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リビングの灯り

町はずれの古い住宅街に、ひっそりとたたずむ二階建ての一軒家があった。壁のペンキはところどころ剥がれ、庭の植木鉢には季節外れの朝顔が枯れたまま絡みついている。それでも、夕方になると台所から漂う味噌汁の匂いと、二階の子供部屋から漏れるアニメの主題歌が、ここに家族が暮らしていることを静かに告げていた。


「ただいまー!」


玄関の引き戸を勢いよく開けた林浩が、ランドセルを放り投げるように脱ぎ捨てる。小学三年生の彼は、汗で前髪を額に張りつかせながら、靴下のまま廊下を駆け上がった。


「浩、手を洗いなさいって何度言ったらわかるの」


台所から顔を出した蘇婉が、おたまを手にしたまま眉をひそめる。三十代半ばの彼女は、緩く結んだ髪の毛先が肩で揺れ、エプロンの下に着た薄手のセーターが柔らかな身体の線を描いていた。


「はーい」


林浩は舌を出して洗面所に走り、三秒だけ水道の蛇口をひねると、濡れた手をそのままズボンで拭きながらリビングに飛び込んだ。そして、ソファの隅で丸まっている人物を見つけて、目を輝かせる。


「小雨、ただいま!今日学校でさ、また間違えられたんだよ。男の子たちが、お前んちの妹、めっちゃ小さいなって」


ソファの上で、林晓は膝を抱えて体育座りをしていた。大きめのスウェットに埋もれた身体は確かに華奢で、百五十センチもない身長は小学生高学年と見紛うほどだ。彼は顔を上げ、困ったような笑みを浮かべた。


「浩、それは『妹』じゃなくて『お母さんのお姉さん』って言われたんじゃないの」


「えー、だって小雨、どう見ても俺より小さいじゃん。それに、ママがいつも『小雨はお姉ちゃんじゃなくて妹なんだよ』って言ってるし」


林晓の胸の奥で、何かがぎゅっと縮む感覚がした。彼は視線を落とし、スウェットの袖口から覗く細い指先を見つめる。三十五歳の男性としての人生を生きてきたはずなのに、鏡に映る自分は、いつからか少年の面影すら通り越して、性別の曖昧な子供のような輪郭になっていた。それでも彼は、何も言わずに微笑み続ける。この家の空気を乱さないために、それが彼が長い時間をかけて身につけた、唯一の生存術だった。


「浩、小雨をからかわないの」


蘇婉が盆に乗せた湯飲みを運んでくる。彼女は林晓の隣に腰を下ろすと、自然な仕草で彼の肩を抱き寄せた。その手つきは、まるで幼い娘をあやす母親のようで、林晓は一瞬息を詰めるが、すぐに身を委ねる。


「今日ね、近所の奥さんにまた言われたの。『蘇さんちの妹さん、本当に可愛らしいわね』って。あなた、外を歩くときはもう少し背筋を伸ばしたら?せっかく小柄なんだから、猫背だとよけい子供っぽく見えるわよ」


蘇婉の声は優しく、まるで本当に妹を気遣う姉のようだった。しかし林晓にはわかっていた。この優しさの裏側に、彼女が無意識に、あるいは半ば意識的に、自分の夫を「女性化」し「年少化」することで得ている安堵感があることを。彼女はもう何年も前から、正面から夫として彼と向き合うことをやめていた。そうすることでしか、この歪んだ家庭の均衡を保てないのだ。


「うん、気をつけるよ」


林晓が小さく答えると、蘇婉は満足そうに頷き、彼の髪を撫でた。


「いい子ね」


その言葉が、林晓の胸に小さな棘のように刺さる。彼は三十五歳の大人の男だ。なのに、妻から「いい子」と褒められ、息子から「妹」と呼ばれる。いつの頃からか、彼のアイデンティティは家族の中で溶けて消え、代わりに「小雨」という少女の形が、周囲の期待によって輪郭を与えられ、肉付けされていった。彼はただ、それを受け入れるしかなかった。抗えば抗うほど、蘇婉の目に浮かぶ困惑と失望が、彼をさらに深く追い詰めるからだ。


夕食が終わり、林浩が風呂を済ませて二階の子供部屋に消えると、家の中にしんとした静けさが訪れた。林晓は台所で皿を洗っていた。ぬるま湯に浸したスポンジで茶碗をこする手が、微かに震えている。背後で、蘇婉の気配が近づくのを感じた。


