小説 【入れ替わり・上司】⑧ (Pixiv Fanbox)
Published:
2025-08-03 10:08:20
Imported:
2026-06
Content
-目次-
・22. すれ違いの体温
・23. 母親
・24. 借りものの名前
22. すれ違いの体温
車窓を過ぎていく景色は、東京へ向かって確実に近づいていた。
けれど、向かい合って座る二人の間の空気は、明らかに揺らいでいた。
「で、あと16時間。どう乗り切るの?」
窓の外に目を向けながら、翔也(精神は紗英)が口を開いた。
「……どう、って言われても……僕、正直もう限界です」
「……限界?」
「もともと8時間だって聞いてたのに、24時間なんて……。出張後は直帰って言ってたけど、僕この高垣係長の体のまま家に帰るんですか?」
紗英(精神は翔也)は、どこか投げやりに言った。
「これ、高垣係長の提案でしたよね? そりゃ興味はあったけど……ぶっちゃけ、もっと若い女の子だったらまだ良かったですよ。よりによって……」
言った瞬間、空気が凍る。
翔也(精神は紗英)は、何も言わなかった。ただ、目を伏せて静かに息を吐いた。
紗英(精神は翔也)も、言いすぎたとすぐに気づいた。
「……すみません、今のは、その……」
「いや、いいわよ…ごめんね、おばさんの体で…」
ぽつりと返されたその言葉には、怒りよりも――疲れがあった。
「若くないし、女としても終わってるし。そう見えるでしょ。体、借りてみて改めて思ったんだろうから」
「……違います。そんなつもりじゃ……」
「ほんとに?」
翔也(精神は紗英)の顔が、ようやく紗英(精神は翔也)の方を向いた。
「……でもさっき、自分で言ったよね。“よりによって”って」
紗英(精神は翔也)は言葉に詰まった。
「……僕、たしかに……軽く考えてました」
正直にそう認めた。
「でも……この体で一日過ごしてみて、いろんなこと、分かった気がして……。パンプスで歩くのがしんどいとか、男性からの視線とか……それに、こんなにスカートに気を遣わなきゃいけないんだって」
少し、翔也(精神は紗英)の表情がやわらぐ。
「高垣係長がどんな毎日を送ってたか、今さらですけど、実感してます」
「……ふふ。村田くんさ、そういうとこ、ちゃんとしてるよね」
「?」
「文句言うくせに、罪悪感は残るんだ。……だから、ちょっとくらい許してあげる」
翔也(精神は紗英)はそう言って、ようやく軽く笑った。
紗英(精神は翔也)もつられるように、息をつく。
「じゃあ、残りの16時間、仲良くしましょうか」
「……はい」
新幹線は、静かに東京へ向かって進んでいた。
お互いの心はまだ少しだけ重かったが、他人として過ごす時間が、わずかに“理解”へと変わり始めていた。
23. 母親
夕暮れが、街の輪郭を少しずつ淡くしていた。
新幹線を降り、東京の空気が肌に馴染むと、少しだけ現実が戻ってきた気がした。
ホームから改札へ向かう途中、紗英(精神は翔也)は、不安げに歩を進める。
新幹線の中でお互い決めていたことは、元に戻るまではお互いの生活に戻るということだった。だいたいのお互いの事情は話し合っていたので、なんとか大丈夫だろうとなったのだが、紗英(精神は翔也)はそれでも不安であった。
翔也は現在、県外から上京して一人暮らしをしており彼女や気のおける友人もいないため、翔也の肉体の中の紗英については特に問題は無かった…。しかし、問題は紗英の方だった、紗英は数年前に旦那と離婚してからは愛娘の莉子と二人暮らしで、今回のような出張の日は近くに住む母親に莉子を預けている。今回も預けている、紗英の実家に向かわなければいけない。
そんな不安をよそに翔也(精神は紗英)は言った。
「じゃ、よろしくね。娘、迎えに行ってもらえる?」
前を歩く翔也(精神は紗英)が、振り返らずにそう言った。
「本当に…僕が行ってもバレませんかね…?」
「うん、大丈夫よ…正真正銘、肉体は高垣紗英なんだから。娘はお母さんのところにいるから。実家の場所、教えるわね」
スマートフォンから送られてきた住所は、電車で二駅先の落ち着いた住宅街。
ちなみに、先ほどカバンや携帯、サイフなどは体に合わせるように全て交換した。高垣係長の女性の私物が自分の自由にできることに少し興奮したのと同時に、自分の私物を相手に渡してそれを好きに触られるという恥ずかしさもあった。
「……高垣係長の娘さんに会うんですよね…? この状態で、僕が母親として…?」
「娘はまだ小学生低学年だし、そこまで気づかないよ。大丈夫。むしろ母親のほうが厄介かもね」
「……僕が母親…♡」
体は女性の肉体、心は男性――そのまま“母親”として娘を迎えに行くという現実に、紗英(精神は翔也)は少し背徳感がありドキドキしていた。
