仮想世界放浪記【拾】 (Pixiv Fanbox)
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ラッシャイ。俺は鯰田。げんこつ山のたぬきだ。俺は毎日バーチャルでクレイジーな人間共のきったねえ言葉が流れるドブ川を眺めて暮らしているが、その様子は誰にも見せるつもりはない。だが今日はフォロワーであるお前へ特別に、俺が今とは異なる仮想世界にいた頃の話をしてやることにした。
ずいぶん昔のことだ。
まだバーチャルリアリティなんてもんは存在せず、俺たちは煌々と光る板を顔面に押し付けながら、そこに映る電子の幻覚へ人生を溶かしていた時代があった。
お前にもあるかもしれないな。家に帰ってきて、コンビニ飯を流し込み、眠い目を擦りながらログイン画面を見るだけで脳汁が出ていた時代が。
その板の中の世界には色んな名前があった。
エリン。
オラクル。
ミッドガルド。
エオルゼア。
聞き覚えがある奴もいるだろう。
俺はその中で、一時期エリンに滞在していた。
エリンは「なろう系」と呼ばれる電子紙芝居どもの根源にある場所だ。
あらゆる“異世界転生”の腐葉土。
だが当然、本物はもっと不便で、もっと陰湿で、もっと美しかった。
力だけを求め、狂ったように敵を殴り続けるバーサーカー。
鉱石村に引きこもり、炉の熱で脳を焼きながら装備を打つ鍛冶師。
露店とアルバイトを延々と往復し、ゴブリンみたいな顔で金を数える商人。
楽譜を書き続け、町角で演奏して承認欲求を満たす吟遊詩人。
色んなミレシアン(プレイヤー)がいた。
もちろん「固有スキル」だとか「追放されたら実は最強でした」だとか、そんな都合のいい話はない。あんなものはあの世界の現実を知らない奴が見る夢だ。
この世界では、自分の道は自分で決める。
そして決めた瞬間から、地獄の修練が始まる。
レベルではない。
スキルランクだ。
羊毛を刈る。
鍛冶をする。
敵を殴る。
演奏する。
料理を作る。
その全てに狂気じみた回数要求がぶら下がっている。
プレイヤー達はそれを「修練」と呼んでいた。
修練。今思えば、ずいぶん宗教的な言葉だ。
職業システムは存在しない。
だからこそ、人間性が出る。
大半の人間は楽な方へ逃げる。
生産なんて面倒で、戦闘スキル上げ。
数字が増える快楽のほうがわかりやすいからだ。
だからこそ特化した奴は神になる。
「あの鍛冶師の武器が一番強い」
「あの付与術師しかこの魔法は貼れない」
「あの裁縫師ならこの型紙を扱える」
そんな言葉が飛び交っていた。
だが今みたいにSNSで一瞬で連絡がつく時代じゃない。
掲示板。
口コミ。
噂。
「今日はログインするらしいぞ」という情報だけでプレイヤーが町を走り回る。
まるで行商人を追う農民だ。
だが、そんなログイン時間を気にする必要がない奴もいた。
俺はそいつを「銀行前の騎士」と呼んでいた。いつ見ても銀行前にいる。
フルフェイスヘルムを被り、両手剣を背負ったまま、ほとんど動かない。
だがネームドモンスター出現の報が流れた瞬間、そいつは動く。
町の置物だった男が突然戦場へ現れ、化物を処理して去っていく。
今思えば、MMORPGが生んだ都市伝説的な存在だった。
そんな物語のような世界で、じゃあ俺が何をしていたのか。
ガキとして教育されていた。
英雄的な物語があることを期待したか?そんなわけないだろ。これまでの俺の雑記を読んでる奴ならわかるかもしれないが、俺はまともな教育が施されておらず、このゲームをやっていた時はまだどうしようもないガキで何者にもなれなかった。
教養がない。
礼儀もない。
効率も知らない。
wikiも読まない。
公式HPも見ない。
ただ適当に敵を殴り、非効率な狩りを延々繰り返していた。
そんな俺を拾ったプレイヤーがいた。
名を「ベア」という。
人格者だった。
今思えば、あいつはMMORPGをやっていたんじゃない。
インターネットに捨てられていた野生動物を保護していた。
ベアは俺に色んなことを教えた。
人との接し方。
礼儀正しく相手を扱ったほうが結果的に効率がいいこと。
予定の立て方。
優先順位を決めて動いたほうが効率がいいこと。
金の稼ぎ方。
市場を見て、今この世界で何が求められているか考えたほうが効率がいいこと。