「浩、もう寝たわ」


蘇婉の声は、先ほどまでとは微妙に違う響きを持っていた。甘く、どこか湿り気を帯びた、夜の匂いが混じった声。林晓は手を止め、蛇口を閉めた。


「そう、早いね」


「ええ。今日は体育の授業でたくさん走ったんですって。疲れたって、ベッドに入った途端に寝息を立ててたわ」


蘇婉はそう言いながら、林晓の背後に立ち、彼の肩に手を置いた。濡れた手をタオルで拭く林晓の動きが止まる。


「あなたも、疲れたでしょう」


耳元で囁かれた言葉に、林晓の背筋が硬直する。彼はゆっくりと振り返り、妻の顔を見上げた。蘇婉はもう、エプロンを外していた。代わりに、深い臙脂色の絹のネグリジェを身に着けている。細いストラップが白い肩にかかり、胸元のレースが波打つように揺れていた。


「着替えてきたんだ」


林晓の声は掠れていた。


「ええ。だって、もう大人の時間でしょう?」


蘇婉は微笑み、林晓の手を取った。その手つきは優しいが、逃げを許さない強さがあった。彼女は林晓を台所からリビングへと導く。部屋の照明はすでに間接照明だけが点けられ、オレンジ色の淡い光がカーペットの上に影を落としていた。


「さあ、座って」


蘇婉は林晓をソファに座らせようとしたが、林晓は無意識に抵抗し、立ち尽くしたまま彼女を見上げた。


「まだ…ちょっと片付けが」


「そんなの後でいいわ。それより、今日はあなたに話があるの」


蘇婉の口調が、急に冷たくなった。彼女は林晓の手を離し、腕を組んで彼を見下ろす。その目の輝きが、先ほどの優しい妻のものから、何かを試すような、支配者のそれに変わっているのを、林晓は見逃さなかった。


──ああ、今夜も始まるんだ。


林晓は心の中で呟き、ゆっくりとカーペットの上に膝をついた。この一連の流れは、もはや彼の身体に染みついた儀式だった。ソファに座ることを許されず、床に正座させられる。それがこの「ゲーム」の始まりの合図だった。


「小雨」


蘇婉が、名前を呼んだ。林晓の本当の名前ではない。「林小雨」。それは、彼女が彼に与えた、この家の中だけの、もう一つの名前だった。


「はい、ママ」


林晓はうつむきながら答えた。自分の口から発せられた「ママ」という言葉が、耳の奥でこだまする。三十五歳の男が、妻に向かって「ママ」と呼ぶ滑稽さと屈辱。しかし、その言葉を口にした瞬間、蘇婉の纏う空気が和らぐのを、彼は長年の経験で知っていた。だから彼は、自ら進んでその役割を演じる。


「今日、ママの部屋の引き出しに入れてあった飴、食べたのは誰?」


蘇婉の声は、厳しい母親そのものだった。彼女はゆっくりと林晓の周りを歩きながら、見下ろすように彼を見つめる。


「…ごめんなさい、私です」


林晓は小さな声で答え、さらに深く頭を下げた。実際には、そんな飴など存在しない。蘇婉がその場で作り出す「罪」を、彼が被る。それがこのゲームのルールだった。


「どうしてママに黙って食べたの?ちゃんと言えばあげたのに。嘘つきは嫌いよ、小雨」


蘇婉は林晓の前にしゃがみ込み、彼の顎に手をかけて上向かせた。オレンジ色の光が、林晓の潤んだ瞳を照らし出す。彼は無理やりにでも泣きそうな表情を作ろうとした。そうすることで、蘇婉の機嫌が良くなることを知っていたから。


「ごめんなさい、ママ。もうしません」


「本当に?」


「本当です。約束します」


「なら、きちんと謝って。ママの目を見て、もう悪いことはしません、ママ、許してくださいって言いなさい」


蘇婉の指が、林晓の顎から離れ、彼の頬を撫でる。優しい仕草なのに、林晓にはそれが鞭のように感じられた。彼は顔を上げ、蘇婉の目をまっすぐに見つめる。


「ママ…ごめんなさい。私、悪い子でした。もう、ママに隠れて飴を食べたりしません。許してください、ママ」


一気に言い切ると、林晓の目の端から、本物の涙が一滴こぼれ落ちた。それは演技の涙ではなかった。この歪んだ関係に、妻から「娘」として扱われることに、心の底では深く傷ついている自分への涙だった。しかし蘇婉は、その涙を「良い子になった証拠」と受け取ったようで、満足そうに微笑んだ。


