潜入01-03 (prologue) / 5,500字程度 (Pixiv Fanbox)
Content
1.
この日本には、公にはされていない超法規的な特務機関がある。
通称『関東』。
単なる都市伝説であるとされているが、それは実在する。
『関東』は、国防を目的とした国直属の諜報機関のようなもので、その活動内容は多岐にわたる。活動範囲は、国内から国外までの全域をカバー。位置づけとしては、公安警察に近いものだ。
しかし、法の拘束を受けることのない『関東』は、より直接的な武力行使に特化していると言える。
その実働部隊を構成しているのは、元警察官、元自衛官、元海上保安官などだ。公的な機関に所属している現役の人材の中から、特に優れた評価を持つ者のみをスカウトする形で登用している。
つまり、それは『関東』が、国内において、他に追随を許さない精鋭のみで構成されていることを意味する。
実働部隊には、いくつかの班があり、それぞれが独立して活動している。
各班については、正式名称で呼称されるのは書面上くらいで、ほとんどの場合、通称で呼ばれる。
その通称は、『渋谷』『世田谷』『新宿』。
主に東京の地名がコードネームとして使われている。
さて、つまらない説明はこのくらいにして、本題に入ろう。
今回の主役は、この特務機関『関東』に属する班のひとつ。
『新宿』だ。
愛国心を持ち、時には命すらもかけて職務を遂行する男たち。
選び抜かれ、厳しい訓練を受けたプロフェッショナル。
本来であれば、彼らが、我々がこよなく愛する同性愛がはびこる、この吐き気を催すような『ユートピア』に交わる可能性など、万にひとつもないだろう。
しかし、彼らにはこれまでの人生において、いや、これからの人生においても、決して味わうことがなかったであろう想像を絶する屈辱を味わってもらう。
そして、その鍛え上げられた肉体、精神、そして高潔な魂。
そのすべてを、他人に理不尽に搾取されることが、どれほどに幸福なことなのかを、彼らに深く理解してもらいたい。
諸君がそう思っているのと同じように、私もそう思っている。
『新宿』から伸びる運命の糸を、私は指先で撫でた。
その糸は、弾性に富み、そして恐ろしいほどに強靭だ。
そこに流れる男たちの汗と血潮。
意志や信念、その揺るぎない強さを感じさせる。
その糸を、行き着くはずのない別の運命にそっと絡めて、結んでやるだけでいい。
それだけで、彼らは我々の求める『物語』の主演を務めることになる。
選択の余地はない。
この私が、そう決めたのだから。
2.
「はい、『関東安心警備サービス』、新宿支店です」
通話相手から用件を聞くと、青木は、手慣れた所作で内線を回した。
「班長、お電話です。『本部』から」
「おう、ありがとう」
受話器を置くと、ずれかけた眼鏡を直してから、青木はコンピュータに向き直り、粛々と事務作業の続きを始めた。
都内某所。
雑居ビルが立ち並ぶオフィス街の一角。
日当たりも悪ければ、駅から遠く、利便性も悪いことこの上ない。
そんな場所に『関東安心警備サービス』の事務所はあった。
『関東安心警備サービス』の従業員は数名であり、ほとんどの業務が他社からの下請け。ごく小規模な警備会社である――というのは、もちろん表向きの姿だ。
言うまでもなく、この『関東安心警備サービス』は、隠れ蓑として作られた、実体のない警備会社だった。
この事務所は、『新宿』班の本拠地である。
ビルの老朽化した見た目は、カムフラージュ。
実際には、国家規模の膨大な予算を投入して非常に堅牢に構築された、正式な『関東』の拠点のひとつであった。
「うーん」
青木は入力作業を終えると、大きく伸びをした。
そして、ぬるくなったコーヒーで唇を湿らせると、再びモニターと向き合った。
青木は、技術支援のスタッフとして登用されたメンバーだ。
しかしながら、彼は現在、組織運営のための事務作業に追われていた。
その理由は、『関東』の慢性的な人手不足にある。
『関東』は、その職務の特性上、スカウトの基準が極めて厳格なことから、容易に外部の人間を登用することが出来ず、慢性的な人手不足に陥っている。
民間企業での勤務経験があり、社会人としての一般的な技能をごくごく当たり前に備えている青木は、人手が不足している諸々の事務作業に対して、不幸にも高い適性を有していたというわけだ。
