、悪い噂も耳にしていない。


「……私がわざわざ見に行く必要もないよな。気を散らせても悪いし、ここは大人しく────」


「いやぁ!!今日の魔法少女ヘヴィキャリバーショーも楽しみでござるなぁ!!!」


「いやはやまったく!!テルミットピンクを演じておられるキャスト、拙者、彼女の引き締まった太腿から足首にかけての美しいラインには毎講演目を奪われます故……!!」


「…………………………」


すれ違ったクマと犬の獣人二人。彼らの会話が耳に飛び込んでくるのと同時に、ステージから踵を返しかけていた先生の右足がピタリと止まる。

眉間にシワが寄る。ただでさえ「怖い」と言われがちな、強面気質の先生の表情が、益々険を増していく。

しばし悩んだ後、先生は回れ右の要領で、先程のオタク二人の後をつける形でステージへと向かった。

ショーは当然既に始まっていた。観客席は小さい子供たちでほぼ満員。ステージでは、怪人役と思われる新幹線のバケモノと、ソレに足蹴にされる犬のマスコット──確か、ノッポ君──が、序盤と思われるやり取りに興じている。


「あのー……」


「はい!なんでしょう?」


入り口に立っていたロボットの従業員に声をかける。

それまでニコニコとしていた従業員だったが、先生の姿を見た瞬間、真顔に切り替わってしまった。


「このショーって、途中参加って可能ですかね」


「どなたかお子様の親御さんですか?」


「あ、そういうわけでは……」


「成程。いえ、可能ですよ?……ほら、あちら、観客席後方をご覧ください。お客様と同じような、いい歳した成人独身男性が雁首揃えて立ち見していらっしゃるでしょう?あの中に仲間入りする形でご観覧いただければ」


「え、あ、はい」


「なお、客席のお子様に手を出す、声をかけるなどの行為が見られた場合、即座に取り押さえますのでご注意ください」


「しませんって」


「また、キャストの女の子に応援以外の声をかける、プレゼントを投げ込む、発砲する、許可なく写真撮影・録画を行うなどの、スタッフが問題ありと判断した場合も同様に────」


「しませんって!!!え、なんです、何でそんなに当たり強いんですか」


「当たり前でしょう。貴方、ここのショーの対象年齢ご存じないんですか」


明らかに警戒するような目で見つめられ、先生も言葉を詰まらせる。

人の事は言えない。事実、自分も同様の警戒心からステージに足を運んだのだから。

立ち見料金を支払った後、ジッと此方をいつまでも見つめてくる受付従業員の冷ややかな視線を背中に受けつつ、適当な場所に位置取る先生。犬や猫などの一般的獣人と比較すると、大きく背丈に差があるせいで、無駄に目立ってしまう。先生はもう既に半分くらい帰りたい気持ちに駆られていた。


「ふむ……」


軽く周囲を見渡す。カメラを構えている大人や、怪しげな素振りを見せている大人は見受けられない。

少々癪だが、あの失礼とも捉えかねられない対応のおかげで、自分が危惧していたようなことは防げているのだろう。先生は不服さを入り交ぜた安堵の溜息をついた。


「痛いシュポ~~~」


「よかろう!まずはこの俺自らが、貴様を骨の髄まで消し炭にしてくれる!!俺の特急魔法で狂い死ねぃ!!」


「そこまで、ですっっ!!!」


聞き覚えのある元気でよく響く声を耳にして、先生の意識がステージに集中する。

突如、ステージの端から、テルミットピンク────もとい、レイサが颯爽と登場してきた。

怪人が民間人を襲う場面で、ヒーローが出張ってくる。王道的展開だ。何もおかしいところはないし、奇をてらった部分もない。

……一つの点を除けば。

先生はとある異変に気付き、首を傾げる。


「……スズミは?」


魔法少女ヘヴィキャリバーは二人で一人。二人三脚的ヒロインだ。

よって、テルミットピンクが出れば、当然テルミットホワイトが出てくるのは、アクセルを踏めば車が動くのと同義。

にもかかわらず。いくら待っても、テルミットホワイト演じるスズミが姿を現す兆しが見られない。

病欠だろうか。だが、怪人もレイサも、同じ方向を見つめたままピタリとも動かず、口を開いてすらいない。まるで、一時停止のなされたビデオのようにショーの時が停止している。

そして、更に奇妙なのが。この時の止まったショー空間で、観客や周囲に控えるスタッフまでもが、大人しく無言でステージを見守っているのだ。

なんだ?これは一体、何が起こっているのか。

先生は困惑を通り越して、恐怖すら抱き始める。

これは夢か。そう思い、先生がシッテムの箱の入ったタブレットで自身の頭を強打しようと試みた────その時だった。


「ふぅっ……!!はぁっ、はふっ、ふぅっ……!!」


息も絶え絶えな息遣い。その荒々しい呼吸音をマイクが余すことなく拾ってしまっているせいで、会場全体に暴風のようなノイズが響き渡る。


「な、なんだ……!!?」


突然の出来事に驚く先生を他所に、ステージの舞台袖、先程レイサが出てきたところから、何やら巨大な、丸っころい生物が飛び出して────

────否。飛び出す、と形容するにはあまりにも遅すぎる速度で、のっしのっしと姿を現した。

メルヘンチックな桃色の衣装で無理やり包み込まれたお腹が、フリフリのフリルと共に、ぼよんぼよんと揺れ動く。大木の幹を彷彿とさせる太い太い太ももが、一歩足を踏み出すごとに、どゆんっと盛大に震える。パンプスが響かせる足音とは思えない轟音がステージをズシズシと揺らし、せり上がったスカートは危うい光景を会場中に振りまいている。


「はぁーーーー………ふひぃ………はぁ、ふぅ、はぁ、ふぅ………」


ようやくレイサの隣に並び立つ。膝に手を突き、全身からボドボドと滝のような汗を滴り流す。

隣のレイサが、何やらマイクに拾われないくらいの音量で話しかけている。恐らく心配してのことだろう。戦闘が始まる前から、既に疲労困憊の有様だ。

そうして、レイサ登場から5分近くが経過して、ようやく。


「はぁ……ふぅ……テルミット、ホ、はふぅ、ホ……ホワイト!……ぜぇ……」


遅すぎる名乗りが完了した。

そして、その瞬間、先生の中に渦巻いていた疑いが晴れ、判明してしまった。

あの太りに太った、丸々と肥えた肥満体のキャストが、変わり果てた守月スズミその人であるという衝撃の事実が。


「テルミットホワイト~~~!!!!がんばれ~~~!!無理しないで~~~!!!」


「お水飲んで~~~~~~」


「かわいい~~~!!!」


主役が出揃ったステージに向かって、観客席から割れんばかりの歓声がどっと寄せられる。まるで、待ってましたと言わんばかりに。

レイサは勿論のこと、スズミにも賞賛と応援、心配の声が名指しでわんさか投げかけられる。割合で言えば6:3:1くらいだろうか。顔を赤らめながらも、怪人を精一杯の鋭い目つきで睨みつけるスズミ。だが、痩せていた頃と比べると、輪郭が消失し、丸みを帯びた顔つきのせいで、どうしても可愛らしい印象が拭えない。


