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特派大使の赴日

機内の照明が徐々にその輝きを増し、長い夜のような暗がりから現実へと引き戻されるかのようだった。ファーストクラスの革張りシートに深く腰を預けたまま、呉則卿は窓の外に視線を投げた。厚い雲の層が切れ、眼下には広大な関東平野が、整然と区画された田畑と、無数の建造物の集合体として広がっている。機体の降下に伴い、その灰色の塊が次第に解像度を増し、個々の家屋や、這うような道路の線へと分化していく。


「お客様、お飲み物はいかがなさいますか?」


黒いチャイナドレス姿の客室乗務員が、訓練された微笑みを浮かべて問いかける。呉はかすかに首を振り、シャンパングラスを静かに押し返した。その仕草は優雅で、一切の無駄がなかった。国家ラジオ・テレビ総局局長として、これまで幾度となく海外渡航を経験してきた彼女にとって、空の旅はもはや特別なものではない。だが、今回の旅は、これまでのいかなる出張とも本質を異にしていた。


「特派大使」という肩書きは、一枚の薄い任命書と共に突然降って湧いたものだ。表向きは文化交流の促進、メディア分野での協力関係強化という名目。しかし、その背後に何があるのかを、彼女は誰よりも鋭く感じ取っていた。機内アナウンスが到着を告げ、シートベルト着用サインが点灯する。成田空港だ。呉則卿は細く息を吐き出すと、内ポケットから一枚の名刺を取り出した。そこには「外務省 アジア大洋州局」という文字が刻まれている。迎えの者だ。


機体が滑走路に接地した衝撃が、彼女の身体を微かに揺らした。その振動が、まるで何かの始まりを告げる合図のように感じられた。胸の奥底で、暗く昏い渦が音もなく広がり始める。それは期待と呼ぶにはあまりに歪で、不安と呼ぶにはあまりに甘美な感情だった。統制された日常、官僚組織の頂点で張り詰めた糸のように生きる自分を、どこか遠くへと運び去ってくれることを、彼女は無意識のうちに待ち望んでいた。


タラップを降りると、湿り気を帯びた異国の空気が肌にまとわりつく。抜けるような晴天の北京とは異なり、東京の空は薄い雲に覆われ、どんよりと曇っていた。入国審査を終え、キャリーバッグを引きながら到着ロビーへと足を踏み出す。その瞬間、彼女の視界に、一際目立つ人物が飛び込んできた。


黒いスーツを隙なく着こなした初老の男が、背筋をピンと伸ばし、両手で「呉則卿 特派大使」と楷書で記されたボードを胸の高さに掲げている。その傍らには、若い秘書官らしき男が一人、同じく硬い表情で直立していた。男は彼女の姿を認めるや否や、機械的に頭を下げ、早足で近づいてくる。


「呉則卿大使でいらっしゃいますね?」男は流暢な中国語で、しかしどこか感情の抑揚を欠いた声で言った。「外務省の田中でございます。遠路はるばるのご来日、誠に恐れ入ります。」


「ご丁寧にどうも」呉則卿は流暢な日本語で応じ、ほんの形ばかりの微笑みを口元に浮かべた。彼女の声は低く、よく通る。相手の目を一瞬だけ見つめ、すぐに視線を外す。その動作は、会話の主導権を握ることに慣れた者のそれだった。


田中と名乗った男は、彼女の日本語に一瞬だけ驚いたような表情を見せたが、すぐに無表情へと戻った。「お車の用意ができております。まずはホテルへご案内いたします。」


呉則卿は黙って頷いた。秘書官が彼女のキャリーバッグを預かろうと手を差し伸べるが、彼女は片手で制した。その冷ややかな仕草に、秘書官はたじろいだように手を引っ込める。三人は無言のまま、自動ドアを抜けて空港の外へと出た。


駐車場に停められた黒塗りのトヨタ・センチュリーの後部座席に乗り込むと、防音ガラスが外界の騒音を遮断し、静寂が車内を満たした。田中が運転手に短く指示を出す。車が滑るように走り出した。窓の外では、無機質な高速道路の風景が流れていく。灰色の防音壁、同じような形のトラック、整然と並ぶ街路樹。何もかもが過剰なまでに整序され、管理されている。それは、彼女が北京で身を置いていた組織の構造と奇妙に似通っていた。


