Home Creators Posts Import Register Favorites Logout

Content

星曦要塞への帰還

星曦要塞の静かな廊下を、蘇語倉は慣れた足取りで歩いていた。靴音だけが規則正しく響き、すれ違う職員たちは彼女の姿を認めると、一様に背筋を伸ばして道を譲った。皆、同じような制服に身を包み、胸元には星曦閣の徽章が光っている。彼女たちの視線には、畏怖と緊張が入り混じっていた。


蘇語倉は誰の顔も見なかった。いや、正確には、見ようとしても思い出せなかった。記憶の中にあるのは、魔物研究部の執務室の間取り、実験機器の操作手順、提出を待つ報告書の山、そして自分がこの部署の総裁であるという事実だけだ。この要塞にいる全員の顔が、彼女にとっては初めて会う他人のようにしか感じられなかった。


執務室の自動ドアが音もなく開く。室内には既に数名の部下たちが待機しており、蘇語倉の姿を認めるや否や、全員が直立不動の姿勢をとった。


「おはようございます、蘇総裁」


声は揃っていたが、その響きには微かな震えが混じっている。蘇語倉は無言で頷き、自分のデスクへ向かった。机の上には、彼女が不在の間に溜まった報告書類が整然と積まれている。彼女は椅子に腰を下ろすと、すぐに一番上のファイルを手に取った。


「先月の魔素変異体の分析データはどこにある」


冷たい声で問うと、一番近くに立っていた若い研究員が慌ててタブレットを差し出した。蘇語倉は画面をスクロールしながら、眉をひそめる。


「この数値は何だ。基準値の三倍の誤差がある。再測定は行ったのか」


「は、はい。三回行いましたが、いずれも同様の結果で……」


「三回同じ間違いを繰り返したのか。測定環境の魔素濃度を確認したか。この部屋の空調フィルターは先週交換したはずだが、その影響を考慮に入れたのか」


研究員の顔色が青ざめる。蘇語倉はタブレットを机に置き、冷ややかな視線を向けた。


「もう一度最初からやり直せ。今日中に再提出だ」


「……承知いたしました」


研究員は深く頭を下げ、小走りに執務室を出ていった。残った者たちも、自分の作業に集中しているふりをしながら、明らかに緊張を隠せていない。蘇語倉はそんな空気を気に留めることもなく、次の報告書を開いた。


彼女の物言いは、記憶を失う前と変わらないほど厳格だった。いや、むしろ以前よりも冷淡になったかもしれない。部下たちは密かにそう囁き合っていた。昔の蘇総裁は確かに厳しかったが、時折見せる細やかな気配りがあった。今の彼女には、そうした人間味が欠けているように感じられる。


だが蘇語倉にとって、それは当然のことだった。彼女は誰のことも覚えていない。部下たちの名前も、顔も、過去にどんな会話を交わしたのかも、何もかもが空白だった。ただ自分の職務だけが、彼女をこの場所に繋ぎ止めている。仕事の流れは体が覚えていた。研究の進め方、データの読み方、部下への指示の出し方。それらはまるで呼吸をするように自然にできた。


だから彼女は、周囲の評価など気にしなかった。必要なのは正確な研究成果であり、感情ではない。


二週間が過ぎた頃、蘇語倉は執務室で戦闘部の報告書を確認していた。魔物研究部と戦闘部は、業務上の接点が多い。特に神族との戦闘で得られたサンプル分析は、魔物研究部の重要な任務だった。


ドアが開き、一人の女性が入ってきた。長い黒髪を揺らし、豊満な肢体を制服に包んだ、目を引く美貌の持ち主だった。彼女の胸元には、戦闘部総裁の徽章が輝いている。


林若簡。


蘇語倉は立ち上がり、規定通りの敬礼をした。戦闘部は星曦閣の中核部門であり、同じ総裁であっても、林若簡の職階は蘇語倉より一つ上だった。だから彼女は、本能的に敬意を示すべきだと判断した。


「林総裁、本日のサンプル分析結果は既に送信済みですが、何かご不明な点がございましたか」


林若簡は一瞬、複雑な表情を浮かべた。だがすぐに優しい微笑みを口元にのせ、軽く手を振った。


「そんなにかしこまらないで。ただ、直接話をしたかっただけなの。今、大丈夫かしら」


「構いません。どうぞお掛けください」


蘇語倉は客用の椅子を勧めながら、この女性に対して奇妙な親しみを感じている自分に気づいた。他の誰に対しても感じたことのない、胸の奥がほんのり温かくなるような感覚。しかし、その正体はわからない。記憶は相変わらず空白のままだった。


