ご利益たっぷり珍宝おみくじ 3 (Pixiv Fanbox)
Published:
2022-01-30 15:02:53
Imported:
2026-06
Content
3おせちもお餅も用意してないけど
「で? 黒檻(くろおり)くん、だっけ?」
「クロで良いっすよ! 神護の兄貴!」
神護に向かってにへらと笑うクロの頭を引間がはたいた。短い黒髪をツンツン立たせたやんちゃな少年みたいな顔立ちだ。
野球のユニフォームを着せたらよく似合うだろうな、と神護はふとイメージした。
「いってぇ! 何するんすか引間の兄貴ぃ!」
「なんとなく殴りたくなっただけだ。気にすんな」
「そ、そんな無茶苦茶な……」
朝っぱらから引間と黒檻の痴態を見せつけられた神護は二人をみっちり叱った後、詳しい事情を聞くことにした――のだが……。
「二人とも、ふざけてないでちゃんと話を聞け」
「神様に向かってこの威圧、神護はただもんじゃねぇ」
「引間の兄貴、これはただ単に怒ってるだけっしょ?」
神護が睨むと今度こそ二人は黙った。
「コホン。では改めて、クロくん、君は一体どこのどなたかな?」
「俺は引間の兄貴によって凶霊から厄災消除の神器になったっす。凶霊ってのは人間に憑りついて幸運や生命力とかをゴチになってる存在っすね」
素っ裸のままクロは答える。
「その、元凶霊のクロくんこと黒檻くんが俺の部屋に居るのは、引間、君のせいって事だね?」
神護がじーっと引間を睨む。
「お、おう。そう怖い顔すんなって。神護の運気をかすめ取ってやがったから俺が神器にして懲らしめてやったんだよ」
「神器か何かは知らないけど、チンポをぶち込んで二人して気持ち良くなるのが懲らしめるってコト?」
「いや、それは単なるアフターサービスみてぇなもんだ。コイツを神器に変えた段階でお仕置きは終わってる」
「ふうん? ほほう? それもじっくり詳しく聞きたいもんだねぇ。でもその前に、何で――」
神護はずびっとクロを指して引間を見た。
「何で俺の知らない間に知らないヤツを俺の許しもなく部屋の中に引き込んでんのさ!」
「あ~、だってよぉ、コイツ行くとこ無ぇって言うし、こんな薄着で放り出したら風邪ひいちまうだろ? おまけにお前はぐっすり眠ってたから起こしちゃ悪いと思ってよぉ」
「俺が寝てたからって野良猫でも拾ってくるみたいに他の男を連れ込むなぁ! そもそも引間だって家、じゃなくてあの神社に帰ったんじゃなかったのかよ!」
「帰るって言ったか? 行くトコがあるからちっとばかし出かけると言ったはずだがな」
「じゃぁ俺の早とちりだって言いたいの?」
「む? うー、あー、いや~、俺の言い方が悪かった。神護が誤解するのも無理ねぇな」
ここで神護がクロに微笑んだ。
「それじゃぁ悪いけど、クロくんにはお引き取り願おうかな。こんな狭い部屋だと居心地悪いでしょ? 着る物が無いってんなら取りあえず俺のを貸してあげるからさ。お家へ帰ってくれる?」
未使用のトランクスを渡し、ジャケットやスラックスをクローゼットから引っ張り出し一式ずらりとクロの前に並べる。
クロは神護を見、そして引間を見てからおずおずと一式に手を伸ばし服を身に付けて行く。
「さて、お次は引間。キミだけどさ」
「俺?」
「そう。引間ももう神社に帰ってよ。俺だってやる事あるしさ。それとも神様ってヒマなの?」
「いやお前、俺は全部お前のためを思って――」
「ストップ。だったら猶更、俺を一人にして欲しい。昨日から今朝まで色々あり過ぎて俺の頭はもういっぱいいっぱいなんだ。
この事態を受け止め整理するため時間をさ、静かに、一人にさせてくれ。……たのむよ」
「神護……」
