義姉の器 (Pixiv Fanbox)
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義姉・万理華の身体を手に入れた太一は、自分を蔑んできた兄の愛撫に悦びを見出し、本物の万理華を冷酷に追い詰め、その人生と兄の愛を完全に奪い去る倒錯のTSF。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
1.
「また、バイトをサボったのか?」
リビングのソファでスマホを弄っていた僕の頭上から、冷ややかな声が飛んできた。
声の主は、僕の兄である伊藤圭介(けいすけ)だった。
兄は子どもの頃から優秀で、プライドも人一倍高かった。今では国内最大手の商社・四菱商事に勤める、誰もが認めるエリートだ。
一方の僕は、進学した帝都の三流大学に馴染めず、とうとう休学してしまった。そんな僕を心配した田舎の両親が兄に懇願し、まだ新婚だった兄夫婦の家に居候させてもらうことになったのだ。
けれど、何をやらせてもできる兄と、何をやってもうまくいかない僕。そんな二人の相性が、いいはずもなかった。
「今日、休みだよ……」
僕がボソボソと言い訳をすると、兄が鼻で笑った。
「お前は本当に呑気でいいよな。誰の金でこの快適な家に住めていると思っているんだ? お袋もお袋だよ、お前みたいなゴミを俺に押し付けてきやがって」
毎日のように繰り返される、ねちねちとした説教と嫌味。言葉の端々に毒が含まれている。
「圭介さん、あんまり太一くんを責めないであげて」
そう言って、間に入ってくれたのは、兄の妻である万理華さんだった。
僕みたいなダメな義弟にも、彼女はいつだって優しく微笑みかけてくれる。兄と顔を合わせるたびに肩身の狭い思いをしていた僕にとって、万理華さんだけが、この家で唯一ほっとできる存在だった。
そして――口に出すことなんて絶対にできないけれど、僕がずっと密かに憧れている人でもあった。
「万理華、お前は甘すぎるんだよ。こんな奴、少し厳しく言わないと一生このままだ」
「でも、太一くんだって頑張ってるんだから。ね、太一くん?」
(ああ……万理華さん、マジで女神すぎる……)
兄の冷たい視線から庇うように、万理華さんがそっと僕の前に立つ。
その優しさに、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
(どうして、こんなに素敵な人が兄貴の奥さんなんだよ)
昼間から偉そうに振る舞う兄へのドロドロとした嫉妬が、胸の底からジワジワと湧き上がってくる。
「圭介さん、そろそろ出ないと遅れるんじゃない?」
「ああ、ほんとだな」
玄関に向かいかけた兄が振り返り、僕を鋭い目で見下ろした。
「おい、太一。俺が出張でいないからって、羽を伸ばすなよ」
そう言い残すと、兄は僕の返事も待たずに玄関を出ていった。ドアが閉まる音を聞いて、僕はようやく小さく息を吐いた。
「太一くん……大丈夫? 圭介さん、ちょっと言い過ぎよね」
玄関から戻ってきた万理華さんは、ソファに座る僕の隣に腰を下ろし、慰めるようにそっと肩へ手を添えた。
「大丈夫です……。それに、僕がダメなのは本当だし」
「そんなことないよ。太一くんは太一くんなりに、ちゃんと考えてるもの」
万理華さんが、僕に微笑みかけてくる。
(近い! 思っていたより、ずっと近い……)
万理華さんから、ふんわりと甘い香りまで漂ってきて、僕の心臓は一気に騒がしくなった。
「あれ? なんか、急に暗くなってきたね」
万理華さんが立ち上がり、リビングの大きな窓のほうへ向かう。
窓の外に目をやると、さっきまで明るかった空は、いつの間にか黒い雲に覆い尽くされていた。まだ昼間だというのに、室内までじわじわと薄暗くなっていく。
パラパラ……バシャシャシャッ……
ガラス窓を激しく叩く、バケツをひっくり返したような雨が突然降り始めた。
「わっ、すごい雨……。急に天気が変わっちゃったね。圭介さん、駅に着いたかな?」
万理華さんが、窓から外を眺めた、そのとき――
ピカッ!!! ゴロゴロ、ズドンッ!!!!
「あ……!?」
凄まじい雷鳴が轟き、室内のすべてが、眩しい真っ白な光で塗りつぶされた。部屋全体が激しく揺れ、空気がビリビリと震える。
「きゃああああっ……!」
万理華さんの悲鳴がごく間近で聞こえた気がしたけれど、僕の意識はそこでプツリと途絶えた。
*****
「……くん。……太一くん!」
男の人が僕を呼ぶ声が聞こえる。
(ん……あれ? 僕、どうしたんだっけ……)
ゆっくりと目を開けると、視界に飛び込んできたのは、リビングの天井だった。どうやら僕は床に倒れているらしい。
「よかったぁ、気がついた」
安堵した声が聞こえ、そちらを見ると、そこには僕がいた。
「……えっ?」
ヨレヨレのTシャツを着て、髪の毛がボサボサな紛れもない僕――伊藤太一が目の前にしゃがんでいた。
(なんだこれ? 夢? 鏡……じゃないよね?)
