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ごぶさたダディシリーズを10本すべて作り終えた折りに、各作品のコンセプトや濡れ場について解説した読本を発行したのですが、嬉しいことにその読本は予想以上にポジティブな反響をいただくことができ、また、自作を顧みる過程で非常に有意義な反省やネタ出しもできたため、他のリリース済みビジュアルノベル作品に関しても、順次このファンボックスにて同様の解説コンテンツを設けていくことにしました。


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今回解説するのは、ビジュアルノベル作品の処女作『働くパパのおち☆ぽ検診』です。


余談も含めながら語っていきますので、お暇なときにでも読んでやってください。また、ポルノ作品の解説は、それ自体もまた立派なポルノコンテンツですので、お下劣な表現も多々混じるかと思いますが、作品同様楽しんでいただけたら幸いです。


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制作のきっかけなど

企画を練り始めた当初は、とにかく自分ひとりでできることを少しでも増やしたいという欲求がかなり高まっており、ありがたいことに商用利用できる安価なツールも多々公開されていたので、まずは手堅く文章力と演出力を鍛えようと、ビジュアルノベル制作に手を出しました。覚えの悪い私が新しい作品形態や制作ツールを導入するとなれば、技術面で相当疲弊するであろうことは目に見えていたので、需要に関する懸念は捨て、自分の好きな要素のみで作品内容を構成することは、かなり早い段階から決めていました。


これより以前にも何作かキャラデザや世界観の設定、濡れ場の構成など、企画段階まで進めたものがいくつか存在していたんですが、それらの企画は無い知恵を絞ってウケや流行りを意識しすぎたこともあって、制作に使用するツールすら決まる前にモチベーションが枯渇し、日の目を見ることなくどれも頓挫してしまいました。制作期間が間延びしてモチベーションが維持できなくなることは今でもありますが、当時は技術や知識の面からいっても可能だと確信できることが乏しかったため、キャラクターデザインだけを楽しんで中折れ、なんてことも多々ありました。それらの失敗で自分が持久力のない人間だということは思い知っていたので、ビジュアルノベル形態での初作は、作りやすさを最優先し、多少不格好になっても神経質になりすぎず、制作のノウハウを覚える習作として、まずはとにかく完成させることを第一に作り始めました。


テーマとコンセプト

作りやすさを重視しようということで、まずは自分がこの作品に着手する以前に描いたイラストや漫画を見直し、気楽に描ける得意な描写や、頻繁に使用する好みの設定などを洗い出しました。すると私は“好意や敬意が互いに透けてしまっている情の深いオジサン同士”という、都合の良い関係性と、そんなオジサンたちによる、“甘ったるく、かわいらしい掛け合い”に強い執着を示していたため、まずはそれらをテーマの起点にすることにしました。


そこからさらに、オジサンたちにどんな“事件”が起こり、どんな“葛藤”を経て、どんな“救い(カタルシス)”を得るのか、などの肉付けを重ねていき、“誰にも言えない性的な悩みを抱えたオジサンたち”が、“互いの恥部を見せ合い、認め合う”ことで、“コンプレックスを緩和していく”という、シンプルかつエロに寄せやすいテーマが決まりました。


それから同じように過去生産した諸々の中から、自分にとってお決まりとなっている濡れ場のシチュエーションをあぶり出し、“相手の快楽を引き出すため、片方が一方的に手を施して絶頂を見守る”という状況と、“互いのイニシアチブは偏らせず、プロレスのように攻守交代させていく”という原則を決め、どんな濡れ場をどのように作っていくかを、より具体的にリストアップしていきました。


以上のことを包括させられるような状況設定はないかと頭をひねった結果、“泌尿器科医による触診”という具合の良いお膳立てにたどり着きました。そしてその環境にテーマと描きたい濡れ場を順序立てて組み込んでいき、最終的には、“相談しにくい性の悩みを抱えたオジサンふたりが、男の性に関するスペシャリストのような泌尿器科医に仲立ちをしてもらい、赤裸々に恥部を見せ合い、濃密なスキンシップを通して互いを認め合うことで、絆をさらに深めながら、コンプレックスを緩和していく”という、濡れ場も多数挟めそうなバランスの良いコンセプトが決定しました。



キャラクターについて

今作にはタイトル通り“働くパパ”が3人登場しますが、コンセプトがブレないよう、彼らの性質や立ち位置はあからさまに差別化しました。特に作中で“特別検診”を受診する側のふたりは、悩みの深刻度や恥じらいのベクトル、そして生殖器のサイズに大きく差を持たせ、ふたりの視点が違うことを活かして、物語の運びが単調にならないよう心掛けました。また、本作は前述した通り作りやすさが最優先だったので、感情表現を摩擦の少ない単純かつ後味の良いものにするため、複雑な悪感情は極力描かず、登場キャラの属性を“光”側に寄せ、基本的には3人とも“善人”として描きました。妻子がありながら同性愛的なスキンシップを交わす男たちのことを、善人と呼んでいいのかという自問もなくはなかったのですが、本作におけるスキンシップやそれによって生じる快楽を同じ肉体構造をした者同士にしか成し得ない“赦し”として表現したかったので、キャラクターたちが罪悪感を抱く描写はあえて入れませんでした。


余談になりますが、熟年男性をモチーフにした創作物において、“男が好き”ではなく“あなたが好き”といったBL的な関係性を描こうとすると、どうしてもこの手の婚姻関係にまつわる貞操観念問題が付きまといます。ですので、背徳的な効果を意図していない場合は、妻側の意思によるセックスレスだったり、バツイチや死別設定にしたり、最低でも妻や子どもたちの“姿”を描かないことで、可能な限り罪悪感を軽減するようにはしています。ただ、私は問いかけではなく何かしらの主張をするために創作活動をしているので、価値観の違いによってユーザーに忌避されることは、常に覚悟しています。それに、こういったバランス感覚は意図しない部分からもにじみ出てしまうものなので、自分の体感と思想にうそをつくようなアウトプットはしないよう心掛けています。なので、性的欲求をひとりの人間に向け続けることが正解とされる契約への不信感や、その契約に依存して相互努力やパートナーへの探究心を失ってしまうことの寂しさ、社会に傷つけられた男はより優秀な同性による慰めを欲しているという確信といった、私自身の経験から得た価値観は、むしろ露骨に表現するようにもしています。逆に背徳的な快楽を描く場合には、子作りの経験があるという事実や、既婚者としての社会性を容赦なく辱め、その属性を最大限活用するようにしています。


各キャラクターの解説

ここからは本作に登場するメインキャラクター3人についての解説をしていきます。


イトシキオサム 56歳

・人となりについて

彼には普段私が人間関係の中で“善良さ”であったり“健康的”だと感じている気質を、思いつく限り詰め込み、極端に“光属性”を付与したキャラクターに仕立て上げました。誰に対しても礼儀正しく、物腰が柔らかく、使う語彙も優しい。表情と感情のリンクが明確で、とても良い笑顔で頻繁に笑う。恩を忘れず、お世話になった人には礼を尽くし、自身の社会的地位を振りかざさない。感謝を惜しまず、謝罪にためらいがなく、打算を省いた自己主張もできる。目上の人に甘えるのも上手で、好奇心の旺盛さは隠せず、自身に対する探究心も強い。言葉の言い回しやギャグセンスは年相応に古いが、愛嬌があるので嫌がられない。そうしてわざとらしいほどに“健全”な人物像を描くことで、彼の並外れた精力の強さが“不健全”に感じられるよう、ギャップを持たせました。そしてまたオサム自身も下半身に宿った自らの“才能”を恥ずべきモノだと思い込み、それを日々“重荷”のように感じている、という悩みを持たせました。彼の子供がふたりとも娘なのは、家庭内での自慰行為に制限があることと、女3男1の家族構成でも孤立せず、円満な家庭環境を維持する彼の人柄の良さを示しています。

・デザインについて

角の丸い立方体のようなどっしりと横幅のある輪郭に、四角い太眉と白目勝ちな目をした少々間の抜けた顔つきのデザインにしました。角の丸い長方形の黒縁眼鏡を掛けさせ、真面目さもアピールしています。また、分け目を作りつつも全体的にぼさぼさしている野暮ったい髪型と、まばらに混じった白髪から、しゃれっ気の無さを強調しました。本編には出さなかった設定ですが、彼が立派な口ひげをたくわえているのは、専務という立場上、ウズタカを見習って少しでも貫禄を出そうとしているからです。皮膚はたるみ、胸は下がってお腹もぽっこりと出た年相応の体つきをしていますが、脚は多少筋肉質にして、足腰の強さと下半身の若さを表しました。精力の強さを印象付けるために、体毛も下半身に偏らせています。チンポは長さよりも太さを意識し、全体的な“質量”の大きさを強調しました。本作では彼の金玉にだけ陰毛を茂らせましたが、これは彼の体が、金玉を“守るべき大切なモノ”として認識しているということを表現するためです。

