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国擬人化ぷっコクシリーズ歴史紹介コラム第2弾です。

前回はイワンちゃんことロシア帝国の歩みを簡易的紹介した記事でした。


今回はそのイワンちゃんの長年のライバルとして対峙する中東の国

トゥルキエちゃんこと「トルコ共和国」と世俗主義についてご紹介します。


本記事に行く前にいつも通り…


注意:コラムですので個人的見解や分析が多々ありますので話半分で聞き、疑問に思ったのならちゃんとした文献を自分で調べる事をお勧めします。鵜吞み禁止!

思い出せ!コイツただの絵描きです!学者じゃない!


今回扱う「世俗主義(せぞくしゅぎ)」というのはワードは特に扱いが難しく

報道ニュース等で語られる世俗主義だけでは難解かつ別のワードも含まれてくる政治的イデオロギーです。


その難解さの最もたる例としてWW1後に国民国家として誕生日したトルコ共和国を悠久のオスマン帝国の時代から絡めて紹介していきます。


1キャラクターのストーリーとしてライトに読んで頂ければ幸いです。


一足先に生まれたトルコの抱える悩みは、その後登場した近代化運動を目指すイスラム教圏の国々全体が抱えている問題と共通しているためイスラム教圏の国作りを知る入門として最適な国家と言えます。


①そもそも国民国家とは?

端的に言えば国民として1つにまとめて構成する国家を指します。

それ以前のヨーロッパの絶対王政、中央集権体制な国が多く存在していましたが

主権はあくまで一部のみで民に権利は保障されていませんでした。

それが住む民達にも主権が付与されて国民となり、代わりに納税、兵役、教育の義務の新しいシステムが追加構築されていったのが国民国家です。(あくまでざっくり)


1つにまとめて国民のアイデンティティを形成する上で問題になるのが

多民族社会です、言語・文化とバラバラでアイデンティティから言語教育と

面倒さに拍車がかかってしまう。


こういった事から国民国家=効率化されたグループ・チームであり国力の発展に

ブーストが乗り易く「近代国家への近道」というイメージが定着します。


②汎トルコ主義

神聖ローマ帝国が無くなり時を経て、ヨーロッパはそれぞれ分裂し諸国民の春から国民国家の形成が増えていきます。


…では残ったそのローマ帝国の時代から生き残ったトルコの前身である多民族国家、オスマン帝国はどうしたのか?というと…

自国における主流民族のアイデンティティを伝播して染める他ありません。

現代でいう「子会社を全て吸収合併してしまおう」とする試み。

(勿論こんな考えは失敗します。企業と同じで組織に不純物が多く混じり機能不全に陥ってしまう企業病の国家版です。)


汎トルコ主義ならトルコ民族、汎スラブ主義ならスラブ民族(ロシア、ポーランド、セルビア等々)とそれぞれあり、これは国家の外にいる同族を解放して上げよう!とナショナリズムの旋風が吹き荒れます。