頭が混乱して上手く回らない。
起き上がろうとして、僕は床に手をついた。
「ひっ……!?」思わず小さな悲鳴が出る。
視界に入ってきた僕の手は、白くて、細くて、綺麗に整えられた小さな手だった。爪には薄いピンクのネイルが塗られている。
慌てて自分の胸元に手をやると、服の上からでもはっきりとわかる、柔らかい二つの膨らみがある。
「な、なにこれ……!?」
自分の口から出た声を聞いて、さらに血の気が引いた。
高くて、澄んでいて、鈴を転がすような、美しい女性の声。それは、毎日聞いている万理華さんの声そのものだった。
「ちょっと、落ち着いて」
僕の顔をした男が、慌てて僕の肩を掴んだ。
「太一くん……だよね?」
怯えた表情で、僕の顔が僕をのぞき込む。
「え……はい、僕ですけど……」
「私……、私、万理華なの」
「……義姉(ねえ)さん?」
「私たち入れ替わっちゃったみたいなの……!?」
その喋り方、控えめな仕草、どこか自信のなさそうな目の動き。確かに、万理華さんのようだった。
「倒れてる自分の顔を見たときは、意味が分からなくて……。それで、太一くんになっちゃってて……。ねえ、どうしよう太一くん……!」
話す相手ができたことで、万理華さんの中で押し殺していた恐怖が一気にあふれたようだった。
「こんなの、圭介さんが帰ってきたらなんて説明すれば……。警察? 病院? どうすればいいの……!?」
自分の口から出ているとは思えないほど高い声だった。
万理華さんは、今にも泣き出しそうな顔で僕にすがってくる。
その滑稽で情けない姿をなぜか冷ややかに見つめながら、僕はゆっくりと立ち上がった。
身体は驚くほど軽くて、しなやかだった。逆に胸にはずっしりと重みを感じる。さっき、万理華さんから漂っていた上品で甘い香水の匂いが、今は自分の首筋から漂っていた。
(僕が……万理華さんになってるんだ……)
四菱商事のエリートである兄貴が、毎晩抱きしめている女。その綺麗で柔らかい身体が、今は僕のものになっている。
「義姉さん、落ち着いてください」
僕は、万理華さんの澄んだ美しい声で、優しく呼びかけて、パニックになって震える「僕の身体」を、優しく抱きしめた。
「ひっ……太一くん……?」
「大丈夫ですよ。ほら、深呼吸してください」
僕は万理華さんの柔らかい手で、「僕の背中」をあやすように優しく叩く。
万理華さんは、何度か深呼吸をして、ようやく少しだけ落ち着きを取り戻したようだった。
「ありがとう、太一くん。でも、本当にどうしよう……。こんなんじゃ、買い物にも行けないし、圭介さんにも……」
「大丈夫です。兄貴は出張で数日間帰ってこないんですよね?」
「え、うん……火曜日までは帰ってこないけど……」
「じゃあ、時間はあります」
僕は、万理華さんの美しく通った声で、心から心配しているような笑みを浮かべて見せた。
「警察や病院に行っても、精神病扱いされて閉じ込められるのが落ちです。だから……元に戻る方法が見つかるまで、お互いのフリをして過ごしましょう。これは二人だけの秘密です」
「二人だけの、秘密?」
「はい。僕が義姉さんとして家事をします。義姉さんは僕の部屋でゆっくり休んでいてください。僕が絶対に、元に戻る方法を探しますから」
「太一くん……ありがとう……」
万理華さんは、すっかり僕を信頼しきった目をして、僕の手を握りしめてきた。
男のゴツゴツした手で、僕の小さくて柔らかい手を握られるという奇妙な感覚。
「大丈夫ですよ。僕に任せてください」
僕はそう言って、優しく微笑んで見せた。
もちろん、元に戻る方法を探さなきゃいけないってことは、頭の隅では分かっていた。だけど、僕の頭の中は別のことでいっぱいだった。
(うわ……。義姉さんの身体、マジで柔らかい……)
握り返した指先から伝わってくる、すべすべした肌の触感。ちょっと動くだけで感じる、胸の重み。首筋からふんわり立ち上る、女の人の甘い匂い。
ずっと眺めることしかできなかった憧れの万理華さんに、いま、僕がなっている。そんなあり得ない現実に興奮し、全身がゾクゾク震え、頭がどうにかなりそうだった。
2.
(……ん?)
ふと、太もものあたりに「なにか」が押し当てられている感触に気づいた。熱くて、固い、棒状の――
「ひっ……!? な、なにこれぇ……!?」
万理華さんが何かに弾かれたように僕から身を引いた。そして、自分の股間を恐る恐る見下ろしたまま、顔を真っ赤にしてガタガタと震えている。
その反応と視線の先を見て、僕はすべてを察した。
(あっ、これ……僕のペニスか)
童貞の僕の身体が、憧れの万理華さんに抱きしめられ、その甘い匂いを至近距離で嗅げば、そりゃ身体が勝手に暴走するに決まっている。
「た、太一くん……! なんか、ここが急にすっごく硬くなって……熱くて……。私、自分の身体に抱きしめられただけなのに……なんで……!?」
自分の意志とは関係なく、カチカチにそそり勃つ男のアレに、万理華さんは涙目になって、パニックを起こしていた。
僕は、万理華さんの澄んだ高めの声で、上目遣いにくすりと微笑む。
「ふふ、大丈夫ですよ。男の身体って、綺麗な女の人に触れられると、勝手にそうなっちゃうんです」
「で、でも……、自分の身体なのに……なんで……。すごく変な感じがする。苦しい……」
「楽にしてあげますね」
僕はソファの前でひざまずくと、万理華さんのズボンを下着ごと押し下げた。目の前に現れたのは、カチカチに硬くなった見慣れた僕のペニスだった。
「太一くん……えっ……」
「僕の身体ですから、扱い方は僕が一番よく知ってます」
僕は万理華さんのツヤツヤしたピンクの唇を開き、自分のペニスの先端を迷わず咥え込んだ。
「んむ……ちゅ、れろ……」
「ひあぁぁっ……。ちょ、太一くん……! なに、してるの……!?」
ペニスを舐められる刺激に、万理華さんは「はぁっ……、あっ……」と荒い声を漏らし、背中を大きく反らせた。
初めて感じる男の身体が持つあまりにもダイレクトな快感に、万理華さんは、口元を手で覆いながら、涙目になって喘いでいる。
「んちゅ……ぷはっ。……ね、気持ちいいでしょう?」
「あ、あたし……自分にしゃぶられてるのに……なんで、こんな……熱くて……おかしくなりそう……」
万理華さんの唇で自分のペニスをしゃぶるという強烈な背徳感に、僕の身体も下腹部がキュンと甘く疼き、ショーツを湿らせ始める。
「……あっちの部屋に行きましょうか。もっと気持ちいいことしてあげます」
僕は口元を拭うと、うっとりとして腰を抜かしている万理華さんの手を引き、兄夫婦の寝室に向かった。
ダブルベッドが中央に置かれたラグジュアリーな寝室。
(兄貴はこのベッドで、毎晩ここで義姉さんを抱いているんだ)
そう思うだけで、身体がさらに熱くなる。
僕はベッドの端に腰掛け、自分のワンピースの肩紐をそっと滑らせた。
「た、太一くん……ダメだよ……! こんなこと……絶対に良くないよ……」
万理華さんはハッと我に返り、股間を押さえながら必死に首を振った。
けれど、僕は万理華さんの美しい顔で、余裕の笑みを浮かべてみせる。
「良くないことなんて、何もないですよ。だって義姉さん、これ……僕が僕の身体に触れてるだけじゃないですか」
「え……?」
「言ってみれば『自慰行為』と同じですよ。僕が僕の身体を気持ちよくしてあげるだけです。誰にも迷惑なんてかけてないでしょう?」
「そ、そんなめちゃくちゃな理屈……。中に入ってるのは私だし、そんなのおかしいよ……」
万理華さんは困惑した顔で眉をひそめ、必死に抗議しようとする。
けれど、男の身体の生理現象は、彼女の上品な倫理観なんてまったく気にしてくれなかった。
「でも……身体はもう、こんなになってますよ?」
僕はベッドから立ち上がると、万理華さんに歩み寄り、ペニスの根元を優しく撫で上げた。
「ひぁっ……、んんっ……」
万理華さんの身体はビクンと激しく跳ね上がり、足の力が抜け、そのままベッドの上に倒れ込む。
万理華さんのペニスは、すっかり発情していて、収まるどころかますます熱く、硬く膨らみ続ける。
「う、嘘……。な、なんで……」
万理華さんは涙目になって身悶えた。
「ほら……身体は正直ですね。このままだと、苦しくておかしくなっちゃいますよ。……僕に任せてください」
僕はそう言って微笑むと、自分の服と下着をすべて脱ぎ捨てた。
白く豊かな胸、引き締まったクビレ、そして綺麗に整えられた秘部。完璧な女の身体が、惜しげもなく露わになる。
「あ……っ……」
僕の姿になった万理華さんが、ポカンと元の自分の裸体を見つめている。
もう理屈なんて頭からキレイサッパリ吹き飛んでしまったみたいだった。男の身体から突き上がる衝動と、目の前にある妖艶な裸体。そんな刺激に晒されたら、いくら真面目な万理華さんだって身体の欲求に流されるしかなかった。
僕はそのまま、万理華さんの上に跨がって、カチカチにそそり勃ったペニスを、自分の濡れた割れ目に押し当てる。
「義姉さん……ほら、入ってきて……あ……うっ……あぁぁぁっ!」
お腹の奥を一気に貫かれる感覚。
自分の狭い膣内に、万理華さんのペニスが根元まで収まっていく。
「んんあぁっ……! すごいっ……!」
僕の口から出た鈴を転がすような甘い悲鳴が、部屋中に響き渡った。
あふれんばかりの激しい快感が全身を駆け巡る。
(すごい……。兄貴のベッドで、兄貴の自慢の奥さんの身体を使って、僕の身体とセックスしてるなんて……!)