林若簡は椅子に座ると、少しだけ身を乗り出した。


「最近、調子はどう? 無理してない?」


「問題ありません。業務に支障は出ていません」


「そうじゃなくて……体調は大丈夫? まだ完全に回復したわけじゃないんでしょう」


林若簡の声は、他の誰よりも親しげで、気遣いに満ちていた。蘇語倉は少し戸惑いながらも、彼女の問いに淡々と答えた。


「身体機能は問題ありません。記憶の回復も、業務に必要な知識は保持していますので、支障はないかと」


「……そう」


林若簡は少し寂しげに微笑んだが、それ以上は何も言わなかった。彼女はその後も、週に二、三度は蘇語倉の執務室を訪れるようになった。時には業務の話をし、時にはただ世間話をするだけのこともあった。蘇語倉は最初こそ戸惑ったが、次第に彼女の訪問を当然のように受け入れるようになっていった。


そして、半月あまりが過ぎたある日の午後、林若簡はいつものように執務室に現れた。だがその日は、どこか様子が違っていた。彼女は少し躊躇うように蘇語倉を見つめ、それから思い切ったように口を開いた。


「今夜、あなたの寝室に行ってもいいかしら」


蘇語倉は顔を上げた。林若簡の瞳には、期待と不安が入り混じっている。


(多分、私の記憶を取り戻す手助けをしようとしているんだろう)


蘇語倉はそう解釈し、短く頷いた。


「構いませんよ」


林若簡の顔がぱっと明るくなった。彼女は嬉しそうに微笑み、それから執務室を後にした。


その夜、蘇語倉は自室で待っていた。彼女の寝室は要塞の中でも特別に広く、いくつもの部屋に分かれている独立した居住区画だった。リビングルーム、書斎、寝室、そして何よりも広大なバスルーム。彼女はその広さを当然のように受け入れていたが、なぜ自分がこんなに広い部屋を割り当てられているのかは覚えていなかった。


約束の時間ちょうどに、ドアのチャイムが鳴った。蘇語倉がドアを開けると、そこには林若簡が立っていた。彼女は昼間の制服ではなく、シンプルな私服に身を包んでいる。だが、その顔はどこか緊張しているように見えた。


「入って」


蘇語倉が促すと、林若簡は黙って部屋に入り、背後でドアを閉めた。


その瞬間だった。


林若簡の眼差しが、突然、格別に優しいものに変わった。まるで氷が溶けるように、彼女の表情から力が抜け、瞳が潤み始める。彼女はしばらく蘇語倉をじっと見つめていたが、次の瞬間、その場にゆっくりと跪いた。


蘇語倉は驚いて一歩後退した。何が起こったのか理解できない。


林若簡は顔を真っ赤に染め、恥ずかしそうにうつむきながら、震える声で言った。


「ご主人様……卑しい奴隷は、ついにご主人様が回復してお戻りになるのをお待ちしておりました」


蘇語倉は言葉を失った。頭の中が真っ白になり、ただ跪いている林若簡を見下ろすことしかできない。


「ご主人様は記憶を失われましたが、卑しい奴隷はご主人様の命令とすべての掟を覚えております。外では私たちは同僚であり、公然の恋人ですが、家に帰れば、卑しい奴隷はただご主人様の卑しい奴隷でしかいられません」


林若簡の声は、昼間の凛とした口調とはまるで別人のように従順で、か細かった。蘇語倉は混乱しながらも、彼女の言葉の端々に真実味があることを感じ取っていた。


だが、性的虐待や性奴隷といった概念は、今の蘇語倉にはほとんど馴染みがなかった。おそらく過去の自分は知っていたのだろう。しかし記憶を失った今、それらはまるで異世界の言葉のように遠く感じられた。


「ご主人様、卑しい奴隷が立ち上がり、あなた様をある場所へご案内することをお許しください」


林若簡は顔を上げ、懇願するような目で蘇語倉を見つめた。蘇語倉はまだ混乱していたが、彼女の真剣な様子に、無意識のうちに頷いていた。


林若簡は立ち上がると、蘇語倉を寝室の奥へと案内した。彼女は壁の一部に手を触れ、何かの操作をした。すると、壁の一部が音もなく横にスライドし、地下へと続く階段が現れた。


