彼女が俺を思い出すまで:『俺が妹になるとき』アナザーストーリー (Pixiv Fanbox)
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『俺が妹になるとき』の裏側を、直哉の視点から描くアナザーストーリー。親友の恋人と人生を奪い、十年かけて望んだ世界を完成させたはずの直哉。しかし、結婚式の日に日向が選んだ答えは、彼の勝利そのものを揺るがした。
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2016年6月17日(金)23:42
公開範囲:自分のみ
この世界へ移って、最初の一日が終わった。
記録を残すために、このアカウントを作った。公開範囲は自分のみ。夢来や日向に存在を知られるわけにはいかない。
スマートフォンを調べると、RAINには夢来との会話が何か月分も残っていた。
『直哉といると落ち着く』
『ずっと一緒にいようね』
どれも俺には覚えがない。この世界で夢来と付き合っていた吉村直哉の立場を引き継いだだけで、その記憶まで持っているわけではない。
夢来の限定公開Imstagramも確認できた。この世界で、俺は閲覧を許可されている。水族館や映画館、駅前の喫茶店。写真の夢来は俺に肩を寄せ、友人たちも当然のように俺たちを恋人として扱っている。
一方で、御影日向の痕跡はどこにもない。
代わりに存在していたのは、小鳥遊日向という中学二年生の妹だった。夢来の投稿には、制服姿の日向や、勝手に服を借りた日向、怖い夢を見て部屋へ来た日向の写真が残っていた。
夢来も日向も、元の世界の記憶を保持しているはずだ。そして俺については、この世界の人間だと思っている。
それでいい。
俺は、夢来と付き合っていて、突然避けられ始めた彼氏として振る舞う。
RAINからは二人だけの会話を、Imstagramからは出かけた場所や距離感、周囲から見た関係を把握できる。
この世界の吉村直哉を演じる材料は十分にある。
昼に送ったRAINに、夜になって返事が来た。
『今日は少し体調が悪いから、また今度話すね』
ひどくよそよそしい文章だった。
夢来には、御影日向との記憶を残したまま俺を選ばせる。
日向には、夢来の恋人だった記憶を残したまま、妹として生きてもらう。
忘れさせるだけでは意味がない。
2016年6月24日(金)22:51
移動から一週間
夢来は、学校でも俺を避けている。
RAINには返事が来るが、どれも短い。
『心配しないで』
『もう少し時間をちょうだい』
俺は尋ねた。
『俺、何かした?』
十分後、返事が来た。
『直哉くんは何も悪くないよ』
予想どおりだ。
夢来にとって俺は、事情を何も知らずに傷ついている人間だ。その罪悪感がある限り、一方的には切り捨てられない。ただし、責めてはいけない。
『分かった。無理に聞かない』
『落ち着くまで待ってる』
そのあと、RAINで見つけた予定を使う。
『日曜日に行く予定だった映画も、今はやめておこうか』
夢来のImstagramにも、『直哉と観に行く予定。絶対泣くと思う』という投稿が残っていた。
夢来には、その約束をした記憶がないはずだ。
返事は、『ごめん』だけだった。
「そんな約束はしていない」とは言わなかった。
今はそれでいい。
俺はこの世界の過去を押しつけない。ただ、恋人なら知っていて当然のこととして口にする。
矛盾を処理するのは夢来の方だ。
それに、日向がいる。
何も知らない親友が傷ついていると思えば、あいつは放っておけない。俺が無理に近づかなくても、日向が夢来の背中を押すはずだ。
2016年7月16日(土)21:37
移動から約一か月
今日、夢来から初めて電話が来た。
「ずっと避けてて、ごめんね」
「俺のこと、嫌いになった?」
「違う。直哉くんは何も悪くないの」
「じゃあ、何があったの?」
夢来はしばらく黙り、