・性的な資質について

男をモチーフにしたポルノを制作する以上、特別な意図がない限りは、どのキャラにも平均を上回る立派なモノを授けるようにしていますが、その中でも群を抜いて“性能の高い”生殖器を持った男根の化身のようなキャラのことを、“天からの賜りモノ”やユーザーへの“供物”として扱うよう心掛けており、オサムの場合も本人の意思とは無関係に“授かってしまった”という印象を強めました。彼は温和な人柄の裏に、本人もうろたえるほどの強大な精力を秘めていますが、精神や思考態度がスケベというよりは、その神がかり的な“精力”の強さに、“性欲”の方も付き合わざるを得ないという不条理な状態に陥っています。なので、あくまでも強すぎる精力によって頻繁な射精を強いられ、その早い“周期”に適応して楽になるために本人の性欲も高まっていった、というエネルギーの流れを意識して彼の下半身事情を表現しました。このように彼は、精力と性欲を切り離して考察する面白さに気付くきっかけとなった、大変思い入れの強いキャラクターでもあります。


ちなみにこの、自身の強靭な精力に性欲が翻弄されてしまうキャラというのは、私が理想とするいやらしさをかなり的確に表現しやすいため、以降の作品にも多数登場し、手堅いパターンのひとつとして頻繁に活用しています。実のところ、オサムのキャラクターを様々なバリエーションに置き換えたのが、ごぶさたダディシリーズの叩き台だったりもします。これも余談になりますが、自覚している性的な嗜好というものはそう簡単には変化しないし、むしろそこに執着し、自身の好みを探求してブラッシュアップし続けていくことこそが、地力を高めるためのもっとも効率的な手段なのではないかと私は感じています。ですので、産み出すキャラクターの根幹が多かれ少なかれ似てしまうことには、なるべくマイナス感情は抱かないよう心掛けています。



アラシナウズタカ 57歳

・人となりについて

ウズタカにはオサムよりもさらに厄介な“悩み”を付与しつつ、人物像を練り始めました。彼は自身の息子よりもムスコが小さいという手厳しい悩みを抱えており、その所為で社会的な成功を収めても、根っこの部分で自分自身を認めきれていません。なので彼は無意識に“自分は人よりも努力や許容をしなくてはならない”と感じており、皮肉なことに、だからこそ仕事で成功し、自身を頼ってくれる後輩にも恵まれます。彼の言動には、形式的な“男っぽさ”がにじむよう意識しました。オサムに対しては頼りがいを見せようと先輩風を吹かしてみたり、ムトウ先生に対しては必要以上に謝罪を繰り返して恥じ入ってしまったり。彼は常に相手が望むものを与えようと気を張り、自身が与えられることには申し訳なさを感じてしまっています。その健気さが彼の魅力になり、同時にオサムやムトウ先生、そしてユーザーをも惹き付ける“不憫さ”として機能するよう心掛けました。本作を制作する中で、ウズタカのような男らしさに縛られたオジサンが、その呪いから解放されたり、ため込んだ痛みを素直に吐露できる機会を得る瞬間にこそ、質の高いエロスが発生するのだということを強く実感できたため、その認識は今でも非常に重宝しています。

・デザインについて

虹彩の明るい切れ長な目、眼窩に沿った長い眉、筋の通った形の良い鼻を持つ、いわゆる色男のデザインを目指しました。顔の情報量が多いので、眼鏡はレンズ部分にフレームのない物を着用。きちんと気を配られた髪と髭によって、清潔感としゃれっ気を強調しました。オサム同様鎖骨周りに年齢が現れ、胸も垂れてはいますが、全体的にむちむちとした、どことなく肉感的で中性的な体つきを意識しました。そうして顔と体をあえてアンバランスにすることで、見てはいけないものを見てしまったという印象を強めました。オチンチンは修正処理で形が潰れないよう、文章での表現よりも多少大きめに描きました。

・性的な資質について

オチンチンの小ささに悩んでいるという主軸の設定は予め決まってはいましたが、それ以外にも何か個性的な性質を設けようと、性についての色々な資料を漁るうちに、“遺精”という興味深い現象のことを知りました。遺精とは、端的にいうと覚醒時に起きる夢精のようなもので、青年期の遺精は夢精と同じく生理現象であり、珍しいことではないらしいのですが、成人の場合、精子と精液の生産量が平均より著しく多い人が、精神的な緊張やストレスによって突然無意識に射精してしまうことがあるんだそうです。その遺精には個人差があり、無意識ながらも勃起をしてから射精する人や、勃起せずにいきなり射精をしてしまう人など、多種多様なケースがあり、当然ながら、長期間抜いていない状態の方が、遺精は起こりやすいとのことでした。なにより、年を取ってからの遺精は心の危険信号である場合が多いらしく、そのマイナスイメージこそ、ウズタカの“悩み”に結びつけやすいと感じました。その遺精という実在する現象と、フィクションの要素も多分に織り交ぜながら、彼が直面している性的な“嘆き”を細かく詰めていき、最終的に、自身のオチンチンが小さいという事実を思い知るような状況に陥ったとき、その“羞恥心”が引き金となって性的な絶頂に達してしまうという、より深く彼を辱めることを目的とした設定が出来上がりました。そうして羞恥心によりオーガズムを得る特性は、彼がマゾヒストとしてのポテンシャルを秘めていることも示唆しています。


※遺精についてはいくつかの文献から得た情報をざっくり並べただけなので、

 私の認識がズレているところもあるかもしれません。ご容赦ください。


再び余談となりますが、この羞恥心をトリガーにした“認識による絶頂”の描写は、私の中でかなりツボに入り、本作以降の作品でも頻繁に使用しています。恥ずかしい本性を言い逃れできない状況下で暴かれるみっともなさを、ある種の解放、さらには安堵や救済として描く手法は、弱音を口にできない“男らしさの呪い”に囚われた熟年男性たちとは非常に相性が良く、また、この手の脳や心に負荷がかかることを起点とした射精描写は、そのキャラの知性の豊かさや感受性の強さも際立つので、非常に汎用性が高いです。



ムトウフクロウ 59歳

・人となりについて

ムトウ先生は最初、泌尿器科医という設定以外はぼんやりとしており、いっそ個性をあまり持たせず、感情表現もできるだけ省いて、ユーザーがオサムとウズタカへのスキンシップを主観的に味わうための“憑依先”となるような薄味のキャラクターにしようかと考えていました。しかし制作が進むにつれ、対峙した相手を深く辱めるような濃厚なスキンシップは、主観となるキャラにも“自我”がないと成り立たないということを強く痛感しました。また、濡れ場の主導権を握るキャラの言動は、作り手の思念を露骨に投影させた方が、執着の強いみだらな演出ができることも実感しました。そうしてムトウ先生の人格は制作が進行すればするほど濃くなっていき、結果、紳士的なようでいて実はかなり手が早く、情にもろいため公私混同しやすく、3人の中でもっとも“はっちゃけた”ドスケベオジサンに仕上がりました。最近ではもうこのような場当たり的なキャラ構築はしなくなりましたが、物語全体の制作とムトウ先生の肉付けを並行していく過程で、自分に適した制作方式をなんとなく掴むことができたし、多少露悪的な表現をしないと味のあるスケベキャラは作れないことも理解しました。何より、彼を産み出す作業はとても楽しかったことを覚えています。楽しすぎて、突発的に彼をメインにしたおまけを3本も作ってしまいましたしね……。彼を描く上で特に意識したのは、“否定はせず、同調するよう努める”ということです。オサムもウズタカも、検診を受ける前は自身の性事情に否定的な感情を抱いています。そんな男たちを相手に、ムトウ先生はとにかくまず肯定してから話を進め、自身も同じようなスケベな気持ちや情けなさを抱えていることを明らかにしながら、できる限り“あなただけではない”という事実を伝えて受診者を励まします。この手放しの肯定描写によって、男たちが彼に心を開くことへの説得力を持たせました。彼が3人の中で1番子沢山なのは、人間愛が深いことの証明であり、愛する妻との子作りセックスの気持ちよさをより多く味わいたかったという、快楽と幸福感への強い執着の表れでもあります。

・デザインについて

丸くて少し下膨れた輪郭に、もっさりふわふわな髪と髭を生やし、相手の緊張をほどくような柔らかさのあるデザインにしました。それから瞳の虹彩はウズタカよりも明るい色にして、常に腹のうちを見透かされているような、底が知れない印象も持たせました。短編とおまけでしか脱ぎませんが、肌ツヤはよく若々しい肉付きをしています。乳首と性器の色は3人の中でもっとも暗い色にして、使用頻度の高さを強調しました。彼のチンポが皮を被っているは、“外面”ではなく“内面”にこだわる彼の品格を表しています。白衣の下に着ているシャツとネクタイを、過剰に派手な色合いにしたのは、彼がポルノの世界観に駆り出された“フィクションの泌尿器科医”であることの象徴です。

