兄から姉 -ひとつ屋根の下で変えられていく、僕の日常-:12 (Pixiv Fanbox)
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実家の一夜
リビングの扉を開けると、実家特有の懐かしい匂いが鼻をくすぐる。
でも今は、そんな懐かしさより、パニエで膨らんだスカートの裾が、テーブルや戸棚に擦れる感触が気になって仕方ない。
母がソファに座って、こちらを見上げる。
まだ目が少し尖っている。
「で、あんたは今、何してるの?」
声が低くて、探るような響きだ。
僕は恐る恐る答える。
「接客業だよ。カフェで」
それ以上言いたくなかった。
だけど花音が隣で楽しそうに笑う。
「それも男の子が女装して働くカフェなんだよ!」
言葉が軽やかに飛び出し、母の目が大きく見開く。
「えっ!?」
僕の顔が一瞬で熱くなる。
(……そこは隠したかったのに……)
花音は母の驚きを無視して、続ける。
「東京は色んな人がいるからね。お兄ちゃんみたいに女の子の服を着たいっていう男の子も、いっぱいいるんだよ」
まるで普通の話題の様に話す花音を横目に、僕の手のひらは手汗で滲んでいく。
母は少しの間、黙って僕を見る。
それからゆっくり息を吐いた。
「……そっか。うちの子だけじゃないんだ……」
声が少し柔らかくなる。
軽蔑の色が薄れて、代わりに諦めみたいなものが混じる。
僕はただ俯くしかない。
花音の捏造が、また一つ「事実」になっていく。
母が立ち上がって、キッチンへ向かう。
「お茶でも入れるわ」
その背中が、少し疲れたように見える。
僕はソファの端に腰を下ろす。
花音に教わった通り、スカートの両端を折り曲げる。
花音も隣に座り、僕の耳元で囁く。
「ほら、お兄ちゃん。ママ、だいぶ理解してくれたでしょ?」
彼女の息が首筋にかかって、ぞわっとする。
もう、何が事実で何が偽りなのか分からない……。
◆
少しして、僕は久しぶりに自分の部屋に戻ることにした。
階段を上がる度に、ニーハイのゴムが膝裏に食い込む。
男が穿くと、ニーハイはどうしてもずり落ちてきてしまう。
無意識に引っ張り上げ、昔の自分の部屋のドアを開けた。
ベッドはそのまま。
本棚に置かれた参考書や書籍。
その時、僕は気づいた。
クローゼットの中に、昔の男物の服がまだ残っていることに。
Tシャツ、ジーンズ、ブルゾン。
どれも昔着ていた服そのままだ。
(……これ、持って帰れるかも)
こっそり鞄に詰め込んで東京に戻ろう。
そうすれば花音がいない時ぐらいは、心からリラックスできる。
その時、スマホが振動した。
LINEの通知音。
画面を見ると、旧友の一輝からだ。
『おい、翔真!久しぶり。お前、こっちに帰ってきてるらしいじゃん!花音ちゃんに聞いたよ。どうせ夜はヒマなんだろ?今晩、お前んちに行くわ!花音ちゃんが是非って言ってたし!』
全身に冷汗が走る。
(ちょっと待って。これはどういう事……!?)
