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それは、お屋敷の一日が終わり、使用人たちが各々の私室へ引き上げた後のことだった。

灯りの消えた廊下はしんと静まり返り、窓の外では梟の鳴き声だけが遠く聞こえている。

若旦那である久世晴臣は、就寝前の眠気をやり過ごすために、屋敷の裏手にある私室へ向かっていた。足音を忍ばせ、長い廊下を曲がり、普段は通らない使用人棟の突き当たりまで進む。

目的はひとつだけだった。幼い頃から身の回りを世話してくれている専属メイド、斎宮静佳の部屋を訪ねることだ。彼女はこのお屋敷では古参のメイドで、最近は後進の指導も任されている。晴臣が物心つく前から、彼女はいつも隣にいた。

静佳の私室は、屋敷の片隅にある六畳ほどの和室だった。使用人棟の中では広い方だが、本人は私物をほとんど置かず、必要最小限の家具だけを整えている。

「……やっぱり、まだ起きてるか」

晴臣は障子の向こうに小さな明かりが灯っているのを確かめ、小さく息を吐いた。

彼女は毎晩、自分が寝付くまで起きている。正確には、晴臣が寝たのを確認してから最後の見回りを終え、ようやく私室へ戻ってくる。その生活を十年以上続けていることを、彼は大人になってから知った。

だからこそ、今夜は彼女を休ませようと思ったのだ。

たまにはこちらから会いに行って、茶の一杯でも誘って、日頃の礼を言おう。そうすれば、この胸に燻る名前のない気持ちも、少しは落ち着くかもしれない。

「静佳さん。俺だ」

障子の前で声をかけると、中から衣擦れの音が聞こえた。

「……若旦那?」

すぐに小走りで近づいてくる気配がして、障子がすっと開く。

そこに立っていたのは、寝間着姿の静佳だった。夜着の上から羽織った薄手の半纏を肩にかけ、長い黒髪は普段と違い、肩の上で緩くひとまとめにされている。

彼女は三十歳になるはずだが、寝間着姿でいるせいか、いくぶん若く見えた。

「どうされました。こんな時間に」

静佳の声は落ち着いていて、わずかにかすれている。色気というには素朴な、眠りに入る前の空気が混じった声音だった。

「少し、話せないかと思って」

「私と、ですか?」

「邪魔だったか」

「いいえ。とんでもない」

静佳は首を振り、晴臣を部屋の中へ招き入れた。

部屋の中はこぢんまりと片付いていて、小さな文机の上に豆電球がひとつ灯っている。布団はすでに敷かれた後で、白い掛布団の端がきっちりと揃えられていた。

「何かありましたか」

「いや。たまには顔を見ようと思っただけだ」

晴臣が答えると、静佳はわずかに目を丸くして、それからふっと表情を緩めた。

「珍しいこともあるものですね」

「そうか?」

「ええ。若旦那が自分から私の部屋へ来るのは、初めてではありませんか」

そう指摘されて、晴臣は返す言葉に詰まった。確かに、彼女の私室へ足を踏み入れるのは初めてのことだ。

向かい合わせに座ると、静佳が湯を沸かすと言って立ち上がった。小さな薬缶を火にかけ、手際よく茶器を並べていく。その背中を眺めながら、晴臣は妙に落ち着かない気分で座布団の上にいた。

自分の部屋よりずっと狭いのに、彼女の匂いと生活の気配が満ちていて、無防備な場所に迷い込んだような気持ちになる。

「お待たせしました」

差し出された湯呑みを受け取り、一口含む。温かい茶はどこか草の匂いがして、普段の彼女が淹れるものより、いくぶん素朴な味がした。

「賄いに使っている薬草茶です。寝る前に飲むと、身体が温まりますよ」

「うまい」

「よかった。お口に合わないかと思いました」

静佳は嬉しそうに微笑むと、自分の湯呑みを両手で包んだ。

湯気の向こうに見える彼女の顔は穏やかで、普段お屋敷で見せる几帳面な使用人の顔とは違っていた。眠る前の、ふいに訪れた穏やかな時間に、彼女自身も肩の力を抜いている。

「それで、今日はどのようなお話を?」

「大したことじゃない。お前と話したかっただけだ」

「若旦那。そういうことをおっしゃると、私が勘違いしてしまいますよ」

静佳の口調は、からかう響きを帯びていた。夜の私室だからか、普段よりも少しだけ、彼女の言葉が柔らかい。

「勘違い、ってなんだ」

「秘密です」

静佳はそう言って、茶を一口すすった。伏し目がちな睫毛が、豆電球の明かりを受けて淡い影を落としている。

晴臣は少し気恥ずかしくなって、手の中の湯呑みに目を落とした。

胸の奥がじわりと熱いのは、茶のせいだけではない。幼い頃から側にいたこの女性と、夜の私室で二人きりになっている。そのことの意味を、頭のどこかで考えている自分がいる。