・性的な資質について

彼は思春期のころから自身のチンポに異常なほど興味を持っており、股間から生えた“不可解”なそれを少しでも掌握したいという気持ちから医学の道を志し、人間の性に対する真っ直ぐな探究心と強い執着によって泌尿器科医になりました。なので彼は、規格外の精力を秘めた人や珍しい性事情を抱えた人を見ると、ついつい好奇心が先行し、医者の領分を超えて深入りしてしまいます。ムトウ先生本人も若い頃から自身の精力旺盛さに悩んできたこともあり、もんもんとした悩みをひとりで抱える“同志”たちをどうしても放ってはおけず、半分は医者としての使命感から、もう半分は人間としての情と好意から、受診者たちと親身に向き合い、同性相手にもためらいなくスキンシップを施します。また、彼自身も“精液の保有量が多すぎて射精後もしばらく精液を漏らし続ける”という少々困った体質にあり、だからこそ生殖器官に問題を抱えた同志たちのことを救いたいと本心から願っています。基本的には丁寧な言葉遣いで話しますが、検診中は男同士のやり取りになるため、場合によっては医者らしからぬ俗語を口走ったりもします。彼のことは“ヘテロセクシュアル寄りのバイセクシュアルであることを自覚した男”として描き、オサムやウズタカに対する同性愛的な劣情にも素直に付き従う姿を強調しました。彼は自らの素直な性的欲求をあけすけに表すことが、どれだけ“同族”への励みや救いとなるのかを、身をもって理解しているのです。



★本作の立ち絵をまとめた投稿はこちら↓

fanbox post: creator/466045/post/80141




本作の構成について

まずはオサム編 → ウズタカ編 → ムトウ先生編と、それぞれのキャラを“メインディッシュ”にした個別シーンを展開し、登場人物の人となりや濡れ場の傾向などを程よく提示することで、今後の展開に対する期待と少量のフラストレーションを抱かせました。そしてダブル検診編では、3人を愛らしく絡めた濃密な濡れ場を一気に畳み掛け、より露骨でみだらな彼らの魅力を“思い知らせる”ような構成で物語を展開させました。


実はこの4編で1作という構成には、公開方法に関わる都合も多く含まれています。本作は初めてのビジュアルノベル作品だったので、技術面での不安が多々ありました。なので、まずは手頃なミニマルボリュームの作品を3本作り、それらを先行して無料公開することで、ユーザー環境での動作確認をしてもらい、できる限り完結編購入後のトラブルが起きないよう、慎重な公開方法を選びました。また、内容を分割して少目標を設けることは、初体験だらけの制作において、息切れやストレスを防ぐことにもつながりました。



個別シーンの解説

ここからは各キャラの個別シーンについて解説をしていきます。


イトシキオサム編

“つかみ”となるオサム編では、とにかくまずオサムの圧倒的な精力の強さを印象付けることを最重要課題にしました。ムトウ先生が触れる前から問診(アンケート)だけで完全に勃起し、金玉が濡れるほどだらだらと我慢汁を漏らし、初めての前立腺マッサージにも即座に快感を見い出し、アナルに指を挿れられたまま大量射精を3発連続で成し遂げ、最後の“おまけ”も延々と出し続けるといった、オサムの“容量の多さ”と彼の下半身で起きる現象の“ダイナミックさ”をしつこいほど描写しました。それだけでなく、事あるごとにムトウ先生がオサムのチンポのサイズを褒めちぎり、出す量や出したモノの濃度をいちいち指摘するやり取りを繰り返すことで、ユーザーの頭に“イトシキオサムのチンポは最強”という認識を植え付けることに専念しました。


また、ビジュアルノベルの“ユーザーが能動的に読み進めていく”という仕様を活用するため、オサムのチンポが姿を現し、勃起し、射精するまでの間にかなりの工程数を挟んでユーザーを焦らし、もどかしさを煽るような作りにしました。最初彼のチンポは謎の布で覆われており、次にそこから亀頭だけが顔を出し、その状態のままアンケートに答え、その問診の途中で半勃ちになり、そこからまた少し質問に答えてから完全に勃起して我慢汁を漏らし、そのあと一旦オサムが手で隠してしまい……、といったように、とにかく焦らしに焦らして、ゆっくり段階を踏んだ展開を心掛けました。これはムトウ先生が受診者に気を遣って徐々に緊張をほぐしているという描写でもありますが、先生の受け答えがひょうひょうとしているため、逆にねちっこい攻め方をして楽しんでいるようにしか見えず、結果的に先生にムッツリスケベ疑惑も生じ、情報量の豊富なシーンとなりました。


このオサム編は、検診シーンがムトウ先生主観、風呂場でのオナニーシーンはオサム主観で描かれています。ちなみに、“おっさんぽさ”を少しでも演出するために、オサムには自身のチンポのことを“ちんぽこ”や“ムスコ”と呼ばせています。


このシーンの中で個人的に気に入っている点は、アナルに指を挿入したまま娘の性教育について語り合うところ、ムトウ先生の「亀頭は裏と表どちらが感じやすいですか?」という問いかけに対しオサムが「裏筋が“好き”です!」と答えてしまうところ、風呂場のシーンにおけるオサムのはしたない姿勢と豪快な失禁描写、などです。当時から“質疑応答を通して赤裸々な性事情を本人の口から具体的に語らせる”というやり口が好きなところはまったく変わっていませんね……。



ちなみにオサムが射精しきった後に漏らす“おまけ”についてですが、このいわゆる“小スカ”描写を作中に入れるかどうかは結構悩みました。“射精”はポルノに必須な描写といえますが、“失禁”となるとそれなりに人を選びますので……。ただ、オサムはわりとすんなり射精してしまうため、最後に「ダメー!」と抵抗しながら漏らす描写が欲しかったし、なにより彼には誰かの前で“すべてを出し切る”という体験が必要だったため、盛大に失禁させることと相成りました。ダブル検診編にはふたり揃って放尿するシーンまであるので、正直、本作でふるいにかけるくらいの気持ちで思い切りました。なので、ある意味本作から小スカ描写が解禁したともいえます。ただ、“大”の方は性的興奮へと結びつける素養が私には備わっていないため、今後も描写しない(少なくとも視覚的な描写は絶対にないと思います)ので、苦手な方はご安心を、お好きな方はすみません……。



★イトシキオサム編で使用した画像素材をまとめた投稿はこちら↓

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アラシナウズタカ編

(アラシナウズタカ氏の小さすぎる大きな問題)


このウズタカ編では副題の通り、本作全体を通した“小さすぎる”という“大きな問題”を提起することに注力しました。そのあまりにも小さなオチンチンがウズタカにとってどれだけ大きな存在となっているのかを、彼のうんざりするような態度と、それでいてじっくりと楽しむような電マオナニーの描写によって強調しました。また、ユーザーの視線をその小さな恥部に集中させるため、ウズタカ本人にも肌色の範囲を股間だけに絞るような破廉恥な格好をさせました。ちなみに、オジサンにサイハイソックスを履かせる描写は、正直完全に私の趣味によるものなのですが、一応これにも言い訳じみたふたつの持論があったりします。ひとつは、外から見えない部分に“女性的”なファッションを用いることで、体裁としては“社会的な男らしさ”を誇示しつつも、内心では男であることを重荷に感じているという二律背反的な心理状態を表現できる点。そしてもうひとつは、体を締め付けるような多少窮屈な衣料を身に着けることで、自身を戒めたいというマゾヒスティックな欲求を表現できる点です。以上が、熟年男性のサイハイソックス着用に異常なほど興奮を覚える者からの主張となります……。話を戻しますが、このシーンではウズタカの特殊な性事情を、“不可能”というネガティブな方向に偏らせて表現する手法も盛り込みました。握ってしごくといった普遍的な自慰行為が“できない”、生殖器が小さすぎて体内受精は“難しい”、息子と一緒に風呂に“入れない”、遺精による放精を“止められない”、秘密を親友に“打ち明けられない”、といった具合に、社会的には人がうらやむような成功を収めている彼の“できない”ことを並べ立てることで、オチンチンが小さいことだけを理由にそんなにも苦しんでいるという、一見滑稽にも見えるギャップを強調しました。


そしてシーン後半では、ムトウ先生が用いた“内情を露骨に打ち明けることで相手の警戒を解く”というメソッドをオサム自身が用いることで、ウズタカの警戒心をほぐしていきます。このやり取りによって、オサムのウズタカに対する信頼や甘え、そして何よりも大切な先輩のことをより深く知り、力になりたいという慕情にも近い気持ちを表現しました。そんなオサムの一方的とも言える告白により、最終的にはウズタカも自身の秘密を打ち明けるに至り、同時に性的な絶頂にも至ります。このように秘密を知られてしまう瞬間とオーガズムのタイミングを合わせることにより、ウズタカの腹のうちに“恥部を見られたい”というはしたない欲求が存在していることをにおわせました。前述したように彼にはマゾヒスティックな一面があり、相手から強引に踏み込んできてほしいという望みや、逃げ場がなくなるまで辱められたいという切ない欲求を無自覚に抱えているのです。


このウズタカ編では、地の文を第三者視点で表現し、彼の内心描写は本作の終盤まで温存しておくことにしました。


このシーンの中で個人的に気に入っている点は、竿を“デバイス”に金玉を“ハードウェア”に置き換えた表現、オサムが語りだすと同時に平然と電マのスイッチを入れるウズタカのはしたなさ、オサムの無神経な“馬並み”発言と即座にそれを恥じて飲み込むところ、などです。謝罪および感謝を述べながらオナニーする描写への執着も、すでにこのときから始まっていますね……。