「わかればいいのよ、小雨。ママはあなたのことが大切だから、叱るの。あなたが悪い子のままだったら、ママは悲しいわ」


そう言って蘇婉は、林晓の身体を抱きしめた。彼女の胸に顔を埋めながら、林晓は静かに目を閉じる。絹のネグリジェの感触と、蘇婉の体温が、彼の感覚を麻痺させていく。この時間だけは、自分が誰であるかを考えなくていい。ただ「小雨」という少女になりきれば、すべてが丸く収まる。それが、彼が長い時間をかけて見つけた、心の平穏を保つ唯一の方法だった。


──でも、今日はまだ終わらない。


林晓の予感は的中した。蘇婉は彼を抱きしめたまま、そっと耳元で囁いた。


「でもね、小雨。飴を盗んだだけじゃないでしょう?今日、学校の先生から電話があったの。あなた、体育の授業で、男子の着替えを覗いてたんですって?」


林晓の身体が、びくりと震えた。それは、事前に打ち合わせのない「アドリブ」だった。蘇婉が時折、このゲームに新しい要素を持ち込むことがある。そして今日のそれは、明らかに林晓の男性としてのアイデンティティを、さらに深く抉るためのものだった。


「ち、違います、ママ。私は…」


「嘘おっしゃい。先生がはっきり言ってたわ。『林小雨さんが、男子更衣室の前でうろうろしていました』って。どうしてそんなことをしたの?」


蘇婉の腕の力が強くなる。彼女は林晓を抱きしめながらも、その口調は冷酷だった。林晓の心臓が早鐘を打つ。彼はとっさに、この「罪」を受け入れるべきかどうか迷った。しかし、長年の経験が彼に告げる。ここで否定すれば、ゲームはさらに過酷な方向にエスカレートする。蘇婉は納得するまで、決して彼を解放しないのだ。


「…ごめんなさい、ママ」


林晓は声を震わせながら、再び謝罪の言葉を口にした。


「どうして謝るの?理由を言いなさい。どうして男子の着替えを覗いたの?」


「…私…私…」


林晓は言葉に詰まった。蘇婉は彼を抱きしめるのをやめ、両肩を掴んで少し離し、彼の顔を覗き込む。その目は好奇心と、どこか嗜虐的な光に満ちていた。彼女は林晓が口にするのを待っている。自分が「男」であることを否定し、「女の子なのに男子に興味がある変態」だと認める言葉を。


リビングの空気が、張り詰めた糸のように緊迫する。窓の外では、夜風が植木鉢の枯れた朝顔を揺らしていた。二階からは、林浩の寝息だけがかすかに聞こえてくる。


林晓は震える唇を開き、消え入りそうな声で言った。


「私…男の人の身体が、気になって…ごめんなさい、ママ。私、変な子です…」


その瞬間、蘇婉の表情が、凍りついたように固まった。しかしそれは一瞬のことで、すぐに彼女の顔に、深い安堵と、何かが満たされたような笑みが広がった。


「そう…やっぱりね。ママ、心配してたの。小雨は可愛いから、悪い虫がつかないかって。でも、まさか自分から見に行くなんて。これは、きちんとお仕置きしないとね」


蘇婉は立ち上がり、林晓の手を引いた。


「さあ、立って」


林晓は逆らわずに立ち上がる。蘇婉は彼の手を握ったまま、寝室へと向かう廊下を歩き出した。林晓の素足が、冷たいフローリングの感触を伝える。その一歩一歩が、現実から遠ざかっていくような感覚だった。


寝室に入ると、蘇婉は林晓をベッドの端に座らせ、自分はベッドサイドテーブルの引き出しを開けた。中から彼女が取り出したのは、鈍い銀色に光る、金属製の装置だった。それは、ステンレスでできた貞操帯だった。男性用のそれを、蘇婉は両手で慎重に持ち上げる。鎖と小さな南京錠が、かしゃりと冷たい音を立てた。