「大使、何かご不明な点はございますか?」田中の声が静寂を破った。


「いいえ、今のところは」彼女は窓の外を見つめたまま答える。


しかし、本当は違った。彼女の内面は、これから始まる何かに向けて、異様な速度で回転し始めていた。それは、仕事上の懸念ではない。果たすべき職務への重圧でもない。もっと原始的で、深い部分から突き上げてくる衝動だった。彼女は、自分が「特派大使」としてではなく、全く別の何かとしてこの地に降り立ったという感覚に、言いようのない戦慄を覚えていた。


国家ラジオ・テレビ総局。そこは、国内全ての放送を監視し、統制する巨大な権力機構だ。その頂に立つ彼女は、まさに「管理者」の権化であり、あらゆる情報を検閲し、許容されないものを排除する側の人間だった。しかし、その冷たく硬質な鎧の内部では、彼女自身が最も忌み嫌い、排除すべき「許容されないもの」を秘めている。誰にも言えない、暗い欲望を。


車は首都高速を下り、都心部へと入っていく。林立する高層ビルが、曇り空を背景に立ち並んでいる。彼女は、自分のオフィスから見下ろしていた北京の街並みを思い出した。あの頃は、全てを掌握している全能感があった。しかし今、助手席に座る見知らぬ異国の役人の後ろ頭を見つめながら、彼女は初めて、自分が「掌握される」側に立つかもしれないという予感に、背筋をぞくりと震わせた。


それは、恐怖ではない。むしろ、歓喜に近いものがあった。全ての責任と権力から解放され、己の意思とは無関係に、何者かの定めた運命に流されること。彼女は、その瞬間を心の底から待ち望んでいた。外の世界に対する氷のような冷淡さ、高慢とさえ取れるその態度は、実は、内側で燃え盛る自己破壊への渇望を覆い隠すための、精巧に作られた仮面に過ぎない。


「明日の午前中に、外務大臣への表敬訪問が予定されております。午後は、放送倫理・番組向上機構の関係者との会議です」田中がスケジュールを読み上げる。


「放送倫理機構…」彼女はその言葉を、まるで舌の上で転がすように繰り返した。中国では、それはすなわち彼女の統括する部署そのものだ。しかし、ここ日本では、彼女はその機構の管理下に置かれる立場となる。少なくとも、形式的には。その立場の逆転が、彼女の心に微かな、しかし確かな震えを呼び起こす。


運命は、自分に何をもたらすのか。特派大使としての表の顔の裏で、彼女はただ、誰かの手によって、統制の外側へと引き摺り出されることを渇望していた。秩序の破壊、自己の貶め、その先にある歪な解脱。東京という、湿っぽく薄暗い大都会の空気は、彼女のそんな昏い願望を優しく包み込み、甘く腐敗させていくように思えた。


車は東京都内の高級ホテルの車寄せに静かに滑り込んだ。ベルボーイが恭しくドアを開ける。呉則卿は、その手を借りることなく、颯爽と車外へ出た。彼女のハイヒールが、磨き上げられた石床に冷たい足音を響かせる。ホテルのロビーへと向かいながら、彼女は、新たな舞台の幕が静かに上がる音を、確かに聞いた。


官界への初めての顔見せ

大使館の門をくぐると、東京の喧騒が嘘のように遠のいた。銀色に鈍く光る門扉の脇には、すでに黒服の職員が直立し、無機質な敬礼で彼女を迎え入れる。呉則卿は一歩、石畳の上にヒールを落とした。カツン、と乾いた音が静寂を裂く。彼女の背筋は伸び、顔には薄氷のような笑みが貼りついている。冷たく、近寄りがたく、完璧に計算された仮面だった。