★アラシナウズタカ編で使用した画像素材をまとめた投稿はこちら↓

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ムトウ先生のホームワーク編

このムトウ先生編では、オサム編を作る過程でつかめてきた先生の人となりやスケベさを、より具体的に肉付けしていくことに専念しました。冒頭の導入部分で彼の生活環境や食習慣、単身赴任中である事実や家族の情報などを端的に語り、きらびやかではないものの気楽で落ち着いた私生活を表現しました。そうして簡潔な描写で日常風景を描いたあとは、ひたすらその旺盛な性生活や性にまつわる彼の思想についてをねちっこい描写で書き連ねました。このシーンを通して先生自身もかなり“乱れる”タイプであるという事実もはっきりと明かされます。例の特別検診に対する彼の思い入れや、自身の欲望と向き合う姿勢などについても掘り下げ、次のダブル検診編への期待感を高めるような内容にまとめました。ここで語られるムトウ先生の主張は、その大部分がポルノ創作や性的な事象と向き合う上で私自身が抱いている価値観や心情と深くつながっています。


このシーンの主観はムトウ先生本人にあり、ほぼ独白の体で話が進んでいきます。還暦前の彼が思春期における自身の感情や行動をしっかりと記憶しているのは、それだけ性的な事柄への執着心が強いことを表しています。そして彼は自身の過去や“趣味”について語る際、できる限り事細かに表現し、あえてみだらに聞こえるような言い回しを選んでいます。このいやらしい語り表現には、ユーザーの性的興奮をあおるというポルノ作品としてのメタ的な意図が大いに含まれていますが、それとは別に、“他人の性的興奮をあおりたい”というムトウ先生の秘めた欲求が透けているという意味合いも含んでいます。


このシーンの中で個人的に気に入っている点は、ムトウ先生が思い返すようにしみじみと語る妻とのいとなみのくだり、“自分の体をペニスに乗っ取られるみたいな”という言い回し、絶頂時に脳内の語りが停止する演出、“照れ”と“恥”を差別化する表現、などです。近年の作品で多用している、“自身の自慰行為をみだらに実況(プレゼンテーション)する”という描写は、このシーンの制作を起点としてブラッシュアップを続けてきました。


このムトウ先生編からは「LiveMaker」という超絶有能ツールを使った制作に挑戦しました。「LiveMaker」はアニメーションを組み込む際の使い勝手が良く、本作のアニメーション表現にやたらと気合が入っているのも、自分の作るものに動的な表現を組み込むことが可能となり、嬉しさのあまり予定にない量のアニメーション作りに没頭してしまったからです。ムトウ先生がオナホを使用して自慰行為に励むこのシーンでも数種類のアニメーションを作りましたが、どれもかなり丁寧に作り込んだヌルヌルアニメーションになっており、自分でも先生の大きな金玉をつい目で追ってしまいます。「LiveMaker」は非常に使いやすく、前述した通りアニメーションにも強いので、個人的には大好きなツールなのですが、残念ながら現在では開発・サポートともに終了しており、当面しばらくの間はOSやPC環境の変化と共に様子見といった感じです。「NXWine」などを使えばmacOSでも十分動くし、便利なツールなんですけどね……。



★ムトウ先生のホームワーク編で使用した画像素材をまとめた投稿はこちら↓

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ダブル検診編

本作の完結編となるダブル検診編では、3人の働くパパたちが前半の個別シーンで露呈させたそれぞれの下心をフルスロットルで絡め合いながら、濃厚であからさまな濡れ場を次から次へと畳み掛け、見ているこちらが恥ずかしくなるようなやり取りによって、そのサイズも個性も違うチンポをひっきりなしに勃起させては、何度も何度も幸せそうに濃厚なザーメンを漏らしまくります。


ここからはダブル検診編に収めた数々の濡れ場について、順を追って解説していきます。


・冒頭、車内での告白&暴発シーン

ウズタカ編にて予兆を示していた展開を冒頭からあからさまに見せつけ、完結編を勢いづける重要なシーンです。ここではふたりのやり取りから付き合いの長さがにじむよう意識して会話のテンポや言葉遣いを練りました。また、ムトウ先生の受け売りを口にしたり、ウズタカを励ますような態度を取ったりと、オサムにはこのシーンの時点で“ウズタカに頼られたい”という本望を少しずつアピールさせています。一方ウズタカは極力普段通りに振る舞おうとしますが、無理に照れくささを乗り越えようと焦り、自ら件の話題に踏み込んで、自身の小さなオチンチンを見てほしいとオサムに持ちかけてしまいます。



車内でのやり取りはオサム主観で進行しますが、その内心を知れば知るほど、彼のウズタカに対する親愛の情に多少“行き過ぎ”な印象を受けるよう仕向けました。オサムは同性であるウズタカの恥部を見せられることに抵抗を感じないどころか、胸中では漠然と喜んですらいます。ウズタカの極端な行動は焦りや不安といったネガティブな感情によるものですが、それに対するオサムの対応には好意や興味から生じたポジティブな感情が含まれています。それゆえに彼のチンポもウズタカのオチンチンを見て半勃ちになるばかりか、尊敬する先輩が恥ずかしそうにザーメンを垂れ流す姿を目の当たりにしたことで、言い逃れできないほど完全な勃起に至ってしまいます。なおかつ、状況や羞恥心から遺精に至っているウズタカに対し、彼への関心と好意からただでさえデカいチンポをさらにバカデカくしてしまっているオサムの方が、より“深み”にハマっているのではないかという懐疑的な印象も強調しました。そうしてオサムのおかしな反応を確認したことにより起きたウズタカの2度目の遺精も、1度目とはだいぶ意味合いが違ってしまっています。こうして互いの分身を勃起させることに成功したふたりの間に、どこか危うげな感応が生まれたところで、物語はいよいよ検診シーンへと移っていきます。


このシーンの中で個人的に気に入っている点は、ウズタカが恐縮しながら小さなオチンチンをパンツから引っ張り出すところ、ウズタカが普段どおりのテンションで「ティッシュ取って」と頼むところ、ズボンの中に収まらないオサムの巨根を見たウズタカが慌てて

オチンチンを引っ張り出して即射精するところ、などです。



・ウズタカ個人検診シーン サイズ測定から問診まで

サイズ測定シーンでは、不意の暴発(遺精)によって必要以上に自責の念にかられるウズタカの痛々しさと、そんな彼の力になろうと次第に惹き込まれていくムトウ先生の情の深さを穏やかに描きました。ウズタカの怯えるような姿に胸を痛めた先生は、“恥の等価交換”を提示してウズタカの心をほぐしていきます。本編中、ウズタカの少し困ったようなはにかみ顔を見るたびにオサムや先生は心をつかまれてしまいますが、ダブル検診編ではこういったウズタカの“魔性”的な素質を常に強調していきました。物語の大筋としても彼が救われることがハッピーエンドの条件なので、オサムと先生がウズタカを口説き落としていくイメージで3人のやり取りを組み立てていきました。そうして先生は検診再開の時点で早くもオサムの気持ちを理解し、ウズタカに対して並々ならぬ関心と下心を抱いています。情にもろいオジサンのかわいげを追求することも本作の課題でしたので、こういった先生の“チョロさ”も弱さではなく健康的な強さとして描けるよう気を遣いました。


問診シーンでは、緊張のほぐれたウズタカがムトウ先生のペースに飲まれていく様をコミカルに描き、テンポよくふたりの距離感を縮めていきました。ここでのやり取りで意識したのは、“先生に事実を歪めたフォローをさせない”ということでした。何を言ってもウズタカのオチンチンが小さいという事実は変わらないし、彼にとって最大の慰めは“小さいという事実を含めた上で好意を向けられること”だと考えていたので、先生には「小さくなんてない」というフォローではなく、「小さい方が好きな人もいる」といったフォローをさせるよう心掛けました。そうしてふたりは照れくさい質疑応答を重ねるうちにだんだんと心を通わせていき、問診が終わる頃にはウズタカのオチンチンは先生に触れられても遺精を起こさなくなります。この一連の問答の中で先生が発揮する“手際の良さ”の表現には、非常に苦労したことを覚えています。軽すぎても説得力が出ないし、かといってあまりグズグズ時間をかけるのもよろしくなかったので、ふたりが軽快に打ち解けていくやり取りを考えるのにかなり頭をひねりました。おそらくこのシーンが本作における一番の難所だったと思います。ここでウズタカが心の準備を整えられれば、以降は“抜き”を重視した刺激的な濡れ場を重ねるだけだったので、この問診シーンはできる限り品質を高められるよう踏ん張りました。そのかいあってか、アニメーションも含め、とても良いシーンが出来上がったと自負しています。


このシーンの中で個人的に気に入っている点は、自身のナニを「かわいい」と評され「かわいくない」と反論したウズタカに対し先生が「確かに使い込んでる色してますしね」と少しからかうような返しをするやり取り、ウズタカのオチンチンをいじる一連のアニメーション、寸止めされたときのウズタカの反応、などです。


ちなみにこれらのシーンを含め、院内での出来事はすべてムトウ先生の主観を通して描いていますが、この視点の位置については先生主観にするかオサム主観にするかで結構悩みました。ウズタカには終盤まで内心を語らせないという制約を設けていたので除外するにしても、先生がウズタカを“攻める”描写と自身が“受ける”描写を交互に描けるオサム主観は、表現の幅も広くなりそうで魅力的ではありました。ただ、オサム主観を選択した場合、ダブル検診シーンのみ視点が切り替わることとなり、ユーザーのテンションをリセットしてしまうという懸念もありましたし、ふたりの男をまとめて手玉に取ってこその“ロマン”だろうと思い、院内シーンはすべて先生の主観でいくことを決めました。