「……あの、若旦那」

不意に静佳が声を低くした。

「本当に、今日は何かあったのですか。少し、お顔が赤いようですけど」

彼女が身を乗り出して、晴臣の顔を覗き込む。近づいた拍子に、彼女の髪から石鹸と、かすかな汗の匂いがした。

「なんでもない。茶が熱かっただけだ」

「そうですか。でしたら、少し上着を脱がれたほうが」

「いや、平気だ」

彼女の手が、晴臣の襟元へ伸びかけて、途中で止まった。使用人としての距離感と、私室の空気が、彼女の中でせめぎ合っているのがわかる。

「せっかくですから、もう少しお話ししましょう」

静佳が身を引き、正座のまま居住まいを正した。その胸元で、半纏の合わせがわずかに開いている。白い夜着の下から、鎖骨の窪みがのぞいていた。

晴臣は自分でも意識しないうちに、彼女の首元へ目をやってしまう。

「若旦那、お行儀がよろしくありませんよ」

「……見てない」

「嘘をついても無駄です。私は若旦那を小さな頃から見ていますから」

彼女は困ったように笑い、半纏の襟を直した。その仕草が、逆に女の身体の線を強調して見せる。

そのとき、身体の奥がふと熱くなった。

最初は茶のせいかと思った。けれど、それは腹の底からじわじわと広がる、別の熱だった。

「……悪い。少し、体が熱い」

「若旦那?」

「なんでもない。帰る」

晴臣は湯呑みを置き、立ち上がろうとした。その瞬間、足元の畳がぐにゃりと歪むような感覚に襲われる。

「くそ……眩暈か」

「若旦那、お顔が真っ赤です。無理をなさらないで」

静佳が慌てて立ち上がり、晴臣の腕を支えた。彼女の指が、男の手首をぎゅっと握る。

「……体が、おかしい」

声に出した途端、全身の骨がきしむような違和感が走った。皮膚の内側から縮んでいくような、奇妙な圧迫感。内臓が上へ持ち上がり、視界がぐらりと揺れる。

「なに、これ……」

「若旦那!?」

静佳の叫ぶ声が、やたらと遠く聞こえた。

畳の目が大きくなっていく。文机が、天井が、部屋の輪郭が、みるみる遠ざかっていく。

いや、違う。周囲が大きくなっているんじゃない。俺の身体が縮んでいるんだ。

服が緩み、襟元から肩が抜ける。床の上に、自分の着ていた衣服がくずおれるように落ちた。

「し、静佳さん……!」

晴臣の声は、もはや彼女の胸にも届かないほどの大きさになっていた。

彼は目の前に立ち尽くす彼女を見上げた。

寝間着姿の静佳が、山のようにそびえている。裸の足首が目の前にあり、その白い肌から、女の体温がじわりと伝わってくる。

彼女の足元を見て、晴臣は自分がどれほど小さくなったのかを思い知らされた。

静佳の足の親指が、晴臣の腰ほどもある。畳の目の幅は、自分の手首よりも太い。

「若旦那……?」

頭上から降ってくる静佳の声は、低く、身体に響く。

彼女がゆっくりとしゃがみ込み、その大きな掌が近づいてくる。

「まさか、そんな……薬草茶で、縮むだなんて」

静佳の指先が、晴臣の裸の背中へ触れた。たったそれだけで、彼の身体は簡単に前にのめり、彼女の指にしがみつかなければ立っていられなかった。

「すみません。私が、とんでもないものを……」

彼女の声はかすれ、心なしか、呼吸が荒くなっている。

一方で、彼女の掌は迷いなく晴臣の身体を包み込み、すくい上げた。

身体がふわりと浮き上がる。裸の全身が、彼女の柔らかな掌へ預けられる。

「……あったかい」

思わず漏れた声に、静佳の指がぴくりと反応した。

彼女は両手で晴臣を包むように持ち上げ、自分の顔の前まで運んだ。間近に迫った静佳の瞳は、暗い色をしていた。