「こちらです」


二人は階段を下りていった。照明が自動で点灯し、広大な地下空間が徐々に姿を現す。蘇語倉は息を呑んだ。そこは彼女の寝室の真下にあるとは思えないほど広く、高い天井と無機質な壁に囲まれた空間だった。


「ご主人様、ここがあなた様が卑しい奴隷を調教なさった場所です」


林若簡の言葉に、蘇語倉は周囲を見回した。壁際には犬用のケージが並び、中央には頑丈な拘束台が設置されている。壁には様々な道具が整然と掛けられており、どれもが特殊な用途を持っているようだった。空気はひんやりとしているが、どこか甘い香りが漂っている。


林若簡は迷いなく部屋の中央へ歩いていった。そこには透明なガラスでできた円形の台が置かれている。彼女は台の上に立つと、蘇語倉の方を向き、静かに服を脱ぎ始めた。


一つ一つの動作が、儀式のように恭しく、丁寧だった。彼女は脱いだ服を丁寧に畳み、台の端に置いた。そして完全に裸になった状態で、再び跪いた。両膝をぴったりと揃え、手を太腿の上に置く。その姿勢は完璧で、長い時間をかけて訓練されたもののように見えた。


「ご主人様、あなた様がお定めになった奴隷の誓いを、私が暗誦することをお許しください」


蘇語倉はまだ衝撃から抜け出せずにいたが、彼女の真剣な眼差しに押されるように、小さく頷いた。


林若簡は深く息を吸い込み、それから両手をゆっくりと背後に回した。手首をぴったりと合わせ、まるで縛られているかのような姿勢をとる。彼女の豊かな胸が、その動きに合わせてわずかに揺れた。


「第一条。奴隷は、いかなる時もご主人様を最優先とし、ご主人様のご意向を絶対のものとすることを誓います」


彼女の声は澄んでいたが、頬は羞恥で赤く染まっている。


「第二条。奴隷は、ご主人様の前では常に裸であり、ご主人様の許可なく衣服を身につけないことを誓います」


蘇語倉は、彼女の言葉を一言一句、聞き逃すまいとするように耳を傾けた。林若簡の声は時折震えながらも、とても手慣れた様子で続いていく。


「第三条。奴隷は、ご主人様の与える苦痛と快楽を、等しくご主人様からの恩寵として受け入れることを誓います」


「第四条。奴隷は、ご主人様の許可なく自ら絶頂に達しないことを誓います」


「第五条……」


林若簡は一条一条、暗誦していった。その顔は回を重ねるごとに赤みを増し、最後の第十条を言い終えた時には、羞恥の極みに達したかのように全身がほんのりと朱に染まっていた。


「……以上が、ご主人様の奴隷、林若簡の誓いでございます」


彼女は深く頭を下げた。その仕草には、長年の従属が染み込んでいる。


蘇語倉はしばらく言葉を発することができなかった。目の前の光景は、あまりにも非現実的だった。昼間、星曦閣の中核部門の総裁として凛と振る舞っていた女性が、今は裸で跪き、奴隷の誓いを暗誦している。


林若簡は顔を上げると、指で傍らの置き台を示した。


「ご主人様、あの置き台の引き出しの一番上に、あなた様が特注された首輪がございます。どうか、もう一度私に首輪をはめていただけませんか」


蘇語倉は置き台に歩み寄り、引き出しを開けた。中には確かに、一組の首輪が収められている。それは精巧な細工が施された、美しい首輪だった。金属部分には微かな光沢があり、何かの回路のような模様が刻まれている。


蘇語倉が首輪を手に取ると、林若簡の身体が小さく震えた。彼女は怯えているようにも、恥ずかしがっているようにも見えた。


「どうしたの」


蘇語倉が尋ねると、林若簡はうつむきながら答えた。


「ご主人様……この首輪には、あなた様が魔術回路を仕掛けられています。一度はめると、魔術回路が自動的にロックされ、三か月間は解除できません」


蘇語倉は目を見開いた。


「あなたはこれをはめて、三か月もの長い間ずっとつけていたの?」


林若簡は恥ずかしそうに頷いた。


「ご主人様……卑しい奴隷はかつてわがままを言い、過ちを犯しました。あなた様は罰として卑しい奴隷にこれをつけさせ、それからこの部屋に三か月間閉じ込められました。そんなことが二、三度ありました」