車寄せからエントランスへ続く道すがら、出迎えた参事官が早口の日本語で何かを説明しているが、則卿はただ一つ一つに短く「ええ」とだけ返した。その声は低く、感情の兆しすら見当たらない。ガラス張りのロビーに入ると、空調の冷気が彼女の露出した二の腕を撫でた。その瞬間、彼女の心の奥底で、何かがうごめく。自己破壊への渇望。それは熱病のように彼女の血を静かに煮えたぎらせるが、表面には決して出さない。彼女はその熱を、さらに冷たい無表情の下に押し込めた。


黄昏が落ちるころ、大広間で歓迎晩餐会が始まった。シャンデリアの光が、磨き抜かれた床に波紋のように揺れている。室内には和洋折衷の空気が満ち、スーツ姿の男たちと、豪奢なドレスをまとった女たちが、グラスを手に談笑している。政財界の要人たちだ。則卿は黒のパンツスーツに身を包み、唯一の彩りは唇に引いた深紅のルージュだけだった。


「呉則卿でございます」

彼女は流暢な日本語でそう名乗ると、最初の相手に微かに頭を下げた。大手鉄鋼メーカーの会長だった。皺だらけの手が差し出され、彼女の指を軽く握る。その感触に、彼女の背筋に冷たい汗が滲む。嫌悪感。だが、同時にそれを打ち消す、ぞくりとした快感の予兆が走る。彼女は笑みを深くした。相手はその笑みを「外交的」と受け取っただろう。


会場のあちこちで、彼女はまるで精巧な自動人形のように振る舞った。財務省の官僚には慎重な敬意を、野党の若手議員にはほんの少しだけ同情的な視線を、そして与党の大物たちには、かすかな媚態すら滲ませた。誰もが彼女の美貌と知性、そして完璧な距離感に魅了され、誰ひとりとして、その奥底に渦巻く暗い渇きには気づかない。


「素晴らしい方だ」

「冷たい印象だが、あれは聡明さの裏返しだろう」

囁き交わされる評判は、すべて彼女の計算の内側にあった。則卿はシャンパングラスを口元に運びながら、視線を巡らせる。自分を品定めする無数の目。彼女はその視線の網を、まるで自らを縛る茨のように感じていた。屈辱は、まだ遠い。だが、この心理的な裸体に等しい視線の暴力は、彼女の内なる空虚を、甘やかに満たし始めていた。


晩餐会が終わりに近づき、人々が三々五々、二次会の相談を始めた頃だった。則卿が化粧室から戻ると、廊下の影から、一人の年老いた男が静かに歩み寄ってきた。彼の名は木下重光。与党の重鎮で、政界のフィクサーとして裏表で恐れられる存在だ。彼はにこりともせず、ただ深い皺の刻まれた瞼を少しだけ持ち上げて、則卿を見た。


「呉さん、少し、よろしいかな」


それは疑問形ではなかった。則卿は足を止める。周囲には誰もいない。絨毯が足音を吸い込む、静かな廊下だった。


「ええ、木下先生」


彼女が澄ました声で応じると、木下は口元だけで笑った。しかし目は笑っていない。値踏みするような、爬虫類じみた冷たさがあった。


「貴女は聡明だ。今日の立ち居振る舞いでよく分かった。しかし、一つだけ、理解しておかねばならないことがある」


彼は一歩、距離を詰めた。古びた煙草と、墨のような匂いがした。


「この国で、真に信頼を得るには、我々の『礼儀』に適応する必要がある」


則卿の瞳孔が、ほんの一瞬、収縮した。彼女はその言葉の真意を、本能的に嗅ぎ取っていた。『礼儀』。それは外交辞令ではない。女としての、玩具としての、従順さの誓約だ。


木下は彼女の沈黙を肯定と受け取ったかのように、さらに言葉を継いだ。


「君が本当に我々の友人になりたいと望むなら、その覚悟を示してもらわねばならない。そういうことだ」


彼の視線が、則卿の身体を上から下へと舐めるように動く。それはもはや、隠微ですらあった。普通の女性なら、震えあがるか、怒りに顔を赤らめる場面だ。だが、呉則卿の内面では、暗い花が開こうとしていた。――来た。私が待っていたものは、これだ。――自己破壊への渇望が、堰を切って彼女の全身を駆け巡る。この老人は、自分を汚す権力を手にしている。彼に従うことは、自分を貶めることであり、それはすなわち、解脱への道筋なのだ。