下から突き上げてくるのは、僕の身体に入った万理華さんだ。
「ひぁっ、んあぁっ……。温かくて、締め付けられて……おかしくなりそうっ……!」
最初は抗っていたはずの万理華さんが、男の身体の強烈な快楽に完全に呑み込まれ、夢中で腰を振り始めている。
その姿を見下ろしながら、僕の胸の中にドロドロとした暗い優越感が沸き上がる。
(ざまぁみろ、兄貴……! お前が仕事している間に、お前の愛する妻の身体は、僕にメチャクチャにされているんだ。お前が毎晩、義姉さんを抱いてるこのベッドで、お前の妻は、僕の身体のペニスに突かれて絶頂している……)
「あはっ……。すごい、義姉さん……もっと、もっと突いて……!」
「あ、あぁぁっ。太一くん……いく、いっちゃうっ……!」
「出してください……。兄貴のベッドで、僕の種を僕の中に、いっぱい……あっ」
「「んあああぁぁぁっ……!」」
僕の中に、熱いものがドクドクと勢いよくぶちまけられた。
僕の身体も、狂ったような激しい絶頂を迎え、膣壁が万理華さんのペニスをギュンギュンと締め上げる。
ふたり同時に、頭の中が真っ白になるほどの絶頂に達した。
「はぁ……はぁ……はぁっ」
荒い息を吐きながら、僕はベッドの上で横たわっていた。
「我ながら、魅力的じゃないなぁ……」
僕の身体をした万理華さんが、隣で、ぐったりと力尽きて眠りかけている姿を見ながら、僕はつぶやく。
自分の手を見る。白くて、美しい、万理華さんの手。胸元には、兄貴が夜な夜な愛撫する豊かな膨らみがある。
商事会社のエリートの兄貴と、三流大学休学のダメな僕。
男だった頃の僕は、兄貴に「ゴミ」だと見下され、何一つ自慢できるものなんてなかった。
(……でも、今の僕は違う)
この最高の身体を手に入れ、兄貴の妻のポジションを奪い、憧れの万理華さんをこの身体で弄んでいる。
(元に戻る方法なんて……探す必要あるのかな?)
このまま万理華さんのフリをして過ごせば、僕は四菱商事のエリート社員の妻として、何不自由ない裕福で快適な暮らしが手に入る。そして、僕の身体に入った万理華さんを、こうして可愛い弟として、いつでも抱いてあげればいいのだ。
(そうだよ……。僕に戻るより、この綺麗な身体でいた方が、何百倍も得じゃないか)
スヤスヤ眠りだした「僕の顔」を眺めながら、僕は暗い悦びに満ちた笑みを浮かべる。
窓の外では、激しい雨が降り続いていた。
3.
兄貴が帰ってくる火曜日までの四日間は、まさに夢のような、けれどどこか酷く歪んだ時間だった。
僕に誘惑されて、あの「自分同士」の甘美で倒錯した経験をしてしまってからというもの、万理華さんの中で何かが壊れてしまったらしい。
「ねえ、太一くん……。あのね、ちょっと相談があるんだけど……」
「どうしたんですか、義姉さん? そんなにモジモジして……」
「あのね……なんだか、身体が、すごく熱くて……。お願い、助けて……」
(マジかよ……。あの清楚で可憐だった万理華さんが……)
男の身体で快楽の味を知ってしまった彼女は、本能丸出しで僕を求めるエロいオスになってしまっていた。
「助けて、って……何をすれば……」
僕はわざと戸惑う素振りをみせ、冷めた目で彼女を見つめる。
「お願い、太一くん……。私の……ううん、太一くんのこの身体、もっとめちゃくちゃにして……。やってくれないと、頭がおかしくなりそうなの……」
「……仕方ないですね、義姉さん。でも、あまりハマらないでくださいね。戻れなくなると大変ですから」
意地悪な僕の返事にも、万理華さんは悦びで顔を輝かせ、自ら服を脱ぎ捨てて僕をベッドへ誘った。
あの可憐な万理華さんが、ペニスを硬くそそり勃たせ、情けない声でセックスを乞うてくる。倒錯した背徳感に、僕の頭は狂おしく昂ぶった。
そうして、求められるまま、僕たちは何度も身体を重ねた。けれど、回数を重ねるごとに、僕の胸の中にあった興奮は急速に冷めていった。
(はぁ……。やっぱり、僕の身体って見てて萎えるな……)
万理華さんの極上の身体で感触を味わうのは最高に気持ちいい。
けれど、僕の下で情けない喘ぎ声を上げ、しがみついてくる万理華さんの姿――つまり「僕の身体」は、客観的に見るととにかく冴えなくて、少しの魅力も感じなかった。
「太一くん……! お願い、もっと……もっと激しくしてぇ……!」
「……あはは、そんな必死な顔しちゃって……。ほら、そんなに気持ちよくなりたいんなら、義姉さんが自分で頑張ってくださいね」
いくら中身が大好きな万理華さんとはいえ、こんなパッとしない男の身体に抱かれることに、僕は心底からうんざりし始めていた。
三日目にもなると、僕はベッドの上で意志を持たないラブドールになりきって、お情けで好きに使わせてあげるだけになっていた。
「早く終わらせてくれないかな」と退屈そうに天井を見上げる僕と、必死な顔で僕の上で腰を振る万理華さん。
二人きりの部屋の中、僕たちの立ち位置は完全に逆転していた。かつての無力で負け犬だった僕はもういない。いまや、すべてが僕の手のひらの上にあるという優越感が、脳を甘く痺れさせていた。
*****
そして、兄貴が帰ってくる火曜日がやってきた。
「太一くん……いい? 圭介さんが帰ってきたら、あなたは私として振る舞ってね。……大丈夫?」
万理華さんは、不安で押し潰されそうな顔で、僕に「万理華としての立ち振る舞い」を必死にレクチャーし始めた。
「圭介さんが帰ってきたら、まずは『お帰りなさい、お疲れ様でした』って笑顔で迎えてね。それから、上着を受け取って、ハンガーにかけるの」
「はいはい、分かってますよ」
「適当じゃダメなの。圭介さん、すごく細かいから……少しでも変だと気づかれるから……」
「大丈夫ですよ。兄貴が愛してるのは、義姉さんの外見だけですから。中身が少しくらい変わったって、きっと気づきませんよ」
僕がくすりと笑ってそう言うと、万理華さんは何かを言い返そうとして――結局、口を閉ざした。
夕方。カチャリ、と玄関の鍵が回る音が響いた。
「ただいま……。はぁ、疲れた」
僕はエプロン姿のまま、満面の笑みを浮かべて玄関へ向かった。
「お帰りなさい、圭介さん。出張、お疲れ様でした」
万理華さんの可憐な声で、兄貴を出迎える。
「やっぱり、万理華の顔を見ると落ち着くなぁ」
兄貴は僕の姿を見ると、華奢な肩を抱き寄せて額に優しくキスをした。
(……うわ、マジで全然気づいてないみたい)
兄貴の腕の中で万理華さんのふりをしている――その背徳感に、僕の心臓がドクンと跳ねた。
愛する妻の身体の中に、自分が「ゴミ」と見下していた弟が入っているなど、1ミリも思っていない兄貴は、俺の腰に手を回し、リビングに向かった。
「はぁ……やっぱり家の匂いは落ち着くな。出張中は気が張ってばかりで参ったよ。ねえ……、今夜は万理華に、僕をクタクタになるまで癒やしてほしいな」
兄貴は、耳元で甘く囁き、僕の柔らかい腰を引き寄せた。
(あははっ……。お前が愛おしそうに抱き寄せている身体の中身は、お前が吐き捨てるようにバカにしてた、弟の太一なんだよ!)
