『裏・卒アル』あとがき:赤池まり (Pixiv Fanbox)
Content
『裏・卒業アルバム』を楽しんでいただき、ありがとうございます!
あとがきということで、ここでは各キャラに対する私の思いや考えを書いていきます。
※毎週水曜日に行っているライブ配信で話した内容と基本的には同じです。
子どもには理解できない魅力がある
『裏・卒アル』では各人物のプロフィールが書かれていますが、それらはすべて本作を制作・販売した“元クラスメイト”の視点に立っています。なので、その人物評には主観と偏見が必ず混じっています。おそらく、赤池さんがどんな人なのかは、本作のプロフィールからはうまく理解できないと思います。これは作者である私のミス、というか自分勝手な考えによるものです。つまり、「赤池さんの本当の魅力は、当時の同級生には理解できないものだった」ということを表現したかったのです。
他人からの評価を気にせずゴーイングマイウェイなところ、自分の好きなことには誰よりも熱心になれるところ。それらは学校という狭い世界しか知らない子どもにはカッコよく映らないのです。周囲と調和して仲良くやったり、逆に周囲を抑圧して支配的地位に立ったり。学校という鳥籠の中では、身近な他人からの評価ばかりが気になります。実は、教室という極狭な空間における評判や地位なんて、社会に出たらどうでも良いのです。スクールカーストの中で権力闘争している暇があったら、自分の好きなことをやり、得意を伸ばし、社会に羽ばたくための準備運動をすべき。ずば抜けた知能を持つ赤池さんは、単に勉強が得意というだけでなく、実は同級生たちよりも精神的に成熟していたのです。同級生たちは赤池さんを“キモオタ”とか“デブス”と嘲笑っていましたが、赤池さんはなんとも思っていませんでした。大人はガキの戯言なんかに神経を使わないからです。そして結局、赤池さんは彼氏も、充実した趣味も、仕事(学業)での成功も手に入れて、バカにしてきた同級生たちの手の届かない人になりました。所詮、スクールカーストなんてその程度のものなんです。
ある程度長く生きていると、学校生活は異常だったな、と思うことがよくあります。ちょっと人と違うところがあると仲間外れにされ、成績とかスポーツとか、その人の一側面を示すだけの指標が絶対的な価値を持っていたり。大人になると、ある人がある人と違うのは当たり前のことだとわかります。仕事ができるとかお金を稼いでいるとかだけで人間の価値を測るのはナンセンスだとわかります。でも、子どもって何かにつけて他人を攻撃しようとしたり、意地悪したり、同級生の言葉に一喜一憂したり……そんな世界観の中では、赤池さんは正当に評価されない人だったわけです。
高学歴女子はデブってて欲しいのは私だけ?w
これは私の個人的見解ですが、「頭が良い女の子にはおデブが似合う」と思っています。私はキャラを創作するにあたって、なんらかの形でバランスを取ろうとする傾向があります。性格が悪いなら肉体を美しくしたり、逆も然り。性格も肉体も完璧なら、何か致命的なコンプレックスを用意したり。頭の良さとデブもその一環です。本来、頭の良さと計画性の高さは比例すると思っています。長期的な視点で物事を考えることができる人は優れたスキルを身につけ、難しい資格を取ったり、大きな仕事を成し遂げたりします。なのに、その計画性が自分の身体にはまったく適用されていないのがツボなのです。短期的なエサに釣られて不摂生をした、その動かぬ証拠がお腹の贅肉なわけですから。女の子は、何か弱みを抱えていてほしい。高学歴女子の場合、いつもはあんなに忍耐強く勉強できるのに、甘いものだけは我慢できない、みたいなかわいいギャップがほしくなります。あと、賢い女の子は運動神経が悪い→運動が苦手だからダイエットも苦手、みたいな偏見も含まれていますね。
赤池さんが精神的に成熟していて強かなのはともかく、この裸はお世辞にも美しくはありません。三段腹で、肩周りもムチっとしていて、全体的に肉肉しいのにおっぱいは別に大きいわけでもなく、おへそとか股間から香ばしいニオイがしそう。正直、褒めるところがありません。乳輪と乳首はまぁ及第点かな、というくらい。もし『裏・卒アル』を購入してこの裸が出てきたら「ハズレ引いちゃったよ(泣&怒)」ってなりそうです。とてもじゃないですが、このみっともない貧乳デブが社会の上位数%しかいない天才で、アメリカで理論物理学を研究している若手トップ研究者だとは思わないでしょう。本来なら尊敬されるべき女性が、「裸が低品質」というプライベート極まる理由で侮蔑されるのは非常に興奮できるポイントです。
聡明な女の子を全裸写真で“メス”に引きずり落とす快感
現代社会では、肉体的なものよりも精神的なものの方が価値が高いとみなされがちです。容姿が良いとか、良い体格をしているとかより、賢さとか誠実さが求められているように思います。アスリートのような肉体が資本の業界でも、取り沙汰されるのはストイックさとか向上心とかスポーツマンシップだったりして、「単にフィジカルが優れているからこのアスリートはすごいんだ」という話にはなりにくい。良識がある(と自認している)人々は、誰かを評価するときに肉体的なものだけを重視するのを回避しているかのようですらあります。容姿を褒めるとルッキズムにつながるとか、そういうことを懸念しているのかもしれません。
でも、みんな心の奥底では気づいているはずです。肉体的なものを排除して生きていくことなどできない、ということに。どれだけ謹厳で、知的で、高潔な人も、お腹が空くし、誰も見ていないところでオナニーをしています。お互いの人間性を認め合ったパートナー同士も、その愛情を構成する少なくない要素として、肉体的な相性の良さがあるものです。全裸写真は、ともすれば精神性のみを重視し、身体性を排除しようとする現代社会へのアンチテーゼと言えるかもしれません。「人間の価値は心や知性で決まる」と嘯いている人たちも、赤池さんの三段腹の目立つ全裸を見たら「みっともないなぁ」という気持ちが湧いてくるに違いありません。それはつまり、私たちは他人を評価するときに肉体的なものを捨て去ることはできない、ということを表しています。
成熟した精神と類まれな知性を持つ赤池さんは、現代社会の申し子と言えます。そんな彼女を全裸写真でただのデブスに引きずり落とす快感には、他には変え難い魅力があります。