仕事着はピンク色:4 (Pixiv Fanbox)
Content
パステルカラーと、柔らかなレースの感触
同じフロアにあるランジェリーショップの入り口に立った瞬間、甘く柔らかい香りが鼻をくすぐった。
淡いピンクや白、薄紫のレースが並ぶ店内は、明らかに男である僕には無縁の世界だ。
店内にいるお客さんも、もちろん全員女性だ。
わこさんが僕の肩にそっと手を置く。
「さっきみたいに店員さんに勘違いされたらいけないし、今後の為にも衣織ちゃんが店員さんに声を掛けようか。あっ、でもちゃんと自分がトランスジェンダーって事を言わなきゃダメだよ?店員さんも戸惑っちゃうと思うし」
(トランスジェンダー……)
その言葉を自分で口にするだけで、胸の奥がざわつく。
本当は違うのに、嘘を重ねるしかなかった。
僕は小さく頷き、店内を少し進んだ。
後ろからわこさんが付いて来てくれる。
これだけで少し心が楽になった。
淡い照明の下で、店員さんに近づく。
「す、すみません……あの……ブラジャーを購入したいのですが、胸のサイズを測って貰えますか……?」
声が上ずってしまう。
「私は……トランスジェンダーで……」
店員さんが一瞬目を丸くした後、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「わかりました。こちらのフィッティングルームでお待ちくださいね」
わこさんが横から自然に言葉を加える。
「トランス女性の方もお店に来るんですか?」
店員さんが優しく頷く。
「たまにご来店なさいますよ。私たちは心が女性の方を差別するようなことはしませんので、普段通り接客させて頂きます」
その言葉を聞いたわこさんが、僕の方を振り返った。
ほっとしたような、優しい微笑みだった。
フィッティングルームに案内され、カーテンを閉める。
店員さんの声が外から聞こえてきた。
「それでは上のお洋服とブラジャーをはずしてお待ちください」
(ブラジャー……今は着けてないけど)
スーツの上着を脱ぎ、シャツのボタンを外す。
上半身が露わになる。
ほどなくして「失礼します」と、カーテンが静かに開き、
先ほどの女性の店員さんが入ってくる。
狭いフィッティングルームに、僕と彼女の二人きり。
上半身裸の状態で、彼女の視線が僕の胸に落ちる。
緊張と恥ずかしさが一気に込み上げてきた。
(こんなところで……女の人に裸を見られるなんて……しかも女の子扱いされて……)
心臓の音が耳に響く。
店員さんがメジャーを手に取り、穏やかに微笑んだ。
「腕を体の横に下ろして、リラックスして下さい」
柔らかい彼女の手が、僕の背中に回される。
冷たいメジャーが肌に触れ、胸の下を囲むように巻かれる。
直接肌に当たる感触に、息が詰まった。
店員さんの息遣いが近くに感じられる。
メジャーが軽く締め付けられるたび、平らな胸が押される。
「今はホルモン治療などはされているんですか?」
突然の質問に、体がびくりと震えた。
「えっ!? あ、あの……まだです……」
慌てて答える。
思わず“まだ”と言ってしまった。
そんな予定があるはずもないのに。
店員さんは優しく頷いた。
「トランスジェンダーだからと言って、必ずしもホルモン治療をされる方ばかりではないみたいですね」
軽い世間話のつもりだろう。
でも僕には重く、胸に突き刺さる言葉だった。
メジャーが再び胸を測る。
テープが肌を滑り、柔らかい部分を優しく包み込むように巻かれる。
圧力がかかるたび、微かな熱が胸元に広がる。
「Aの80ですね」
「あ、ありがとうございます……」
店員さんがメジャーを外し、静かに退出していく。
僕は急いでシャツと上着を羽織った。
まだ胸の感触が残っているような気がした。
◆
フィッティングルームを出ると、わこさんが待っていた。
彼女はすでにいくつかの下着を手に取っている。
「今っぽいデザインのものを選んであげたから、この中から衣織ちゃんの好みを選ぶといいよ」
自分で下着を選ぶことの恥ずかしさが、顔を熱くする。
レースの縁取りや、柔らかい生地が視界に広がり、胸がどきどきと鳴った。
「え、えっと……どれがいいでしょうか……」
声が小さくなる。
わこさんが白の花柄のブラとショーツのセットを手に取って近づいてきた。
「この白の花柄、可愛いでしょう?清楚な感じが衣織ちゃんに合いそう。レースが控えめで上品だよ」
彼女はもう一つの薄紫のものを並べて見せる。
「こっちの薄紫も品があっていいと思うよ!触ってみて、すごく柔らかいでしょう?」
指先で生地を撫でると、確かに滑らかで、肌に吸い付くような感触だった。
(こんなの……自分で選んで買うなんて……)
「う、薄紫……いいと思います……」
わこさんが嬉しそうに頷き、今度はピンクのセットを差し出す。
「そしてこれはピンク!ちょっと大胆だけど、女の子らしい可愛さが詰まってると思うの。レース多めで、着けたら気分も上がると思うよ。どう?衣織ちゃん、ピンク好き?」
顔がますます熱くなる。
ピンクの下着を想像しただけで、羞恥が込み上げた。
「……ピンクも……可愛いですね。でも、全部可愛すぎて……迷います」
わこさんが笑いながら、僕の腕を軽く突く。
「迷うのも楽しいよね。じゃあさ、私が1セットはお金出してあげるから全部買っちゃおうか?3セットあれば毎日ローテーションできるし」
「えっ!?そんな、悪いです。自分で買います」
「いいのいいの、私からの入社祝いだよ」
わこさんの笑顔は屈託がなく、拒否する隙を与えてくれない
結局、白の花柄、薄紫、そしてピンクの3セットを購入した。
レジで袋を受け取る手が、微かに震えていた。
レジを済ませ店を出る。
ピンク色の紙袋が、手にずっしりと重い。
中には新しい下着が入っている。
わこさんが隣を歩きながら、優しく微笑んだ。
「これで明日からはバッチリだね。うちの部署は衣織ちゃんに偏見持っている人は誰もいないからね。明日から改めてよろしくね」
駅に向かう通路で、僕はただ頷くことしかできなかった。
袋の中の柔らかい生地が、明日からの現実を静かに告げているようだった。
明日、会社に行くとき、この下着を着けて、メイクをして、女の子の服を着て出勤する。
そのことを想像しただけで、胸の奥がざわつき、熱が込み上げてくる。
(本当に……もう後戻りできないのか……)
わこさんと別れ、電車に乗り込んだ。
紙袋を膝に抱え、窓の外をぼんやり見つめる。
でも心は、明日の朝に集中していた。
とりあえず今日よりは早起きしないと……。
【5章につづく……】