胸の中に暗い悦びが広がる。
「お、おかえりなさい……」
リビングに入った途端、ソファの隅から怯えた声が聞こえた。
その瞬間、僕に向けられていた兄貴の甘い笑みがすっと消え、代わりにいつもの冷たく見下すような表情が浮かぶ。
「なんだ、太一。俺が必死に働いてる間、お前は何もせず、ぼんやり過ごしてたのか?」
「えっ……、あ、ううん……」
冷たい声を浴びせられて、万理華さんはビクッと肩を震わせ、怯えた瞳で僕たちを見つめる。
「本当に出来損ないだな。万理華、こいつ、俺がいない間に変なことしなかったか? もし少しでも嫌な思いをさせられたら、遠慮なく俺に言えよ。こんなゴミ、いつでも実家に送り返してやるから」
兄貴は僕の腰を強く抱き寄せたまま、自分の妻に冷酷な言葉を吐き捨てた。
そのあまりの間抜けさに、僕は万理華さんの美しい顔を引きつらせながら、必死に笑いを堪えていた。
(ぞくぞくする……。なんだよ、この状況。最高すぎるだろ……!)
万理華さんは、夫から投げかけられる冷たい言葉に、今にも泣き出しそうな顔で俯いている。
「ふふ、大丈夫よ、圭介さん。太一くん、何も変なことしてないから」
僕は鈴を転がすような甘い声でそう囁き、兄貴の胸にそっと頭を預けた。
「そうか。まあ、万理華がそう言うなら……。けど、万理華が優しいからって、調子に乗るなよ、太一」
兄貴は僕の頭を撫でると、ソファの万理華さんへ冷たい視線を向けた。
兄貴の胸の温もりを感じながら、僕はチラリと震える万理華さんを見下ろした。
(義姉さん、ごめんね。あなたの愛する旦那様は、やっぱりこの身体だけを愛してるみたい)
倒錯的な快感と、ドロドロした暗い優越感が、胸の奥から湧き上がる。
僕は兄貴の腕の中で、万理華さんの可憐な唇をそっと歪め、誰にも見えないように意地の悪い笑みを浮かべた。
4.
その夜。風呂上がりの僕が洗面台の鏡の前で、万理華さんの長い髪をドライヤーで乾かしていると、不意に背後から腰をぎゅっと抱きしめられた。
鏡越しに映っていたのは、いつの間にか忍び寄っていた兄貴だった。
「万理華……出張中、ずっと寂しかった……。もう、我慢できないよ」
太ももを撫でられる感触と、首筋にかかる熱い吐息に、僕は思わず身をすくませた。
いくら僕の身体が万理華さんのものでも、相手は実の兄だ。生理的な気持ち悪さと悪寒がこみ上げてきて、ぞわぞわっと鳥肌が立った。
(う、うわ……マジで無理……。兄貴にこんなことされるなんて、冗談じゃない)
俺は心の中で悲鳴を上げた。
「義姉さん、ちょっといい……?」
そのとき、洗面所の外から万理華さんの声がした。
邪魔が入ったとわかった瞬間、兄貴の顔から笑みが消えた。そして、露骨に苛立った声を投げつける。
「なんだよ、太一。何の用だ?」
「ご、ごめん……。ちょっと義姉さんに……明日のゴミ出しのことで……」
「はぁ……本当にお前は間が悪いな」
「もう、そんな言い方しないの。ちょっと話してくるね。すぐ戻るから」
僕が兄貴の腕を振りほどいて廊下へ出ると、待っていた万理華さんが、泣きそうな顔で縋りついてきた。
「太一くん……、圭介さん、絶対に今夜求めてくるよ……? どうするの……?」
「どうするって……義姉さん、僕に実の兄貴と寝ろ、って言うんですか? 流石にそれは無理ですよ」
僕があからさまに嫌そうな顔を見せると、万理華さんは真っ青になり、必死に首を横に振った。
「お願い、断らないで……。私、今まで圭介さんの誘いを断ったことなんてないの。今夜に限って急に拒んだら、絶対に『万理華の様子がおかしい』って怪しまれちゃう……」
「でも、相手は僕の兄貴ですよ」
「お願い、太一くん。今夜だけ、私のフリをしてやり過ごして……。もし圭介さんに怪しまれたら、私たち本当におしまいだから……」
僕の顔をした万理華さんは、泣き出しそうな表情で両手を合わせ、必死に僕へすがってくる。
そんな姿を前にして、突っぱねることはできなかった。なにより、ここで兄貴に違和感を持たれ、面倒なことになるのは僕だって避けたかった。
「……はぁ。分かりましたよ。今夜だけですからね」
「ありがとう太一くん……!」
万理華さんはホッと息をついたあと、申し訳なさそうに目を伏せた。
「……ごめんね」
小さく頭を下げる「僕の身体」を見つめながら、僕は重いため息をついた。
その直後、ガチャリと音を立てて洗面所のドアが開き、痺れを切らした兄貴が顔を出した。
「おい万理華、まだ終わらないのか? たかが、ゴミ出しの話にいつまでかかってるんだ」
「あ……うん、ちょうど終わったところ」
僕はすぐに万理華さんらしい柔らかな笑みを浮かべ、兄貴のほうへ顔を向けた。
「無駄な時間使わせやがって。……ほら、部屋に行くぞ」
兄貴は僕の腰を強引に引き寄せると、そのまま寝室へと歩き出した。
寝室に入り、背後でドアがカチャンと閉まった――その瞬間だった。
兄貴は、さっきまでの威圧的な態度が嘘だったみたいに、僕の肩に頭を預けて甘えるようにすり寄ってきた。
「はぁ……万理華ぁ、疲れたよ……。今日も仕事は大変だったし、帰って早々あいつの顔を見たら、余計にイライラしてさ。ねえ、癒やして……?」
(えっ……?)