「出たなァ、魔法少女ヘヴィキャリバー!性懲りもなくエラ様の邪魔をする不届き者ども!」


「当然、ですっ!!正義の味方はいつだって、虐げられる人々の悲鳴を聞き逃しませんから!」


正義と悪が衝突し、拳を交える。ともあれ、この手のショーの本筋が舞い戻った。ここからはお決まりの戦闘シーンだ。

アクロバティックに、まるで本当に殴り合っているかのような激しいアクションで、縦横無尽に動き回るレイサと怪人。キヴォトス人の体力と運動能力では、子供向けショーでも中々の迫力を魅せるのか、先生も思わず感嘆の声をもらす。

……約一名の身動きを除けば。


「はふぅ、はぁ、はぁ、ぜぇ……」


まるで、一人だけ水中で撮影しているかのようだった。

素早く位置を変えるレイサと怪人に完全に置いていかれているスズミ。怪人の元までドスドスドスと歩き、ようやく辿り着く頃には、二人はステージの反対側で戦っている。

シャトルランやマラソン大会で、運動のできない人が一人だけ周回遅れで孤立している。そんな例えが分かりやすい。


「はぁ、はぁ……きゃっ!?」


ステージ中に撒かれた汗のせいだろう。スズミが疲労でもつれた足を盛大に滑らせ、思いっきり尻もちをつく。

隕石が衝突したのかと勘違いするほど、とんでもない轟音が響いた。

スズミの戦闘風景は正直に言えば、本当に、情けない。自警団の一員として、自分のことを幾度も華麗に軽やかに守ってくれていた思い出が色濃く脳裏に残っていた先生は、壇上で醜態を晒す太った少女に対して、見てられない気持ちで限界寸前だった。


「く、くそ……な、なんでこんな……!」


今すぐにでも、殴ってでも止めてやりたい。握りこぶしは硬さを増し、血が滲む。

大事な可愛い生徒が、人を人とも思わない見世物に堕とされている光景に、先生は激しく歯噛みする。

────しかし。そんな先生の中で渦巻く強い憤りを上塗りするかのように、彼の深層心理からは、怒りとはまったく異なる感情が湧き上がり始めていた。

コッソリ来ているという身の上も忘れ、高らかに右手拳を掲げる。

そして、大きく、子供たちに負けないくらいの声量で叫んだ。


「頑張れーーーーーーーッッッッ!!!!!!!!!!!」


口から飛び出した、純粋な、応援。その声量に先生自身ですら驚いていた。

だが、彼の大声は決して目立っていない。何故なら、子供たち、そして大きいお友達含めた会場に収まる人間全員が、必死にも近い熱量で応援の声を投げかけていたからだ。


「ホワイトーーーッッ!!!まけないでーーーッ!!!」


「走らず頑張れ!!!!膝が心配!!!!」


「がんばれ~~~!!!」


ここはフルマラソンのゴール前だろうか。はたまた、サッカー地区大会決勝だろうか。

否。女児向けアニメのショーステージである。

本来ならば、たかがフィクションに人々がここまで熱を向けることは有り得ない。

しかし、魔法や正義が仮に虚構であったとしても、目の前で重たい巨体を必死に懸命に動かし、己の役目を全うせんと尽力する少女の姿そのものは、紛れもない「真実」である。

判官贔屓。その言葉がキヴォトスにもあるのかは分からない。だが、屈辱と恥辱に塗れた状況の中、誠実で真面目なスズミが汗を振りまく雄姿に感化され、気持ちを高ぶらせ、心の底からの応援をぶつける心理メカニズム自体は、きっとある筈だ。

何故なら、このステージがソレを証明しているのだから。


「「マジカル・テラ・ティタノマキア!!」」


守月スズミは今────虚構を通して真実を、正義そのものを体現していた。

紛れもない、英雄として。


・

・

・


「今日は……本当に、本当に申し訳ございませんでした……!!」


「スズミさん、気にしないで下さい!いつものことじゃないですか!」


誰よりも大きな身体で、誰よりも平身低頭して許しを乞うスズミ。そんな彼女をレイサが和やかに笑みを浮かべながら慰める。

ステージから駅構内控室に至るまでの、今やお決まりになっているやり取り。二人にとって、この反省会を終えるまでがショーと言っても過言ではない。


「いつものことになってしまっているのが、駄目なんです……!今週なんか、今日合わせて三度も遅刻してしまっていて……!」


「でも、お客さんも『そういう演出』として慣れちゃってる感じですけどね」


「うぅ……」


頭の羽根で顔を覆い、羞恥の熱を逃がすようにパタパタとはためかせる。

フォローしてもらうことが、寧ろ心理的重荷になってしまう。スズミはそういう性格の女の子であった。


「……ところで、今日はどういう理由だったんです?」


「……出番の直前で、衣装のファスナーが、その……は、弾け飛んで、しまって……。幸いスタイリストさんと小道具担当の方が近くに控えて下さっていたので、なんとか応急処置で誤魔化せはしましたが……」


「えぇっ、た、大変でしたね……」


レイサはスズミの背後に回る。そして、腰まで伸びる長髪を掻き分けると、確かに、衣装のファスナーが何か猛烈な物理的力で捻じ曲げられたかのように、歪んでしまっているのが見てとれた。


「ショーが終わるまであと一週間、持ちこたえてくれるといいですねぇ」


「一週間……」


あれから、早くも四か月が経ってしまっていた。

スズミは時の流れる速さを今一度実感すると同時に、大きく、重く、溜息をついた。


「いい加減、ダイエットしないと、ですね……」


「ショーは上手くいってますよ?今日だって大盛り上がりでした!」


「……百歩譲って、ショーが好調好評なのは、良しとします。仕事である以上、それは最低条件です。ですが、私たちの本業はキャストでもコスプレイヤーでもなく、あくまで自警団です。こんな体型では不良生徒よりも私の方が先に倒れてしまいます」