・より感覚的で過剰な濡れ場表現へ……。

ウズタカのオチンチンにも触れられるようになり、彼自身も素直に快楽を追求できる精神状態となったため、これでやっと3人仲良くはっちゃけるためのお膳立てがひと通り整いました。従ってこの先はより一層みだらな表現に焦点を絞り、“抜きどころ(性的絶頂の誘導)”を意識した濃密な濡れ場を畳み掛ける展開となっていきます。


・スチル「恥部を愛でられ」のシーン

久々に他人の手でオチンチンをいじってもらえたウズタカの悦びを表すため、これまで及び腰だった彼を急速に陥落させて、ムトウ先生への半ばこびるような甘え描写を増やしていきました。それに伴い、先生が医者としての冷静さを欠きながら劣情に飲み込まれていく様子も、彼の独白や言動の甘ったるさによって表現しました。このシーンの終盤では、先生がウズタカの生殖器を舐め回しますが、ここではこの行為が紛うことなき“クンニ”であることをアニメーションも交えてはっきりと強調しています。このような表現を選んだ理由は、単純にクリチン(クリトリスみたいに小さいオチンチン)やメリチン(短小すぎて金玉にめり込んだオチンチン)にはクンニしてなんぼでしょ!といった好みによる判断と、物語終盤に発生するオサムによる“フェラ”との差別化をしておきたかったからです。


このシーンでは先生の手によってウズタカが絶頂に導かれるという明確な“立場”の差があるにも関わらず、途中、ふたりの間では何度もイニシアチブの揺らぎが起こります。辱められる役目もたびたび入れ替わり、いつしか行為的な優位性と精神的な優位性がちぐはぐになっていき、最終的には恥部を舐め回すことでウズタカを何度も絶頂に導いた先生の方が自身を恥じ入る結果となります。このシーンでのムトウ先生は、最初医者として受診者に接していますが、快楽に溺れたウズタカが受診者という立場も一企業の社長という体裁も放棄して、ひとりのオチンチンを勃起させた男として先生に“おねだり”をしたことにより、先生は自身の“医者”という立場や“快感を与えている”という優位性を保ちきれなくなって、目の前の肉の突起にむしゃぶりついてしまいます。男同士のスキンシップをより生々しく表現する上で、こういった意図的または偶発的な優位性の混濁描写にはかなり信頼を置いています。これは私自身の経験から得た見解なのですが、立場や優位性に囚われるといった習性はとても“男性的”であり、そういった男性的な精神の持ち主は、立場や優位性への執着を放棄した存在を相手にすると、自身の立場や優位性に不安を覚え、混乱を来す人が多いように思います。これは男性的な優劣の尺度が画一化された“報酬”を目指す形で測られることに起因しているのかもしれませんが、そういった“恥を恥とも感じていない相手の前では恥という感覚を定義することができない”といった現象により、そこに存在するキャラクターたちよりも快楽という“概念”そのものが優位性を持ってしまうきまりの悪さは、男同士の快楽描写ならではの表現だと常々思っています。


これも余談なのですが、男が別の男を射精に導くシーンを描く際には、同仕様の生殖器官や性的絶頂体験を共有する同性同士ならではの相互的な感情の飽和表現を意識するようにしています。成人した大人の男であれば、誰もが射精という現象の価値を体感的に理解しており、50代の男であればなおさらその反復回数に比例した分だけ射精の価値を“熟知”しているはずです。そんな射精マスターとも呼べるオジサンたちにとって、自分以外の男に自身の射精を“委ねる”という状況は、非常にきまりが悪く、また、もどかしいことでもあると想像できます。なので逆に、同性の手によって質の高い射精に至るという体験には、導いた方にも導かれた方にも、性的指向を度外視した不思議な達成感と感応が生じるのではないか、という願望込みの解釈が私の中にはあり、思春期におけるノンケ同士の通過儀礼的な相互オナニーにも、この達成感の共有という目的があるのではないかとも考えています。なので男による男の射精ほう助描写を描く際は、これらの見解を主張として綿密に組み込むよう心掛けています。


このシーンの中で個人的に気に入っている点は、これまで余裕をぶっこいていた先生がウズタカから「チンポを見せてほしい」と言われてうろたえるところ、ウズタカが「もっと!」とおねだりするところ、クンニ描写のヌルヌルアニメーション、などです。



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・スチル「教習」のシーン

アナルを開発したくてたまらないオサムが“教習”を受けるシーンですが、ここでは彼の人懐っこさと規格外に高い性的なポテンシャルを強調するため、調子よくムトウ先生に“おねだり”しながら今まで以上に“はしたなく”快楽に陶酔し、何度も声を上げて幸せそうにトコロテンする様を豪快に描きました。次のダブル検診シーンへの期待値を高めるためにも、オサムにはウズタカがあきれるほど目いっぱい“恥”をかいてもらう必要があったので、尻を持ち上げて自ら先生の指を深くまでくわえ込んだり、自身の体内で起きていることを“実況”させることで、前立腺からこみ上げてくる悦びをより大げさにアピールするよう心掛けました。同時に、先生が口にした“知識や情報として知ること”と“体感を通して経験すること”の温度差を明確に表現したかったので、目撃者であるウズタカの“体感”に説得力を持たせるため、できる限り臨場感のある描写を盛り込みました。それと、オサムの本望がプロフェッショナルである先生の手と厚意によって成就する様相を描くことで、ウズタカに対し、そしてユーザーに対しても、“自分も他人も傷つけないのであれば、性的な快楽の追求は好ましいことである”という私の個人的な主張もにじませました。


また、教習前の立ち絵シーンでは、“呼称”に関する仕掛けを織り交ぜまぜながらオサムとムトウ先生の照れくさい会話を描きました。ひとつ前の濡れ場でも、気の抜けたウズタカがオサムの“あだ名”を口にし、それを聞いたムトウ先生が一瞬戸惑うというやり取りを描きましたが、親しい間柄の中だけで使用しているあだ名を第三者の前で呼び合えるかどうかは、その第三者に対して保ちたい体面の種類によって変わってくるものだと、私は考えています。なので、まずはオサムに対外的な呼称を使わせることで、社長であるウズタカの体面を気遣っているそぶりを描き、その後、先生に関係性を見破られたことをきっかけに、どことなく嬉しそうにあだ名を使うようになる、といったやり取りを入れ込みました。この呼称や自称の変化表現は、社会的通念の中で生きる男たちの心象を浮かび上がらせる手法として非常にコスパが良いと感じているので、今でもよく好んで使っています。


このシーンの中で個人的に気に入っている点は、“トコロテン”について語り合うオジサンふたりのやり取り、オサムの破廉恥な格好を見て即座に逃げ出そうとするウズタカの描写、オサムが出したザーメンがオナホからあふれ出る描写、オサムに「見ないで」と言われた“お漏らし”をガン見するウズタカの顔、などです。



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・ダブル検診シーン

このシーンではムトウ先生の手によって、ウズタカとオサムを徹底的に辱め、ふたりが互いの恥部についてこれでもかというほどに“認識”し合ってしまう状況を作ることに徹しました。ここでの恥部とは一言にいっても、単純にペニスや肛門だったり射精の瞬間といった性的な事柄だけでなく、“好意”や“尊敬の念”だったり、“褒められてうれしい”といった承認欲求などの精神的な要素も多く含みます。そんな恥部を見せたり自身で告白する際の“羞恥心”を濃密に描きたくて、ここでのやり取りは何度も調整を繰り返し、相当な熱量を注ぎ込みました。人間であれば誰しも自身と似た恥を持つ相手に安心感を覚えてしまうものですが、男同士、特に社会から“男性性”を強く求められる(強いられる)立場にある男たちは、より一層その傾向が強いのではないかと、私は常日頃から感じています。なので、恥部の相互認識によって得られる“安堵”を描くことは、男をモチーフにしたポルノにおいてとても効果的な手法だと考えています。本作では悩みの解消という目的や、各キャラを善人らしく描くという制約が存在する以上、オジサン同士のポジティブで可愛らしい“赦し合い”をしっかりと“使える”クオリティに仕上げたかったので、当時の自分が作れる最良のシーンを目指して頑張りました。



この一連のシーンは、本作のテーマである“イニシアチブを偏らせない”という原則をより明確に体現させたシーンでもあります。ムトウ先生からの恥ずかしい質問はウズタカとオサムの両方へランダムに振っていき、その質疑応答のパターンも、回答する方が恥ずかしいやり取りと、相手の回答を聞いている方が恥ずかしいやり取りの両方を織り交ぜ、どちらかが一方的に優位(辱める側)に立つことはなく、ふたりには相乗効果的にどんどん恥の上塗りを重ねてもらい、さらには先生をも平等に辱めることで、最終的にはユーザーの目を通して彼らの関係性ややり取りそのものが辱められるといった、まさにポルノとしての役割を実直に担うような展開を目指しました。片方が質問に答えている最中にもう片方が勃起したり我慢汁を漏らしたりという描写にもこだわり、どのセリフに対しどんな反応を示すのかを事細かに描き出しました。主観である先生が辱められるくだりは、攻守が交代する気恥ずかしさを意識してモノローグを考え、ラストは先生自身の快感を描くことで、これまでのやり取りを体感したかのような余韻を生み出す締めくくりにしました。