「若旦那。お身体は、苦しくありませんか」

「……ああ。熱いけど、大丈夫だ」

「よかった。でも、どうしましょう。お身体が、こんなに小さくなって……」

彼女は心配そうに言いながら、親指の腹で晴臣の背筋をゆっくりと撫でた。

その感触に、晴臣の全身がびくりと震えた。皮膚が敏感になりすぎていて、彼女の指紋の凹凸さえ、ひとつひとつ感じ取れる。

「ひ、ぁ……」

情けない声が漏れ、晴臣は自分の口を塞ぎたくなった。

静佳の手が止まる。

「……今の声」

「ちがう。いまのは、その」

「若旦那。縮んだことで、お身体の感覚が、いつもより過敏になっているのではありませんか」

彼女の声は静かで、けれど、どこか熱を帯びていた。

静佳の指先が、襟足から首筋へ、ゆっくりと這わされる。たった数センチの愛撫に、晴臣の喉から再び甘い声が漏れそうになる。

「や、やめ……静佳さ……ッ」

「ごめんなさい。嫌でしたか」

「違う。そうじゃなくて……」

「そうじゃなくて、何ですの?」

彼女の唇が近づき、囁くように問いかける。吐息が晴臣の全身を包み、腹まで熱くさせた。

「若旦那。こんな小さなお身体で、私の指一本に震えてしまうなんて」

静佳の視線が、掌の上の裸の男をじっと捉えている。

「……すごく、可愛らしいです」

耳元で、甘やかな声が響いた。

彼女は晴臣を胸元へ近づけ、夜着の合わせの上から、そっと抱くように寄せた。

静佳の胸元は、夜着越しでもはっきりと柔らかかった。

掌に包まれたまま、顔のすぐ前に彼女の乳房の膨らみが迫っている。薄い布地を通して体温が伝わり、晴臣の裸の身体をじっとりと温めた。

「若旦那、震えていらっしゃる」

静佳が少しだけ腕を緩め、指先で晴臣の背中をそっと支えた。彼女の吐息が頭の上から降りかかり、髪を揺らす。たったそれだけの風圧で、身体が倒れそうになる。

「寒いですか。それとも、怖い?」

「……ちがう」

そう答えるのが精一杯だった。

本当は、怖い。彼女の指が少し動くだけで、身体ごと持っていかれそうになる。掌の上でバランスを崩すたび、落ちてしまうという恐怖が背筋をなぞる。それなのに、この掌から逃げたいとは思わない。

「若旦那。正直におっしゃってください。私では、不安ですか」

静佳の顔が近づいた。彼女がわずかに首を傾げるだけで、周囲の空気が大きく流れる。晴臣の身長では、彼女のまつ毛の一本さえ太い糸のように見えた。

「静佳さんが、こわいんじゃない。俺が、小さすぎて……お前の動きが、全部、大ごとになるんだ」

「大ごと、ですか」

「指が動いただけで、身体が浮く。息をされただけで、倒れそうになる」

精一杯伝えると、静佳は小さく息を呑み、それから、彼女の掌がより深く晴臣を包み込んだ。両手で殻を作るようにして、外気から守る形になる。

「ごめんなさい。私、無意識に動かしてしまって。痛い思いはさせていませんか」

「いたくない。ただ、びっくりするだけで」

「……少し、力を抜いてください。このまま、私の胸に寄りかかっていて」

静佳はそう言うと、掌ごと晴臣を自分の胸元へ当てた。今度は布越しではなく、ゆったりとした夜着の襟元から、素肌のふくらみへ直接触れるような格好になる。

「静佳さん、これ」

「私の心音、聞こえませんか。目を閉じて、ゆっくり息をして」

彼女の声は優しかった。

晴臣は言われるまま、彼女の肌に頬を寄せた。鼻先に汗ばんだ肌の匂いがして、耳を当てると、すぐ下で心臓が重く、ゆっくりと脈打っている。一定のリズムで、彼女の身体全体が微かに揺れていた。