思わず耳を疑った。
外では四菱商事のエリートを気取り、弟の僕をゴミみたいに扱っている兄貴が、今はその僕に縋りつき、万理華さんのぬくもりを求めて甘ったるい声を上げている。
(うわ……これが、あの兄貴かよ。外じゃあれだけ偉そうにしてるくせに、万理華さんの前じゃただの甘えん坊じゃないか)
あまりの落差に込み上げてくる笑いを押し隠し、僕は万理華さんらしい柔らかな笑みを浮かべた。
「ふふ、圭介さん。今日もずいぶん頑張ったんですね」
可憐な声でそう囁きながら、子どもをあやすように兄貴の頭をゆっくり撫でてやった。
何も知らず、僕の腕の中ですっかり甘えている兄貴。その姿を見下ろしていると、兄を思いどおりにあしらっているという、暗い優越感が胸の奥にじわりと広がった。
「万理華ぁ……今日もいっぱい可愛がって」
耳元にまとわりつくような甘ったるい声に、ぞわりと鳥肌が立った。
(うわ、気持ち悪っ……。この歳にもなって、そんな声でおねだりしてるのかよ)
吐き気すら覚える一方で、あの兄貴が僕に甘えきっていると思うと、笑いが込み上げてくる。
僕は口元に浮かびそうになる意地の悪い笑みを隠し、万理華さんらしく優しく目を細めた。
「ふふ、仕方ない人ね。今日は私が、たっぷり甘やかしてあげる」
「ほんと? 万理華、だ~いすき♡」
僕の腕の中で、兄貴は子どもみたいにパッと顔を輝かせた。いつも僕を見下している男が、今はその僕の首筋に何度も頬を擦りつけて、すっかり甘えている。
(……ふっ。あれだけ偉そうにしてるくせに、情けなさすぎだろ)
胸の奥にあった恨みや憎しみも、急にくだらなく思えてきた。
(こんな奴をずっと怖がっていたなんて……)
自分でも笑えてくる。あとに残ったのは、兄貴を冷たく見下す気持ちだけだった。
「ねえ、万理華……脱がせて?」
そう言って、兄貴は甘えるように身体を揺らしながら、僕を上目遣いに見つめてくる。
僕は「仕方ないな」と呆れ半分で苦笑いし、着ているものを脱がしていき、ズボンを下着ごと一気にひざ下まで引き下げた――その直後、僕の手がピタリと止まった。
(……は? え、なに……これ……?)
思わず息を呑む。
目の前に現れたのは、同じ男の僕でも目を疑うような巨大なペニスだった。
(待って……デカすぎるだろ……!)
あまりの大きさに恐怖を覚え、僕は思わず身を引いた。なのに、お腹の奥が甘く疼く。
(えっ……うそ……なんで……?)
そして、僕の怯えをあざ笑うみたいに、股間からは熱い愛液があふれ出て、ショーツをじわじわ湿らせた。
(やばっ……デカいの見て、身体が勝手に欲しがってる……)
「万理華ぁ……、どうしたの? 早く、僕を気持ちよくして……」
兄貴は僕の動揺に気づく様子もなく、僕をベッドに押し倒すと、手早く服を脱がせ、慣れた手つきで股を開いた。
「あ、ちょっと……んっ……」
拒む隙なんてないくらい、あっという間だった。
ギンギンにそそり勃った極太のペニスが、僕の割れ目に突き立てられる。
「万理華ぁ……、いくよ……」
「あ、ぐっ……、んぁ、あぐぁっ……」
頭の先まで激痛と衝撃が突き抜ける。
(痛っ……! 無理、無理、無理、無理……壊れる……)
「んっ……、万理華ぁ……、すごく、いい……、たまんない……」
甘い喘ぎ声を上げながら、兄貴は容赦なく腰を突き上げてくる。
逃げ出そうと身をよじっても、太い腕でがっしり掴まれた腰は、まったく動かすことはできなかった。
「ひぁっ……あぁん……あっ……あ、ぁぁっ……」
一番奥の敏感な部分を激しく突かれるたび、頭の中が真っ白に染まっていく。
そして、突き上げられるたびに、激痛だったはずの感覚が、脳を焼き尽くすほどの快感へと変わっていた。
嫌なのに、身体が悦ぶのを止められない。信じられないほど淫らな悲鳴が、勝手に喉から溢れ出す。
「ひっ……あ、んぁっ……! やだ……、ぁあーっ、んあっ……!!」
(ヤバい……。なにこれ、なんなんだよ、これぇっ……! 兄貴のやつ、デカすぎて……気持ちよすぎるぅ……)
「はぁっ、あっ……、万理華……、ダメ、っ……たまんない……」
兄貴の熱い喘ぎ声が、真っ白になった頭の奥に響いてくる。
(圭介さん、私でこんなに悦んでくれてる……可愛いな……)
(あ、あれ……? なんで僕が、兄貴を愛おしいなんて思ってんだ……?)
そう思った瞬間、一番奥の敏感な場所をドスンと強く突き上げられる。
「あぁっ……んぁあぁっ……」
頭が激しく揺さぶられると、押し寄せる快感とともに、私の中にある記憶と圭介さんへの想いが、真っ白になった頭の中へ一気に流れ込んできた。
(……あ、ダメ……っ。これは僕の気持ちじゃ――違う。私の……私の気持ち、なの……?)
激しいピストン運動で奥を突かれるたびに、誰の感情かなんてどうでもよくなっていく。そして、身体の奥から溢れてくるのは、言葉にならないほどの愛おしさだった。
(圭介さん……。私、圭介さん……大好き……)
太一としての意識は完全に吹き飛び、そのとき、私は伊藤圭介の妻だった。
「圭介さん……、圭介さぁん……、好き、大好きだからぁ……、もっと、もっと奥までちょうだいぃぃ……!」
私の口から飛び出したのは、憎悪でも嫉妬でもなかった。夫への深すぎる愛を叫ぶ、万理華としての絶頂の悲鳴だった。
「万理華ぁぁっ……」
ドクドクと、私のお腹の奥のほうまで、愛おしい種が溢れるほど注ぎ込まれていく。
「あぁぁぁあーーーっ……! んっ、ぁっ……ぁあ……!!」
押し寄せる圧倒的な快感の波に呑まれながら、私は真っ白な世界へ堕ちていった。
*****
「……ん……?」
どれくらいの時間が経ったのだろう。
窓の外から聞こえる激しい雨音と、すぐ隣から聞こえる静かな寝息で、私はゆっくりと目を覚ました。
自分の手を見る。細くてしなやかな、ピンクのネイルが施された手。胸元には重みがあり、股間には、さっきまでの激しい交わりの余韻が熱い湿り気として残っている。
(……私は伊藤太一……なんだ……)
頭を染めていた強烈な快感の波が引き、自分が「伊藤太一」であることを思い出す。
けれど、何かが決定的に変わってしまっていた。
隣ですやすやと眠っている兄貴――伊藤圭介の顔を見つめる。
さっきまで、胸の奥に確かにあったはずの、ドロドロとした恨みや嫌悪感が、どこを探しても見当たらない。
代わりに胸を満たしていたのは、愛おしくてたまらないという、温かくも切ない感情だった。
(圭介さん……)
気づけば、私は愛おしさを抑えきれず、隣で眠る圭介さんの頬へ、そっと手を伸ばしていた。指先でその寝顔を撫でながら、胸の奥が甘く疼く。
あの狂おしいほどの快感で、身も心も万理華として完全に満たされてしまった私は、もう圭介さんの愛なしでは生きていけないほど、彼のものに作り変えられていた。
「……ふふ」
私は可憐で甘い声を漏らし、小さく微笑んだ。
(太一に戻るなんて……もう、どうでもいい……)
私は圭介さんの腕の中にそっと身体を滑り込ませ、その暖かい胸に顔をうずめた。
そして、すっかり夫の匂いに染まった身体を疼かせながら、私は幸せな夢の中へと、再び堕ちていく。
5.