「自分でも、どうしたらいいか分からない」
と答えた。
俺をこの世界の人間だと思っている以上、真相は話せない。
本当は別の男と付き合っていて、その男が今は妹になっている。そんな話を信じてもらえるとは思っていないのだろう。
少し問いかけたあと、俺はすぐに引いた。
「言いたくないなら、無理に言わなくていい。俺は待ってるから」
電話の間、日向の名前は出さなかった。
この世界では俺も夢来の妹としての日向を以前から知っていることになっている。Imstagramには、夢来と俺と日向が一緒に写った写真もあった。
だが、今はまだ早い。
夢来が俺との関係を終わらせていないことだけ確認できればいい。
RAIN、Imstagram、写真、友人たちの認識。そのすべてが、夢来の記憶と食い違っている。
認知的不協和。
夢来は今日、「あり得ない」ではなく、「分からない」と言った。
次に必要なのは、記録ではなく、俺と会っても何も怖いことは起きないという現在の体験だ。
2016年8月20日(土)22:18
移動から約二か月
今日、夢来と会った。
駅前の喫茶店。この世界では、俺たちが何度も使っていることになっている店だ。RAINには来店後の会話が残り、Imstagramには店の前や窓際の席で撮った写真があった。
『今日もミルクティー。冒険できない』
俺には、この店へ来た記憶はない。それでも、夢来の前では何度も来た人間として振る舞う。
「来てくれてよかった。ずっと心配してた」
「ごめんね」
「俺が何かしたなら、ちゃんと言ってほしい」
「直哉くんは何もしてないよ」
日向が説得したのだろう。
店員が来ると、俺は履歴で確認しておいた注文を尋ねた。
「ミルクティーでいい?」
夢来が驚いたように俺を見る。
「どうして?」
「ここではいつもそれだろ」
少し迷ったあと、夢来は頷いた。
会話の途中には、RAINや投稿から得た情報を少しだけ混ぜた。
「夢来が気になるって言ってた店、来月開くらしいよ」
「私が?」
「覚えてない?」
夢来はしばらく考え、
「最近、忘れてることが多くて」
と答えた。
自分から、記憶が欠けている可能性を認めた。
まだ再固定化とは呼べない。だが、元の記憶に反する情報を、すぐには否定しなくなっている。
帰り道、人混みの中で夢来の手に触れようとしてみた。
写真では何度も手をつないでいたし、RAINにも、人混みでは夢来が俺の腕をつかんでいたことになっている会話が残っていた。
夢来は反射的に手を引いた。
「……ごめん」
「違うの。直哉くんが嫌なわけじゃなくて」
「分かってる。今日は来てくれただけでよかった」
もちろん、何も分かっていない人間として答えた。
帰宅後、夢来からRAINが届いた。
『もう少し時間がかかるかもしれないけど、直哉くんとちゃんと話したい』
『待ってる』
そう返した。
日向は、自分の手で夢来を俺の前まで連れてきた。
次からは、俺が恋人だったことになっている過去を、夢来自身に確かめさせる。
RAINを読み返し、Imstagramの写真やコメントを見る。
自分で見つけた情報は、他人から押しつけられた情報より疑いにくい。過去を思い出させ、記憶が不安定になったところへ別の情報を混ぜる。
記憶の再固定化は、そこから始まる。
2016年11月12日(土)22:34
移動から約五か月
夢来と会うことが、少しずつ当たり前になってきた。
まだ恋人らしく触れることはできない。それでも、食事や映画には付き合ってくれる。
今日は、この世界では以前にも二人で観たことになっている映画シリーズの新作を観た。Imstagramには、前作を観終えた夢来が目を赤くしている写真が残っている。
夢来は今回も同じような場面で泣いていた。
「前のときも、そこで泣いてたよな」
そう言うと、夢来は驚いたように俺を見た。
「そうなの?」
「投稿にも残ってる」
画面を見せると、夢来はしばらく写真と文章を読んでいた。