「……きこえる」

「ええ。私も、若旦那の小さな心音が聞こえています。掌の上で、ぱたぱたと震えている」

静佳の声が、骨を通して全身に響く。彼女が話すたび、胸元の膨らみが小さく揺れ、抱えられた晴臣の身体を包み込んだ。

「若旦那。お背中、お撫でしてもよろしいですか」

「……うん」

返事をすると、彼女の指先が背中へ触れた。親指の腹が、首筋から腰へ向かって、ごくゆっくりと下りていく。人間の指先が、大人の背中を撫でる時のように。

晴臣の身体は、その指紋のひとつひとつを全身で受け止めた。皮膚をなぞる凹凸がくすぐったくて、同時に、腹の底から甘いだるさが広がっていく。

「ふ、ぁ……」

声が漏れた。自分でも情けないと思うのに、喉から出た息は甘く湿っていて、抑えがきかない。

「かわいい」

静佳が短く言った。

「こんな声、出るのですね。お屋敷にいる時は、あんなに落ち着いていらっしゃるのに」

「よ、余計なこと言うな……」

「すみません。でも、本当のことですから」

彼女は笑っているようだった。吐息の温度が変わり、心音がわずかに速くなる。

指先は背中を往復し、時折、腰の窪みへ触れては、すぐに離れた。そこから先へ進むこともなく、逃がすこともなく、掌の温かさで晴臣の身体を満たし続ける。

「静佳さん、手、あったかい」

「良かった。若旦那の身体が冷えたら大変ですから」

「俺、お前に守られてるみたいだ」

素直な気持ちが口をついた。彼女の掌は柔らかく、夜着の内側は湿った熱を持っていて、心臓の音だけが世界にあるようだった。

「守っています。今の若旦那は、私の両手に収まる小さな方ですから」

静佳の唇が、晴臣の頭へ触れそうな距離まで近づく。

「……帰したくありませんね」

吐息混じりの声が降ってきた。

「こんなに小さくて、温かくて、私の胸にしがみついて離れない若旦那を、このままお返しするなんて」

彼女の言葉は、独り言のようにも聞こえた。晴臣の耳には、その声がどこか切なげで、それでいて強い独占欲を孕んでいるように感じられる。

「静佳さん……」

「動かないでください。落ちてしまいます」

静佳は片手で晴臣を包んだまま、もう片方の手で夜着の襟を少しだけ開いた。露わになった鎖骨のあたりへ、彼の身体を横たわらせる。

剥き出しの肌へ触れた瞬間、晴臣の全身が硬直した。彼女の体温が直に押し寄せ、汗の膜が張り付くようにまとわりつく。

「あつ……」

「若旦那の冷えきった身体に、少しずつ私の熱を分けています。大人しくしていてください」

彼女の鎖骨の窪みは、晴臣の身体を横たえるには十分すぎる広さだった。背中から沈み込むようにして、素肌の上へ体を預ける。

静佳の心音は、さっきよりずっと近くで聞こえる。彼女の呼吸に合わせて、胸元が上下するたび、晴臣の身体もゆっくりと揺れた。

「お布団の上よりも、こちらのほうが温かいでしょう」

「……そう、かも」

「正直ですね。そういうところ、小さな頃の若旦那に戻ったみたいです」

静佳の指が、晴臣の髪を撫でる。爪の先が、耳の後ろをかすめる。

「ん、ぅ……」

その刺激に、足先まで甘く跳ねた。彼女の指先の温度が、頭皮からしみてくる。

「今日は、このまま私の身体の上で休まれませんか」

「この部屋からお帰しする気になれません。お茶のせいとはいえ、この小さな姿を見てしまったら」

静佳は言いかけて、言葉を飲み込んだ。代わりに、晴臣の身体を胸元から鎖骨の窪みへ、さらに密着させる。

「見てしまったら、なんだ」

「……続きは、若旦那がここで眠ってからにします」

「ずるいぞ、それ」

「ずるくて結構。今日の私は、若旦那のお世話係ですから」

静佳は微笑み、晴臣を指先で優しく撫で続けた。

夜着の内側は徐々に蒸し暑く、彼女の汗が晴臣の腹や太ももに触れた。不快ではなく、むしろ、逃げ場のない体温に包まれている感覚が、頭の芯をぼうっとさせていく。

「怖くないですか」

「……まだ、少し。お前の息で、揺れる」

「慣れるまで、ずっと支えています」

彼女の掌が、晴臣の背中を覆う。

「このまま、朝まで。私が眠らせてあげますから」

どれほどの時間が過ぎたのか、晴臣にはわからなかった。

彼女の鎖骨の上に横たわったまま、規則正しい心音と寝息に包まれているうちに、少しずつ怖さは薄れていった。

静佳は眠っていた。片手を晴臣の背中に添えたまま、もう片方の手は布団の上へ投げ出し、肩で静かに呼吸を繰り返している。深い眠りではなく、まどろみの中にいるようだった。