痛切な訴えを聞いた引間は一瞬で全裸から昨日見たダウンジャケット姿になると、クロを伴って神護の部屋を出た。
「……ここまで言えば、もう二度と俺の前には現れないかも知れないな……」
出会ってからわずか一夜ながら一緒に食事をし、酒を飲み、愚痴を吐き出せるほどの仲になっていた引間。
神護の胸の奥がチクリと痛んだ。
「いやいや、これで良いんだ。神だか凶霊だか知らないけどこれ以上俺のペースを乱されたら堪ったもんじゃない」
ふううと息を深く吐き出し、ようやく朝飯が食べられるな、と腰を上げるとベッドから床にゴロンと何かが落ちた。
「これは……」
昨日、引魔社で手に入れたおみくじ「チンポ」だった。
「いつの間に持って帰ってたんだろう?」
おみくじ「チンポ」を扱いてイかせると引間が現われた、までは握り締めていた記憶がある。
ただ、変態的な引間の姿に恐れて逃げ出したあたりからはっきりしない。
「それにしてもやっぱり良くできてるなぁ。見た目も感触もすんげぇリアルだし」
持ち上げて包皮をぐにぐにずらしたりカリの段差をコリコリと引っ掻いてみた。するとグググとサイズが大きくなる。
「うはは、弄ったら大きくなって勃起するんだ。本当に生きてるみたい」
おみくじ「チンポ」を面白がって弄っていた神護がスッと真顔になりキッチンに立った。
「――いつまでも玩具のチンポを弄ってたって仕方がない、か。結局引間は俺に手を出さずに帰ってった訳だし。俺だけが舞い上がってその気になってただけ、なんだ……」
信じて裏切られるのはあの会社の連中だけでもう十分。もう懲り懲りなんだよ、と神護は小さく呟いた。
◇
「引間の兄貴、これからどうします? 神護さんちから追い出されちまった訳っすけど」
「そこだ。お前は黒環になっちまえるからいいが俺はそう簡単には帰れねぇんだよな。顕現して実体化しちまったしなぁ」
「歩いて動くご神体って普通は無いですもんねぇ」
「まぁなぁ。かと言って正直に話せば神主の爺さん、驚いてポックリ逝きかねねぇしよぉ。うーん、弱ったぜ」
引魔社を護持する神職は齢八十を超えた老神主だった。
しかもこのところめっきり老け込み神事もほとんどこなせなくなっていた。
「神主さんの寿命を伸ばすってのは無理なんすか?」
「無理だな。爺さんの福運は俺がMAXにしてやっているから病気や怪我で死ぬことは万に一つも無ぇが、天寿を全うしてあの世に逝くのは生きている者の定めだから神でもどうもできねぇ」
「そういうもんスか」
「ああ、そういうもんだ」
神護のアパートから歩いて5分ほどの場所にある小公園のベンチで語り合う二人の男。
通りかかる人は一方が元淫魔の神様で、もう一方が元凶霊の神器「黒環(こっかん)」だなんて思いもよらず、二人のカッコ良さに目を留める。
「へっぶしっ! ああ、やっぱ外は冷える。クロ、金は持ってるか?」
「持ってる訳ないっしょ。兄貴の力で神器に変えられたばっかしっすよ?」
「だよなぁ」
引間はちらりと公園内の自販機を見やる。
『あたたか~い』と書かれたいくつかのドリンクの中に「お汁粉」を見つけ咽喉を鳴らす。が、わずかな硬貨も持っていないため飲むことはできない。
「お汁粉が欲しいんすか? だったら兄貴の力でパクっちまっても――」
「んな事するかよ。一応これでも神なんだぞ? 悪事に手を染める訳にはいかねぇよ」
「律儀っすねぇ」
「そんなんじゃねぇよ。俺なりの、なんつうか、通すべき筋、みてぇなもんだ」
見上げると空一面に雲が垂れこめ、再び雪が降り始めるのだった。
◇
何もやる気が起きず結局は日がな一日寝てるだけだった神護。
カーテンを開け窓の外を見るとすっかり夜になっていて昼からの雪が激しく降っていた。