「……じゃあ、前も本当に泣いたのかもね」
初めて、夢来自身が俺との過去を認めた。
覚えていない。それでも、今の感情と記録が一致したことで、あり得ないとは言い切れなくなった。
現在の反応を、過去の証明に使わせる。
まだ完全な再固定化ではないが、土台はでき始めている。
2017年2月4日(土)23:06
移動から約八か月
日向について、初めて話を出した。
「日向ちゃん、今でも雷が苦手なの?」
夢来が首を傾げた。
「どうして?」
「前に夢来が言ってただろ。雷が鳴ると、日向ちゃんが部屋に来るって」
実際に夢来から聞いた記憶はない。Imstagramに残されていた投稿を利用した。
夢来は、そんな話をした覚えがないと言った。
俺はすぐに引いた。
「別の話と混ざったかな。ごめん」
三日後、夢来からRAINが来た。
『この前の話、お母さんも同じこと言ってた』
『日向、小さい頃から雷が鳴ると私の布団に入ってきたんだって』
『私、本当に忘れてるだけなのかな』
俺の話を、母親の証言が補強した。
俺から聞いたのか、母親から聞いたのか、投稿で読んだのか。情報の出どころが曖昧になれば、最後には内容だけが残る。
出典モニタリングの混乱。
夢来は、「そんな過去はない」とは言わなかった。
2017年9月16日(土)21:54
移動から一年三か月
夢来が、友人から日向の昔話を聞かされたらしい。
「日向ちゃん、昔から夢来にべったりだったよね」
そう言われたという。
母親からも、夢来が出かけようとすると、幼い日向が泣いてついてきたという話を聞いたらしい。
「直哉くんも、お母さんも、友達も同じようなことを言うんだよね」
俺は心配そうに答えた。
「無理に思い出さなくてもいいんじゃない?」
こちらから押せば、夢来は身構える。受け入れる理由は、夢来自身に見つけさせた方がいい。
しばらく考えたあと、夢来は言った。
「でも、今の日向を見てると、ありそうな気もする」
日向は勉強が分からなければ夢来を頼り、身体のことで困ったときも真っ先に相談している。
現在の姉妹関係が、覚えていない幼少期を本物らしく見せている。
反復による真実性の上昇に、現在の実感まで加わった。
夢来は今日、初めて自分から、
「日向って、昔から私がいないと駄目だったのかもね」
と口にした。
2018年6月23日(土)23:18
移動から約二年
夢来と駅前のケーキ店へ行った。
Imstagramの写真では、俺たちは以前にもこの店を訪れたことになっている。
夢来は苺のショートケーキを頼んだ。俺が一口ほしいと言うと、夢来はすぐに皿を遠ざけた。
「自分の分も頼めばよかったでしょ」
移動前の世界でも、夢来は同じ場面で日向に同じ反応をしたはずだ。記憶の筋書きは残っている。違うのは、相手だけ。
俺はImstagramの写真を見せた。
『直哉が一口ほしいって言ったけど、絶対あげない』
夢来は投稿を見つめ、それから小さく笑った。
「今日も嫌だったから、前も本当に怒ったんだと思う」
実在する記憶の登場人物が、日向から俺へ置き換わり始めた。
ゼロから偽の過去を作るより、元からある記憶の出典を混乱させる方が簡単だ。
その時、夢来は、日向が男子から告白されたことも相談してきた。
日向は少し嬉しいと感じてしまい、悩んでいるらしい。
数日後、俺へ話したことが日向に知られ、二人は喧嘩した。
夢来は悪気なく、こう言った。
「男の子の気持ちは、直哉くんの方が分かると思ったの」
俺は夢来の彼氏。
日向は、俺たちが一緒に心配する妹。
記憶より先に、現在の役割が入れ替わった。
2022年6月25日(土)22:46
移動から約六年
夢来から、日向の服を選びに行ったと聞いた。
同じ大学の佐伯という男と、二人で食事に行くための服らしい。
「まだ付き合ってないって言うんだけど、顔を見れば分かるよ。あの子、絶対うれしがってる」