ふたりが互いの恥を延々と垂れ流す様を近くで見聞きしているような演出をしたかったので、アニメーション素材をたくさん使用することでテキストでの表現をより具体的に視覚化し、臨場感のある描写を増やしていきました。当時はアニメーション素材を難なく組み込めるツールを使用できることが嬉しくて、後先考えずにあれもこれもと素材を増やしてしまいましたが、あの数があったからこそふたりの辱め合いをより繊細に表現することができたので、頑張ったかいはあったなと思っています。


個人的にこのシーンは“どこが”ということはなく、一部始終すべてが気に入っています。



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・最後はふたりだけの思い出に残る夜を……。

特別検診を終えたオサムとウズタカは、互いに収まらない高揚感を抱えたまま、ビジネスホテルで一夜を共にすることになります。ここまできた以上、ペッティングや接合なしに終われるはずもなく、ふたりは腹のうちにため込んだ気持ちをぶつけ合いながら当然のように一線を越え、そのデカい金玉の中身を空になるまでぶちまけてイキます。


実のところ、ここからの濡れ場は完全に据え膳状態にあやかったボーナスセックスのつもりで制作し、これまでのように小賢しいロジックを踏まえたりはせず、ただただ見ている方が照れくさくなってしまうようなスケベなやり取りを思い付く限り描き連ねました。なので、解説の方もより感覚的な内容になるかと思いますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。


・一線を越えたスキンシップへと発展するシーン

ここからはウズタカ主観で濡れ場が展開し、これまでは他キャラ視点(個別シーンの神視点含む)からの考察や本人が口にする言葉によって成り立っていた彼の人となりが、ようやく彼自身の内心を通して明らかになっていきます。彼の内情が明示される機会を最終シーンに持ってきた理由はふたつあり、ひとつは彼の“救済”が果たされた結末を、疑いようのない彼自身のモノローグで描きたかったからです。ふたつ目の理由は、ここまでウズタカの腹のうちをのぞき見る機会を作らない方が、オサムのもどかしさに共感してもらえると思ったからです。ちなみに、本作全体を通してオサムが主観となるシーンの割合が一番少ないですが、それは彼の裏表のない人柄に起因しています。このシーンで気持ちをぶちまけたことにより、なおさら彼に内情を語らせる必要がなくなってしまいました。良くも悪くも、オサムは隠し事ができない男なのです。


また、これ以降のシーンでは互いを見合うだけでなく“触れ合い”に発展していくため、感触や体温、重量感や硬度、さらには味などといった様々な感覚の表現を織り交ぜました。オサムのバカデカチンポや肉体の状態を繊細に感じ取るウズタカの“感想”を描くことで、彼の方にも深い親愛の情と強いスケベ心があることを強調しました。



付き合いの長い男同士が一線を越えるには、飽和した感情をみっともなくぶつけ合い、互いの体だけではなく心の情けなさを認知し合う通過儀礼のようなやり取りが必要だと感じていたので、オサムが半泣きで悔しさを吐露するシーンは、彼の気持ちになりきって感情任せに描いてみました。結果、BGMも相まって程よくお涙頂戴といった感じのやり取りに仕上がりました。パンツからチンポを出したまま泣いてるオジサンをいかにいじらしく描くかという挑戦は純粋に楽しかったし、創作物らしい様式美的な感情の飽和表現の大切さを再認識させられたシーンでもあります。ここでのオサムのセリフとウズタカのモノローグに共通する柔らかい言葉選びや、これだけ大きな感情の変動が起きても互いを傷つけ合うことはできないふたりの穏やかな関係性をあらためて見てみると、私自身が男同士の関係に抱いている“理想”や“憧れ”がむせるほど香っていて、正直見返すのが少し照れくさかったです……。



・スチル「ご対面」 ウズタカの恩返し

このウズタカによるフェラチオシーンでは、彼がオサムのチンポを直に体感することで、自身のオチンチンとの違いに驚きながらも、その力強さや口に収まらないボリュームに感動したり、オサムの反応を楽しんだりする様を、かわいらしいやり取りを交えつつ具体的に描きました。しゃぶっている最中、ウズタカは性的な興奮を催してはいるものの終始落ち着いており、オサムの強大なチンポを恐れることなく舐め回しては、かわいい後輩の反応をつぶさに観察しています。さらに彼は、目の前の立派な大人チンポに触れながら、普段どおりの調子でオサムをからかったりします。こうしてウズタカの“余裕”や熱心に恩返しを行う穏やかな態度といった外的な情報を描くことで、ガードの固い彼のパーソナルスペースに、相当ボリュームのあるオサムのバカデカチンポが信頼と安心を伴ってズブズブと収まっていく内的な変化を表現しました。あれだけ他人の生殖器を警戒していたウズタカが、安堵しきった様子でオサムの巨根にちゅうちゅう吸い付いている姿は、本作で描きたかったカタルシスの性質としては理想的なものに仕上がったと感じています。


・スチル「ご対面」 オサムのお返し

ウズタカの恩返しに対してさらにオサムがお返しをするこのシーンでは、検診時にムトウ先生が劣情に任せて行ったクンニのような描写ではなく、あくまでもフェラチオの作法に則った描写を強調するようにしました。そうすることで、ウズタカの小さなオチンチンをきっちり男性器として丁寧に扱うオサムの気遣いや尊敬の念を表しました。また、まともな被フェラ経験のないウズタカにとってはこれが“初体験”といっても過言ではないため、彼の中でオサムが“初めての相手”としてより大きな存在になっていく様子を、快感の増幅に合わせて描きました。また、ウズタカの「俺ももう……」という絶頂の合図と、それに対してオサムが何度もうなずくやり取りは、直後に起こる射精が不可抗力ではなく、ウズタカ自身の意思によって“選択”したモノであるということを表現しています。


ちなみに、このフェラチオシーンにはふたりが口内射精を受け入れる描写がありますが、そこからザーメンを飲み込む描写はあえて描きませんでした。なぜなら彼らはチンポやザーメンそのものやフェラチオという行為に執着しているのではなく、自身にとって大切な人に気持ちよくなってもらうためのもっとも効率的な手段としてフェラチオを選択しただけだからです。本作で彼らの性的指向を明言していないのは、その曖昧さによって、“男が好き”よりも“サムちゃんが好き・ウズさんが好き”を際立たせたかったからです。


このシーンの中で個人的に気に入っている点は、ウズタカがオサムのモノを“大人のチンポ”と呼んで玉毛について言及するやり取り、職場で勃起した場合の対処を尋ねるウズタカの好奇心、ウズタカのオチンチンをつまんで何度も気持ちいいかどうか確認するオサムのしつこさ、生殖器を口に含みながら相手の顔を見上げるふたりの表情、オサムがウズタカのオチンチンに自由に触れるようになったことを「俺に懐いてる」と言い表すくだり、などです。



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・スチル「不意打ちの接合」のシーン

このシーンでは、長い間“ごぶさた”なウズタカに挿入の快感を味わわせてやろうと奮闘するオサムの健気さと、その小さなオチンチンを目いっぱい背伸びさせてオサムを悦ばせようとするウズタカの“雄”としてのプライドを、まどろむようなぼんやりとした雰囲気を意識しつつ描きました。ウズタカは最初、オサムとつながってしまったことに驚いた様子を見せます。しかし、直前のシーンで「あの巨根を挿れられたら……」と想像していることからもわかる通り、彼はオサムのチンポを口にしたときから、自身らがセックスに及んでしまうであろうことをなんとなく予見し、実のところ期待もしていました。なので、この接合はふたりが共に望んだ“当然の結果”であり、ウズタカはその“役割分担”が意外だったために驚いているだけなのです。


ここからの一連のスキンシップでは、とにかくふたりが“すべてをさらけ出している”という印象を強めたくて、射精の描写を“あふれ出る”や“漏らす”といった表現に寄せるよう心掛けました。この接合シーンの中でも、ふたりの射精は“出した”というよりも“出てしまった”感を強調して描いています。また、ふたりがリラックスの境地にあることを表現したかったので、ここではBGMやSEを含めて激しさを適度に抑え、見ていて眠くなるような演出に仕上げました。彼らはぼんやりとした意識を免罪符にして、互いの“今ヤリたいこと”だけを汲み取り合いながら淡々と行為に集中することで、自身らが体を重ねることの重大性や行為の先にある関係の変容については、深く考えないようにしています。このセックスはふたりにとって重要な通過儀礼ではありますが、行為の意味合いを冷静に客観視してしまうと様々な面倒事が生じてしまうため、彼らは暗黙の了解によってこの夜の出来事については“曖昧”にしておくことを選びました。そうして自身らの狡猾さを痛感しながらも、ふたりは互いのもっとも敏感な秘部を念入りにこすり合い練り合わせることで、互いが互いにとって一番の理解者であることを強く“実感”してイキます。オサムはできる限りウズタカのオチンチンを深くまで飲み込もうと尻をぐいぐいと押し付け、ウズタカもずっと自身の弱点でしかなかったそこを必死に硬く大きくしてオサムの厚意と期待に応えようと“男の務め”に励みます。この「不意打ちの接合」から「恥の共有」までのシーンには、ズルさを抱えながらも互いの恥部をこすり合わせることで自尊心を補強し合う彼らの、弱さにも健気さにも見える生々しいやり取りを詰め込みました。