「う~、寒くなったと思ったらまた大雪かぁ。さて、晩飯はどうしよう。面倒だし出前でも取ろうか」
時計を見れば午後6時。
冷蔵庫を開け大した食材が無いのを確認した神護は、スマホを手に取りデリバリーサイトを開いた。
「何にしようか? ハンバーグは昨日食べたし……」
神護の脳裏に昨夜のレストランでの光景が浮かんだ。
『おお! これがハンバーグかよ! 噂には聞いてたが超美味ぇな! うわ! こっちのこーんぽたーじゅ、って汁物もすっげぇ美味ぇ!』
ちびっ子のように目を輝かせてハンバーグセットをパクついていた引間。
「――いやいや、何でしみじみと思い出してんだよ俺は。アイツに他のモノも食べさせてみたいとか考えてどうする」
デリバリーサイトをチェックしていたものの、特に食べたいと思えるメニューが一つも見つからなかった。
腹が減っていない訳じゃない。なのに、引間がやけに気になって選ぼうとする指が止まってしまうのだ。
「ちゃんと神社に戻ったかなアイツ。つうか、神様って普段は何を食べてるんだろ?」
そして、元は凶霊だと名乗った黒檻こと「クロ」。
着る物を一枚も持っていなかったあの青年は家に帰れただろうか? 財布どころかお金も持っていないみたいだったし、家が遠かった場合交通費が不足して身動き取れないんじゃないか? 昨日並みの寒さの中、どこかで凍えているんじゃないだろうか?
顔を上げてもう一度窓を見つめる。カーテンを開けなければ外は見えない。
(気になるなら様子を見に行けばいいじゃないか?)
神護の中でもう一人の神護が語りかける。
別の一人が(そんな風に俺が気にする必要などない。どうでもいいじゃないか)と打ち消す。
でも――
「ど、どうせ俺も買い物に行かないとダメだし、ついでに近くをぐるっと見て回るくらい別に面倒でもないし……」
神護は外出着に着替えると居ても立ってもいられず部屋の外に出た。駅前のスーパーに入る前に駅の中から順に立ち寄りそうな場所を見て回ってみようか、と考えながら。
そして、傘を手にドアを開けた。
「よ! わざわざお出迎えか? 良い心がけだな!」
「うわわっ!?」
「神護の兄貴~、外はめちゃくちゃ雪、降ってるっすよぉ~。マジ寒ぃ~」
「うお!? クロくんも!?」
頭や肩にうっすらと雪を乗せたまま引間とクロが入って来た。
「いや、あの?」今までどこに行ってたんだ? と言いかけて口をつぐむ。
自分が追い出しておきながら何を聞こうとしているのか、と。
「もう晩飯は食ったか? まだだったら今日は正月らしい料理を作って三人で食べようぜ?」
引間が両手に下げているビニール袋は食材でぱんぱんに膨らんでいる。
クロの分と合わせると合計四袋。
中身を見ればかつおだしの他シイタケやニンジン、大根にゴボウと言った根菜とお餅もある。
お金を持っているならそれほど心配する必要はなかったな、と神護は自身の杞憂を少し嗤う。
「もしかして、お雑煮?」
「おお。よく分かったな。そう、雑煮が食べたくなってよ。イマドキの雑煮って分かんねぇから、スーパーでもらったレシピに載ってるやつを全部買ってきたぜ」
「引間の兄貴、その前に言う事あるっしょ?」
「お、いけねぇ、そうだった」
引間がガッと神護の手を両手で握り締めた。外気で冷えたその手の冷たさにハッと驚く。
「まぁ、色々思う所があるだろうが、しばらく俺たちをここに住まわせてくれ。できるだけ迷惑かけねぇようにすっからよ」
「いや、でも……」
「神護の兄貴! 俺もお願いっす! ヒトの姿にもなれるけど神器の俺は人間じゃないし、元は人に憑くしか能の無い悪い凶霊だったっす。そんな俺に行くあてなんてある訳無いっす。
それと、引間の兄貴は神護の兄貴の大大凶って凶運を打ち祓うまでそばで守りたいって……」