すぐに花音の部屋へ駆け込む。
ドアを開けると、花音がベッドに座ってスマホをいじっている。
「花音……一輝から連絡来たんだけど」
声が上ずる。
花音が顔を上げて、にこにこする。
「だってお兄ちゃん、夜はヒマなんでしょ?一輝さんに私から連絡入れておいたからね!」
彼女は無邪気に続ける。
「今のお兄ちゃんを、地元の人たちにも知ってもらおうね」
絶望が胸を潰す。
いくら一輝が良い奴だからって、こんな姿を見たら、
笑われるか、引かれるか、どちらにしても終わりだ。
花音が立ち上がって、僕の肩に手を置く。
「大丈夫だよ。お兄ちゃん、可愛いんだから」
何度も聞いたこの言葉は、相変わらず僕の心を無責任に締め付ける。
◆
夕方、花音が僕の部屋のドアをノックせずに開けて入ってくる。
「お兄ちゃん、ロリィタ重たいし疲れるよね?もう少しカジュアルなのに着替えていいよ」
花音は鞄から畳まれた服を取り出して、僕に手渡した。
白のオフショルダートップスに、透け感のあるアームカバー。
細いコルセットに、チェック柄ミニスカート。
ロリィタほどフリルやレースは無く、甘さは抑えられているけど……明らかに女の子の、可愛らしいコーデだ。
スカートの丈は膝上15センチほどで、動き回れば絶対にパンツが見えそう。
「これならロリィタより楽でしょ? 一輝さんが来るまでに着替えてね」
花音は笑いながら部屋を出て行った。
ドアが閉まる音が静かに響く。
僕はベッドから立ち上がり、服を広げた。
ロリィタのワンピースを脱ぐ。
重たいパニエが外れる瞬間、全身の力が抜けて、ようやく深く息が吸える。
ヘッドドレスも外して、気持ちが少し楽になる。
だけどゆっくりしている暇はない。
一輝が来る前に着替えないと。
僕は新しい服に袖を通した。
ロリィタのお人形さんから、少し大人びた女の子へ。
でも、太ももがほとんど丸見えで座ったら絶対にスカートがずり上がる。
恥ずかしさが胸を締め付ける。
(……これで一輝に会うなんて)
指先が震えて、スカートの裾を何度も引っ張ってしまう。
着替え終わってほどなく、玄関のチャイムが鳴った。
僕の心臓が跳ね上がる。
廊下から花音の声が聞こえる。
「お兄ちゃん、一輝さん来たよ!お兄ちゃんはこのまま部屋で待ってて」
花音が軽い足取りでドアを開けに行き、すぐに戻ってくる。
「一輝さん、こっちこっち!」
一輝が僕の部屋に入ってくる。
高校時代のままの、背が高くて少し猫背の姿。
でも僕を見た瞬間、足が止まる。
「……し……翔真?」
声が裏返って、目が大きく見開く。
僕はスカートの裾を両手で押さえて俯く。
花音がすかさず僕の肩を抱き寄せて、一輝に笑顔を向ける。
「一輝さん、お兄ちゃん、今は女の子の服が着たくて仕方ないんだって。東京のコンカフェで女装して働いてるの!」
一輝は口をぽかんと開けたまま、僕を上から下まで見つめる。
ミニスカートの裾から伸びる脚に、視線が止まる。
「マジで……?え、翔真、お前……」
言葉が途切れて、顔が赤くなる。
僕は声が小さくなる。
「……ごめん、こんな格好で」
言い訳なんてできない。
「ほら、一輝さん。これがお兄ちゃんの本当の姿だよ。ジェンダーレスの時代なんだから、普通でしょ?」
一輝は少しの間、黙って僕を見る。
それから、ゆっくり息を吐いて笑う。
「……まあ、翔真らしいっちゃらしいか。今はそういう時代だしな」
声が少し震えているけど、嫌悪はない。
——いい奴だ。
でも、そんな一輝を騙しているみたいで、胸が痛む。
三人でテーブルを囲む。
一輝が買ってきた缶チューハイとおつまみを食べながら、近況を話し始める。
「中学の同級生だった尚樹と吉村が結婚したんだ」
「覚えてる? 佐藤の奴、今はシンガポールで働いてるらしいぜ」
懐かしい名前が次々出てくる。
旧友の近況や昔の思い出話に花が咲いて、笑い声が部屋に響き、夜が更けていく。
こんなたわいもない会話をしたのも、本当に久しぶりだ。
時計の針が11時を回る頃、一輝がふと腕時計を見て立ち上がる。
「そろそろ帰るわ。あんまり長居しても申し訳ないし……」
一輝が玄関で靴を履きながら、振り返る。
「近々、東京行くからお前んち泊めてよ! あっ、でも今は花音ちゃんのマンションに住んでるのか?」
花音が即座に答える。
「その時は私は友達の家に泊まるので、遠慮せずに言って下さい!」
一輝が嬉しそうに笑顔を見せた。
「ありがとう! じゃあまた連絡するね」
ドアが閉まる音がして、家の中が急に静かになる
僕は自室に戻って、ベッドの端に腰を下ろした。
一輝は本当に純粋でいい奴だったな。
高校の時から変わらない。
僕のこの姿を、驚きながらも普通に受け入れてくれた。
だけど、それが逆に申し訳なくて、少し胸が痛んだ。
本当のことを言えなかった自分が、情けない。
その時、ドアが静かに開いて花音が入ってきた。
「お兄ちゃん、一輝さんが泊まりに来るの楽しみだね」
僕は気づいていなかった。
三人で話している間ずっと、一輝が僕のミニスカートの中をチラチラ見ていたことに。
視線が脚の間を這うように、何度も往復していたことに。
花音はそれに気づいていた。
「一輝さん、興味津々だったね。お兄ちゃんの新しい姿に……」
【第13章へつづく…】