このシーンの中で個人的に気に入っている点は、オサムの「初めてをもらってください」という少々くさい言い回し、ウズタカの露骨ながらも穏やかなモノローグ、アナルを攻めつつオサムのチンポもいじるウズタカの少々強気な表情、オサムの放精を嬉しそうに眺めるウズタカの表情、オサムがトコロテンによって吐き出したザーメンがウズタカの段になった腹に垂れ落ちる描写、などです。



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・スチル「こすれ合う自尊心」のシーン

このシーンでは、とにもかくにも肉感的なアニメーションの作成に力を注ぎました。私は同性間異性間問わず、性器を“練り合わせる・こね合わせる”ような挙動がとても好きで、文章の中でも頻繁にこれらの比喩的な表現を使用しているのですが、ここではそれをどうにか視覚的に描けないものかと、かなりこだわった動的な表現にチャレンジしてみました。概念としては“兜合わせ”でありながら、描写としては“ペニスの先端でクリトリスをいじっている”ようにも見える、そんな個性的なアニメーションになるよう試行錯誤を重ね、その労力に見合うだけの表現ができたと自負しています。


この反復運動を開始する際、オサムは喋ろうとしたウズタカを制しますが、これは前述した通り“行為の意義については言及しない”という思いが現れた行動になります。オサムはこのとき、言葉や理屈ではなく肉体的な快感によって互いの仲を深めたいと願っており、そんな彼の要望をウズタカはすぐに汲み取って受け入れます。恥部の練り合わせに没入して汗を流すオサムの顔を見つめるウズタカという構図を描くことで、ふたりの間で快感が“循環”している様を表現しました。このシーンは比較的さっぱりとした描写を連ねて短くまとめましたが、それは年齢に見合わない大はしゃぎをしてしまった彼らの“電池切れ”感を表現したかったからです。こうして散々互いの生殖器をこすり合わせたふたりは、とても緩やかに精を漏らし、ベッド上での情事をヤリ遂げて眠りにつきます。


このシーンの中で個人的に気に入っている点は、もちろんオサムのバカデカいチンポとウズタカの柔らかいオチンチンをこね合わせるアニメーション描写です。



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・学生時代の回想シーンについて

院内シーンの終わりとベッドシーンの終わりに挟んだ回想シーンでは、オサムが弓を引けなくなった理由の詳細と、彼にとってウズタカがどれだけ大きい存在なのかを裏付けるエピソードを、会話を連ねるだけお簡潔な表現で描きました。ポルノがフィクションである以上、キャラクターの感情に関する“裏付け”や“動機付け”をしすぎると、場合によっては“白け”の原因にもなることもあるので、本作でもこの回想シーンを入れるかどうかは最後まで悩みました。オジサンになったふたりがあれだけ感情を素直に吐露したあとで、この回想を見せる意味があるのか、実際に作って入れてみるまでは正直わかりませんでした。しかし結果的には入れて正解だったと思っています。これまではオサムのリードによってウズタカが救われる場面の方が多かったこともあり、オサムに“強さ”が偏りがちでしたが、この回想を見せることで彼らが持ちつ持たれつの関係であることを再認識させ、次の先輩と後輩の関係性が際立つシーンへと、自然につなげることができました。




・スチル「ねぎらい」のシーン

このシーンでは、前述した通りウズタカの先輩らしさ、オサムの後輩らしさが際立つようなやり取りを意識して描きました。体を預けるよう促したり、乳首とチンポを同時にいじってやったりと、これまでほとんどされるがままだったウズタカがオサムをリードすることで、先輩としての“包容力”を表しました。同様に、気が抜けたように頭をすり寄せ、先輩が与えてくれる快感に身を委ねることで、オサムの後輩らしい“甘え”も体現させました。スチル名にも“ねぎらい”と付けましたが、最後の失禁描写は、自身のために体を張ってくれたオサムに対するウズタカなりの“ご褒美”であると同時に、ここにきてようやくオサムの“踏ん張り”が解除されたことの現れでもあります。後輩が頑張ったことで先輩が本来のパフォーマンスを取り戻し、それによって後輩もまた、平常通りの甘えを発揮できるようになるといった、“元に戻る”イメージを強調して一連のやり取りを描きました。


このシーンの中で個人的に気に入っている点は、ウズタカが促したことに当然のように従うオサムの無防備さ、よがるオサムを満足そうに見つめるウズタカの顔、顔を寄せ合うふたりの安心感、おもらしを終えたオサムの理にかなわない要求、などです。



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・スチル「恥の共有」のシーン

このシーンでは、人間としてもっとも無防備な瞬間を共有することで、とことんまで互いを“知り合う”関係となったふたりの現状を露骨に表現しました。ここでの放尿描写は性的な意味合いよりも“排泄”としての役割が強く、生物として“どうしても緊張を解かざるを得ない状況”としての性質を利用しています。そんな徹底的に社会性や体裁を脱ぎ捨てたもっとも情けない状態にあるにも関わらず、どうしても互いの存在に欲情してしまう彼らの姿は、これからさらに“親密”な関係になっていくであろう未来を予感させています。


このシーンの中で個人的に気に入っている点は、風呂場にしゃがみ込むふたりの肉感的な体つき、二手に分かれるオサムの豪快な放尿描写、ふたりによる視線のやり取り、オサムの強引な言い訳、などです。



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・最後のウズタカ独白シーンについて

ウズタカの独白によって描いたラストシーンでは、彼と息子との清々しいやり取りと、未来への不安を払拭するような堂々とした彼のムスコの描写で物語を締めくくりました。風呂場に始まった彼のムスコに関する苦悩が、今では息子のデリケートな悩みと真正面から向き合うための糧となっている様を描くことで、彼が苦しんできた時間はこれからも無駄にはならないであろうことを示唆しています。性器の大小という一見さまつな問題であっても、当人にとってはこれだけの大事件になり得るということ、そして、そんな悩みにひとりでも真剣に向き合ってくれる相手がいれば人は救われるということを、はっきりと明言するような気持ちでこの完結シーンを作りました。会話の内容やエンドクレジットへ切り替わるBGMなどの演出も含め、個人的にとても気に入っているシーンです。




本編の解説はここまでになります。

ここからは本作のおまけについての解説をしていきます。


『ムトウ先生の妄想ガチアナニー Ultra orgasm panic』

需要を気にせず自分の作りたいものを優先したため、本編はかなりニッチなシチュエーションや性描写の詰め合わせとなり、チンポを挿入する描写のある濡れ場が本編中にはひとつしかなく、ムトウ先生の濡れ場らしい濡れ場も個別シーンのみとなってしまいました。そのこと自体に後悔はみじんもなかったのですが、初めてのビジュアルノベル制作でテンションが上ってしまい余力が残っていたこともあり、好きなモノを詰め込むというルールはそのままに、ポルノにおける“定番”のような要素も組み合わせ、ムトウ先生をメインに据えたミニマルなおまけを作ることにしました。本編ではテーマとコンセプトの性質上、“リラックスを伴う穏やかな性的興奮描写”を心掛けていたこともあり、その反動からか、この3本のおまけにはそれぞれ毛色の違った少々過激な描写も盛り込みました。


ここからはそんな3本のおまけについて、ざっくりと解説していきます。


各おまけのアナニーアニメーションシーン

その昔ポルノ動画サイトで、バカデカいディルドを使ってアナニーに励むオジサンが、萎えたチンポを振り回しながら延々と濃厚なザーメンをでろんでろん四方八方に散らしている動画を見たことがあるんですが、そのとき、極まった“トコロテン”現象には少なからず“チンポが壊れてしまった”感が付いて回るんだなとを強い感銘を受け、その感動をなんとか動的な表現に落とし込めないかと試行錯誤した結果生まれたのが、このムトウ先生によるザーメン垂れ流しアナニーのアニメーション描写になります。おまけの内容はすべて、先生がこうしてアナニーをする際にオカズとして使っている“妄想”という体で制作しました。先生の皮被りチンポから粘っこいザーメンがあふれ続けるいやらしいアニメーションを、それほど多くない枚数で仕上げられたことには非常に満足しています。



★おまけのアナニーアニメーションシーンをまとめた投稿はこちら↓

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おまけA「先生大好き!前も後ろも買い取ります!?」


・おまけA シーンその1

おまけの1本目では、“ハーレム”と“複数プレイ”の要素を取り入れました。ウズタカとオサムのダブル検診はムトウ先生にとっても強烈な体験として記憶に残ってしまい、彼はふたりに抱いてしまった劣情を、彼らに言い寄られて3人で仲良くセックスに興じるという都合の良い妄想で解消しようとします。本編中では“男”として多少先輩風を吹かせていた先生ですが、このひとつ目のスチルシーンからもわかるように、彼にも気になる男たちからモテモテな扱いを受けたいといった人並みな願望を抱く夜があったりするのです。