「あのおみくじの?」
「ま、まぁそう言う事だ。お前の凶運は世にも稀なほど巨大なものだ。そんな不運にお前が潰されちまうなんて忍びねぇからよ」
「こんな狭い部屋でも構わないの?」
「構わないぜ」
「俺もっす!」
冷えていた引間の手が温まって来た。そして、神護の胸の奥も暖かくなってくるのを覚えた。
「だったら、仕方ないな。じゃぁ、早速お雑煮を作ろうか。キッチンには一人しか立てないから、下処理とか部屋で手伝ってくれる?」
「おう! 任せとけ」
「っへへ、俺って皮むき得意なんすよね! 野菜でもチンポでも!」
◇
さかのぼる事数時間前。
神護のアパートから追い出され、歩いて5分の小公園にて「あたたか~い」お汁粉のある自販機を見つめていた引間が自販機の下にキラッと光る物がある事に気付いた。
「小銭でも見つけたんすか? 兄貴」
「金だとしたら交番に届けてやんねぇとな」
「ちょっとくらい頂いちゃっても良いと思うんすけど、兄貴は律儀っすねぇ」
雪をどけて摘まんでみればそれは小銭ではなく銀色のヘアピンだった。
「なぁんだ。つまんねぇ~」
クロはがっくりと肩を落とした。
「お前、そういや何で神器に戻らねぇんだ? 黒環になってりゃ腹も減らねぇし寒さも関係ないだろ?」
「変化(へんげ)するにもパワーがいるんすよ。それに昨夜の雄交尾では兄貴に散々搾り取られたっすからねぇ。締めの一発だけじゃ到底神器に変化できねぇっす」
そんな会話をしてると自転車を押して通り抜けようとした男子高校生が二人の前で足を止めた。
「あ、あの、お兄さん」
顔を上げると男子高校生の冷えて紅くなっていた顔がさらに赤みを増した。
「うわ、メチャメチャカッコイイ……、じゃなくて、えっと、その手に持ってるヘアピン、すみませんが俺に譲ってくれませんか! お願いします!」
「これ? コイツが欲しいならやるけど、どうかしたのか?」
引間が事情を尋ねた。
「あ~、実は、自転車の鍵を排水溝に落としちゃって、困ってたんです。でもそのヘアピンであれば鍵を開けて家まで帰れそうだな、って思って」
「この雪じゃ早く家に帰って暖まりたいと思うのは当たり前っすね。まだこっからかなり遠いんだ?」
クロも高校生を心配した。
「いえ、自転車なら10分もかかりませんけど、歩けば20分以上かかりますね」
「よし、ならコイツで早く鍵を開けちまいな」
引間からヘアピンをもらった高校生が鍵穴に突っ込んでガチャガチャさせるとほんの数秒で鍵が開いた。
「ここまで簡単に開いちまったら不用心だな」
「一応チェーンも使って盗まれないように防御はしてます」
高校生は前かごに入れてあったダイヤル式の防犯チェーンを二人に見せた。
そして、
「本当にありがとうございました。良かったらコレ、頂いたヘアピンの代金として受け取って下さい」
男子高校生が財布から小銭を取り出して渡そうとした。
「あのヘアピンは落ちていたのを拾っただけで俺らのモンじゃねぇ。金なんて受け取れねぇよ」
「だったら……ああ、じゃぁドリンクでも飲んで下さい」
高校生は自販機から「あたたか~い」缶コーヒーを二本買うと、引間とクロに一本ずつ手渡した。
遠慮していた引間だったが好意を無下にするのも悪いと思い、結局は受け取った。
「せっかくなんで暖かいうちにどうぞ。それじゃぁ僕は帰ります……、あ、あのもし良かったら……」
「うん?」
「あ……いえ、何でもない、です、じゃぁ、失礼します……」
後ろを何度も振り返りながら男子高校生は自転車に乗って離れて行った。
「あんなに何度も振り返って大丈夫か? アイツ」
「まさか兄貴、気付いてなかったんすか? あれは完全に兄貴に一目ぼれって感じだったっすよ?」