彼女が身じろぎするたび、晴臣の身体は夜着の内側でゆっくりと揺れた。時折、彼女の胸が深く上下し、そのたびに鎖骨の窪みが浅くなって、彼の背中が膨らみに押し上げられる。

逃げ出そうと思えば、できないこともない。布団の上へ這い出て、この部屋から離れればいい。そうすれば、これ以上彼女の寝顔を盗み見ることもなく済むのだ。

だが、身体が動かなかった。

怖いわけではない。静佳の手は温かく、彼女の匂いに包まれていると、頭の奥がじんと痺れて何も考えられなくなる。

(だめだ。こんなの、おかしい)

晴臣は自分に言い聞かせた。この女は幼い頃から自分の面倒を見てきた、家族同然の存在だ。その彼女の肌に裸で触れ、指先で背中を撫でられて、自分がどうなっているかを自覚するだけで、腹の底が熱くなった。

彼女が息をするたび、夜着の布地が動き、汗ばんだ肌の匂いが濃くなる。石鹸の香りと、眠る前の温もりが混ざった、女の匂いだった。

「……くそ」

小さな声を出しても、静佳には届かない。口元を覆う暇もなく、熱い息が漏れた。

視線を下ろすと、夜着の合わせの奥に、彼女の乳房が寝息に合わせて上下している。その膨らみは、いまの晴臣にとっては、丘というより、壁のようにそそり立っていた。

肌の表面には細かな汗が浮いていて、豆電球の明かりをぼんやりと反射している。乳首が布地の下で存在を主張していて、そこへ目を向けるだけで、晴臣の下肢へ血が集まるのがわかった。

「俺、なにを考えてるんだ……」

頭ではわかっていた。彼女が眠っている隙に、こうして身体を密着させているだけでも、使用人に対する主人の行いではない。

わかっているのに、掌の下で硬くなっていく自分の中心を、どうすることもできなかった。

静佳がわずかに寝返りを打ち、晴臣の身体は彼女の肌の上で数センチ滑る。胸元の谷間のほうへ近づき、空気が一段と湿って熱くなった。

「ぅ、あ……」

蒸れた空気を吸い込むだけで、喉の奥が甘く鳴る。彼女の肌から立ちのぼる汗の匂いが舌にまで届くようで、晴臣は無意識に彼女の鎖骨のあたりへ鼻先を押し当てていた。

「静佳さん……」

寝ている彼女に呼びかけても、返事はない。それなのに、その名を口にしただけで、身体の芯が反応した。

右手が自分の意思とは無関係に動き、そそり立つ中心へ触れる。小さい身体の割に、そこだけがひどく熱を持ち、張り詰めていた。指で包み込むと、内側から脈打つような強い存在感が返ってくる。

「ん、ぅぅ……ッ」

漏れそうになる声を、唇を噛んで殺した。

少し手を動かすだけで、静佳の肌と触れ合っている背中や腿にも快感が伝わっていく。布地ではない、生の肌の凹凸が、動くたびに違う刺激をくれた。

彼女の鎖骨のくぼみは、晴臣の腰をちょうど支える位置にあり、寝返りのたびに深さを変えた。その揺れが、手淫の動きと連動して、逃げ場のない波を作る。

(悔しい。悔しいのに、止まらない)

相手は眠っている。自分は彼女の一部のような広さの肌に張り付き、息を殺しながら自慰をしている。姿を鏡で見られなくてよかったと思うほど、無様で、情けない姿のはずだった。