則卿は、ゆっくりと、深々と頭を下げた。それは、会釈ではない。腰を折る、降伏の姿勢だった。


「……かしこまりました。日本の礼儀を、身に刻みます」


彼女の声は、抑揚を失い、ただ平らかだった。だが、うつむいた顔には、誰にも見えない恍惚の色が、薄く浮かんでいた。木下は満足げに小さく頷くと、何も言わずに踵を返し、廊下の闇へと消えていった。


則卿はしばらく、そのままの姿勢で立ち尽くしていた。心臓が早鐘を打っている。それは恐怖のためではない。期待のためだ。彼女は顔を上げると、唇をなめ、誰もいない廊下に向かって、うっすらと微笑んだ。その紅い唇は、これから始まる堕落への招待状のように、静かに、妖しく、弧を描いていた。


秘密の協定

大使館の奥まった廊下は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。壁には分厚い絨毯がかけられ、足音さえも吸い込まれて消える。呉則卿は前を歩く黒服の男の背中を、無表情のまま見つめていた。心臓は氷のように冷たく、それでいて身体の奥底では、かすかな熱が疼いている。彼女はもう、自分の意思でここに来たのか、それとも流れ着いたのか、判別できなくなっていた。


突き当たりの重厚なオーク材のドアが開かれると、部屋の中は薄暗く、重苦しい空気が澱んでいた。壁一面を覆う本棚には、おそらく誰も開いたことのない革装の法律書が並び、中央には大きなマホガニーの机が据えられている。その後ろに、三人の男が立っていた。いずれも五十代から六十代、スーツの仕立ては完璧で、顔には長年の権力が皺となって刻まれている。


中央の男が口を開いた。銀縁の眼鏡の奥の目は、彼女を品定めするように細められる。


「呉則卿君、よく来てくれた。君の決断は、まことに賢明なものだ」


声には抑揚がなく、褒め言葉ですらない。単なる事実確認のようだった。


「こちらが協定書だ」


右側の男が、分厚い書類の束を机の上に滑らせてきた。紙質は異様に白く、文字はまるで生き物のように黒く浮き上がっている。呉則卿はそれを手に取った。指先が微かに震えているのを、彼女は意識の外に追いやった。


書面には、彼女の新しい「身分」が定義されていた。外交官補佐という表向きの肩書き。しかしその実態は、特定の高官に対する「個人的奉仕」を義務付けられるというものだった。期間は無期限。拒否権はない。秘密保持の違反は、国家反逆罪に準じて処理される。それは協定ではなく、絶対的な隷属契約だった。


彼女は読み進めながら、不思議な高揚感に包まれていくのを感じた。ここに署名すれば、もう二度と元の自分には戻れない。今まで積み上げてきたキャリアも、誇りも、すべてが粉々に砕け散る。その破滅への一歩が、これほど甘美な誘惑として彼女の前に差し出されている。彼女の薄い唇が、誰にも気づかれないように、ほんの一瞬だけ歪んだ。


ペンが置かれた。万年筆だ。インクは血のように黒い。


「署名を」


眼鏡の男が短く命じた。


則卿は、まるで儀式のようにゆっくりとペンを手に取った。金属の冷たさが手のひらに染みる。彼女は最後のページを開き、指定された欄に、自分の名を記した。文字は乱れず、むしろ普段より美しいくらいだった。彼女はその時、確かに自分の意思で、奈落への扉を押し開いたのだ。


署名が終わると同時に、部屋の隅にあった重いカーテンが引かれた。奥にもう一つ、隠し部屋があったのだ。そこは応接室のようにソファが配置されているが、照明は異様に暗く、空気には甘ったるい香が焚かれている。嗅いだことのない、官能を刺激する香りだった。


