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パステルカラーと、柔らかなレースの感触

同じフロアにあるランジェリーショップの入り口に立った瞬間、甘く柔らかい香りが鼻をくすぐった。


淡いピンクや白、薄紫のレースが並ぶ店内は、明らかに男である僕には無縁の世界だ。

店内にいるお客さんも、もちろん全員女性だ。


わこさんが僕の肩にそっと手を置く。


「さっきみたいに店員さんに勘違いされたらいけないし、今後の為にも衣織ちゃんが店員さんに声を掛けようか。あっ、でもちゃんと自分がトランスジェンダーって事を言わなきゃダメだよ?店員さんも戸惑っちゃうと思うし」


(トランスジェンダー……)


その言葉を自分で口にするだけで、胸の奥がざわつく。

本当は違うのに、嘘を重ねるしかなかった。


僕は小さく頷き、店内を少し進んだ。

後ろからわこさんが付いて来てくれる。

これだけで少し心が楽になった。


淡い照明の下で、店員さんに近づく。


「す、すみません……あの……ブラジャーを購入したいのですが、胸のサイズを測って貰えますか……?」


声が上ずってしまう。


「私は……トランスジェンダーで……」


店員さんが一瞬目を丸くした後、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。


「わかりました。こちらのフィッティングルームでお待ちくださいね」


わこさんが横から自然に言葉を加える。


「トランス女性の方もお店に来るんですか?」


店員さんが優しく頷く。


「たまにご来店なさいますよ。私たちは心が女性の方を差別するようなことはしませんので、普段通り接客させて頂きます」


その言葉を聞いたわこさんが、僕の方を振り返った。

ほっとしたような、優しい微笑みだった。


フィッティングルームに案内され、カーテンを閉める。

店員さんの声が外から聞こえてきた。


「それでは上のお洋服とブラジャーをはずしてお待ちください」


(ブラジャー……今は着けてないけど)


スーツの上着を脱ぎ、シャツのボタンを外す。

上半身が露わになる。


ほどなくして「失礼します」と、カーテンが静かに開き、

先ほどの女性の店員さんが入ってくる。


狭いフィッティングルームに、僕と彼女の二人きり。

上半身裸の状態で、彼女の視線が僕の胸に落ちる。

緊張と恥ずかしさが一気に込み上げてきた。


(こんなところで……女の人に裸を見られるなんて……しかも女の子扱いされて……)


心臓の音が耳に響く。

店員さんがメジャーを手に取り、穏やかに微笑んだ。


「腕を体の横に下ろして、リラックスして下さい」


柔らかい彼女の手が、僕の背中に回される。

冷たいメジャーが肌に触れ、胸の下を囲むように巻かれる。

直接肌に当たる感触に、息が詰まった。

店員さんの息遣いが近くに感じられる。

メジャーが軽く締め付けられるたび、平らな胸が押される。


「今はホルモン治療などはされているんですか?」


突然の質問に、体がびくりと震えた。


「えっ!? あ、あの……まだです……」


慌てて答える。

思わず“まだ”と言ってしまった。

そんな予定があるはずもないのに。


店員さんは優しく頷いた。


「トランスジェンダーだからと言って、必ずしもホルモン治療をされる方ばかりではないみたいですね」


軽い世間話のつもりだろう。

でも僕には重く、胸に突き刺さる言葉だった。


メジャーが再び胸を測る。

テープが肌を滑り、柔らかい部分を優しく包み込むように巻かれる。

圧力がかかるたび、微かな熱が胸元に広がる。


「Aの80ですね」


「あ、ありがとうございます……」


店員さんがメジャーを外し、静かに退出していく。


僕は急いでシャツと上着を羽織った。

まだ胸の感触が残っているような気がした。


◆


フィッティングルームを出ると、わこさんが待っていた。

彼女はすでにいくつかの下着を手に取っている。


「今っぽいデザインのものを選んであげたから、この中から衣織ちゃんの好みを選ぶといいよ」

自分で下着を選ぶことの恥ずかしさが、顔を熱くする。

レースの縁取りや、柔らかい生地が視界に広がり、胸がどきどきと鳴った。


「え、えっと……どれがいいでしょうか……」


声が小さくなる。

わこさんが白の花柄のブラとショーツのセットを手に取って近づいてきた。


「この白の花柄、可愛いでしょう?清楚な感じが衣織ちゃんに合いそう。レースが控えめで上品だよ」


彼女はもう一つの薄紫のものを並べて見せる。


「こっちの薄紫も品があっていいと思うよ!触ってみて、すごく柔らかいでしょう?」


指先で生地を撫でると、確かに滑らかで、肌に吸い付くような感触だった。


(こんなの……自分で選んで買うなんて……)


「う、薄紫……いいと思います……」


わこさんが嬉しそうに頷き、今度はピンクのセットを差し出す。


「そしてこれはピンク!ちょっと大胆だけど、女の子らしい可愛さが詰まってると思うの。レース多めで、着けたら気分も上がると思うよ。どう?衣織ちゃん、ピンク好き?」


顔がますます熱くなる。

ピンクの下着を想像しただけで、羞恥が込み上げた。


「……ピンクも……可愛いですね。でも、全部可愛すぎて……迷います」


わこさんが笑いながら、僕の腕を軽く突く。


「迷うのも楽しいよね。じゃあさ、私が1セットはお金出してあげるから全部買っちゃおうか?3セットあれば毎日ローテーションできるし」


「えっ!?そんな、悪いです。自分で買います」


「いいのいいの、私からの入社祝いだよ」


わこさんの笑顔は屈託がなく、拒否する隙を与えてくれない


結局、白の花柄、薄紫、そしてピンクの3セットを購入した。

レジで袋を受け取る手が、微かに震えていた。


レジを済ませ店を出る。

ピンク色の紙袋が、手にずっしりと重い。

中には新しい下着が入っている。


わこさんが隣を歩きながら、優しく微笑んだ。


「これで明日からはバッチリだね。うちの部署は衣織ちゃんに偏見持っている人は誰もいないからね。明日から改めてよろしくね」


駅に向かう通路で、僕はただ頷くことしかできなかった。

袋の中の柔らかい生地が、明日からの現実を静かに告げているようだった。


明日、会社に行くとき、この下着を着けて、メイクをして、女の子の服を着て出勤する。

そのことを想像しただけで、胸の奥がざわつき、熱が込み上げてくる。


(本当に……もう後戻りできないのか……)


わこさんと別れ、電車に乗り込んだ。

紙袋を膝に抱え、窓の外をぼんやり見つめる。


でも心は、明日の朝に集中していた。

とりあえず今日よりは早起きしないと……。



【5章につづく……】

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