夢来は楽しそうだった。嫉妬している様子はない。ただ、妹の恋を応援する姉の顔をしていた。
「日向だけで選ばせると、無難な服にするから。昔から、こういうことは私に聞いてくるんだよね」
昔から。
夢来は、ごく自然にそう言った。
俺も母親も友人も、今回は何も過去を教えていない。これまで聞かされた話と、現在の日向の行動を、夢来自身がつなぎ合わせたのだ。
外部から与えられた情報が、自伝的記憶の中へ取り込まれ始めている。再固定化は、もう俺の手を離れて進んでいる。夢来は日向を昔から知っている姉として、自分で過去の続きを作っている。
そして日向も、夢来に服を選んでもらうことを受け入れたらしい。
二人きりのときだけは、まだ「俺」と言っているそうだ。
だが、夢来に似合う服を選んでほしいと頼み、男との食事を楽しみにしている。
言葉だけが残っても、役割はもう妹だ。
2025年6月20日(金)23:31
移動から約九年
今日、夢来との結婚を家族へ報告した。
日向も仕事を終えてから実家へ来た。
佐伯とは、大学時代から交際が続いているらしい。
俺は義理の兄になる人間として尋ねた。
「どんな人なの?」
日向は少し照れながら、
「優しい人です。一緒にいると、すごく落ち着くというか」
と答えた。
佐伯の顔を思い浮かべただけで、表情が緩んでいた。
御影日向だった頃なら、男に好意を向けられることなど嫌だったはずだ。
夢来を姉として慕い、佐伯を恋人として愛している。
それでも、日向の記憶から御影日向が消えたわけではない。夢来と恋人だったことも、俺と親友だったことも覚えている。
ただ、その記憶は今の生活を決めるものではなくなった。
夢来も同じだ。
日向との過去を否定はしないが、今では遠い出来事として話す。俺との過去については、どこまで覚えていたことで、どこから聞いた話なのか、もう本人にも区別できないだろう。
出典モニタリングの混乱は完成した。
結果だけ見れば十分だ。
夢来は俺と結婚する。
日向は妹として祝う。
俺が選んだ世界は、ほとんど完成している。
2026年6月19日(金)23:56
結婚式前夜
明日、夢来と結婚する。
そして式が始まる前に、日向へすべて話す。
俺がこの世界を選んだこと。夢来の前で、何も知らない彼氏を十年間演じてきたこと。RAINやImstagramを調べ、この世界での記憶があるように振る舞ったこと。
再固定化、誤情報効果、出典モニタリングの混乱を使い、夢来の中で、俺を恋人に、日向を妹に変えていったこと。
日向は、自分の人生がどこまで俺の計画どおりだったのかを知る。
夢来へ甘え、男を好きになり、小鳥遊日向として生きるようになった姿を、俺がずっと見ていたことも。
それでも、あいつは逃げられない。
新婦の妹として席に座り、俺と夢来を祝うしかない。
十年前から、その顔が見たかった。
この記録も、明日で終わる。
2026年6月20日(土)23:48
最後の投稿
全部、話した。
日向が泣き、怒り、元の人生を返せと叫ぶところを想像していた。
だが、あいつは一年前に観察者と会っていた。元の世界へ戻れると言われ、それを自分で断っていた。
佐伯を失いたくなかったから。夢来を姉として過ごした時間を、なかったことにしたくなかったから。
俺が作った世界だと言っても、日向は否定しなかった。
そのうえで、
「佐伯くんを好きになったのは私です」
と言った。
俺が与えた環境を、自分の人生として選び直していた。
そして最後には、自分をこんな姿にした俺へ頭を下げた。
「夢来を幸せにしてやってくれ」
勝ったのは俺のはずだった。
御影日向から、身体も、名前も、恋人も奪った。
夢来は俺を愛し、日向は妹として結婚式に出た。
式のあいだ、日向は泣いていた。
だが、あれは悔しさでも絶望でもない。夢来が幸せそうに笑っているのを見て、妹として泣いていた。
この記録は、俺の勝利を残すために始めた。
だが、最後は、俺の敗北を記録している。