・おまけA シーンその2

このふたつ目のスチルシーンにおいて、ムトウ先生はウズタカを“ウケ”、オサムを“タチ”として乱交に励みます。先生がふたりに対して抱いているこの認識には、本編とは逆位置になったウズタカとオサムを描くことで濡れ場のバリエーションを増やすといったメタ的な作用が含まれていますが、それとは別に、彼がまだふたりのことを本質的には理解できていないことの現れとしての意味合いも込めてあります。本編中、オサムは“男の役目”を任せることでウズタカの本望を叶えましたが、先生はそこまで気が回らずにウズタカの中性的な魅力ばかりに囚われ、彼を抱きたいという願望を優先させています。こうして先生とオサムが持つウズタカに対する認識の差を明確にすることで、“Fuck”と“Make love”の温度差を描きました。


・おまけA シーンその3

各おまけのラストシーンは、ポルノ創作における“お約束”とも呼べる描写を詰め込んだ表現を心掛けました。そうすることで、オナニーのオカズ(妄想やポルノ)は結局フィクションであり、また、フィクションであるべきであるという私自身の見解を色濃く表しました。ムトウ先生の「妄想って素晴らしい!」というセリフにも、同様の主張を込めてあります。このおまけAのラストシーンも、3泊4日の中出しセックス三昧旅行に繰り出し、大量のザメテに囲まれたまま3人仲良く猿のようにまぐわい続けるといった、“ポルノらしい”表現でまとめました。この3人の乱交は、まどろみ状態で行われているといった点で本編におけるウズタカとオサムのそれに通じる部分がありますが、“規模”と“常習性”において明らかな差が感じられるよう、“物量”の表現を過剰に描きました。



★おまけAで使用した画像素材をまとめた投稿はこちら↓

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おまけB「ウサギさんの心は人参では埋まらない」


・おまけB シーンその1

おまけの2本目は、“キュート”描写と“ダーティー”描写のギャップによって際立ついやらしさを前面に打ち出した内容にまとめました。このひとつ目のスチルシーンでは、“優しくてかわいい森のアイドル”であるウサギさんが、“ぶっといニンジン”を“よく使い込んだアナル”に収めながら、“ガッツリ淫水焼けした自分のチンポ”を“一心不乱”に舐め回します。私はこうしたキュートなデザインの柔らかいキャラクターがグロテスクな性器をはしたなく愛でるといった背徳的とも呼べる表現が大好きなので、このだいぶイカれたおまけBではヤリたい放題を極めました。


ちなみに、セルフフェラは物理的な快感でイクというよりは脳でイっている印象の方が強く、そういう意味では非常にポルノ向きなプレイでもあるため、もっと頻繁に使用していきたい表現ではあるのですが、いかんせん相当お下品なプレイでもあるので、正直見る人を選ぶのでは?という懸念も捨てきれていません。皆さん、セルフフェラ描写はお好きですか?(唐突な問いかけ)


・おまけB シーンその2

クマおじさんというクレイジーなキャラの登場により物語の展開は一気に加速し、あれよあれよといううちにウサギさんのオマンコはバカでかいチンポでみっちりと埋められてしまいます。このふたつ目のスチルシーン、画的にはオジサンとオジサンの駅弁セックスなのですが、ふたりのやり取りは年の差を感じさせる破廉恥な表現を盛り込みました。このおまけBでは全編おとぎ話のような文章様式を心掛け、その文体と話の内容にもギャップを持たせました。こういった生殖器の相性のみに特化したイチャイチャ表現は、互いのことを思いやっているようでかなりないがしろにしているようにも見えるため、性欲のみをはっきりと浮き彫りにする手段としては、非常に使い勝手が良いと感じています。


・おまけB シーンその3

このおまけBのラストシーンでは、いわゆる“快楽堕ちエンド”を踏襲しました。セックス意外に興味を失っているため、人間関係や健全な生活は完全に破綻しており、ヤル・食う・寝る意外のことを排除したみだらな“性活”だけが居座っている。そんな破廉恥な空間と状況を露骨に描写し、このふたりだけにとってのハッピーエンドを演出しました。このおまけBは全体的にかなり異様な仕上がりになったという自覚がありますが、ハマる人にはハマるであろう確信も持っているため、作って良かったなと非常に満足しております。



★おまけBで使用した画像素材をまとめた投稿はこちら↓

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おまけC「レンタル性処理秘書のガバガバ品評会」


・おまけC シーンその1

おまけの3本目では、“競売”や“肉便器”といった要素を盛り込み、人間としての尊厳を失うことの恥辱と解放感を重点的に描きました。このひとつ目のスチルシーンでは本作でもっとも過激な“アナルローズ”表現に挑戦し、この妄想の中のムトウ先生をひと目で“性具”と認識できるような表現を心掛けました。また、お決まりのプレゼン描写を使用し、羞恥表現と共に“努力が報われる悦び”もかなり強調しました。“褒められた嬉しさ”や“苦労を理解された安堵”による射精描写は、とても伝わりやすい感情の飽和表現なので、事あるごとに使いたくなってしまいます。


・おまけC シーンその2

このふたつ目のスチルシーンでは、男たちへの“接待”を通して、快楽の中に潜む“演技”と“本気”の違いを露骨に描きました。“演技”を強要しないと自身のチンポの価値を証明できない“偽物の男”たちと、圧倒的存在感を持ったチンポで不可抗力的に“本気”を引き出す“本物の男”との差を明確にすることで、そんな本物の男に“嫁ぐ”未来への期待感を高めていきました。また、本物のチンポを肉便器の方が圧倒する描写を入れることで、本編のテーマでもあるイニシアチブの揺らぎを起こし、“肉体的快楽における主導権を絶対なモノにすることはできない”という個人的な主張も込めました。


ちなみに、金や立場、さらには暴力といった性的な才能以外の要素を使って自身の肉体的価値を相手に認めさせようとする男のことを、私は“臆病者”だと認識しているため、そういったネガティブな要素を“利用”するためであれば、この手の男たちを登場させることは的確な手段だと感じています。


・おまけC シーンその3

このおまけCのラストシーンでは、自身の息子と電話で会話しながら、言葉通り肉の便器として仕事に励む父親の姿を描き、客観的にはバッドエンドのようでいて、当人的にはハッピーエンドともいえる状況を穏やかに表現しました。こうしてあらためて全体を通して見てみると、本作中数回に渡り小スカ描写を使用しており、オサムの個別シーンにおけるあのためらいは一体なんだったのかと自分でも苦笑してしまいます……。ただやはり私は、油断や気の緩み、無条件の赦し、緊張からの解放、限界を越えた快感などを表現する際には、たとえいい年をしたオジサンであっても、オシッコを漏らしてる姿を見せてほしいという強い願いを抱いているため、今後もそういった状況を描く際はためらいなく失禁や放尿描写は使用すると思いますので、(オシッコだけに)生暖かい目で見守ってやってください……。



★おまけCで使用した画像素材をまとめた投稿はこちら↓

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本作の解説を終えて……

今回、この解説のために本作をあらためて隅々まで見返したわけですが、ビジュアルノベル形態での処女作ということもあり、とにもかくにもまず作品制作そのもの対する熱量がすさまじくて、そこだけは今の自分にとっても驚異と感じられ、悔しさを覚えてしまいました。作品の内容や完成度に関しては、まぁ6年も前の作品ですので、頭をかきむしりたくなるくらい物申したいことは多々ありましたが、今現在制作中の作品以上に出来の良い作品が過去に存在していても、それはそれで問題だったりするので、この解説では細かい指摘はグッと飲み込み、できる限り今の自分でも良いなと感じる部分を都合よく書き連ねてみた次第であります。


こうして過去作を今の着眼点で捉えてみると、当時は漠然としすぎていて言語化できなかった感覚も、今なら今後の制作に活かせるレベルで理論化できる場合も多く、各シーンの解説を進めていく中で意義のある“資料”をいくつも収穫することができました。それだけでもやって良かったなと思えるのですが、何よりもこれだけボリュームのある作品を自分ひとりだけで作ったという事実をあらためて実感したことで、相当モチベーションも高まりました。ポルノ創作は自分の本望をひたすら掘り下げる孤独な作業でもあるので、たまに、というかしょっちゅう拙い自分自身に対して憤りや失望を繰り返したりもするのですが、本作を含め過去に完成させてきた作品だけは疑いようのない“現実”であり、頼るに値する経験でもあるため、そういった意味でも今回長々とひとつの作品を再認識する機会を設けてみて良かったと感じています。


また、本作の再考察を通して、自分の意欲の先には絶えずユーザーの皆様の存在があるのだということも、あらためて思い知らされました。過去作をじっくり見返すと、これだけ我の強い私が他の誰かのことをこんなにも意識して制作しているのかと驚いてしまうような“形跡”がいくつも見つかったりします。当時は無意識でやっていたそれらの仕込みが、今は意識的に制御してやれるようになってきているということを実感すると、なんだか自分にも気遣いや思いやりの精神があるような気がして嬉しくなってしまいます。


この先もまだまだ新しい挑戦を続けていくつもりですが、今回の解説を通して、こうして過去作を見返してみる機会は定期的に設けていきたいと感じさせられました。そのときはまたお付き合いいただければ幸いです。


これにて本作の解説は終了となります。

長々とお付き合いいただき、本当にありがとうございました!




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