蘇語倉は再び衝撃を受けた。奴隷の誓いも、調教も、すべてが実際に起こったことであり、自分がそれをすべて忘れてしまっただけなのだ。目の前の女性は、紛れもなく自分の性奴隷であり、長い時間をかけて飼い慣らされた存在だった。


しかし、蘇語倉の心に最初に浮かんだ感情は、恐怖でも拒絶でもなかった。


それは、興奮だった。


昼間の林若簡は、戦闘部総裁として誰に対しても高慢で、近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。蘇語倉も彼女に対しては、一日中かしこまった態度で接していた。それが今は、裸で跪き、奴隷の誓いを暗誦し、首輪をはめてほしいと懇願している。この女性を、自分は望むままに侮辱し、虐待してもいいのだ。


そう考えた瞬間、蘇語倉ははっと我に返った。自分の考えの行き過ぎにぞっとして、慌てて首輪を元の場所に戻した。


「……ご主人様?」


林若簡が不安そうに顔を上げる。蘇語倉は彼女から目を背け、首を振った。


「今は……まだ受け入れられない。あなたが私の性奴隷であり続けることを、今の私は理解できない」


林若簡の顔が、見る見るうちに曇っていった。彼女の大きな瞳から、涙が一筋、頬を伝って落ちる。


「……ご主人様は、もう私をお嫌いになられたのですか」


「そうじゃない。ただ、私にはわからないんだ。過去の自分が何をしていたのか、あなたとどんな関係だったのか、何もかもが」


林若簡はしばらく黙っていたが、やがて静かに立ち上がった。彼女は涙を拭い、丁寧に服を着始めた。その動作はやはり恭しく、乱れがなかった。


「……申し訳ございません。ご主人様がまだお戻りになっていないのに、私が焦ってしまいました」


彼女はそう言うと、部屋の中を手早く片付け、道具を元の位置に戻した。そして最後に蘇語倉に向かって深々と一礼し、調教室を後にした。


蘇語倉はしばらくその場に立ち尽くしていた。心臓が激しく鼓動している。彼女は自分の手を見下ろした。さっきまで首輪を握っていた手だ。その手が、微かに震えている。


あの興奮は、何だったのか。


自分の中に眠る嗜虐性が、記憶の底から呼び覚まされようとしているのを、彼女は確かに感じていた。


その後しばらくの間、林若簡は相変わらず蘇語倉の執務室を訪れ続けた。表面上は以前と変わらない、業務上のやりとりに見えた。しかし、二人きりになると、彼女は必ず声を潜めて蘇語倉を「ご主人様」と呼んだ。


そのたびに、蘇語倉の胸は高鳴った。


ある日、廊下ですれ違った時、林若簡は周囲に誰もいないことを確認すると、耳元でそっと囁いた。


「ご主人様、今日もお美しいです」


蘇語倉は返事をしなかったが、その言葉が頭から離れず、その日一日中、仕事に集中できなかった。


夜、自室に戻ると、彼女は無意識のうちに壁の操作パネルに手を伸ばしていた。調教室へ続く階段が、再び彼女の前に現れる。


彼女は階段を下り、密室の中央に立った。照明が自動で点灯し、冷たい空気が肌を撫でる。視線を置き台に向けると、あの首輪がまだ引き出しの中にあることを、彼女は知っていた。


蘇語倉は引き出しを開け、首輪を手に取った。金属の冷たい感触が手のひらに伝わる。彼女は首輪を見つめながら、林若簡の言葉を思い出していた。


「もう一度私に首輪をはめていただけませんか」


その時の彼女の眼差し。怯えと期待が入り混じった、奴隷の目。


蘇語倉は首輪を握りしめ、深く息を吐いた。彼女の中で、何かが確実に動き始めていた。失われた記憶の代わりに、新しい何かが芽生えようとしている。


それは危険な誘惑であり、抗いがたい魅力だった。


彼女は首輪を元の場所に戻し、調教室を後にした。だが、その夜、彼女はなかなか眠りにつくことができなかった。目を閉じると、裸で跪く林若簡の姿が浮かび、彼女の心を掻き乱した。