「では、その『身分』に相応しい服装に着替えてもらおう」


三人の男たちは、机を回り込んで彼女の周囲に立った。彼らの目つきが変わる。もはや交渉相手を見る目ではない。所有物を検分するかのような、粘ついた視線だった。


「すべて脱ぎなさい」


右側の男の声は、命令というにはあまりに事務的だった。


則卿は一瞬息を呑んだ。羞恥が、理性の最後の砦のように彼女の心を貫く。ジャケットのボタンに手をかける。指がうまく動かない。しかし、それを嘲笑うかのように、体は素直に動き始めた。黒いジャケットが肩から滑り落ち、床に音もなく落ちる。シルクのブラウスを脱ぐと、空気が直接肌に触れて粟立った。スカートのファスナーを下ろす音が、やけに大きく響く。ストッキングを脱ぎ捨てる。


ついに、彼女は下着だけになった。高価な黒いレースの上下が、逆に彼女の置かれた状況の淫靡さを際立たせる。彼女は男たちの視線から目を逸らし、天井の一点を見つめていた。


「下着もだ。すべてを見せろ」


眼鏡の男が、感情を込めずに言った。


彼女は奥歯を噛みしめた。そして、ブラのホックを外す。解放された双乳が、冷たい空気に晒されて硬くなる。最後に、一片の布を取り去った時、彼女は自分の中の何かが、かすかな音を立てて壊れるのを感じた。同時に、それは限りない解放感でもあった。もう守るべき何もない。すべてを失った者だけが得られる、恐ろしいほどの自由。


「跪け」


三人の声が重なる。


則卿は、カーペットの上に膝をついた。絨毯の繊維が、敏感になった肌にちくちくと刺さる。彼女の長い黒髪が背中に流れ落ち、白い肌との対比が、薄明かりの下でぞっとするほど美しかった。


男たちは彼女を囲み、ゆっくりと自分たちの衣服を寛げ始めた。彼らは急がなかった。この状況そのものを、深く味わっているかのようだった。最初に則卿の顎に手をかけたのは、眼鏡の男だった。彼は無言で彼女の顔を上向かせ、そのまま腰を突き出した。


口腔を満たす異物感と、喉の奥を突かれる苦しさ。それでも、則卿は必死に羞恥をこらえた。涙が滲み、視界が歪む。次は別の男が背後に回り、彼女の腰を掴んで引き寄せる。膝をついたままでは力が入らず、為すがままにされるしかない。官能を刺激する香りは、いつの間にか彼女の吐息と混ざり合い、彼女自身の感覚を曖昧にぼかしていった。


三人の男は、まるで取り決めでもあるかのように、代わる代わる彼女を順に使った。その間、彼らはただ実務的な言葉だけを交わす。まるで、会議で書類を回覧するかのような無機質さだった。その不気味さが、却って則卿の感覚を鋭くした。


「次はそちらを」

「結構、ではこちらで」


自分の人格が、完全に一つの道具として扱われているという実感。それは彼女が密かに求めていた、究極の自己破壊の形だった。口に、胸に、そして最も秘められた場所に、彼らは順に欲望を吐き出していく。白濁が彼女の肌の上で糸を引き、重力に従ってゆっくりと滴り落ちた。


彼女はただ、カーペットに爪を立てて耐えた。恥辱に焼かれる心の裏側で、ぞっとするような快感が、ゆっくりと、しかし確実に、彼女の全身を侵食していく。自分が高慢だった外交官だという記憶は、今この場所では何の意味も持たない。ここでは彼女はただの、生きた肉の器だった。


どれほどの時間が経ったのか、男たちはようやく身なりを整えた。まるで何事もなかったかのように、ネクタイを直し、ジャケットの埃を払う。眼鏡の男は、机の上に一枚のカードを置いた。


「これが新しい身分証だ。明日から任務に就け。いや、『奉仕』に、と言うべきか」


彼は初めて口元に笑みを浮かべた。しかし目はまったく笑っていない。


「体液はそのままで結構だ。次の者たちが来るまで、その姿勢で待機していろ」


則卿は、床に崩れ落ちたまま、声もなくうなずいた。カードの表面に印刷された彼女の顔写真が、冷たい蛍光灯の下で、能面のように無表情だった。彼女の中の何かは、すでに遠くへ行ってしまった。残された肉体は、ただ命令に従い、与えられる屈辱を、歪んだ悦びへと変換する機械だった。