「今日は、これを着けましょうね。そうすれば、小雨も悪いことを考えなくて済むわ」


蘇婉の声は、まるで子供に予防接種を受けさせる母親のように優しかった。林晓は黙って頷き、自らスウェットのズボンを脱ぐ。この動作にも、もはや羞恥はなかった。ただ、淡々とした諦念だけが彼を支配している。


蘇婉は手際よく、林晓の腰に金属製のベルトを巻きつけ、股の間を通るパーツを装着していく。冷たい金属が肌に触れるたび、林晓の身体は小さく震えた。蘇婉はその震えを感じ取ると、安心させるように彼の頭を撫でた。


「大丈夫、すぐ慣れるわ。ママがちゃんと管理してあげるからね」


やがて、最後の南京錠がかちりと音を立てて閉じられた。蘇婉は鍵を抜き取り、自分のネグリジェの隠しポケットにしまう。そして、一歩下がって林晓の姿を眺め、満足げに微笑んだ。


「うん、よく似合ってるわ、小雨」


林晓はゆっくりと顔を上げた。彼の腰の周りで、貞操帯が異様な存在感を放っている。それは彼の男性性を物理的に封印し、同時に、彼が「林小雨」であることを強制する枷だった。なのに、彼の心の中には、不思議な安堵感が広がっていた。少なくとも今晩は、これ以上ゲームがエスカレートすることはない。蘇婉の支配欲は、この貞操帯によって一時的に満たされる。彼はただ、この金属の冷たさに耐えていればいいのだ。


蘇婉は林晓の隣に腰を下ろし、そっと彼の肩に手を回した。二人は並んでベッドに座り、しばらく無言で窓の外の闇を見つめていた。カーテンの隙間から、遠くの街灯の光が細く差し込んでいる。


やがて、蘇婉がぽつりと言った。


「私ね、本当はあなたを苦しめたいわけじゃないの」


林晓は答えない。ただ、静かに彼女の次の言葉を待つ。


「でも、こうでもしなきゃ、私はきっと、あなたをちゃんと愛せなくなる。あなたが男の人だって思うと、どうしても怖くなるの。いつかどこかに行ってしまうんじゃないかって。でも、小雨なら…小雨ならずっと、私のそばにいてくれるでしょう?」


蘇婉の声は震えていた。彼女は林晓の肩を抱く手に力を込める。林晓はゆっくりと彼女の方を向き、小さく微笑んだ。それは、三十五歳の男としての微笑みではなく、母親を慰める娘の、幼く無垢な笑顔だった。


「大丈夫だよ、ママ。私はずっと、ママのそばにいるから」


林晓はそう言って、蘇婉の肩に頭を寄せた。彼の目から、再び静かに涙がこぼれ落ちる。蘇婉はその涙に気づかず、ただ満足そうに彼の髪を撫で続けた。


寝室の片隅で、貞操帯の鍵が、蘇婉のネグリジェのポケットの中で小さく揺れていた。リビングの間接照明だけが、誰もいない部屋を照らし続けている。二階では林浩が、新しい妹ができた夢でも見ているのか、幸せそうな寝言をつぶやいていた。


夜は、まだ長かった。


見られてしまった秘密

真夜中の静寂が、林暁の家を深く包み込んでいた。窓の外では街灯の光がぼんやりと滲み、時折、遠くを通る車のエンジン音がかすかに聞こえるだけだった。リビングのカーテンはきっちりと閉められ、部屋の中の秘密を外界から完全に遮断している。


林暁はフローリングの床に正座していた。膝の下に敷かれた薄いクッションだけが、硬い床との間にわずかな緩衝材となっている。彼の体は、蘇婉が丹念に選んだ淡いピンクのパジャマに包まれていた。襟元には小さなウサギの刺繍があり、袖口はレースで飾られている。髪は肩のあたりで切り揃えられ、前髪が眉の上でまっすぐに揃えられていた。照明の柔らかな光の下で、その姿は確かにあどけない少女のようだった。


蘇婉はソファに深く腰掛け、目の前の光景を見下ろしていた。彼女の指は膝の上で微かに震え、視線は複雑な感情を帯びていた。愛おしさと、言い表せない苦さが混ざり合っている。


「ママ、今日学校で…」


林暁の声は、意図的に高く、柔らかく調整されていた。それは長期間の訓練の結果であり、もはやほとんど自然な反応になっていた。しかし、その言葉は途中で途切れた。彼は妻の目に一瞬よぎった痛みを見逃さなかったのだ。それは、この場で何度も繰り返されてきた痛みだった。