でっぷりと迫り出したお腹を指でぶよぶよとつつく。

銃弾や爆発に対する防御力を除けば、今の自分はトリニティ最弱と言っても言い過ぎでないくらい、戦闘能力と運動能力が衰えてしまっている。

きっと、今のまま自警団の活動を再開してしまえば、確実に、今日のショーのような情けない戦闘風景を披露してしまうだろう。


「それに……」


スズミが徐にスマホを取り出した。

立ち上げたアプリは、モモトーク。行の少ないフレンド一覧から、とある大人の男性とのトーク履歴を表示させる。

四か月前。それとなく交わした他愛のない会話を最後に、彼とは一言も会話することが叶わずにいた。


「……こんなだらしない姿、絶対に、何があっても、先生に見せるわけにはいきませんから」


「そんなぁ!スズミさんはふくよかでもカッコイイです!!自警団としての正義の心は、決して見た目の変化で消えてしまうようなものではありませんから!!!」


「ありがとうございます、レイサさん。ですが、それよりも前に、女性として、肥満体型というのは、ちょっと恥ずかしいですし……」


「そうかい?ぽっちゃりしたスズミもとっても可愛いと思うけどね」


「もう、先生ったら、またそうやって────」


聞き慣れてしまった、優しい彼からの軽口に、スズミは反射的に諫めてしまう。

ふと。スズミはスマホを見やった。モモトークは依然変わりなく佇んでおり、通話の誤作動が発生した様子はない。

そう、声を投げられたのは、背後。


「────!!?」


スズミは慌てて振り向く。そこには、紙袋を携えたまま、呑気に手を振るシャーレの先生が立っていた。


「せ……せせ、先生……!!?」


「あ、先生!!お久しぶりです!!!」


「や、二人とも久しぶり。そんでお疲れ様」


嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねるレイサを、微笑まし気に見つめ、頭を撫でる先生。

スズミは無意識に、一歩後退りしていた。


「ど、どうしてここに!??シャーレからは、かなり距離が離れて……いえ、そもそも、D.Uとこの駅は路線が繋がっていない筈では……!?」


「ちょっと仕事があって、ゲヘナから来たんだよね。偶然だったけど、二人のショーを見れて良かったよ。もうすぐ終わっちゃうもんね」


「……ショ、ショー……?」


スズミのもっちりした頬に、冷や汗が伝った。


「……ま、まさか、先生……」


「あれ、スズミさん気付いてなかったんですか?私が出る頃には、観客席で立ち見してる先生が既にいらっしゃいましたよ」


「スズミってば必死だったからね、気付かなかったのも無理ないよ」


「そ、そんな……」


何の気なしに会話を紡ぐ先生とレイサ。

しかし、一方のスズミは、その頭の中が、まるで自身の髪色のように真っ白に染まっていくのを、血の気が引く顔面と共に自覚しつつあった。

漂白された脳裏を塗り潰すように過るのは、ショーで自分がしでかした、情けない醜態の数々。だらしなくブクブク太った肥満体の自分が、似合いもしないメルヘンな洋服を着て、みっともなく走り回る忌々しい記憶。


「そうそう、スズミってば凄かったね。私は客席の最後方にいたのに、足音がドスドスドスってめっちゃ響いててさ」


「い、嫌……」


「大丈夫だった?呼吸とかもゼーハー辛そうだったけど……」


「やめて……下さい……!」


「え?何か言った??」


「黙って!!!」


顔を真っ赤に染め上げたスズミ。彼女には珍しい絶叫よりも先に、目の前の先生に向かって両の手のひらが飛んでいく。


「ぐぁっっ!!??」


さながら力士の張り手。

手榴弾を素手で握り潰すほどのフィジカルに加え、体重差も相まってからか、その威力はバズーカにも等しい。先生は軽く数メートル吹き飛ばされてしまった。


「あ……」


床に四肢を投げだし、ピクリとも動かなくなった先生を見て、我に返る。

だが、すぐに、目をぎゅっと閉じる。まるで、何もかもを手放したいとでも言わんばかりに。


「ご……ごめんなさいっっ……!!!」


「!?ス、スズミさん!!??」


怪獣のような足音が廊下に響く。

呼び止める親友と、轢かれたカエルのようにひっくり返った恩師を置き去りにしたまま、一人の魔法少女はかつてない速度で駆け出していってしまった。


・

・

・


逃げるように駆け込んだホテル。

自室フロアは三階。込み具合を見ても階段で上った方が遥かに早いのだが、こんな時ですらエレベーターを利用してしまう自分に、思わず刺されるような自己嫌悪を抱く。


「はぁ……ぜぇ、ぜぇ……」


火事場力で動かしていた肉体に限界が訪れる。

焼き切れそうな肺と、砕け散りそうな足腰をなんとか宥めながら、フラフラとベッドへ向かうスズミ。

全体重をかけて巨尻がマットレスに着陸する。その重量に従ってズブズブと沈む肉体は、まるで今の心理状態を具現化させているかのようだった。


「やっちゃった……」


ぎゅっと、ステッキを握り締める。

先生に暴力を振るってしまった。怪我していたらどうしよう。いや、もし仮に無傷だったとしても、きっとひどく怒っているに違いない。


「せっかく、久々に先生と会えたのに……私ったら、最低……」


彼の顔が思いだせない。

それは、久しく顔を合わせていなかったとか、そういう話ではなく。単純に、さっきは彼の顔を見るのがとても怖かったからだ。

侮蔑。軽蔑。驚愕、それとも好奇の目を浮かべていただろうか。はたまた、元より醜く太った自分なんて眼中に無く────。


「っ!だめだめっ……」


脳内で淀みを増してきた感情を追い払うかのように、スズミが頬をぺちぺちと叩いた。

自己肯定感の低さから生じる卑屈さで、他者を勝手に自分の敵のようにイメージしてしまうのは、彼女自身も自覚している欠点だ。

思い出そう。彼が、自分に何と言っていたか。


────ぽっちゃりしたスズミもとっても可愛いと思うけどね


「………………」


特段、洒落た台詞ではない。ショーを見てくれる観客や、親友のレイサからも幾度となく言われてきたような言葉だ。

だが、不思議と。その軽口にも近い一言が、早鐘を鳴らしていたスズミの動悸を、幾分か宥めてくれた。そも、可愛いと言われて嬉しくない女子なぞいないのだが。

ふと、スズミが視線をチラリと横へ向ける。そこには、もう布をかけて封印してから久しい、縦長の姿見が佇んでいた。

重たい身体を動かし、立ち上がる。そして、意を決して布を取り払った。


「うっ……」


そこに映っていた自分自身を見つめ、スズミは思わず呻いてしまう。

顎が消失し、大福餅のようなタプタプとした脂肪がぶら下がっているフェイスライン。

脂肪ばかりが増え、支える筋力もないまま、だらしなく楕円に潰れ広がる肥大化した胸。

せっかくの可愛らしい魔法少女のコスチュームは、ブクブクと膨れ上がった己の胴体に内側から苛烈な攻撃を受けているせいで、今にも爆発しそうな、パッツパツの有様だ。……いや、現に、今日爆発したのだが。

極限まで引き延ばされたタイツや、巨体に擦り減らされたパンプスが惨たらしい足回りは、その太った重い身体を支えるに足る、とんでもなく太い太腿と巨尻で、でっぷりとした逞しさを発揮していた。無論、嬉しくない。

全身、余すことなく、脂肪に覆われ、膨れ上がった肥満体。痩せていた頃と変わらないのは、美しく伸びる白髪とビロードのように艶やかな赤い瞳だけだ。

姿見の幅を超えた、でっぷりとした自分。スズミは布をかけ戻したくなる欲求に駆られるも、必死に踏みとどまる。

そして、何故か。スズミはその顔に精一杯の────笑顔を、無理やり生み出した。


「────じゅ、準備オッケーのシューターから、撃ち方~~~はじめ~~っ!!マジカル!リリカル!テルミット~~~ホワイト~~~!!」


ステッキ片手に、可愛らしいキャピキャピとした台詞を、ヤケクソ気味に大声で言い放つ。

アニメで見た通りの挨拶と共に、見た通りのステップをする。

ドズンッ、ズシンッ、ズドンッ。

アニメの中のテルミットホワイトと比較すると、まるで何かの呪いにでも侵されたかのように激烈に肥え太った重量級ボディ。床を踏み締める度に、太腿の脂肪が派手に揺れ震え、部屋を震源に、震度2弱の地鳴りが鳴り響く。