部屋のドアが閉まり、重々しい静寂が戻ってくる。彼女は一人、薄暗い秘密の部屋の床で、自分にまとわりつく男たちの匂いと温もりを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。まぶたの裏に広がる暗闇は、これから彼女が踏み込んでいく長い夜よりも、まだ優しいものだった。


肉便器の名のもとに

社内の上層部で、ある噂が流れ始めた。最初はささやかな冗談だったものが、今や誰もが口にする公然の呼び名になっている。彼女——吴则卿は、役員たちの間で「中国人の肉便器」と呼ばれていた。


その呼称には、軽蔑と同時に、彼女への歪んだ期待が込められていた。冷たく張りつめた美貌の下に、どんな淫らな肉が隠されているのか。誰もが自分の目で確かめたがっている。そしてその機会は、すぐに彼女自身の退屈な日常のなかに割り込んできた。


最初の夜は、仕事が終わった直後だった。デスクで書類を整理していると、内線電話が鳴った。表示された内線番号は、総務部長のものだ。


「吴くん、今すぐ二十二階の特別応接室へ来てくれ」


抑揚のない声だったが、その裏にある意図を彼女はすぐに感じ取った。受話器を置くと、周囲の同僚たちが一瞬だけ目を伏せる。誰もが知っているのだ。彼女が「呼ばれた」ことを。


二十二階の廊下は人気がなく、絨毯が靴音を吸い込んだ。特別応接室の重い扉をノックすると、中から低い声で「入れ」と言われる。部屋には総務部長の山田がひとりでソファに座り、ブランデーグラスを揺らしていた。


「鍵をかけて、ここへ来なさい」


彼女は黙って鍵を回し、スカートの裾を正しながら歩み寄った。山田は彼女の全身を舐め回すように見つめ、やがて顎で自分の足元を指した。


「跪け。噂ではお前は自分から望んでいると聞いたぞ」


吴则卿は何も言わず、膝を折った。冷たい床の感触がストッキング越しに伝わる。山田は足を開き、彼女の髪を掴んで顔を自分の股間に近づけさせた。彼女の鼻腔に、男の体臭と高級な酒の匂いが混ざって届く。


「その高慢な面で、どれだけ奉仕できるか試してやる」


彼女は指先で慎重にジッパーを下ろした。すでに硬くなったものに、口を近づける。


痛みと屈辱が、頭の芯を痺れさせていく。けれど彼女の心の奥底では、何かが歓喜していた。求められ、使われ、価値を認められる。それがたとえ肉便器としての価値だとしても、彼女にとっては初めて得た「居場所」だった。


その夜、彼女は口の中に広がる苦い味を飲み込み、乱れた服を直すこともなく応接室を出た。廊下の鏡に映った自分の顔は、いつもより青白く、唇だけが異様に赤い。彼女はその顔を見て、口元がほんの少し緩むのを感じた。


翌日から、呼び出しは連夜になった。


二日目は営業本部長の佐藤。彼は彼女を壁に押し付け、背中からスカートをまくり上げた。行為の間、彼は何度も彼女の髪を引っ張り、「中国人のくせに、気位だけは高いんだな」と囁いた。


三日目は経営企画室の若手幹部、中村。彼は他の者よりも陰湿で、彼女を鏡の前に立たせ、自らを見つめさせながら、後ろからゆっくりと時間をかけて嬲った。彼女が声を上げるたび、彼は「もっと聞かせろ、お前の本当の声を」と耳元で笑った。


身体には、少しずつ痕が残るようになった。鎖骨の下の鬱血、手首に巻かれた何かの縄の跡、太腿の内側に散った小さな青あざ。彼女は毎朝シャワーを浴びながら、それらを指でそっとなぞる。痛む箇所に触れると、昨夜の記憶が鮮やかに蘇り、身体の奥が熱くなるのを感じた。