「続けて、小雨。」


蘇婉はそう促した。声は平静を装っていたが、語尾に隠しきれない震えがあった。彼女は手を伸ばして林暁の髪を優しく撫でた。指が柔らかな髪の毛を梳く感触は、本物の少女のようだった。この感触が、彼女に現実を一瞬忘れさせることもあれば、逆に罪悪感を際立たせることもあった。


「担任の先生が、来週のスポーツテストの服装について、スカートはダメだって…」


林暁は下を向いて言った。視線は床の木目に落ちた。自分が口にする言葉の一つ一つが、まるで自分自身の存在を少しずつ削り取っていくようだった。それでも彼は続けなければならなかった。これが彼が選んだ道であり、家族を守るための唯一の方法だったのだから。


「そう…じゃあ、明日先生にちゃんと確認しないとね。小雨に合う運動着を探さないと。」


蘇婉は林暁の頬に手を当てた。手のひらに伝わる体温は温かく、紛れもなく彼女の夫のものだった。しかし今、この体温の主は彼女の「娘」としてここに跪いている。この理不尽さが、蘇婉の胸の内で何度も何度も彼女自身の選択を問い詰めるのだった。


廊下の奥で、寝室のドアがそっと開いた。林浩は寝ぼけ眼をこすりながら、ぼんやりとした足取りで廊下に出た。喉が渇いて目を覚ました彼は、ぼんやりとした意識のままキッチンへ水を飲みに行こうとした。


しかし、廊下の先にあるリビングのドアの隙間から、細く光が漏れていることに気がついた。こんな時間に、どうしてリビングに明かりがついているんだろう?子ども特有の好奇心が、彼の眠気を一気に吹き飛ばした。彼は足音を忍ばせ、そっとリビングのドアに近づいた。心臓がドキドキと高鳴る。何か秘密を覗き見るような、言い知れぬ興奮があった。


ドアは完全には閉まっておらず、指一本分ほどの隙間があった。林浩は床に這いつくばり、目をその隙間に押し当てた。最初は光が眩しくて何も見えなかったが、目が慣れてくると、リビングの中の光景がはっきりと見えてきた。


ママがソファに座っている。そして、その前に一人の小さな女の子が跪いている。女の子はピンクのパジャマを着ていて、髪は短くて、後ろ姿がすごく可愛らしい。ママはその子の頭を撫でながら、何か優しく話しかけている。まるで宝物に話しかけるみたいに。


林浩の頭の中は一瞬で様々な想像でいっぱいになった。隣の家の子?でもこんな遅くにどうして?親戚の子?でも聞いたことがない。待って、もしかして…パパがこっそり隠してた妹?


この考えが浮かんだ瞬間、林浩はもう抑えきれなくなった。自分に妹がいるかもしれない!この発見に彼の胸は熱くなり、慎重さも何も吹き飛んでしまった。彼は勢いよく立ち上がり、ドアを一気に押し開けた。


「誰?!」


林浩の声は、驚きと興奮で裏返っていた。彼はリビングに飛び込むと、目をまん丸にして跪いている小さな体を見つめた。


蘇婉の顔から一瞬で血の気が引いた。彼女は反射的に立ち上がり、ほとんど飛びつくようにして林暁の前に立ちはだかった。彼女の手は素早くソファの上の毛布を探り当て、それを広げて林暁の全身を覆い隠した。


「浩!どうして起きてるの!」


蘇婉の声は鋭く、恐怖に震えていた。彼女の胸は激しく上下し、心臓が喉から飛び出しそうだった。毛布の下の林暁もまた、完全に硬直していた。彼の指は無意識に毛布の端をぎゅっと掴み、指の関節が白くなっていた。全身の血液が一瞬で凍りついたかのように、頭の中は真っ白になった。


しかし林浩は、母親の異常な反応に全く気づかなかった。彼の注意は完全に、毛布からわずかに覗くピンクのパジャマと、小さなスリッパに注がれていた。


「誰?この子誰?」


林浩はしつこく尋ね、前に進んでその子の顔をよく見ようとした。彼の目は好奇心にキラキラと輝き、声には隠しきれない喜びが満ちていた。


蘇婉は口を開いたが、声が出なかった。彼女の頭の中では必死に説明を探していたが、あまりの恐怖に思考は完全に停止していた。どう説明する?何と言えばいい?この子は誰?なぜこんな時間にここにいる?