それなのに、静佳の巨大な身体を見上げるたび、全身がぞくぞくと震える。

彼女の呼吸で上下する胸。汗ばんだ首筋。動くたびに空気を揺らす夜着。そのすべてが、あまりに大きく、圧倒的で、晴臣の存在を消し飛ばすようだった。

「は、ぁ……ふ、ぅ……」

指を動かす速度が、勝手に上がる。

悔しい。怖い。この差を見せつけられて、ちっぽけな自分を嗤われているみたいで、なのに、それがたまらなく心地いい。

静佳の肌に触れている部分が熱い。汗が混ざり、滑りを増した接触面に、腹から太ももまで吸い付くように密着してしまう。

「しずか、さん……っ」

心の中で呼びかけた。声は出さない。出せば、彼女が起きてしまう。

起きてほしいような、起きてほしくないような、ぐちゃぐちゃの気持ちが腹の底で渦巻いている。

静佳が深く息を吸い、その拍子に胸元が持ち上がった。晴臣の身体は彼女の乳房の側面へ押し上げられ、太ももが柔らかな肌へ沈む。

「や、ぁ……」

この巨体の前では、自分が指で触れている中心も、まるで頼りない突起のようだ。大きさの差に、快感がさらに強くなる。

静佳に知られたら、何を言われるのか。あの静かな眼差しで見下ろされ、困ったように笑われるのか。それとも、この小さな身体をまた両手で包んでくれるのか。

「う、あ……ぁ……っ」

考えるだけで、先端から透明なものが滲んで、指の動きを滑らかにした。

彼女の鼻先が、寝息のたびにわずかに動く。その風が、晴臣のいる位置にまで届くことはない。それでも、彼女の一部が彼の周囲の空気を揺らし、皮膚の上をなぞっていく。

(もう、だめだ)

腹の奥が痺れ、目の前が一瞬白む。彼女の肌に爪を立てないよう、反対の手でしがみつくのがやっとだった。

静佳が再び深く息を吸う。時を同じくして、晴臣は彼女の鎖骨のくぼみへ額を押し付け、声にならない吐息を漏らしていた。

どくん、どくん、と中心が脈打つ。白い精が彼の腹と、彼女の素肌の上に散った。

静佳の肌はしっとりと汗ばんでいて、晴臣の吐精の跡をすぐに吸い取るように濡れた。

「……はぁ……ぁ……」

息を整えることもできず、彼女の鎖骨の上で小さく痙攣する。

心臓がうるさい。彼女に聞かれてしまうのではないかと思うほど、全身で脈を打っていた。

静佳は、まだ眠っていた。

その寝顔を見て、ようやく自分がとんでもないことをしたのだと実感する。彼女の胸元に、白い跡を残したまま、小さくなった主人が全裸で横たわっている。

「最悪だ……」

晴臣は小さくつぶやき、目を閉じた。

気持ちよかった。悔しいぐらいに。

彼女に守られて、撫でられて、あまやかされている時間よりも、ひとりで触れたこの数分のほうが、身体の芯まで焼かれている。

このことを知ったら、静佳はどんな顔をするだろうか。

そう想像した途端、疲れきったはずの中心が、またゆるやかに反応した。

夜はまだ、深い。

心臓がうるさい。動悸が彼女の鎖骨を通して伝わっているのではないかと思いながら、それでも晴臣はその場から動けなかった。

腹に散った精が冷えていく。自分の熱が冷めるほどに、到底隠しきれないことをしてしまった実感が重くのしかかる。静佳の素肌を汚してしまった。幼い頃から世話を焼いてくれた女の胸元で、その優しさに乗じるようにして、自慰をしてしまった。

「……ちくしょう」

声はかすれ、唇の動きにすらならなかった。

動けるなら、すぐにでもこの場を離れたかった。けれど、静佳の身体は熱く、汗ばんだ彼女の鎖骨に張り付いた晴臣の腹や太ももは、まるで浅い水に浸かっているようだった。彼女が呼吸をするたび、肌が動き、密着した身体をゆるやかに揺らす。その揺れに抗うことさえ、今の体格ではままならない。

ふと、周囲の気配が変わった。

静佳の寝息が止まる。

心臓を直接つかまれたようだった。彼女の胸元がゆっくりと上下し、それから、頭の上から静かなため息が落ちてくる。

「……若旦那」

低く、寝起きとは思えないほど澄んだ声だった。

晴臣の身体が硬直する。顔を上げることすらできず、彼女の肌に額を押しつけたまま、小さく息を呑むことしかできない。

「いつから、起きていらっしゃいましたか」

「ちがう、これは……」

「何が違いますか」

静佳の声はやわらかく、追い詰めるような響きはない。けれど、彼女の指が動き、晴臣の背中をゆっくりと覆った。逃がさない、という意思がはっきりと伝わってくる。

「私の上で、ひとりで、あんなに熱い吐息を漏らしていたでしょう」

耳元で囁かれ、全身の血が逆流するかと思った。

見られていた。知られていた。彼女は気づいていながら、晴臣が達するまで、あの穏やかな寝顔を保っていたのだ。

「静佳さん、ごめん。本当に、ちがう、俺、お前が寝てるから、つい……」

「つい、何を?」

指が背中から脇腹をなぞり、腰のあたりで止まる。親指の腹が、晴臣の尻たぶの上をゆっくりと往復した。それだけのことで、指先全体が性器のすぐ横まで触れている感覚がして、息が詰まる。