ふひゅ、はひゅ、と息切れが垣間見える。この巨体にとって、魔法少女のようなファンシーに跳ねる演技は無茶があり過ぎる。

だが、それでも、スズミは笑顔だけは止めなかった。最後にピースサインを横に向け、目元に寄せる。


「妖精さんたち!今日はよろしくー……………」


シメのセリフとウィンクが決まった。


「………な、なんちゃって」


余計な一言も、零れた。

スズミがヘヴィキャリバーを鑑賞勉強してきて、最も「かわいい」と感じた挨拶のシーン。

一度は演じてみたいと常々願ってはいたものの、終ぞ人前で披露することの叶わなかったソレを、ついに、たった一人の観客に対して、スズミはお披露目してみせた。


「…………………」


無言で、鏡面越しに自分を見つめる。

次第に、そのお餅のように艶やかで綺麗な頬ごと、顔面全体が真っ赤に染まっていく。

頭から、湯気のようなものが湧き始め、矢のようなヘイローが激しく振動する。


「わ、わたし……な、何をやって……!」


見てられない、とばかりに両手で顔を覆う。

この体型になってから、何をするにも羞恥が纏わりつく日々だったが、これほど穴があったら入りたくなった経験は、スズミにとって初めてのことだった。

魔が差した。スズミは激しく後悔する。リップサービスに過ぎない恩師の軽口に踊らされた自分自身の軽率な行動を。


「うぅ……!ど、どこが可愛いんですか、こんな、丸々太った女の子の、どこが……!!」


スズミが再封印のために布に手を触れた、その時だった。


「────スズミ、いる?」


「きゃあっ!?」


ドアが手の甲によって無遠慮に鳴らされる。

実に女の子らしい悲鳴を発しながら、跳び上がりそうになるほど身を震わせるスズミ。

恐る恐る、呼ばれた方向へと視線を合わせる。声の主の正体なぞ、彼女だからこそ、すぐに分かってしまった。


「……せ、先生?」


「そ。先生だよ。……さっきは大丈夫?目が覚めたらいなくなってたけど、急ぎの用事でもあった?レイサも心配してたよ?」


「え、ええっと……いえ、特には。先生にご面倒をおかけするほどのことでは」


「そう?まぁ、スズミがそう言うなら」


どこか安心したような彼の声色に、スズミの胸の奥がチクリと痛む。

自分は何を偉そうに。まず述べるべきなのは、とっさの誤魔化しなどではなく、暴力に対する心からの謝罪である筈だろう。


「……そ、その、先生」


「話変わるんだけどさ、スズミ、今お腹空いてない?」


「え?」


「いやさ、本当はさっき渡そうと思ってたんだけど……今日、実はスズミたちにはお土産があってさ。ハンバーガー、スズミは好き?レイサは美味しそうに食べてくれたけど……」


「ハンバーガー……」


スズミの脳内に、熱々のパンに挟まれた、肉汁溢れるジャンキーなフードが浮かび上がる。

常時空腹な彼女の口端から、自然と涎がハミ出した。嫌いなわけがない。いくらでも食べられるソウルフードだ。アレのせいで、一体何キロ太らされたことやら。


「……大好きです」


「そう!?よかった!なら、ごめんけど中に入れてくれない?」


「えぇ、どうぞ。鍵は開けてありますので」


スズミの言葉に対し、「あれま本当だ。不用心な」という呟きと同時に、ドアが開けられる音が響いた。

スズミは小さく嘆息する。何はともあれ、きちんと面と向かって謝罪する良い機会を得ることができた幸運に、感謝をしつつ。


「……力は、正しく使うことで初めて正義たり得るものです。その正しさの意義や定義、資格の有無で私が悩むことはもうありませんが……だからこそ、あの軽はずみな暴力は恥ずべき悪だと断ずることができます」


指まで太くなってしまった屈強な手のひらを見つめながら、何度か開閉させる。

きっと、先生は笑って許してくれるだろう。だが、ソレはあくまで先生の基準。自分の正義は自分の基準で決めるものだと、スズミはもう己の中で軸が定まっていた。


「誠意を見せましょう。私なりに、精一杯、おふざけなく────」


達観した顔つきで、ふと、スズミが姿見に目を戻す。

フリーズした。

鏡面に依然として映っている自身のキャッピキャピな格好を見て、全身から血の気が引いていくのを実感した。


「────おふざけそのもの!!??」


「お邪魔しま────うおっ、テルミットホワイト」


「あっ、わっ」


時すでに遅し。眼前に現れた先生の、やや驚いた表情と、困惑しながらもジロジロと全身を見渡すような目つきを目の当りにしたスズミは、たじろぐように一歩後退りした。

のしっ、と後ろに出した足元から音が鳴る。何をしても恥ずかしい音を発する自分に、スズミは説教してやりたい気分でいっぱいだった。


「えっと、ち、違うんです!これは決して、ふざけているわけでは……」


「かわいい~~~。写真撮っていい?」


「へ!?……だ、だめです!!!」


思いっきり手でバツマークを作るスズミ。先生は出しかけていたスマホを、しぶしぶポケットに戻した。


「……事務所の方針?」


「誰がアイドルですか。……ふふ」


「お、笑顔が戻ったね」


思わず表情を緩めたスズミに、指で作ったOKマークを向ける先生。ベッドに腰かけ、柔らかい笑みを浮かべると、そっと誘うように手招きする。

スズミは一瞬戸惑うように目線を泳がせたが、すぐに、遠慮がちな足取りで彼の隣に腰を下ろした。

自重でマットレスが大きく沈み込み、ベッド全体から軋むような音が大きく鳴り響く。まるで、ベッドから体重の重さを馬鹿にされているような気がして、惨めな気持ちでいっぱいになるスズミ。だが、当の先生はその事も、音も、何一つ気にしていない様子だった。

紙袋に手を入れ、ハンバーガーを一つ取り出す先生。差し出されたソレを、スズミはぺこりと会釈した後、丁重に受け取る。

包み紙を開ける。チーズとパティ、それにレタスがパンズによってサンドされた、実にオーソドックスなハンバーガーが顔を出した。それなりに大きなサイズなのだが、今のスズミと比べると、不思議と小さく見えてしまう。

出来立てではないものの、未だほんのりと残った温かみが、スズミの手のひらに伝わっていく。ふわりと漂うケチャップの香り。スズミは目を輝かせながら、生唾を喉に通した。


「っ……いただきます」


ハンバーガーに思いっきりかぶりつく。柔らかい食材しか挟まれていないジャンクフードは、刺し込まれた少女の歯を容易く通す。

もしゃもしゃと、ゆっくりと咀嚼する。香辛料がたっぷり含まれた肉や、とろけた後に少し冷え固まったチーズ、そして食欲と満足感に適度な刺激を施してくれる、酸味溢れるケチャップにピクルス。

多種多様な食材が、口の中で踊るように混ざり合う。この雑多でチープな味わいが、味の濃い食べ物に目が無いスズミにとって、この上ない幸福をもたらすのである。


「はむっ……もしゃ、もちゃ……んんっ……」


決して下品さはないが、それでいて、どこか抑えきれない野生を垣間見せるように、ガツガツとハンバーガーを食らっていくスズミ。

複雑な悩みや、混濁しがちな自分の脳内を、洗い流すように押し寄せるカロリーと糖質の荒波。全身に余分なエネルギーが循環していくのを実感できる。


「……おいしい?」


「もぐ、んんっ、んっ……はい、とても……!願わくは、ずっと食べていたいくらいで……!」


「スムージーもあるよ?飲む?」


「はい!!…………あっ」


あっという間にバーガーを胃袋へ吸収してしまったスズミ。塩気溢れるジャンクフードに誘われるように、甘いモノを求める心が、晴れやかな笑顔を返事に乗せる。

哺乳瓶に魅入られる赤子のような面持ちの自分と、スムージーを手にした先生。

目が合う。その、微笑ましい何かを見つめるような表情に、スズミは我に返った。

羽で顔を覆い隠す。だが、すぐに先生に退かされてしまった。屋台の暖簾を退かすように、優しく、それでいて容赦の無い手つきで。


「すっ……すみません。はしたない姿を、お見せしてしまい……」


「別にはしたなくなんてないよ。スイーツ食べる時のスズミはいつもこのくらい笑顔だし」


「!?わっ、私、いつもこんな浅ましい食べ方だったんですか……!?も、もっと早く指摘して下されば────」


「ほらほら、ケチャップついてる」


「んっ……」


ずいっと捲し立てるように言い詰めようとしたスズミの口元に、ナプキンが押し付けられた。

柔らかく、モチモチとした頬に沿うように、清潔なナプキンが汚れを拭う。その丁寧な手つきに、スズミは身を任せる他なかった。

沢山食べて、口を拭いてもらって。まるで、自分は幼児のようだ。

抱く情けなさ。だが、不快な気持ちはない。今日くらい、彼に甘えるくらい、日々頑張ってきた自分には許されるんじゃないか。そんなふわふわとした我儘な気持ちが、スズミの心をじんわりと覆っていく。