それまでの貴族や王族だけでなく、国民達も参加した新たな領土の拡張工事合戦の時代に移っていきます。


➂国民国家と完成度の高い・宗教社会システムの弊害

イスラム王朝でこれ程にヨーロッパの近代化に触れて感化されていった国もオスマンないしトルコを置いて他にありません、長年に渡り後進国の脱却を試みようとします。


前回の記事でロシア帝国を紹介しましたがロシアもまたそのヨーロッパに習い

近代化を進めていた多民族国家でした。

ですがオスマンは厳格で知られるイスラームであり、細部まで作りこまれたシステムです。


侵略後の異教徒の扱い方や階級ガイダンス、奴隷制度という古代のハローワークetc…

キリスト教圏ですら政教分離という思想自体は古くから存在しましたが形として

ようやく剝がせたのは宗教戦争に異教徒狩りや魔女狩りを経験したのちに国民国家として人権社会が登場してなんとかメインシステムに移行出来たのですから。


尚、それでもヨーロッパは神学等の宗教の影響は根強く残っており

学問の発展と共に18世紀以降も…『悪魔の仕業じゃ!』『違うよ!細菌っていう見えない微生物が居んだよ!』と激しい殴り合いを続けていきます。


政教分離

政教分離は中世以前から学者たちの間で提唱され続けていました。

ですがこれは後の歴史等では世俗主義と同じく微妙に扱いが異なり続けており

距離感がそれぞれの国の数だけ社会や情勢で変化していきます。

大きく分けて3つに分類されます。


政権分離・国教型

融合型とも言われます。主に戦後のイスラム教圏や英国・北欧諸国やルター派は

この型に当たります。建て前上匙加減はその国家ごと日常的に国教指定などで一定の融和的なポジションに置いている状態です。


政教分離・分離型

西欧のフランスやハンガリー、トルコ、アメリカ、日本はこの型に該当します。

報道ニュース等で語られる政教分離は主にこの型です。


中立的立ち位置に該当しますが、これは時に国教型から見ると否定的かつ

敵対的に見えてしまいます、世界は主に国教型の方が圧倒的に多いです。

日本人が話す時はこの分離型ですが国教型から見ると厳格的に見えたりもします。


ソ連も無宗教と論じてはいましたが政務から引き剝がすという意味ではこの型に分類されます。


宗教文化と価値観は近代社会になっても普遍的に内包されており

これを外に追いやり過ぎると排他的捉えられてしまう、色々とデリケートなワードです。


コンルダート型

ローマ教皇とそれぞれの国家間で結ばれる条約を指します。

分離型と少し違うのは、法的に宗教秩序を廃止する代わりに聖職者を公務員に位置付け給与を支給するというものです。


尚フランス革命によりローマ教皇とフランスは多方面で対立が起きた事から

フランスは分離型に移行していきます。



④トルコとしての国民国家と政教分離

さてここまでで『国民国家』と『政教分離』について簡単には理解できて頂けたかと思います。簡潔とは言えどうしてこれ程遠回りに紹介していったかというのはそれ程扱いを間違えやすいのが件の「世俗主義」なのです。


ここからはトルコ共和国の本題の話をします。

尚、これ以上長くなるとアレなのでトルコ革命の詳しい部分はカットします。


世俗主義とは特定の宗教権威および権力(教権)に支配や干渉されず、それらから独立した世俗権力(俗権)とその原則によって支配されていなければならないという主張や立場。あるいは宗教に特権的地位や財政上の優遇を与えないことを指します


ここに最後のピースである『民主主義』が加わりトルコの現在に至ります。

この最後のピースがトルコという国に矛盾を産み、苦しむ事になります。


⑤世俗主義&政教分離VS民主主義(自由主義)

世俗国家としてスタートしたトルコはWW2や冷戦時代を搔い潜り

国内整備に没頭していきます。


形から入る為「トルコ帽子の禁止」「アラビア文字からアルファベットに変更」

「軍を政教分離の庇護者に」と1937年には政教分離宣言をします。


が…イスラム教はキリスト程、心の内面の信仰だけでは成り立つものではなかった。


信仰の自由を許せば、大き過ぎる宗教社会から抜けられない

逆に制限して無理矢理にでも近代化を測れば、民意と自由主義に反すると

欧米に睨まれるという袋小路に陥っていきます。(どうしろと?)


ただでさえトルコは前身であるオスマン帝国の後継国として近隣のアラブ諸国にも警戒され、イスラム社会でない世俗国家を銘打っている以上近づきたくない存在になっていき、トルコは孤立していきます。