星曦要塞の夜は静かに更けていく。蘇語倉の寝室の地下にある密室は、次の扉が開かれる日を、じっと待ち続けているかのようだった。


初めての調教

2043年3月3日。一日の業務を終えた蘇語倉は、わずかな疲労を肩に感じながら自室のドアを開けた。彼女の今日の装いは、クールな大人の女を体現するかのような、ダイヤカットを施したマットな黒のレザージャケットに、深紅の深いVネックのボディコンワンピース。黒いストッキングに包まれた長い脚は、ハイヒールのリズムに乗って、静かな廊下に規則正しい足音を響かせていた。


寝室に足を踏み入れた瞬間、彼女は違和感に眉をひそめた。調教室のドアが、ほんの数センチだけ開いている。誰かいるのか。星曦閣魔物研究部総裁として、彼女の私室は許可なく立ち入ることを固く禁じられている。警戒心を胸に、彼女は静かにドアを押し開けた。


調教室の中は、薄暗い照明が落とされ、中央の円台に跪く一人の女のシルエットを浮かび上がらせていた。それは林若簡だった。彼女は黒いレースのセクシーな下着だけを身につけ、その肢体には麻縄が幾何学的に絡み合い、整然とした亀甲縛りの縄衣が完璧なまでに彼女の曲線を縛り上げていた。彼女は深く頭を垂れ、目には黒いアイマスクが巻かれ、完全な視界を奪われている。ただ跪き、静かに待つその姿は、まるで捧げられた生贄のようでありながら、その肌からは汗が滲み、熱を帯びた期待が漂っていた。


小倉は息を呑んだ。心臓が一度、強く脈打つ。彼女の視線は、若簡の机の上に置かれた一枚のメモに留まった。手に取ると、そこには彼女の几帳面な筆跡でこう綴られていた。


「ご主人様、今日はあなた様のお誕生日です。この卑しい奴隷にあなた様と過ごさせてください。もしよろしければ、小倉の背後に回り、赤い縄を強く引っ張っていただけませんか。」


小倉はゆっくりと彼女の背後に回った。全身を縛る麻縄の束は、彼女の背中の中心で一つの結び目を作り、そこから一本の縄端が垂れ下がっていた。その縄端だけが、深紅に染められている。染料だろうか。いや、これは彼女が用意した、小倉だけに許された取っ手だ。


彼女は跪く若簡を見下ろした。縛られた肢体は、自分で自分を縛ったせいか、どこか不完全で、最後の締め上げが施されていない。それはまるで、小倉の手が加わることを前提とした、未完成の作品だった。その無防備なセクシーさに、小倉の心の奥底で何かが疼き、衝動が熱を帯びてせり上がってくる。


彼女は赤い縄端をそっと握った。そして、ゆっくりと、確実に、それを引き始める。


途端に、若簡の身体に巻かれた縄衣が、まるで生き物のように動き始めた。麻縄がきしみ、彼女の白い肌に食い込んでいく。最初は緩やかだった圧迫が、次第に強さを増し、彼女の呼吸を浅く変えていった。胸の上下が、縄の締め付けによって強調される。小倉がさらに引くと、彼女の背後で組まれていた手首にも力が加わり、自由を完全に奪っていく。


若簡は、自分の身体の自由が失われつつあるのを感じたのか、一瞬、本能的なもがきを見せた。肩が小さく震え、手首がわずかに動こうとする。しかし、アイマスクで視界を奪われ、跪いた姿勢では、それはまったく意味のない抵抗だった。彼女にもう後悔の余地はない。むしろ、その無駄な足掻きが、小倉の支配欲をくすぐり、彼女の中の冷徹な総裁とは別の何かを呼び覚ます。


縄が最もきつく締め上げられた地点で、若簡は緊張に息を弾ませ、その口から熱い吐息が漏れた。小倉は、彼女がぎゅっと握りしめている右手に気づいた。もう一枚、メモを握っている。小倉がそれを取ろうとすると、若簡はわずかに手を動かして抵抗した。その小さな反抗が、かえって小倉の興奮を煽る。彼女は少し強引に、その指を一本一本こじ開け、濡れたメモを取り上げた。


「ご主人様、この時には卑しい奴隷はもう抵抗できないはずです。大画面を開けて、再生されるビデオの通りにしていただけませんか」


小倉は壁面の大画面を起動した。すぐに、事前にセットされていたビデオが再生を始める。画面に映ったのは、今まさに目の前で跪いている林若簡自身だった。彼女は今日と同じデザインの黒い下着をまとい、同じように亀甲縛りに縛られ、同じように跪いている。そして、その彼女に向き合うのは、カメラを構える小倉自身の姿だった。