渡されたスムージーを啜る。隣で文庫本に目を通している先生をチラチラと伺う。

何度か、何か言いかけるように口を開閉させた後、やっと、声帯を震わせた。


「その……一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」


「ん?」


文庫本をすぐに閉じ、先生が目を合わせてくれた。

優しい人だ。だが、今は、話半分で聞いてほしかった。じっと見つめられると、恥ずかしい。


「その……えっと、コレは、友達の……そう、自警団!自警団に、寄せられた、悩み事といいますか……。先生のご意見を、伺いたく……」


「ほほう。いいよ、話してみて」


「……とある女の子が、ある日の夜中、空腹に耐えきれずにラーメンを食べてしまったんです。それまで夜更けに何かを食べるという習慣がなかったせいか、その強烈な満足感や刺激に魅入られてしまって……すぐに、夜食が習慣化してしまいました。夜というのは、不思議なもので……普段なら何とも思わないような食べ物、何の変哲もないコンビニのホットスナックや、カップアイス、ポテトチップスが、とても魅力的に思えてしまうんです」


「はは、分かるなぁ。夜小腹が空いたからってスナック菓子を食べちゃうと、ついアイスを食べちゃったりさ」


「そうなんです!!自然と手が伸びて────」


普段大きな声を出さないスズミが、随分と力のこもった返答をした。

目を少し見開いて、キョトンとする先生。スズミはハッと、己のミスを遅れて自覚する。


「…………友達の話なんだよね?」


「…………そう、ですよ?」


僅かにイントネーションの狂った返事を誤魔化すように、スズミが大きく咳払いをした。


「それで……その、夜食が習慣化してしまったわ……その子は、信じられない速度で太り始めてしまって……。ダイエットを試みようにも、駅が近いせいで誘惑に満ちた飲食店は嫌でも目に入りますし、ショーを見てくれた人たちからの贈り物には日に日にお菓子や食べ物の割合が増えていって……い、いえ!もちろん、お客さんの責任にするつもりは、ないのですが!……それで、もう、無視できないくらいに太ってしまって……。この前体重を測ったら、その……す、すごくって、思わず、体重計、投げちゃって……」


「……どこに?」


スズミがチラリと目線をズラす。その方向には、トリニティの雄大な茶畑が一望できる立派な窓がついているのだが、先生は敢えて、窓があるなぁ、としか思考を巡らせなかった。

……巡らせないことに、した。


「……先生は、どう思いますか?体重が100キロを超えちゃった女の子って、やっぱり、その……だ、ダメ、ですかね」


「ダメっていうのは?」


「……嫌いかなって、ことです」


逃げるように、早口で告げる。

じゅごごご、とストローが底の甘味を吸い集める。

カラになった紙コップをぎゅっと握り締めるスズミを見ながら、先生は顎に手を当て、考えた。


「……お腹を銃で撃たれたり、新薬の実験台にされたり、自室に軟禁されたり。生徒から好き放題されまくった経験をした私から言わせてもらうと…………たかが思春期女子の体型変化を理由に、嫌いだの好きだのを決めちゃうような大人なら、先生なんてやってないと思うよ」


「……!そ、そうですか……?」


「まぁ、もちろん太れって言うつもりはないけどね。流石にスズミが150キロとかオーバーしちゃうようなら、私も健康とか心配してダイエットを勧めるかも……」


「な゛っ……そ、そこまで太ってません!!!失礼ですよ、謝ってください!!私はまだ百二十────」


そこまで言いかけて、ようやく慌てて口をつぐむ。

先生の表情に浮かんでいるのは変わらず笑顔。だが、笑顔は笑顔でも、彼が時折見せてくる、随分と悪辣な……少女がその未熟さ故に表に出してしまう、恥じらいやムキになる様子を眺めて愉しむ時の、底意地の悪い彼の素が見えてしまっている時のものだった。

ぐしゃりと、紙コップが握りつぶされる。わなわなと震えるスズミの手から、残骸になったコップがひょいっと没収された。


「いっ……いつから気付いていたんですか!!!??」


「少し話し始めたら、もうボロが出てたよ……。ふふ、スズミはウソが苦手だね。真面目で良い子な君らしいといえば、らしいんだけど」


「う、うぐ……!」


悔しさを握りこぶしに詰め込む。そんな彼女の頭に、先生の大きな手のひらがそっと、包み込むように乗り、さらさらとした髪の毛を傷つけないように優しく撫でた。

その撫でが、まるで敗北のゴングのようで。スズミは抵抗の意思が完全に自身から抜けていくのを、ひしひしと感じていた。


「痩せるまでは、絶対に会わないつもりだったんです、私だって……!それなのに、先生は、わざわざここまで来て、しかも、私のこんな格好をショーの間、じっくりと……!」


「そりゃ、写真撮影できなかったからね。もう絶対に忘れないように、ステージの上で一生懸命ドスドスノシノシ動くスズミの雄姿をこの目に……」


「そうやって!!女の子に!!間接的であっても重いことや太っていることをですね!!たとえ事実でも指摘することは至極失礼、非常識極まりないことだと思います!!」


「でも、可愛かったよ?」


「…………」


ぎゅっと、口の端をキツく結ぶ。そうしないと、すぐに口が緩んでしまう気がしたから。

そして、精一杯の怖い顔で、先生を睨みつけた。もしかしてこの人は、可愛いと言いさえすれば、付き合いの長さにかまけて、何を言っても何を揶揄っても許されると思っているのではないか、という疑念を込めて。

しかし、生憎、その丸々としたふくよかな顔には、元のスズミにあったクールな印象はなく。むっと頬を膨らませて睨んだところで、ただただ可愛らしいマスコット感が増すだけに終わってしまっていた。


「もっと普段からさ、そういうフリフリした洋服着てもいいと思うよ?」


「やかましいです。……まぁ、この『衣装』が可愛いことは、認めます。お客さんがショーに求めていることは、魔法少女ヘヴィキャリバーの模倣劇であり、私がテルミットホワイトとして振る舞うことですから。体型は……似ても似つかない反面、髪色や服装だけは、依然キッチリと再現できていますし。……きっと、見苦しくもバタバタしている私を見て、お客さんの皆さんは、その必死さだけは評価してくれているのだとは思います。お情けとはいえ、毎回律儀にお菓子や食べ物を贈っていただけるのは、羞恥心を乗り越えて私がステージに立つための勇気として、とても助けになりました」


どこか寂しそうに、そう語ってみせたスズミ。

彼女のポツポツと零れるように打ち明けられた思いの丈を聞いていた先生の顔からは、それまでの柔和でヘラヘラとした雰囲気は消え、代わりに、どこか物問いたげに真剣な面持ちを見せていた。


「……スズミ。そういう考え方は、理解はできるけど、あまり褒められたものではないと思うよ」


「え?」


「太った自分に負い目を感じていたり、自分の価値観にない部分からの賞賛を簡単に受け入れるのは、確かに難しい。……だけどね、だからといって、お客さんが君を通して心を動かした事実を、情けやおべっかだと決めつけて否定するのは、あまりにも惨酷な仕打ちだと思わないかい。過ぎた謙虚さは拒絶にも勝る。……それが分からないスズミじゃないだろう?」


「…………!」


はっと、何かを思い出したような表情を浮かべるスズミ。徐に、枕元に置いている二つのぬいぐるみに目を向けた。

片方はショーが始まって間もない四か月前、そして、もう片方は、つい先週貰ったばかりのもの。この二つに価値の差異はない。どちらも、丁寧なお手紙と共に、幼い子供から受け取ったものだ。どちらも、スズミにとって非常に嬉しく、思い出に残っている。

────だが、今、自分は何と言った?