「起きてらしたのですか、お耳を貸してください」

静佳は言いながら、片手で晴臣の身体を胸元からすくい上げた。裸の全身が彼女の大きな掌に乗せられる。逃げ場のないまま、彼女の顔の前まで運ばれた。

正面から静佳の瞳に見下ろされ、晴臣は声を失った。

彼女は微笑んでいた。困ったときにする、あの穏やかな微笑みのまま、じっと晴臣を見ている。

「若旦那。お腹のあたり、汚れていますね」

「……見ないでくれ」

「私の肌にも、付いていますよ。あたたかくて、少し粘り気がありました」

静佳がそう言うと、視界が急に近づいた。彼女が晴臣を両手で包み、自分の顔の前へ持ち上げた拍子に、唇の動きが目の前まで迫る。

「今から、きれいにして差し上げます。ですが、若旦那はほんの少し、私にされるがままになってください」

声の響きが、耳の奥をじわりと犯す。

彼女の指が、晴臣の身体を仰向けにひっくり返した。背中が掌に沈み、手足が自然と上を向く。

「な、なにをする……」

「汚れを取るだけです。暴れないでください。本当に、落ちてしまいますよ」

くすりと笑った彼女の吐息が、腹へかかった。

次の瞬間、視界の端で、彼女の小さな唇が開く。赤い舌が、ぬらりと姿をのぞかせた。

「ひ、ぁ……」

舌先が晴臣の腹へ触れた。生温かく、唾液の粘度が高い。たったそれだけの接触で、晴臣の全身が硬直した。彼女の舌は自分の腕よりも太く、腹の上をゆっくりと這っていく。

「やめ、静佳さん……っ、そんなとこ……」

「汚れているのは、ここだけではありません」

静佳の舌が、精のこびりついた腹筋をなぞり、臍の窪みを軽く舐めた。そのたび、晴臣は情けない声を漏らしてしまう。彼女の舌先が動くたび、唾液が腹に広がり、ぬかるんだ熱が腰の下へ垂れていく。

「足を、開いてください」

静佳が囁いた。

開けるはずがなかった。いや、そもそも開くまでもなく、彼女の指先は晴臣の膝をかるく押さえ、左右へ割り開いた。大人の男が両足を閉じて抗うより強い力で、ごく自然な所作で、彼の脚は彼女の前に晒される。

「若旦那。強情を張らないの」

静佳の吐息が股間をなでる。彼女の瞳が、晴臣の中心をじっと見つめていた。

「小さいながら、こんなに張り詰めていましたのね」

「やめてくれ、そんなこと言うの……」

「本当のことですから」

彼女の舌が近づいてくる。唾液で濡れた赤い表面が、太い束に見えた。晴臣の中心が、彼女の下唇ほどの大きさもないことを思い知らされる。彼女はそれを、舌先でちらりと触れた。

「ぅ、ああ……っ!」

腰が跳ねた。ちかちかと目の前が明滅する。舌先で触れられただけなのに、背中から脳天まで貫かれた気がした。先端をぬるりと包まれ、彼女の唾液が性器の根元まで伝っていく。

「大人しくしていてください。きれいにするだけですから」

静佳はそう言って、股の周りを舌で舐め取った。精液の残った下腹から、太ももの付け根、袋の裏側まで、遠慮のない舌が何度も往復する。

「ひ……っ、しずかさん……っ、やめ、やめて……」

「嫌がっているようには見えませんが」

静佳の唇が晴臣の太ももへ触れるたび、肌が甘く吸われる。抗いたくても、全身の力はとっくに抜け落ち、掌の上で痙攣することしかできなかった。

彼女が顔を離すと、股間まわりは彼女の唾液で濡れそぼっていた。

晴臣は荒い息を繰り返し、乾いた喉でようやく言葉を絞り出す。

「……もう、いやだ」

「まだ終わっていません。汗もかいていますし、今度はお身体を洗います」

静佳は立ち上がった。その振動でさえ、掌の上の晴臣には大きな揺れだった。彼女の裸足が畳を踏み、部屋の隅の風呂場へ向かう。

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