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実家の一夜

リビングの扉を開けると、実家特有の懐かしい匂いが鼻をくすぐる。


でも今は、そんな懐かしさより、パニエで膨らんだスカートの裾が、テーブルや戸棚に擦れる感触が気になって仕方ない。


母がソファに座って、こちらを見上げる。

まだ目が少し尖っている。


「で、あんたは今、何してるの?」


声が低くて、探るような響きだ。

僕は恐る恐る答える。


「接客業だよ。カフェで」

それ以上言いたくなかった。


だけど花音が隣で楽しそうに笑う。


「それも男の子が女装して働くカフェなんだよ!」

言葉が軽やかに飛び出し、母の目が大きく見開く。


「えっ!?」


僕の顔が一瞬で熱くなる。


(……そこは隠したかったのに……)


花音は母の驚きを無視して、続ける。


「東京は色んな人がいるからね。お兄ちゃんみたいに女の子の服を着たいっていう男の子も、いっぱいいるんだよ」


まるで普通の話題の様に話す花音を横目に、僕の手のひらは手汗で滲んでいく。


母は少しの間、黙って僕を見る。

それからゆっくり息を吐いた。


「……そっか。うちの子だけじゃないんだ……」


声が少し柔らかくなる。

軽蔑の色が薄れて、代わりに諦めみたいなものが混じる。


僕はただ俯くしかない。

花音の捏造が、また一つ「事実」になっていく。


母が立ち上がって、キッチンへ向かう。


「お茶でも入れるわ」


その背中が、少し疲れたように見える。


僕はソファの端に腰を下ろす。

花音に教わった通り、スカートの両端を折り曲げる。


花音も隣に座り、僕の耳元で囁く。


「ほら、お兄ちゃん。ママ、だいぶ理解してくれたでしょ?」


彼女の息が首筋にかかって、ぞわっとする。

もう、何が事実で何が偽りなのか分からない……。


◆


少しして、僕は久しぶりに自分の部屋に戻ることにした。


階段を上がる度に、ニーハイのゴムが膝裏に食い込む。

男が穿くと、ニーハイはどうしてもずり落ちてきてしまう。

無意識に引っ張り上げ、昔の自分の部屋のドアを開けた。


ベッドはそのまま。

本棚に置かれた参考書や書籍。


その時、僕は気づいた。

クローゼットの中に、昔の男物の服がまだ残っていることに。


Tシャツ、ジーンズ、ブルゾン。

どれも昔着ていた服そのままだ。


(……これ、持って帰れるかも)


こっそり鞄に詰め込んで東京に戻ろう。

そうすれば花音がいない時ぐらいは、心からリラックスできる。


その時、スマホが振動した。

LINEの通知音。

画面を見ると、旧友の一輝からだ。


『おい、翔真!久しぶり。お前、こっちに帰ってきてるらしいじゃん!花音ちゃんに聞いたよ。どうせ夜はヒマなんだろ?今晩、お前んちに行くわ!花音ちゃんが是非って言ってたし!』


全身に冷汗が走る。


(ちょっと待って。これはどういう事……!?)