幼子の純粋な応援の気持ちを、間違っているモノとして、紛い物として、無意識に見てしまっていた。己の価値を下げる行為の道連れに、かけがえのない好意の想いに泥を塗っていたのだ。

ショーを始めたばかりのころ、山のように貰った贈り物を前に、自分はこれだけはしないように誓ったはずなのに。

スズミは、後悔で頭が真っ白になっていくのを感じた。そうして、今にも自分自身を責め立てる寸前になっていた彼女に、先生がすかさず声をかける。


「勘違いしてはいけないよ。私は君を責めているわけではない。……そうだな、まずは見えるモノだけを信じよう。寄せられる応援や好意を、そっくりそのまま、疑うことなく受け入れるんだ。そして、最後には自分を信じて、自分を世界に売り込んでいくんだよ」


「で、ですが……」


「難しいかい?」


「……はい。ただでさえ、自分の中の正義を貫くことで精一杯なのに……。い、いきなり自分のことを可愛いとか、綺麗とか、素晴らしい人間だってポジティブになろうとしても……な、何をどう、すればいいのか……。ましてや、太ってますし……」


大きな体を縮こませるように、弱気にしょげていくスズミ。

先生は唸りながら腕を組んだ。

確かに、そうだ。スズミは謙虚なようで、「強情に」謙虚なのだ。

法に首を垂れる熾天使の如く。心の底から正義に対して謙虚であるからこそ、ある種不正や悪、そして自分自身を過度に素晴らしい存在として価値を変動させることを許さず、許せない。

これでは、今後トリニティに戻った後も……たとえば、ガラガラな電車で席に座れないとか、立ち食い店でもないのに椅子に座るのを躊躇うとか、そういう行為に走りかねない。


「……ベクトルを、変えないとな」


先生はそう、一言呟いた。

そして、静かに、スズミの背中へと手を伸ばす。

デコルテの曝け出された上半身。すっかり脂肪に埋もれてしまった肩甲骨に、撫でるような手つきで手を置いた。


「っ……!?せ、先生……!?」


スズミが大きく、びくりと身を震わせた。

その声色には、怯え。そして、きっと先生だから何か考えや理由があるのだろう、という信頼が絡みついている。

刺激される罪悪感と、小さな嗜虐心。先生の中で、躊躇いの気持ちが薄れつつあった。


「私は、演者としてのスズミも当然可愛いと思っているけれど……それ以上に、守月スズミとしての君も、魅力に溢れる女の子だと思ってるんだよ」


背中にあるファスナー。無理やり溶接して修繕したせいで、ボロボロだ。

引手を指でつまむ。さながら、それはヒビの入った貝殻。少し手を加えてやれば、容易く中に秘められた真珠を拝むことができる。

スズミは、先生が何を意図しているのか、察した。


「そ、それはっ……えっと、先生でも、いくら、貴方でも……」


「ダメかな?……ごめん、無理強いはしないよ」


彼の手が、背中から離れる。

スズミは張り詰めるような緊張感から解放されたことに安心すると同時に────どこか、惜しむような寂しさが、心の隅から滲み出ていることを、自覚した。


「────ま、まって」


腕を掴む。


「……その、先程は、暴力を振るってしまって、ごめんなさい」


「はは、どうしたの?……気にしてないよ。可愛いもんだよ、あれくらい」


「……ですが、償いを果たす必要は、あると思います」


スズミが髪を掻き分けた。

隠れていた背中が、見えやすいように。太くなったうなじを誇示するように。

先生は思わず、キョトンとしてしまった。そして、すぐに、堪えきれないとばかりに噴き出してしまった。


「!な、何故笑うんですか!」


「だって……ふふ、それじゃ、まるで私が生徒に難癖付けて肌に触れようとするヤツみたいじゃないの。そんな取って付けたような理由なんて……」


「ひ、必要です!……だって、でもないと……」


頬が今日一番赤らみ、熱を帯びた。


「……悪いこと、してるみたいじゃ、ないですか」


「君が正義と思えば、それが正義だよ」


もう一度、引手に手が伸びる。ゆっくりと、ファスナーが下へと開かれていった。

太った巨体を包み込んでいた、限界寸前に張り詰めていた衣装が幾分か緩む。巾着袋の紐を切ってしまったかのように。


「……はふ」


窮屈な息苦しさから解放されたからか、スズミがほっと息を吐く。

そんな彼女に労わるような目を向けながら、先生はまるで果物の皮をむくように、スズミの上半身から衣装を優しく丁寧に脱がせていく。

胸元を包み込む白い部分から、変身する際に用いる設定のチャームリボンが付けられた下腹部付近まで、ゆっくりと。

さぞや、キツく押し込められていたのだろう。解放された喜びを享受せんと言わんばかりに、大きな胸、そしてそれを支える分厚い脂肪に覆われたお腹周りの贅肉が、ぶよぶよと堰を切ったように溢れ広がった。

先程よりも、一回り大きくなったように感じる、スズミの巨体。ヌードブラを除いて全ての布切れが上半身から取り払われてしまった少女の半裸体は、先生に重く生唾を飲ませるに足る美しさだった。


「────初めてです」


「……え?」


呟きを零すスズミ。もう、羽で顔を隠すことは諦めている。何故なら、彼が自分の右に座ってしまっている以上、まったくの徒労に終わってしまうのは明らかであるからだ。

スズミが瞳をゆっくりと、横にずらす。


「誰かに、自分の素肌をここまで見せるのは」


「……友達と海くらい行かない?」


「本気で言ってます?」


「…………ご、ごめん」


次に軽口を言ったら分かってるだろうな。

そんな威圧の込められた睨みが突き刺さり、先生は情けなく謝罪の言葉を口にする。

そうして、ゆっくりと、分厚く浮き輪のように脂肪が積み重なったお腹に、底から持ち上げるように手を入れた。


「おっも……」


ずっしりと。下っ腹の重みが、腕の筋肉に容赦なく襲い掛かる。

軽く上下に揺らしてみれば、ゆっさゆっさと、躍動感満載に二段の分厚い贅肉が波を打った。


「あんなに細かったのに……ぶよんぶよんだ、すごい」


「……このお腹が、一番気になりますし、恥ずかしいです……。ステージでも、ちょっとでも動くとぶよぶよ揺れて……」


「悲しいこと言わないでよ、このお腹が一番可愛いよ。もちもちしてて柔らかいし」


「まぁ、子供たちには、よく抱き着かれますが────んっ……」


脇腹に、くびれを埋め尽くすように弛み積み重なった贅肉を、ぎゅっと手で掴む。


「この脂肪が、全部、お客さんから貰ったお菓子やご飯で作られてるって考えると、ちょっと興奮してこない?」


「し、しませんっ……ひゃっ!」


だらしなく潰れた胸に、容赦無く、男性の腕力で手が襲いかかる。

胸筋も無いままに、ブヨブヨと脂肪ばかりがついた、形の情けない楕円の胸は、掴む度に指に吸い付くように変形し、もにゅもにゅと柔らかく脈動する。


「うっ……はっ、くっ……先生、そこは……」


びくっ、と何度もスズミが悶えるように身を震わせる。

胸なんて、触られるどころか、揉まれる経験なんて未知の世界だ。


「そこそこ可愛らしいサイズだった頃も勿論よかったけど、今のすっかり太っちゃった胸も、全然良いと思うよ。そうだな……おっぱいだし、やっぱりケーキとか、お菓子のカロリーはココに集中してるんじゃないかな?」