「そうか? だが、アイツは他に思う奴がいる気配があったんだがな」
「奪っちまっても良かったかも知れないっすよ?」
「男同士の縁を結ぶのも俺のご利益の一つなんだ。そのご利益を神(オレ)自ら打ち消してどうすんだ」
「うむむ、神様ってのも案外不自由なもんすねぇ」
「まったくだ。元・淫魔の身としてそこんとこは同意する」
そんな話をしていると今度はお爺さんが二人の前でよろけてへたり込んだ。
「おいおい! 爺さん大丈夫か!」
クロに「救急車を!」と言いかけて電話する術が無い事を思い出し、「じゃなくて誰か呼んで来い!」と言い直した。
だが、お爺さんはクロがまだ開けず大事に持っていた缶コーヒーをパッと奪うと、ゴクゴク飲み干してしまった。
「うわ! ちょ!? 爺さん! 何すんだよ!」
「はぁはぁ、ぷはぁあ~、危く死ぬかと思うた。じゃが、おかげさんで助かったよ。本当にありがとう」
安堵の息を吐いたお爺さんが深々と頭を下げた。
「一体どうしたんだい爺さんよぉ?」
「さっき駅前の菓子屋で好物の焼き餅を手に入れてなぁ、焼きたての香ばしいニオイに辛抱できのうなって、一個くらいならと思うて歩きながら食べとったんじゃが、この近くに差し掛かった時にうっかりのどに詰まらせてしもうてな、もうダメかと思うた時にお前さんの持っとった缶コーヒーが目に入ったんじゃ。それで、つい」
「事情は分かったぜ爺さん。ともあれ大惨事にならずにすんで良かった。驚いちまったがな」
納得した引間と違ってクロはまだ憮然としたままだ。
「もう良いじゃねぇか。缶コーヒーの一つや二つ。爺さんが助かったので良しとしようぜ」
「む~、兄貴は先に飲んじゃってるからそんな事言えるんすよぉ。俺は後で飲もうと大事に取って置いたのに……」
「本当にすまんのう兄さん。咄嗟のあまり考え無しの行動を取ってしもうて。この通り、すまんかった」
お爺さんがクロに心から謝罪をした。
「お詫びの印にこれを差し上げるでな、この年寄りを許してくれんか?」
「クロ、これ以上むくれても仕方ないだろ? こうやってちゃんと謝ってくれているんだ。許してやろうぜ? な?」
渋々ながらクロは「分かったっす」と呟いた。
引間はお爺さんからお詫びの品を受け取ると、「後は俺がなだめときますから」と告げてお爺さんを解放した。
二人だけになるとクロが残念そうに言った。
「あ~あ、せっかく俺も美味しい缶コーヒーにありつける筈だったのに~」
「まぁ、いつまで惜しんでても無いモンは無いんだ。諦めてすっぱり忘れちまえ」
それよりもホラ、と引間はお爺さんからもらったお詫びの品をクロに差し出した。
紙袋に入った箱らしきモノ。
「中身は菓子かな? それともさっき爺さんが言ってた焼き餅だったり?」
パッと明るい表情になったクロが紙袋を開いて中を覗き込む。すると眉をハの字にしてがっくりと肩を落とした。
「なんだ? 菓子じゃなかったのか?」
クロが乱暴に紙袋から中身を引っ張り出した。そのせいで紙袋は破れ、袋としての機能を失った。
「……むぅ、ティッシュだったか」
「はい。しかもポケットに入らないボックスティッシュっす」
室内であれば気にならないが外で単体では持ち運びにくくて困る。
「いっそここでティッシュを使い切るまでセックスしちまうか?」
「……兄貴。それ絶対に風邪ひくっす」
「バカ。冗談だっつの。風邪の前に通報されて警察にしょっ引かれるだろうが。一瞬でもヤれるか? とか考えるんじゃねぇ」
「酷ぇ。先に言ったの兄貴なのにぃ~」
「ちょっとちょっとぉ! いきなり悪いんだけど! そのティッシュを今すぐ譲ってぇ! お願い! あ、タダでとは言わないから!