そうか、これは過去の記録だ。いつの間に撮ったものだろう。映像の中の小倉は、ひどく手慣れた様子で、そして何より優しかった。罵倒の言葉も、どこか甘やかすような響きがあり、平手打ちは適度な強さで、革鞭は軽く肌を撫でるように振るわれ、電動バイブは執拗に彼女を追い詰めていく。映像の中の若簡は、苦痛と快楽の狭間で泣きじゃくり、それでも小倉の命令に従順に従っていた。


一方、現実の若簡は、ただ無力に待っている。何をされるのかを知りながら、それを拒むことすらできないまま。


小倉は深く息を吸い込み、ビデオの指示に従うことにした。これが彼女の望みであり、今日という特別な日に用意した、彼女なりの献身なのだから。


彼女はまず、冷たい声で言葉を紡ぐ。


「こんな卑しい姿で、よくも私の部屋に忍び込めたものだな。お前は私の所有物だ。その自覚が足りないようだ。」


若簡の肩がびくりと震える。罵倒の言葉は、彼女の肌を直接撫でるよりも深く、心に突き刺さる。小倉はその反応を冷たく観察しながら、右手を軽く持ち上げ、彼女の頬を打った。パシン、という乾いた音が静かな部屋に響く。力加減は絶妙で、痛みよりも屈辱を与えるための平手打ちだった。若簡は小さく息を呑み、唇を噛みしめる。


小倉は次に、壁に掛けられた細い革鞭を手に取った。彼女はゆっくりと若簡の背後に回り、その背中に軽く鞭を振り下ろす。革が空気を裂き、肌に触れるか触れないかの絶妙な強さで、彼女の背中に赤い筋を残した。一本、また一本。若簡の背中が小さく波打ち、彼女の口からは押し殺したような吐息が漏れる。


「声を出してもいいんだぞ。」


小倉は耳元で囁き、次の鞭をやや強めに打ちつけた。若簡が短く悲鳴を上げる。その声には苦痛だけでなく、明らかな悦びが混じっていた。


そして、小倉は最後の道具を手にした。小型ながら強力な電動バイブだ。彼女は跪く若簡の前に回り込み、しゃがみこむと、その下着の上からバイブを押し当てた。まだ電源は入れていない。ただ冷たい感触だけが、彼女の最も敏感な部分に触れている。若簡の全身が緊張し、縄がさらに食い込んだ。


「動くな。絶頂は許さない。お前がいつ果てるかは、私が決める。」


その言葉と同時に、小倉はスイッチを入れた。ブブブ、という低い振動音が響き、若簡の身体が仰け反る。彼女の口からは、もう言葉にならない喘ぎが漏れ始めた。小倉は無表情のまま、バイブを押し当てる力を微妙に変え、振動の強さを操作する。若簡は必死に快感に抗おうと、唇を噛み、縄に拘束された手をぎゅっと握りしめる。しかし、視界を奪われ、自由を完全に縛られた身体では、与えられる刺激から逃れる術はない。


「まだだ。耐えろ。」


小倉は冷たく命じる。ビデオの中の自分は、もっと甘やかすような口調だったかもしれない。だが、今の彼女には、目の前で苦しみながら快楽に耐える若簡の姿が、たまらなく美しく、そして刺激的に映った。彼女の理性が、加虐の快感という未知の領域に足を踏み入れようとしているのを感じる。支配することの愉悦。相手のすべてを掌握し、その反応を思いのままに操る快感。それは、星曦閣の総裁としての権力とはまったく異質の、もっと原始的で、身体の芯から湧き上がる熱だった。


若簡の呼吸がさらに荒くなり、膝が震え始める。絶頂の寸前だ。小倉はわざと、バイブを最も敏感な一点に押し付け、振動を最強にした。


「もういい。果てろ。」


許可の言葉が下りた瞬間、若簡の身体が大きく跳ねた。彼女は声にならない悲鳴を上げ、全身を痙攣させながら激しく絶頂する。その姿は、縄に縛られたまま、完全に崩れ落ちそうになり、小倉は素早く彼女の肩を支えた。バイブの振動がまだ彼女を責め続け、余韻が長く尾を引くたびに、彼女の身体は小さく震えた。


※本文が長いため、FANBOXで公開できる範囲に自動的に短縮しています。

Comments

No comments found for this post.