そう言うと、先生はスズミの肢体から一旦手を離す。そして、そのでっぷりと迫り出したお腹を、じっくりと観察し始めた。

無遠慮に触られたり揉まれたりする地獄が一旦止み、スズミは、息も絶え絶えに安堵の呼吸を繰り返す。


「はぁ……はふ、ふひゅ……せ、先生……おわり、です……?」


「ちょっと静かに。今、スズミが食べてきたハンバーガーが、どこのお肉になってるか真剣に悩んでるから」


「ば、ばかなんですか……」


「やっぱ……ここかな?」


「ひゃあっっ!!??」


肝臓──が、あると思われる、お腹の右側付近を、思いっきり指で押し込んだ。

嘗ては腹筋や肋骨があったであろう箇所だが、今や柔らかい贅肉の感触しかない。しつこくセルライトが凝縮され、下腹と比べるとやや硬さと弾力に勝る上腹を刺激されたスズミからは、今日発した中で一番大きく、甲高い悲鳴が響き渡った。

その予想を上回る激しい反応に、少し面食らった表情を見せる先生。

だが、すぐに、隠されていた財宝を見つけた盗賊のように、しめた、と言わんばかりの意地の悪い笑みを浮かべた。


「……この辺はくすぐったいんだ?」


「下っ腹は、その、脂肪が厚すぎて感覚があまり無いんですが……上の方は、こう、ぎゅむぎゅむ触られるのは、少し……イヤです」


「へ~、イヤなんだ」


「……い、イヤですけど」


敏感肌のスズミが、ようやく彼女らしい一面を見せてくれたことに、先生はニマニマと随分楽しそうに抑えきれない笑顔を露出させる。

その反応に、スズミは全身に悪寒が走るのを感じた。

逃げなければ、気絶するまで揉み虐められることを確信して。


「……も、もう、そろそろ、お開きにしませんか……!?せ、先生ってば、十分楽しまれたと思うんです!!」


「そんなことない。こんなに大きな身体なんだ、まだまだ食べるところがあると思うんだよね」


「────っ、わ、私、お手洗いに」


逃げるように立ち上がろうと試みるスズミ。しかし、百キロを易々と超える重たい身体は、迅速な危機察知能力に優れた主の意思に反して、のったりと緩慢な動作しか出力されない。

そう。丸々と肥えた羊は、狩人からは逃れることができない。

ぐっと腕を掴まれ、引き戻されるスズミ。次の瞬間、腕を回されると、そのまま、抱きついてきた先生と共に、ベッドに思いっきり身体を押し倒された。


「きゃっ……」


ベッドが大きく軋み、悲鳴をあげる。体重差はかなりある筈なのに、体幹や筋力が無さ過ぎて、抵抗する暇さえ与えられなかった。

絡みつくように、精一杯のハグをする先生。硬く鍛えられた先生の身体に、柔らかいマシュマロのような脂肪に包まれたスズミの脂身溢れる身体が、密着するように重なり合う。

ぎゅっと、手加減なく力強く抱きしめてくる先生。まるで、自分を抱き枕だとでも思っているかのようだ。


(………先生)


てっきり、とんでもなく卑猥で性的なプレイに持ち込まれるものとばかり思っていたスズミは、目を閉じて、愚直に抱擁に勤しむ彼の姿に、ただ、拍子抜けしてしまった。

……勿論、上半身裸に剥かれ、好き放題されている時点で十分卑猥なのだが。


(疲れてるのかな、先生も)


細く痩せていた頃の自分ならば、大柄な先生によって、こうして力任せに抱き締められていれば、もしかしたら怪我をしていたかもしれない。

そう。一切の遠慮なく癒しと愛を求めてくる彼を受け止めることができるのは、今の自分にしかできないことだ。


「────先生」


「ん」


「もしかして、ずっとこうされるおつもりですか」


「……本当は、押し倒した後めっちゃくちゃに揉んであげるつもりだったんだけど、なんか、抗えなくて……」


眠気に意識の半分を浸食されているような微睡の混じる先生の声色に、スズミはどこか母性のようなものが芽生えるのを自覚しつつ、くすくすと笑った。


「そんなに抱き心地よかったんですか?」


「もう……すごい。全身柔らかくて、良い香りがするし……それに、可愛いし……」


今日だけで何度言われたかも分からない誉め言葉を受ける。

だが、この一言は、なんだか不思議と滑りこむように入っていくのを、スズミはぼんやりと自覚していた。

魔法少女も、自警団も、何もかもを概念的にも物理的にも脱ぎ捨てた今の、贅肉だらけの自分を、こんなにも褒め潰して、甘やかしてくれる。

あぁ、自分なんかをこれほどまでに求めてくれるなら、もっと早く踏み込んでしまえばよかった。あの頃、まだライバルの少なかったあの頃に。


「……今でも、まだ間に合いますかね?」


スズミが全身に力を入れた。なけなしの体力と筋力をこめて、ゆっくりと寝返りを打つ。


「う゛っ……」


上下の位置関係が逆転する。先生の身体に、スズミの肥えた重い身体がずっしりとのしかかった。

鈍く苦しそうな呻き声が響く。スズミは少し、不機嫌そうに眉をひそめた。


「可愛いと仰るのでしたら、少し重たくなった私くらい我慢して下さい。……可愛いんですし、辛くはありませんよね?」


太っていてよかった。ただ身体の重みを乗せてやるだけで、こんなにも容易く先生の自由を手に入れることができる。

万能感に満ち溢れていくのを、スズミは高揚と共に自覚する。

男性と少女。二人の口と口が、少しづつ距離を狭めていく。

まだ、今日のメイクは落としていない。口紅は残っている。


「先生────私、」


「スズミさーーーん?????」


「ッ………!!!???………へ!!!???」


淡くふわふわとした夢か現かも分からない時間。

それは、叩かれるドアが発する大きな音と、それよりも大きい音量で親友を呼び求める声によって、無情にも切り刻まれ、消え去ってしまった。


「レ、レイサさん!!???」


「────はぁ!!??」


スズミの言葉に、むにゃむにゃと脂肪の中で気持ちよく眠りに落ちていた先生が、突如覚醒して跳び起きた。

上に乗っていたスズミを押し退け、慌てて起き上がる。咄嗟に彼女の顔色を伺うが、スズミは猛スピードで首を左右に振っていた。


「あ、無事です?安心しましたぁ」


「えっと……ど、どうして、私の部屋に!?」


「いえ、先程上の階から何かズドドー、ズゴゴー、っていうとんでもない音と、地震みたいな地鳴りが響いてきたので……。もしや、スズミさんの部屋で爆弾テロでも起きたのかと思いまして!!!この自警団のスーパースターである宇沢レイサが、馳せ参じたという次第です!!!」