はい、一万円! 確かに渡したわよ! お釣りは要らないわ! じゃぁ、急いでるから頂いてくわね!」
走って来たのは化粧も香水も濃い目の中年女性。
引間の手に一万円を押しつけボックスティッシュをさっと奪うと、足元に雪など無いかの如き勢いで来た道をダッシュし戻って行く。
「ちょ! 走ったら危ねえぞ! おい! あんた!」
呼び止める声を無視した女性は小公園脇に停めてあった赤い車に入るとシートにぶちまけたとおぼしき飲み物を一生懸命ティッシュで拭き取っていく。
「もう必死! 大事な資料にまで零しちゃったから大至急キレイにしなきゃならなかったのよ!」
ほぼひと箱使い切った頃にはあらかた液体は拭き取られ車内も資料も問題無い状態になっていた。
「幸いミネラルウォーターだったから良かったものの、ジュースやコーヒーだったらと思うとぞっとするわ」
「もう大丈夫なのか?」
引間が声を掛けるとようやく女性は引間とクロの顔をちゃんと見た。
「あらぁ、二人とも良い男ね。やだ、見苦しいとこ見せちゃったじゃない。でも、うふふ、この街にもこんな色男がいたなんて、何だか幸先がいいわね。
て言うか、その前にお礼を言わなくちゃ。
ありがとう、本当に助かったわ。貴方たちがティッシュを持っていてくれて。それじゃぁ――」
引間は運転席に乗り込み車を発進させようとした女性に待ったをかけた。
「ティッシュひと箱に一万円とはいくら何でも多過ぎだ。せいぜい数百円だろう?」
「あら。そんな事気にしなくっていいのよ?」
「そうっすよ兄貴。この人にとってさっきのティッシュは一万の価値があるんすよ。気にせず頂いておきましょう」
「んな訳あるか。適正な値段でないとダメに決まっているだろう? それにあのティッシュは爺さんからもらったものだ」
「ごめんねぇ。何か事情があるのかは知らないけど、議論してる時間は無いの。これからとっても大事な商談が待っているのよ。
それに、アタシって小銭は持ち歩かない主義なのよ。だから財布には一万円札しか入ってないし、細かい買い物はカードで済ませちゃうの」
女性はシートベルトを締めエンジンをスタートさせた。
「それじゃぁね! ホントに急いでるから! 色男さんたちも風邪引かないようにねぇ~」
走り去る赤い車を見送ったクロが引間ににんまりと微笑んだ。
「あ~に~き~、その一万円はマジで正当な対価っすよ! あのヒトにとって一万円出しても惜しくない必要なティッシュだったんすから! むひひっ!」
「卑しい笑い方をするんじゃねぇ。つうか、お前の言いたい事くらい分かってるっての!」
「なら兄貴! 早速アツアツの美味いもんでも食べに――」
「まぁ待て、俺だって美味いもんを食べに行きたいのはやまやまだが、食べに行ったあとはどうなる? また無一文になってここでじっと座り続けるつもりか?」
「あっ! あ~、……そんなの嫌っす。……俺、やっぱり神護の兄貴の部屋に帰りたいっす。神護の兄貴のそばにいるとなぜか分からないっすけど気持ちがポカポカするっす」
「だろ? 俺もそうだ。だから、ここは一つ……」