こうなったら否応にでもEU加盟を目指す以外道はない。


しかしここで世俗主義政党以外を排してきたトルコに変化が訪れます。


世俗派を優先してきた運営は遂に民衆達の怒りを買い。

欧米を模範にした社会システムは欧米の列強達と同じく貧困格差が広がり

世俗派達は増長、レイシズムが目立ち始め醜悪さが目立つ一方だった


『こんな事なら、過去の社会の方がずっと公正だった!』

そういった声が次第に大きくなっていきます。


元々トルコは9割強がイスラム教徒であり相性でいえば国教型です。

それを無理矢理排してきた事によって国教型を採用しているヨーロッパ・北欧諸国

からは信教の自由を侵害していると思われたり、元々移民政策でEU自体が

異教徒に良いイメージが無く、グローバリズムの時代が衰退と共にメッキが剝がれ始めて、おかしなバランスで運営している世俗国家に変貌していきます。


今まで政権分離の守護たる軍を使い無理矢理抑え込んできた国民の不満が

エルドアン政権によってイスラムに回帰する道を選択しました。

そして…

⑥トルコは国民国家を優先した

2016年7月15日、トルコでクーデター未遂事件が発生。

大統領の休暇を狙って一部の軍人達による反乱勢力が、大空港にテレビ局と次々と占拠されていった。


宗教色の強い政策に対して政教分離の庇護者として必然的に起きた事とも言える。


だがこの時、大統領の呼びかけにより、国民達が銃を持った反乱勢力の軍人達を

止めに掛かるという異様な光景が世界に映し出されました。


民衆が暴動を起こしたアラブの春とも違う

政治家による民衆の怒りを汲んだアフリカやアジアの軍事クーデターでもない。

建国から歪に形成されたトルコ社会独特のバランスの中で生まれた光景だった。


世俗派の庇護者たる軍は民衆に支持されるわけもなく、公約を引き継ぐと世界に声明を出したが、主要国は誰も耳を傾けなかった。(当たり前だ)



・

『ここからは多少トルコびいきな個人的な見解になりますが…』


大統領権限を強化し、独裁色を強めたとはいえ(この時、経済は順調)


結果的で見れば建国からトルコが培った世俗主義はあくまでオスマン帝国のWW1での敗戦から切り取られる自国領土を守るため、欧米諸国の規範に乗っ取る形で始めた世俗国家だったのかもしれません。


戦後の歴史の中でイランやイラクが欧米の普遍主義的な規範から外れた国は次々と目の敵にされた様に土台無理な風土であると為政者達も内心気づいていた結果なのかもしれない。


②の汎トルコ主義の時代、年々朽ちていく瀕死の病人の最中

当時のトルコの青年達の民族主義が時代を超えて現代までその気質が受け継がれ

末期に国民国家を欲した。


矛盾と袋小路の中で『世俗と政権分離』と『国民の為の国民国家』

トルコが後者を選んだ様にも思えると感慨深くありませんか?

(無理矢理のこじつけだし、ロマンチストが過ぎるぞ)


最後に…

ここまで読んで頂いた方はありがとうございます。


なんか記事の内容が前回よりボリューミーで乱筆乱文してしまいました><


トルコはぷっコクシリーズを始めた時2018年と⑥で紹介した

クーデター未遂事件から2年と短く当時は、世俗国家のトルコが何故?!と言う

私の中で大きな疑問が尽きない存在でした。

知っていたのはオスマン帝国の時代が殆どで。

戦後のトルコ共和国がムスタファ・ケマル・アタテュルクの後にどういう社会を歩んだか詳しく知りませんでした。


というか…欧米のマスメディアの偏見酷すぎるました…

2016年のクーデター未遂事件のその後記事で

『欧米メディアが世俗主義を口にした時は危険が孕む、その中にはヨーロッパの普遍主義が少なからず混ざっているからだ。』と書かれた記事を読み。


確かにクーデター未遂事件で主要国達は冷淡に反乱勢力を支持するわけもない中

欧米メディアは中立とは呼べない反乱勢力への同情が見て取れた記事が奇妙でした。

ヨーロッパからしたらトルコは嫌われ者であり民衆の好みに寄せて書いた記事だったのかもしれません。(鵜吞みにしちゃいけないってここで学びました)


記事の最初に述べた世俗主義は扱いが難しいと言ったのは分離型と国教型で見方が

変わると言うことを知ったからです。(めんどくさい)

色々真面目な話をしてきましたがトルコちゃんはぷっコクで早い段階で実装された

お気に入りのキャラクターです。

だって山羊のお姉さんでメェ~メェ~可愛いですもの


そして「山羊って実は結構強い!」っていうのがモデルになった国の

泣く子も黙るオスマン帝国の後継国っていう「実は昔は」に繋がります。


キリストが布教する前のヨーロッパの自然崇拝において

角を生やした動物は神として祀られていました。


その後で逆張りに近いネガキャンがキリスト教圏の時代で広まります、


羊が集団として牧者に従うのに対し、山羊は従わないので、羊をキリスト教徒であり牧者がキリストに例えられ、山羊は異教徒に例えられました。


それは異端(ペイガン)とも呼ばれ悪魔の頭が山羊に描かれたバフォメット等が有名です。


こういった過去の文献からみるキリスト教圏における山羊と

羊も山羊も共に飼育する遊牧民族のトルコとで宥和性が抜群に良いのです。


山羊を悪魔扱いしたヨーロッパに突如として襲い来る

山羊のオスマン帝国!!


という図式が想像できるわけです。



以上となります。また機会がありましたら記事書きまーす

お疲れ様で~す


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