■ 紗英の実家前
程なくして、古くからの一軒家の門をくぐる。
チャイムを押す手が震えたのは、たぶん気温のせいじゃない。
「はーい」
出てきたのは、優しげで小柄な女性――紗英の母親だった。
「あら、紗英。おかえりなさい」
「……た、ただいま……」
喉が引きつるのを誤魔化しながら、ぎこちない笑顔を浮かべた。
「あら? ちょっと、今日は……なんだか雰囲気が違う?」
「え……そ、そうかな?」
「うん。なんか……声が低い? 疲れてるの?」
「ちょっと出張が長くて……すみません、迎えに来ました」
言葉を選びながら、なんとか“紗英らしい話し方”を意識する翔也。
少し高めの声、ゆっくりとした口調、語尾に柔らかさを加える。
「まぁ、おつかれさま。中入って。莉子ちゃんも、もう支度できてるから」
■ 実家の居間
娘――小学1年生の莉子は、宿題を終えてテレビを見ていた。
紗英(精神は翔也)を見ると、ふわっと笑顔を浮かべて立ち上がった。
「ママ、おかえりー!!♡」
(……あ、やばい。かわいい……けど、どうすれば)
「……うん、ただいま、莉子」
なんとか微笑み返すと、娘は自然に手をつないできた。
(……この子、まったく疑ってない)
娘にとって、目の前にいるのが“いつものママ”であることに疑いはなかった。
ただ――紗英の母親の方は、まだどこか怪訝そうな目をしていた。
「ほんとに、なんか今日は……そわそわしてるように見えるわよ。お酒でも入ってる?」
「い、いえ、飲んでは……いません……ちょっと、寝不足なだけで……」
苦笑いとともに、お茶を勧められながら、なんとか数分の滞在を乗り切る。
■ 実家の門前
帰り際、莉子のまだ綺麗な赤色のランドセルを肩にかけた紗英(精神は翔也)が、紗英の母親に頭を下げた。
「いつも、ありがとうございます。……じゃあ、失礼します」
「あんた……ほんとに、大丈夫よね?」
「……はい。大丈夫です」
何とかその場を切り抜けると、心の中でどっと疲労感が押し寄せてくる。
(……俺は今、“この子、莉子ちゃんの母親”なんだよな…♡この子は今の…俺の体から産まれたんだよな…♡高垣係長が元旦那さんと愛し合って…中出しされて…♡)
そう思った瞬間、背中に感じるランドセルの重みが、妙にずっしりと心に響き、背徳的な感情が湧き上がった…心は男なのに、経産婦の肉体ということを改めて実家して、あろうことか紗英(精神は翔也)の秘部は湿っていた…。
24. 借りものの名前
「ママ、ねえ、帰りにアイス寄っていい!?」
莉子が、つないだ手を少し引っ張ってくる。
「え……あ、う、うん……いいよ」
――今、僕は“ママ”なんだ。
その呼び名に、紗英(精神は翔也)は胸の奥がくすぐったくなるような、落ち着かない感覚を覚えていた。
違和感がある。でも、不快ではなかった。
小さな手に引かれながら、母親らしく見えようと姿勢を正す自分がいた。
コンビニのアイス売り場の前で、莉子が真剣にイチゴかチョコレートか悩んでいる姿を横目に、紗英(精神は翔也)はスマートフォンを取り出した。
スマホも交換しているため、画面には翔也のアイコンが写っている。
《紗英》
「迎え完了しました。娘さん、すごくいい子ですね」
送ったあと、数秒で既読がついた。
《翔也》
「おつかれ!うまくやったじゃん笑」
紗英(精神は翔也)はすぐに返信を打った。
《紗英》
「いや、かなり緊張しましたよ……“ママ”って呼ばれるたびに心臓止まりそうで」
《翔也》
「ふふ、でもちょっとドキドキするでしょ?」
その言葉に、紗英(精神は翔也)は苦笑した。
ドキドキ。たしかに、かなりした。
普段の生活では味わえない、“誰かに必要とされてる”という実感だった。
小さな女の子からの“ママ”という期待、社会人としての責任、そして女としての男性からの視線。
ひとつひとつは些細だけど、確かに“重い”。
紗英(精神は翔也)は改めて、紗英という女性の人生を思った。
そして、続けてメッセージを打つ。
《紗英》
「このあと、どうします? 娘さん、家で晩ご飯とか?」
《翔也》
「そっちで任せてくれていいよ。冷蔵庫にカレーの残りがあるはず」
《紗英》
「……僕が? カレー温めるんですか?」
《翔也》
「そうだよ。あなたママでしょ?笑」
翔也はスマホを見つめながら、ふっと笑った。
「……まいったな」
自分の知らない誰かの生活を、“代わり”にやる。
それは簡単なことじゃない。でも、どこか、自分の人生よりもリアルな気がしていた。
「ママー、チョコにした!!」
莉子がアイスを手に戻ってきて、無邪気に笑った。
「じゃあ、おうち帰って、一緒に食べようか」
少しぎこちない笑顔だったけれど、紗英(精神は翔也)の声は自然と柔らかくなっていた。
-続く-