カーテンの隙間から差し込む朝の光で、私はまぶたを開いた。
隣からは、穏やかな寝息が聞こえる。安らかな寝顔をしばらく見つめているうちに、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「……ん」
昨夜の名残で、腰の奥が重く疼く。けれど、そのだるさすら、圭介さんに全身で愛された証のように思えて心地よかった。
ゆっくりとベッドを抜け出し、キッチンへ向かう。朝食の準備を始めようとした、その時だった。
「……あ、あの……太一くん……?」
振り返ると、ボサボサの髪に、ヨレヨレのTシャツを着た元の私の身体が立っていた。
彼女は昨夜、寝室から漏れ聞こえる甘い喘ぎ声や愛撫の音をずっと聞いていたのだろう。顔は青ざめ、気まずさと申し訳なさで押し潰されそうな顔をしていた。
「大丈夫……だった……? 圭介さん……すごく激しかったみたいで……。嫌だったでしょう……? ごめんなさい、私のせいで……」
万理華は胸元で手をぎゅっと握りしめ、消え入りそうな声で私を気遣う。
その瞬間、腹の底から不快感が湧きあがった。
(なんなの、この女。何が「大丈夫だった?」だ。何が「ごめんなさい」だ)
圭介さんとの時間を、まるで被害か何かのように扱われたことが許せなかった。
それに、情けない顔で縮こまり、怯えたようにこちらの様子をうかがう態度も、見ているだけで無性に苛立つ。
(圭介さんは、あんなにも優しくて、力強くて、愛おしい人なのに……。どうして同じ兄弟で、こうも違うんだろう)
もう、綺麗で優しい義姉さんに憧れていた私はいない。私にとって一番大切なのは圭介さんだ。圭介さんの愛の深さを知った今、かつての万理華への憧れなど微塵も残っていなかった。
「……太一くん?」
返事をしない私を不審に思ったのか、万理華が不安そうに身を乗り出してくる。
「ううん、大丈夫ですよ。……少し疲れましたけど」
私は咄嗟に表情を作り、可憐な笑みを浮かべた。
「そう……。本当にごめんね……。とにかく、一刻も早く、元に戻る方法を探さないとね」
万理華は、真剣な顔でそう呟いた。
(戻る……? 冗談じゃない。私が、そのゴミみたいな男の身体に戻って、また圭介さんから冷たい目を向けられろ、っていうの……?)
私の口元がすっと冷たく歪む。
(絶対に嫌。私は伊藤万理華なの。伊藤圭介の愛する妻なんだから。この身体も、この立場も、圭介さんからの愛も、ぜったい誰にも渡さない……)
その時、パジャマ姿の圭介さんが寝室から出てきた。
「おはよう、万理華」
彼を見ると、私の表情は、パッと愛らしい妻の顔へと切り替わる。
「おはよう、圭介さん。今、朝ごはんの用意するね」
「ああ、ありがとう。……ん?」
圭介さんは私に優しく微笑んだあと、そばに立っていた万理華に、冷ややかな視線を向けた。
「おい、太一。何してる。気安く万理華に近づくな。朝から目障りなんだよ。邪魔だから、自分の部屋に引っ込んでろ」
「えっ……あ、うん。ごめん……」
万理華は怯えたように視線を泳がせると、それ以上何も言えないまま、逃げるように自分の部屋へ戻っていった。
かつての私なら、逃げるように去っていくその背中に、少しくらい同情したかもしれない。
けれど、今は違う。
おどおどと縮こまり、何ひとつ言い返せないまま部屋へ引っ込んでいく姿を見ても、胸に湧くのは苛立ちだけだった。
(本当に、鬱陶しい……)
あの女がこの家にいるかぎり、いつか余計なことを口走るかもしれない。自分こそが本物の万理華だとか、私たちの中身が入れ替わっているとか――そんな馬鹿げた話を、圭介さんに吹き込まれたら困る。
もちろん、圭介さんがそんな話を簡単に信じるとは思えない。それでも、ほんのわずかでも疑いを持たれる可能性があるなら、先に潰しておくべきだ。
(そうだ……。あの女を、もっと圭介さんから遠ざけなきゃ)
圭介さんの中で、太一という存在そのものを、愛する妻を脅かす不気味で危険な男にしてしまえばいい。そうすれば、たとえ万理華が真実を訴えたとしても、圭介さんはまともに取り合わないにちがいない。
私は小さく息を吐くと、胸の奥に浮かんだ冷たい考えを隠し、わざと不安そうに眉を曇らせた。
「あの……圭介さん」
「ん? どうした、万理華」
圭介さんはすぐに表情を和らげ、私の腰へ優しく手を回す。
その温かさに身を預けながら、私は先ほど万理華が消えていった廊下へ、ちらりと視線を向けた。
「……気のせいなら、いいんだけど」
声を少し震わせ、言いにくそうに言葉を濁す。
「最近、太一くんの視線が……なんだか怖くて」
「……視線?」
圭介さんの眉がぴくりと動いた。
「うん……。私がお料理してるときも、お掃除してるときも、部屋の隅からずっと見られてる気がするの。何も言わずに、じっと……」
「なんだって?」
声が一段低くなる。
その反応を確かめながら、私は怯えたふりをして圭介さんの胸元へそっと顔を寄せた。
「私、何か太一くんに嫌われるようなこと、しちゃったのかな……」
「万理華……」
圭介さんの腕に、私を守ろうとするような力がこもった。優しく抱きしめられるほど、胸の奥に甘い満足感が広がっていく。
「心配しなくていい。俺がいるから」
「圭介さん……」
私が潤んだ目で見上げると、圭介さんは安心させるように頬を撫でてくれた。それから、万理華が消えていった廊下へ険しい視線を向ける。
「おい、太一! 戻ってこい!」
家中に響く怒声に、しばらくして部屋のドアがゆっくりと開いた。
「な、なに……?」
太一の身体をした万理華が、青ざめた顔でおそるおそる姿を現す。
「お前、俺がいないとき、万理華をじろじろ見てるらしいな」
「え……?」
万理華は何を言われているのか分からないように、目を見開いた。
「ち、違うよ。私はただ、太一くんが――」
「とぼけるな!」
圭介さんの怒声が飛び、万理華の肩がびくりと跳ねる。
「居候させてもらってる分際で、俺の妻に気味の悪い視線を向けてたのか? どこまで恩知らずなんだ、お前は」
「違う……、そんなつもりじゃ……」
「圭介さん、お願い。あまり責めないであげて」
私は圭介さんの腕にそっと触れ、万理華をかばうような声を出した。
「きっと太一くんも、悪気があったわけじゃないと思うの……」
「万理華、お前は優しすぎる」
圭介さんは私の肩を抱き寄せると、万理華へ冷たい視線を投げる。
「こいつは、お前が何も言わないのをいいことに、調子に乗ってるだけだ」
「圭介さん……」
「いいか、太一。今日から万理華に必要以上に近づくな。話しかけるな。気味の悪い目で見るのもやめろ」
「そ、そんな……」
「今度また万理華を怖がらせるような真似をしてみろ。そのときは、すぐにこの家から叩き出す。分かったな」
万理華は唇を震わせたまま、何も言えずに立ち尽くしていた。
自分を愛してくれていたはずの夫から、まるで得体の知れない不審者を見るような目を向けられている。
その顔に浮かんだ絶望を見て、私の胸の奥が甘く震えた。
(ふふ……可哀想)
けれど、もう遅い。
今の圭介さんにとって、私は愛する妻の万理華。そして、あの女は自分の妻に執着する気味の悪い居候の弟だった。
たとえ真実を叫んだとしても、信じてもらえるはずがない。必死になればなるほど、頭のおかしい人間だと思われるだけ。もう、逃げ道なんてどこにも残っていなかった。
「さあ、万理華。あいつのことは気にしなくていい。朝飯にしよう」
圭介さんは私へ向き直ると、先ほどまでの怒りが嘘のように優しく微笑んだ。そして、私の頬にそっと口づける。
「うん、圭介さん」
私は幸せそうに目を細め、愛する夫の腕へ身体を寄せた。万理華の横を通り過ぎるとき、ほんの一瞬だけ彼女へ視線を向ける。
呆然と立ち尽くすその顔には、圭介さんへの恐怖と、夫を奪われた悲しみが混ざり合っていた。
(ごめんね、万理華さん)
心の中で、優しく語りかける。
(でも、もう諦めて)
圭介さんの愛も。この身体も。この家で過ごす、温かく幸せな毎日も。もう全部、私のものなのだから。
私は圭介さんのためにエプロンを身につけると、朝食の準備を始めた。
6.