効率。
効率。
効率。
今思えば、あいつは俺に“社会”を教えていた。ただ、当時の俺はそれを全部ゲーム攻略だと思っていた。その結果、一時期とんでもねえ効率厨になって周囲へ迷惑をかけまくったが…まぁそれは別の話。
だが、人間ってのはそんなに暇じゃない。
何の理由もなく他人へ時間を使えるほど、人生は軽くない。
ベアが俺のような名もないプレイヤーを拾ったのには理由があった。
ベアと会ってしばらくしてから、あいつのログイン頻度は徐々に減っていった。
元々、四六時中いるタイプではなかったしな。
だから最初は「忙しいんだろうな」くらいにしか思っていなかった。
だが、数日ぶりにログインしたベアは、俺をダンジョンへ誘った。
薄暗い石造りの通路を進み、敵を処理し、最後の報酬部屋まで辿り着いたところで、ベアは急に喋り始めた。
チャット欄へ、ぽつぽつと文字が流れる。
「なんとなく、この世界で遊んできたけどさ」
「ある程度の強さも、お金も手に入った。でも最近はリアルのほうが忙しくなってきてね」
「忙しいといっても、仕事というより、自分自身の問題かな」
「だから、もう長くは居られないと思ったんだ」
MMORPGってのは不思議なもので、キャラクターはそこに立っているのに、言葉だけで別れの気配がわかる。
「私はこの世界に大きな爪痕を残せるプレイヤーじゃなかった」
「でも、誰か一人くらいの記憶には残りたいって思ったんだ」
「ちょうどそこに君がいた」
「クエストでもないのに変なことしてる人がいるなって」
人を変人扱いしやがって。
だが実際、当時の俺はかなり"変"だった。
「最初は本当にすごかったよね」
「色々と。君の対応、全部w」
「でも逆に、面白くなっちゃってさ」
「この子に色々教えてからやめようって思ったんだ」
少し間が空く。
湿ったダンジョンBGMだけが空気みたく流れていた。
「私の我儘に付き合わせて悪かったね」
「そのお礼に、私がこの世界で持ってるものを渡すよ」
「今までありがとう」
昔のMMOには、“軽い引退”はなかった。
アカウントは残っていても、ログインしなくなった時点で、そいつは半分死んでいるのと変わらない。
だから俺は理由を聞いた。
だがベアは詳しく話さなかった。
「リアルのことだから」
それだけだった。
今と違って、昔のインターネットで現実の情報を漏らすのは本当に危険だった。
下手をすれば人生が壊れる。だからベアが教えてくれないのは理解できた。
理解はできたが。
それでも少し、寂しかった。
そして色々とアイテムを貰ったが、その時のことはあまり鮮明に思い出せない。
多分、顔面がぐしゃぐしゃだったからだ。
渡されるアイテムを淡々と受け取って、
俺は最後に、
「いままでありがとう」
それだけを絞り出した。
そしてベアは消えた。
ログアウトだったのか。キャラクター削除だったのか。
今となってはもうわからない。
ただ、あいつは二度と戻ってこなかった。
ベアの残したアイテムは、種族が違ったせいで一部俺には装備できなかった。
自分でキャラクターを作り直して持つことも考えた。
だが、それは違うと思った。
ベアが育てたのは、そのキャラクターじゃない。
“俺”だ。
だから結局、使わなかったアイテムは倉庫へ入れたままにしていた。
売ってしまえば相当な値になるものばかりだったが…
それでも、引退するまでずっと。
今の俺が、Twitterとかいうドブ川やバーチャルスラム街で多少なりとも人間のフリをしていられるのは、たぶんそういう経験があったからだ。
礼儀。
距離感。
言葉の選び方。
全部あとから教わった。
野生動物にも、一応は社会性が身につくらしい。
そして俺がこうして記事を書き、他人へ何かを伝えようとしている理由も、思い返せばあの頃の影響なのかもしれない。
「誰かの記憶に残りたい。」
ベアが言っていたあの言葉を、気づけば俺もなぞっていたのかもな。
だが安心しろ。よほどのことがない限り、今のところ俺は消える予定も理由も特にないからな。もうしばらく俺の与太話に付き合え。
見てるか。俺は今、人間のフリをしているぞ。
今回はこんなところだ。
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