すぐに花音の部屋へ駆け込む。

ドアを開けると、花音がベッドに座ってスマホをいじっている。


「花音……一輝から連絡来たんだけど」


声が上ずる。


花音が顔を上げて、にこにこする。


「だってお兄ちゃん、夜はヒマなんでしょ?一輝さんに私から連絡入れておいたからね!」


彼女は無邪気に続ける。


「今のお兄ちゃんを、地元の人たちにも知ってもらおうね」


絶望が胸を潰す。

いくら一輝が良い奴だからって、こんな姿を見たら、

笑われるか、引かれるか、どちらにしても終わりだ。


花音が立ち上がって、僕の肩に手を置く。


「大丈夫だよ。お兄ちゃん、可愛いんだから」


何度も聞いたこの言葉は、相変わらず僕の心を無責任に締め付ける。


◆


夕方、花音が僕の部屋のドアをノックせずに開けて入ってくる。


「お兄ちゃん、ロリィタ重たいし疲れるよね?もう少しカジュアルなのに着替えていいよ」


花音は鞄から畳まれた服を取り出して、僕に手渡した。

白のオフショルダートップスに、透け感のあるアームカバー。

細いコルセットに、チェック柄ミニスカート。

ロリィタほどフリルやレースは無く、甘さは抑えられているけど……明らかに女の子の、可愛らしいコーデだ。


スカートの丈は膝上15センチほどで、動き回れば絶対にパンツが見えそう。


「これならロリィタより楽でしょ? 一輝さんが来るまでに着替えてね」


花音は笑いながら部屋を出て行った。


ドアが閉まる音が静かに響く。

僕はベッドから立ち上がり、服を広げた。


ロリィタのワンピースを脱ぐ。

重たいパニエが外れる瞬間、全身の力が抜けて、ようやく深く息が吸える。

ヘッドドレスも外して、気持ちが少し楽になる。


だけどゆっくりしている暇はない。

一輝が来る前に着替えないと。


僕は新しい服に袖を通した。

ロリィタのお人形さんから、少し大人びた女の子へ。


でも、太ももがほとんど丸見えで座ったら絶対にスカートがずり上がる。

恥ずかしさが胸を締め付ける。


(……これで一輝に会うなんて)


指先が震えて、スカートの裾を何度も引っ張ってしまう。


着替え終わってほどなく、玄関のチャイムが鳴った。

僕の心臓が跳ね上がる。


廊下から花音の声が聞こえる。


「お兄ちゃん、一輝さん来たよ!お兄ちゃんはこのまま部屋で待ってて」


花音が軽い足取りでドアを開けに行き、すぐに戻ってくる。


「一輝さん、こっちこっち!」


一輝が僕の部屋に入ってくる。


高校時代のままの、背が高くて少し猫背の姿。

でも僕を見た瞬間、足が止まる。


「……し……翔真?」


声が裏返って、目が大きく見開く。

僕はスカートの裾を両手で押さえて俯く。

花音がすかさず僕の肩を抱き寄せて、一輝に笑顔を向ける。


「一輝さん、お兄ちゃん、今は女の子の服が着たくて仕方ないんだって。東京のコンカフェで女装して働いてるの!」


一輝は口をぽかんと開けたまま、僕を上から下まで見つめる。

ミニスカートの裾から伸びる脚に、視線が止まる。


「マジで……?え、翔真、お前……」


言葉が途切れて、顔が赤くなる。

僕は声が小さくなる。


「……ごめん、こんな格好で」


言い訳なんてできない。


「ほら、一輝さん。これがお兄ちゃんの本当の姿だよ。ジェンダーレスの時代なんだから、普通でしょ?」


一輝は少しの間、黙って僕を見る。

それから、ゆっくり息を吐いて笑う。


「……まあ、翔真らしいっちゃらしいか。今はそういう時代だしな」


声が少し震えているけど、嫌悪はない。


——いい奴だ。

でも、そんな一輝を騙しているみたいで、胸が痛む。


三人でテーブルを囲む。


一輝が買ってきた缶チューハイとおつまみを食べながら、近況を話し始める。


「中学の同級生だった尚樹と吉村が結婚したんだ」

「覚えてる? 佐藤の奴、今はシンガポールで働いてるらしいぜ」


懐かしい名前が次々出てくる。

旧友の近況や昔の思い出話に花が咲いて、笑い声が部屋に響き、夜が更けていく。

こんなたわいもない会話をしたのも、本当に久しぶりだ。


時計の針が11時を回る頃、一輝がふと腕時計を見て立ち上がる。


「そろそろ帰るわ。あんまり長居しても申し訳ないし……」


一輝が玄関で靴を履きながら、振り返る。


「近々、東京行くからお前んち泊めてよ! あっ、でも今は花音ちゃんのマンションに住んでるのか?」


花音が即座に答える。


「その時は私は友達の家に泊まるので、遠慮せずに言って下さい!」


一輝が嬉しそうに笑顔を見せた。


「ありがとう! じゃあまた連絡するね」


ドアが閉まる音がして、家の中が急に静かになる

僕は自室に戻って、ベッドの端に腰を下ろした。


一輝は本当に純粋でいい奴だったな。

高校の時から変わらない。


僕のこの姿を、驚きながらも普通に受け入れてくれた。

だけど、それが逆に申し訳なくて、少し胸が痛んだ。

本当のことを言えなかった自分が、情けない。


その時、ドアが静かに開いて花音が入ってきた。


「お兄ちゃん、一輝さんが泊まりに来るの楽しみだね」


僕は気づいていなかった。

三人で話している間ずっと、一輝が僕のミニスカートの中をチラチラ見ていたことに。

視線が脚の間を這うように、何度も往復していたことに。


花音はそれに気づいていた。


「一輝さん、興味津々だったね。お兄ちゃんの新しい姿に……」



【第13章へつづく…】

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