あの日以来、万理華は、私たちの前にほとんど姿を見せなくなった。
顔を合わせるたびに冷たい言葉を浴びせられ、今では、私たちがリビングにいるだけで部屋から出てこようともしない。食事の時間をずらし、廊下で物音がすると、気配まで消すように部屋へ閉じこもっていた。
(このまま、諦めてくれればいいんだけど……)
けれど、そんな都合のいい期待は、あっさりと打ち砕かれた。
その日の午後。
朝から降り続いていた雨は、夕方になってさらに激しさを増していた。窓の外は薄暗く、窓ガラスを打つ雨音が、絶え間なくリビングに響いている。
私はソファに腰を下ろし、何気なくスマホを眺めていた。
画面には、少し前に届いた圭介さんからのメッセージが表示されている。
『仕事、予定より早く終わった。駅からタクシーで帰る』
短い文章を読み返し、私はスマホをテーブルに置いた。
そのときだった。
「太一くん!」
驚いて顔を上げると、部屋に閉じこもっていた万理華が、転がり込むようにリビングへ入ってきた。
髪は乱れ、呼吸は荒い。けれど、これまでの怯えきっていた目ではなかった。
「分かったの……!」
万理華は私の前まで駆け寄ると、大きな手で私の両肩を掴んだ。
「元に戻る方法が、分かったのよ!」
その言葉を聞いた途端、胸の奥が冷たく凍りついた。
――元に戻る。
この身体を失い、また太一になる。圭介さんの妻ではなくなり、あの冷たい目を向けられる生活へ戻される。優しく名前を呼ばれることも、抱きしめてもらうことも、すべて終わってしまう。
(嫌……)
強い恐怖が、胸を締めつけた。けれど、その動揺を万理華に悟られるわけにはいかない。
私は万理華の肩越しに、テーブルの上のスマホへちらりと目をやった。
(圭介さんが帰ってくるまで、まだ少し時間がある……)
「本当ですか……?」
私はすぐに表情を整え、柔らかな笑みを浮かべた。
「よかった……。やっと、元に戻れるんですね……!」
「太一くん……!」
万理華の顔が、安堵に緩む。
私が本気で喜んでいると信じたのだろう。その目には、うっすらと涙まで浮かんでいた。
「これは『観察者』の実験だったんだって。だから、戻してくれるって!」
「観察者……?」
「この世界を管理して、観察している人たちみたいなの。私たちの変化も観察されていたみたいなの。それで、もう必要な観察は終わったから、二人とも同意するなら元に戻してくれるって……!」
万理華は興奮を抑えきれない様子で、一気にそう説明した。
「でも……本当に大丈夫なんですか?」
私は胸元で両手を重ね、不安そうに眉を寄せた。
「失敗したり、もっとおかしなことになったりしませんか?」
「大丈夫。私も何度も確認したから」
私は真剣に耳を傾けるふりをしながら、ときどき分からない顔をして聞き返した。
本当に元の身体へ戻れるのか。危険はないのか。入れ替わったときと同じ状況を再現する必要があるのか――
万理華は早口になりながらも、私を安心させようと、一つひとつ丁寧に答え、私は何度もうなずきながら、その話をできるだけゆっくりと聞いた。
その間も、時間はゆっくりと過ぎていく。
「それなら……本当に、元どおりになれるんですね」
「ええ。だから、今すぐ試しましょう」
万理華は待ちきれない様子で、私の手を取った。
「圭介さんが帰ってくる前に、早く」
「そうですね……」
私はそう答えながら、テーブルへ手を伸ばした。スマホの画面を確認し、そのまま何事もなかったように元の場所に置く。
(もう少し……)
「太一くん?」
「ごめんなさい。少し怖くなってしまって」
「怖いのは分かるわ。でも、このままではいられないでしょう?」
万理華は私の手を両手で包み込んだ。
その顔には、私を気遣う優しさと、ようやく自分の人生を取り戻せるという期待が浮かんでいる。
「分かりました」
「太一くん……」
万理華がほっと息をつく。
「じゃあ、早く――」
彼女が私の手を引こうとした。そのとき、私は、その手を静かに振りほどいた。
「……え?」
万理華の笑顔が止まる。
私はもう、笑っていなかった。
「太一くん……?」
「戻るわけないでしょ」
「……何を、言ってるの?」
「誰が好き好んで、その身体に戻るのよ」
万理華の顔から、すっと血の気が引いていく。
私はソファから立ち上がると、今ではすっかり自分のものになった身体を、愛おしむように見下ろした。
「私は、圭介さんの妻なの」
「な、何を言って……」
「まだ分からない?」
私は可憐な唇を、冷たく歪める。
「もう、太一に戻る気なんてないって言ってるの」
リビングから、激しい雨音以外のすべてが消えた。
万理華は目を見開いたまま、呆然と立ち尽くしている。
「冗談……よね?」
「冗談に聞こえる?」
「だって、さっき……元に戻れるって喜んで……」
「あれを信じたの?」
私はくすりと笑った。
「ずいぶん素直なのね、義姉さん」
「太一くん……」
「圭介さんに愛されて、何不自由なく暮らせるこの身体と人生を、どうして私が手放さなきゃいけないの?」
「それは……私の身体よ」
「今は私の身体でしょ?」
胸元へそっと手を滑らせながら、万理華を見つめる。
「圭介さんが愛しているのも、この私。あなたじゃない」
「違う……」
「惨めで、冴えなくて、何の価値もなかった太一の身体なんて、あなたがそのまま使っていればいいじゃない」
万理華の身体が、小刻みに震え始めた。
「私の人生を返して……。圭介さんは、私の夫なの……」
「でも、圭介さんはあなたを妻だと思っていない」
私は笑みを深めた。
「圭介さんがあなたを見る目、もう分かってるでしょ?」
「やめて……」
「役立たずの弟。気味の悪い居候。今のあなたは、それだけなの」
「やめてよ……」
「圭介さんに愛されることなんて、もう二度とないのよ」
「やめてって言ってるでしょ!」
万理華が私の肩を激しく掴んだ。
「私の身体を返して! 圭介さんを返してよ!」
「きゃっ……!」
悲鳴を上げながら、私はテーブルの上のスマホへ一瞬だけ視線を落とした。