誰もが彼女を呼び捨てにし、あるいは「肉便器」と直接呼ぶ者もいた。会社の廊下ですれ違う役員たちは、まるで共有物を見るような目を向ける。彼女はそれに気づきながら、決して視線を逸らさず、ただ冷たく澄ました顔ですれ違った。その表情とは裏腹に、彼女の内側は静かな陶酔に満ちていた。


ある週末の深夜、彼女は自宅のアパートで、ベッドサイドの小さな日記帳を開いた。万年筆のキャップを外し、ページの空白に文字を刻むように書いた。


「これこそが私の望んでいたことだった。

他人に求められ、傷つけられ、名前ではなく役割で呼ばれることが、これほど心を安らげるとは思わなかった。私はもう、自分が何者であるか思い悩む必要はない。ただ彼らが望むように在ればいい。

冷たく見えるこの身体の内側に、どれほどの熱が渦巻いているか、きっと誰も知らない。それを理解する必要もない。

私は彼らの肉便器でいい。その名のもとに、やっと息ができる」


書き終えると、彼女はペンを置き、そっと天井を見上げた。静寂の中で、自分の心臓の音だけが響いている。高慢だった自分は、もういない。残っているのは、ただ快楽と解脱を同じものにした、ひとつの器だった。


男女どちらでも

その夜、呉則卿は都内の隠れ家的な高級マンションの一室に招かれた。外見はいつもと変わらず、冷たく整った横顔と、感情を排した瞳。だが胸の奥には、この場に呼ばれた理由だけで熱く疼くものがあった。


広いリビングには十数人の男女がいて、グラスを傾けながら彼女を品定めするような視線を向けてくる。薄暗い間接照明のなかで、笑い声とささやきが交錯していた。


やがてひとりの老婦人が車椅子から手をあげた。皺の目立つ手の先で、呉則卿を招く。

「今夜のおもてなしは、男女どちらでも対応できると聞いたけれど」

周囲が静かになった。呉則卿はただ黙って頷く。その無表情の下で、何かが歓喜にも似てざわめいた。

「では、見せてもらいましょうか」


老婦人が指を鳴らすと、三人の男女が進み出た。若い男、痩せた中年の女、そして無精髭の男だった。それぞれが無言で呉則卿に近づき、衣装の上から身体をなぞりはじめる。


彼女は抵抗しなかった。目を伏せ、ゆっくりと呼吸を整える。胸元のブラウスがはだけられ、ベルトが外されるたび、まわりからは息をのむような吐息が漏れた。

「綺麗な身体ね」誰かが囁いた。


ソファに押し倒されると、冷たい革の感触が背中に広がった。三人は手際よく彼女の衣服を取り去り、その肌をあらわにする。室内の空気が湿度を帯びて、アルコールと香水の匂いが混ざり合う。


最初に若い男が彼女の口に自身を押し込んだ。喉の奥まで満たされる感覚に、呉則卿は思わず目尻を濡らす。それを合図に、無精髭の男が後ろから膝を割り開かせ、無造作に侵入してきた。内側を裂くような痛みと圧迫感。同時に女が指と舌を使い、残る場所を弄りはじめる。三つの穴が一斉に使われる感覚に、彼女の意識は一瞬、白く弾けた。


「どう? 気持ちいい?」

老婦人の声が遠くで響く。呉則卿は答えられない。ただ異物に貫かれる苦痛と、そのなかでしか味わえない奇妙な安堵だけがあった。視界がにじみ、涙と唾液がソファに染みをつくる。それでも身体は熱く、打ちつけられるたびに内側から震えた。


男たちが容赦なく動きを早める。喉の奥まで使い、もっと深い場所を探ろうとする。後ろからは骨盤に響くほどの衝撃が繰り返され、女の指は執拗に敏感な場所をなぞりつづけた。彼女のなかで、痛みと快楽が境界を失っていく。自分という存在が壊れて、ただ使われるための肉になる。その感覚こそが、何よりも救いだった。


「そろそろ変わりましょう」

声がして、別の男と女が順番に入れ替わる。彼女はもう、誰に何をされているのかもわからなくなっていた。ただ次々に注ぎ込まれる熱と、身体の奥を満たす圧力。それだけが現実だった。


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