その時、毛布の下から声がした。それは、林暁が必死に作り上げた、あの柔らかく高い声だった。恐怖で微かに震えていたが、それでも言葉ははっきりとしていた。


「私…私は林小雨…」


蘇婉は弾かれたように毛布の下の林暁を見た。彼女の唇は震え、目には制止の色が浮かんだが、もう遅かった。林暁は極度の緊張の中で、ほとんど本能的な自己防衛反応として、言葉を続けていた。


「蘇婉おばさんの妹の子なの…家の都合で、しばらくおばさんの家に住むことになって…」


嘘は、いったん口に出すと、驚くほどスムーズに言葉が紡がれていった。林暁はゆっくりと毛布の端を持ち上げ、顔の半分だけを出した。彼の目は林浩をまっすぐに見つめることができず、恥ずかしそうに床を見つめていた。その様子は、まるで内気な少女のようだった。


林浩は一瞬間を置いて、それから突然、大声で叫んだ。


「本当?!妹ができた!」


彼はその場で跳び上がり、興奮して手をバタバタと動かした。彼の顔には純粋な喜びが溢れ、大人たちの複雑な表情には全く気づく様子がなかった。


「すごい!俺、ずっと妹が欲しかったんだ!クラスの張明明は妹がいるんだぜ、いつも自慢しててさ!俺もついに妹ができた!」


林浩はペラペラと喋り続け、林小雨のそばにしゃがみ込んで、じっくりと彼女の顔を見つめた。


「林小雨っていうんだね。俺は林浩だよ。君のお兄ちゃんだよ。心配しないで、誰かにいじめられたら、俺が守ってあげるからね!」


彼は胸を張り、まるで小さな大人のような態度で言った。


林暁は顔を上げ、息子のキラキラと輝く目を見つめた。その無邪気な目には、何の疑いも偽りもなかった。彼は心から「妹」の出現を喜び、心からこの突然現れた家族を守ろうと誓っていた。


林暁の喉は何かで塞がれたように、一瞬息ができなくなった。彼はそっと返事をした。


「うん…」


蘇婉はその場に立ち尽くし、体が石のように固まっていた。彼女は目の前で繰り広げられる光景を見つめていた。息子の興奮する顔と、夫の強張った笑顔。この滑稽で、苦くて、恐ろしい光景。彼女は何か言おうとしたが、何を言えばいいのか、まったく分からなかった。


「ママ!なんで隠してたの?こんなにいいことなのに!」


林浩は振り返り、母親に不満をぶつけた。


「だって…小雨はまだ慣れてなくて…しばらくゆっくりさせてあげようと思って…」


蘇婉の声はかすれ、ほとんど聞き取れないほどだった。彼女の手はぎゅっと握りしめられ、爪が手のひらに食い込んだ。


「そっか!じゃあ小雨、君はどの部屋に寝るの?俺の部屋の隣が空いてるよ!明日片付けるの手伝うね!」


林浩はすでに興奮して計画を立て始めていた。彼の頭の中は、妹ができた喜びでいっぱいで、この状況の不自然さを考える余裕などまったくなかった。


林暁は林浩の輝く顔を見つめ、心の奥底から言い表せないほどの苦い感情が込み上げてくるのを感じていた。彼の息子は、自分の父親を「妹」として受け入れたのだ。しかも、こんなに喜んで。このアイデンティティの完全な転覆は、彼の胸の中に巨大な穴を開け、冷たい風が吹き荒れるようだった。


「浩、もう遅いから、早く寝なさい。明日も学校でしょ。」


蘇婉はようやく平静を取り戻した。彼女は林浩の肩を抱き、彼をリビングの外へ連れ出そうとした。


「でもまだ小雨と話したい!」


林浩はなかなか離れようとしなかった。


「小雨も疲れてるの。明日また話せるでしょう。」


蘇婉の声には、ほとんど懇願に近い響きがあった。


林浩はようやく渋々うなずいた。彼は振り返って林小雨に手を振った。


「おやすみ、小雨!明日の朝、また会おうね!」


林暁はゆっくりと手を上げ、小さく、機械的に手を振り返した。彼の顔には無理やり作った笑みが貼り付いていたが、目だけは深い絶望を隠せなかった。


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