「返すわけないじゃない。だって圭介さんは、あなたより私を愛しているもの」
「ふざけないで! 圭介さんは私の夫なの。私の身体も、私の人生も、全部返して!」
「嫌よ」
私は万理華をまっすぐ見返した。
「この身体も、圭介さんも、もう私のものだもの」
「返して!」
万理華が怒りに任せ、私の身体を強く押した。
私はそれに合わせ、自分から派手に後ろへ倒れ込む。
背中が床にぶつかり、テーブルの端に置かれていたカップが落ちて割れる。
それは以前、万理華が圭介さんとの初めてのデートで買ったのだと、嬉しそうに話していたカップだった。
(ちょうどいいわ。この女の思い出ごと、壊れてしまえばいい)
私は頬にかかった髪をそのままに、目に涙を浮かべながら万理華を見上げた。
「嫌……。暴力はやめて、太一くん……っ」
「しらじらしいこと言わないで!」
興奮した万理華は、床に倒れた私へ覆いかぶさってきた。
「立って! 今すぐ元に戻るの!」
「怖い……。やめて……っ」
「自分から倒れたくせに!」
万理華が私の胸元へ手を伸ばす。
そのとき――玄関の鍵が開く音がした。
(――来た)
私は泣きそうな顔を作ったまま、心の中で笑みを浮かべる。
「ただいま、万理華。雨、すごかったな――」
リビングに入ってきた圭介さんの声が、途中で止まった。
床に倒れ、割れたカップのそばで涙を流している妻。その上に覆いかぶさり、胸元を掴もうとしている弟。
「……何をしてる」低い声だった。
万理華が振り返る。
「圭介さん……?」
「お前、万理華に何をしてるんだ!」
怒号がリビングを震わせた。
私は縋るように圭介さんを見上げた。
「助けて……! 太一くんが、急に部屋から出てきて……私に襲いかかって……」
圭介さんはすぐに私のもとへ駆け寄って抱き起こすと、そのまま背後へ庇うようにして、万理華の前に立ちはだかった。
「違うの!」
万理華が必死に首を横に振った。
「圭介さん、聞いて! 私は万理華なの!」
「……何?」
「私たち、中身が入れ替わってるの! その人が太一くんなのよ! 私の身体を奪って、圭介さんを騙してるの!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、万理華は叫び続ける。けれど、その言葉は圭介さんには届かない。
今の圭介さんにとって、万理華の訴えは真実ではない。愛する妻に異常な執着を向ける弟の、支離滅裂な妄言でしかなかった。
「自分が万理華だって?」
圭介さんの声が冷たくなる。
「どこまで気持ち悪いんだ、お前は」
「違う! 嘘じゃないの!」
万理華が手を伸ばした。
「触るな!」
圭介さんは、その手を乱暴に払いのけた。
「居候させてやれば、俺の妻を気味悪く見つめる。挙げ句の果てには暴力を振るって、自分が万理華だなんて訳の分からないことまで言い出す」
「圭介さん……お願い、信じて……」
「もう限界だ」
圭介さんは低く言い放つと、万理華の腕を掴んだ。
「お前をこの家には置いておけない」
「待って! 話を聞いて!」
「出ていけ」
「嫌! 圭介さん、お願い!」
万理華は必死に抵抗した。けれど、怒りに任せた圭介さんに腕を引かれ、そのまま玄関へと連れていかれる。
私は怯えた妻を装いながら、圭介さんの背中を追った。
「私が本物の万理華なの! お願い、信じて!」
「黙れ!」
玄関のドアが開け放たれる。
「二度と俺たちの前に姿を見せるな」
圭介さんは、万理華を共用廊下へ突き出した。
「圭介さん!」
体勢を崩した万理華が、硬い床に膝をつく。
「お願い、待って! 私が万理華なの!」
万理華が立ち上がり、玄関へ縋ろうとする。けれど、その目の前でドアが閉められた。
バタンッ。
続けて、鍵がかかる。
「圭介さん! 開けて! お願いだから!」
ドアの向こうから、泣き声と扉を叩く音が聞こえてくる。けれど、分厚い玄関ドアに遮られ、その声はひどく遠く感じられた。
圭介さんは荒い息を吐きながら、閉ざされたドアをしばらく睨みつけていた。やがて気持ちを切り替えるように息を整え、私のほうへ振り返る。
「万理華、大丈夫か?」
険しかった表情が、心配そうなものに変わっていた。
圭介さんは私のもとへ歩み寄ると、そっと優しく抱きしめてくれた。
「怖い思いをさせたな。すまない。俺がもっと早く帰っていれば……」
「ううん……圭介さん……」
私は震えるふりをしながら、その胸へ顔を埋めた。
「怖かった……」
「もう大丈夫」
圭介さんの腕に力がこもる。
「あいつは二度とこの家に入れない。両親にも連絡する。必要なら警察にも相談する」
「でも、弟さんなのに……」
「関係ない」
圭介さんは迷いなく言い切った。
「君を傷つける奴は、たとえ弟でも許さない」
その言葉に、胸の奥が熱いもので満たされていく。
私は圭介さんの腕の中で、誰にも見えないよう、そっと唇を歪めた。
(こんなに、上手くいくなんて……)
あのとき、私はすぐに考えた。
駅からタクシーなら、帰ってくるまで十分ほど。だから万理華の話に耳を傾け、不安がるふりをしながら、何度も質問を重ねた。そして、圭介さんが到着する直前に、万理華が最も怒り狂う言葉を選んだ。
すべて、私の思いどおりになった。
(さようなら、万理華さん)
いや、もう、あの人は万理華じゃない。
圭介さんに愛され、守られ、妻として抱きしめられているのは私。
この身体で過ごした時間も、圭介さんへの想いも、彼に触れられるたびに胸を満たす幸福も、
すべて、今では私のもの。
「圭介さん……」
私は甘えるように彼の名を呼び、首へ細い腕を回した。
「どうした?」
「もう少しだけ、このままでいて……」
「ああ」
圭介さんは私を安心させるように、さらに強く抱きしめてくれた。
その胸から漂う愛おしい匂いに包まれながら、私は幸せそうに目を閉じる。
(圭介さん……大好き)
もう、弟の太一へ戻る必要なんてない。
私は伊藤万理華。
伊藤圭介の愛する妻として、この温かく満たされた人生を生きていく。
これからも、ずっと。