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爆音が止んでから、どれほど経っただろう。

耳の奥にはまだ、剣戟と咆哮の残響がこびりついている。

藤丸立香が辿り着いたのは、特異点の奥深くに残されていた石造りの館だった。

本来ならば、仲間たちとの合流を優先すべきだった。

通信は途絶したまま。現在地すら、カルデアには正確に送れていない。

けれど。

「……ヒッポリュテ!」

半ば押し開けるようにして扉を開いた瞬間、立香は目的を果たした。

窓際に、一人の女戦士が立っていた。

「マスター」

ヒッポリュテは振り返り、ほんのわずかに目を見開く。

しかし、それも一瞬だった。

「無事だったか。よかった」

まず口にしたのは、自分ではなく立香の安否だった。

「それ、こっちの台詞だよ」

立香は思わず息を吐く。

探していた。

ずっと。

敵の襲撃によって一行が分断されたあと、ヒッポリュテだけが敵の主力を引きつけ、そのまま姿を消した。

彼女なら簡単に倒れはしない。

そう信じていても、不安まで消えるわけではなかった。

「怪我は?」

「この程度なら問題ない。霊基にも致命的な損傷はない」

いつもの、迷いのない声。

だが。

立香の視線が、そこで止まった。

正確には――止める場所を失った。

ヒッポリュテの装束は、戦闘の激しさをそのまま物語っていた。

肩を覆っていた布は裂け、腰元の装飾も一部が失われている。

白い布地には土埃と血が滲み、何度も刃を掠めたらしい切れ目が走っていた。

いつもの凛々しい戦装束。

その面影は確かに残っている。

だが今は、それ以上に。

戦いを終えたばかりの身体から立ち上る熱。

乱れた黒髪。

肌を伝う汗。

そうしたものが、ひどく生々しく見えた。

「…………」

「どうした?」

「えっ」

「先程から妙に静かだぞ、マスター」

ヒッポリュテが訝しげに首を傾ける。

そこでようやく、立香は自分が凝視していたことに気づいた。

「いや、その……服が」

「ああ」

本人は今さら気づいたように、自分の姿を見下ろした。

そして裂けた布地を指先で摘まむ。

「敵が予想以上にしつこくてな。途中から守る余裕がなくなった」

さも戦況報告をするような口調だった。

「鎧ならともかく、布はどうにもならん。戦場では珍しいことでもないのだが――」

そこで言葉が止まる。

ヒッポリュテの視線が立香へ戻った。

立香も、見返す。

数秒。

「……成る程」

なぜかヒッポリュテのほうが先に納得した。

そして珍しく、小さく視線を逸らした。

「みっともないところを見せてしまったな。すまない」

「え?」

「女王であれ戦士であれ、人前に出るならば相応の姿というものがある。まして君の前だ」

裂けた肩口を押さえながら、彼女は苦笑する。

恥じらっている――というほどではない。

戦士として戦場に立ってきた彼女にとって、傷や破損した装束など今さら気にするものではないのだろう。

それでも。

頬にだけ、微かな朱があった。

立香はそれを見て。

何となく、自分まで居心地が悪くなる。

「……別に、みっともなくないよ」

「そうか?」

「うん」

思ったより即答になった。

ヒッポリュテが瞬きをする。

「むしろ……」

言いかけて。

やめた。

格好いい、なら言える。

綺麗、もたぶん言える。

けれど。

今、月明かりにも似た淡い光を背負って立つ彼女を見て浮かんだ言葉は、そのどちらとも少し違った。

♢

「……長旅と戦闘で、さすがに少し疲れたな」

部屋の奥に置かれた頑丈な木製のベッドに目をやり、ヒッポリュテがぽつりと零す。

革のマットが敷かれただけの無骨な代物だが、横になるには十分そうだった。

「そうだな。通信が戻るまで、少し休むか」

「うん。休んだ方がいいよ」

彼女は小さく息を吐くと吸い寄せられるようにベッドへ向かい横たわった。

深く身体を沈めた瞬間、緊張の糸が切れたのだろう。ふぅ、と長い吐息が漏れる。

だが横になったことで、裂けた装束の隙間がぐっと広がり、胸元の豊かな膨らみや滑らかな肌が隠しようもなく露わになってしまった。

立ち姿の時以上にダイレクトに視界に飛び込んできた光景に、立香は思わず「ぶっ」と吹き出しそうになり、慌ててツッコミを入れた。

「ちょ、ちょっとヒッポリュテ! 隠れてない! 全然隠れてないからね!?」

「む……?」

体を起こしかけ自分の胸元を見下ろしたヒッポリュテは、ハッとしたように腕を交差させて胸を覆った。

「くっ……そ、そこまで言うな。私とて好きでこのような姿を見せているわけではない……」

先ほどまでの威厳はどこへやら、彼女は頬を真っ赤に染め、珍しく本気で恥ずかしそうに視線を泳がせる。

「あ、あまり見るな……。君が思うような、美しい身体ではないのだから」

ぽつりと漏らされた言葉。

そこには、無数の戦いと訓練によって刻まれた傷跡や、しなやかに鍛え上げられた戦士としての肉体に対する、彼女なりの自卑のようなものが混ざっていた。

立香は思わずハッとして、少しだけ声を柔らかくする。

「そんなことないよ」

「……え?」

「そんなことない。すごく……綺麗だし、格好いいよ。傷だって、ヒッポリュテが今まで戦ってきた誇りでしょ? 変に隠したりしないでよ」

まっすぐな瞳で見つめられ、ヒッポリュテは言葉を詰まらせた。

胸を押さえていた手が、ほんの少し緩む。

「君は……本当にそういうことを、平然と言うのだな……」

呆れたような、どこか照れくさそうな吐息。

立香はフッと微笑むと、彼女の枕元まで歩み寄り、優しく手を差し出した。

「ねえ、ヒッポリュテ」

「……なんだ?」

「そんな風に固まった汗と血のままじゃ、ベッドに横になっても落ち着かないでしょ。……お風呂、行こうか」

今度こそ。

アマゾネスの女王は完全に虚を突かれた顔をした。

「……風呂?」

「うん。傷も洗いたいし。さっき廊下を探したとき、ちゃんと水が通ってる浴室らしき場所も見つけておいたんだ」

「それは、まあ……そうだが」

「カルデアとの通信が戻るまで、まだ時間かかりそうだしね」

差し出された手を、ヒッポリュテはじっと見つめる。

それから。

「……フ」

微かに笑った。

「敵地で風呂とは。なかなか豪胆な提案をするな、我がマスターは」

「嫌?」

「まさか」

ヒッポリュテはその手を取る。

戦い続けてきた者の、硬くて温かい手だった。

「戦士には休息も必要だ。それに――」

「それに?」

「君がそこまで言うのなら、少しくらいは言うことを聞こう」

「少しくらいなんだ」

「ああ。私は君のサーヴァントではあるが、何でも素直に従うつもりはないぞ?」

いつもの調子。

それが戻ったことに、立香はようやく胸の奥で息をついた。

「じゃあ行こっか」

「ああ」

二人で部屋を出る。

閉じかけた扉の向こう。

誰もいなくなった石造りの私室へ、夜の風が入り込む。

戦いの匂いを。

ほんの少しずつ、洗い流すように。

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