(……そういえば、あの凄まじい音なんだったの)


(…………ダンスのようなものを、していまして)


「……あれ?鍵開いてますね?」


「!!!!」


怪訝そうなレイサの呟きに、二人はぎょっと目を見開く。

「この野郎何でカギ閉めてねぇんだ」と血走った目を睨みつけるスズミに、先生は「ホテルって普通オートロックじゃん」と無言の涙目なアイコンタクトで弁明する。


「不用心なのはよくないですよ!まったく!……まぁ、丁度いいですね!せっかく来たんですし、ちょっと二人でお話でも────」


「ま、待てェッッ!!!!」


「!?せ、先生!??」


親友の部屋から、予想だにしない人物の声が響き、レイサはドアノブにかけていた手を思わず放した。


「ま、待ってくれ!!その、今部屋に入ってくるのは、ちょっと、一旦、待ってくれないか!!??」


「え、ちょっと、な、何故!!?何故先生がスズミさんの部屋でスズミさんと一緒にいるんですか!??ふ、不法侵入!!?」


「そ、それは────」


当然の疑問に対し、先生は言葉を詰まらせる。

だが、それも一瞬。即座に周囲を見渡し、まず視界に入ったスズミを目で捉えた瞬間、気づけば口が動いていた。


「────上映会の……準備を、してたんだ!!!」


「……上映会?」


「そう!!ほら……魔法少女ヘヴィキャリバーのショーを見ちゃったからか、またアニメを見直したくなっちゃってさ!!どうせなら、誰かと見た方が楽しいだろ?それで、上映会をしようってスズミと企画して!!!準備してたんだ!!! ……な!」


スズミに助けを乞うような目線が突き刺さる。

賢い賢い走る閃光弾は、コンマ数秒で全てを察した。


「……そ、そうです!そうなんです!!準備ができ次第、レイサさんもお呼びするつもりでした!!!」


「………上映会」


「…………」


「…………」


「………………なぁ~~んだ!!そうだったんですね!!!いいですね、上映会!!えへへ、すみません、私ったらまた早とちりしてご迷惑をおかけしてしまうところでした!」


明るく笑うレイサに、スズミと先生は心の底から胸を撫で下ろす。

……一抹の罪悪感を覚えながら。


「だからさ、悪いけどレイサは一旦部屋に戻って、テルミットピンクの衣装に着替えてきて欲しいんだ。もうスズミにも着替えて貰ってる。こういうのって雰囲気でしょ?」


「えぇ、同意見です!!……ハッ!!もしや、先生もコスプレなさるんですか!?」


「悪いけど、今日の私はシャーレの先生のコスプレだよ」


「了解です!!それでは、光の速さで着替えて、舞い戻ってきます!!!暫しお待ちを!!!」


明るく元気な返事を最後に、バタバタと足音がドアを挟んで耳に届く。


「────ケダモノのコスプレではないんですね」


その音が遠くなっていった頃合いで、ポツリとスズミが恨めし気に呟いた。

先生は無言で外套を着直す。無言で。

目線を合わせようとしない彼とは裏腹に、スズミはじっと照準の合わさったライフルのような視線を注いでいた。


「ケダモノのコスプレではないんですね」


「に、二度も言わんでいい」


「ほほう、これ失礼いたしました。てっきり聞こえてらっしゃらないものかと。まさか先生とあろうお方が、無視なんてする筈もありませんからね。……ところで、先程は随分と滑らかに舌が回ってらっしゃいましたご様子。もしかして、普段からこういうことは繰り返されているのですか?」


「そ……んなわけ、ないだろう。君が初めてだったのと同じように、私も初めてだよ。こんなことをしたのは」


ふーん、と。スズミがやや不満げに鼻を鳴らす。

初冬の郊外。いつの間にかすっかり日が暮れており、陽が落ちた郊外の気温はいっそう肌を刺すように寒さが増す。

だが、そんな肌寒さを嘲笑うかのように、スズミの身体はじっとりとした汗に塗れている。照明を反射して艶やかな裸体を見せる彼女を見て、先生はまた口を閉じたまま、スズミの身体をタオルで拭き始めた。

贅肉と贅肉の境目、特に過剰に濡れ蒸れている箇所を、拭きにくい尋常ならざる柔らかさに苦戦しつつ、もちもちと掃除していく。

ふと、二の腕から脇のあたりを拭いている時に、そのたぷたぷと弛んだ部分に触れていた先生。ショーでステッキを振る度に、ぽよぽよ可愛らしく揺れていた二の腕の活躍を思い出した。


「……着させる時は、脱がせた時の巻き戻しみたいな感覚で大丈夫?」


「はい。ファスナーの部分はご存じの通り脆くなっていますので、そこだけご注意を」


まるで、お人形に服を着させるように、そっとスズミを衣装で包み込む。

立ちあがり、着こなしに問題がないか、くるりと回って確かめるスズミ。先生は満足げに頷いた。


「……うん。可愛いな」


その言葉に、ぴくりと耳を震わせる。

そして、スズミはステッキを両手で持ちながら、首を傾げてみせた。


「……どちらが、ですか?」


にこっと、あどけない笑顔を浮かべながら。

丁重な言葉遣いに隠された、一つの解答しか許さない断固とした雰囲気に、先生は思わず気圧されるように苦笑する。


「……おぉ、言うように、なったなぁ」


「ふふ。今のは演技だと思いますか?」


「さぁ、どうだろう」


タブレットと、ホテルのテレビモニターを接続する。

サブスクサイトを立ち上げると、すぐに、ラインナップの仲間入りを果たしたばかりの劇場版の再生準備を整え始めた。

二人はベッドに並んで座り、再生開始を待つモニターの前で待機する。

ふと、先生は右半身にずっしりとした重みを覚えた。

見れば。スズミがそっと、もたれるように身を預けていた。


「……二時間半ずっとそうされると、ちょっと苦しいかも」


「我慢して下さい。もちろん、レイサさんも反対側からきちんと支えてあげるんですよ」


ほどなくして、ドアの向こう側から、聞き覚えのある忙しない足音と、ガチャガチャと大荷物を携えた物音が響いてきた。

何か空回りをしている予感を察し、先生はスズミと笑い合う。

────秋の夜は長い。何本もの作品を鑑賞するのにも、ましてや、幕間に輝いた変身の熱が引いていくのにも、時間は潤沢に費やすことができる。

きっと、十分であるはずだ。


Comments

たいが

非常に遅くなりましたが読了いたしました! トリニティでは確実に冷笑されるであろう、ぶよぶよな魔法少女姿...。 そのトリニティから離れた舞台でレイサや観客の優しさや応援によって甘やかされ完成してしまった、汗だくでドスドスと登場してセリフも動きもぎこちなくて、尻もちまでついてしまうショート見せてしまうスズミさん、とても可愛くて刺さりました! ファンの応援をうけてなお「見苦しいけど必死に頑張っているから応援されている」と思ってしまうスズミの自己評価の低さ、太った経緯や姿は否定しなくても応援を曲解するのは良くないと諭す先生の姿も、ゲーム本編さながらのシナリオのようで良かったです!!

ユキムラ

たいがさん、読了ありがとうございます!!!感想も嬉しいです!!! ヘヴィキャリイベを通った上でのスズミをどう描くかについて非常に考えながら書いたので、可愛いシーンはもちろんの事、そういう俺なりのメッセージをしっかり受け取ってくれたのはとても有難いです!