青木当人からすると、技術支援の要員として登用されたというのに、求められる仕事は、組織の運営のための事務作業ばかり。当初は「話が違う」「こんなことは自分の役割ではない」と、大いに不満を抱いていた。
だが、班長である猪瀬から、実直な眼差しで「頼む」と何度も真摯に頭を下げられ続けては、それを無下にはできなかった。そして、紆余曲折を経た上で、青木は、最終的に猪瀬の男気に免じて、求められる役割を甘んじて受け入れることを自ら選んだのだ。
青木は、『新宿』になくてはならない、縁の下の力持ちである。
複数の職務を両立させながら、パワフルに業務を進めていく彼は、華奢な見た目に反して、ある意味で、最もパワフルなメンバーといえる。
「今日も、あっちいなあ!」
事務所内に、野太い男の声が響くとともに、むせるような男の汗の臭気が溢れる。
その出所は、事務所奥にある金属扉の先からだった。
古びた警備会社の事務所には不釣り合いなほどに、分厚く頑強な金属扉。
そこは、公には存在しないはずの地下階に繋がっている。
その地下から現れたのは、身長190cmを優に超える巨漢だった。
着用しているコンプレッションウェア越しにも、彼の肉体が、圧倒的なまでの密度の筋肉で覆われていることは一目で分かる。
まるで、テレビの中のスーパーヒーローがそのまま出てきたかのような、そんな人間離れしたプロポーションだった。
彼は首にぶら下げたタオルで、額から流れる汗を拭う。
汗だくで、まるで風呂上がりのように湯気が立ち昇っていた。
その巨漢は、ずかずかと事務所内を横切っていくと、壁際の自販機の傍に設置されたベンチに勢いよく腰を下ろした。すると、ベンチの金具が悲鳴を上げる。
「ちょっと、柴田さん」
思わず青木は、作業の手を止めて振り返った。
「もう少し優しく座れませんか。そのベンチの耐荷重は、トレーニング用に補強されているわけじゃないんですよ」
指摘を受けた巨漢。柴田逸平は、陽気に笑いながら「すまん、すまん」と謝る。
彼は、その肉体を見て分かる通り、特に『力仕事』に特化したメンバーだ。
「こいつが気にするべきなのは、ベンチの耐荷重よりも、この汗臭さと体臭だろ」
うんざりした顔で、そう言ったのは、柴田の同期である内藤だった。
彼は腕を組み、事務所の壁にもたれながら、プロテインシェイクを飲んでいる。
……内藤さん、いつ、外出先から事務所に戻ったんだ。
全然、気が付かなかった。
相変わらず、忍者のような人だと、青木は思った。
『新宿』において、内藤は、インフィルと呼ばれる潜入捜査のスペシャリストだ。
潜入捜査においては、潜入先の環境に溶け込むことが第一に求められる。
柴田と同じく相当なトレーニングを積んでいるにもかかわらず、内藤の体つきが、超人的な柴田とは違い、あくまでも一般的な成人男性の枠に収まっているのは、それが理由だ。
「そんなに匂うか?」
腕をあげて、くんくんと柴田は自分の腋を嗅ぎながら、首をかしげる。
「匂う」「匂います」
間髪入れず、青木と内藤が口を揃えて言った。
「だーっ! うるっせえよ! 男なんだから、ちょっとくらい臭くなるのは当然だろうが!」
「そうやって開き直るから、お前はいつまで経っても顰蹙を買うんだ。別に、臭いこと自体が悪いといっているわけじゃない。せめて、デオドラントスプレーを使うなりの自助努力の姿勢をだな……」
「面倒くせえよ! こっちは、一日のほとんど、ずっと身体を動かしてるんだぞ。汗なんて、いくらでもかくんだ。あとからまとめてシャワーで全部洗い流しちまえば、それで済む話だろうがよ」
「……ま、まあ、確かに男性特有の匂いはしますが、悪臭とまでは言いませんよ」
柴田の名誉のために、青木は、自分でもよく分からないフォローを入れた。
強襲任務に特化した役割を持つ柴田は、アサルターとして、常日頃、肉体を鍛え上げ、常に最高のパフォーマンスを保てるように維持することが仕事のようなものだ。特にアサルターの運動量は、他のメンバーとは比較にならない。
想像できないレベルのハードなトレーニングをこなしているはずの柴田の言い分なのだから、全く頷けないわけではないな、と青木は少し思った。
「それに、香水だかデオドラントだかなんだかしらんが、そんな女々しいもんに興味持ってる暇はねえよ」
しかし、そう口走った柴田の言葉に、青木と内藤は思わず顔を見合わせた。
事務所内に沈黙が流れる。
「今って令和でしたよね?」
呟くように青木がそう漏らすと、内藤は肩をすくめて見せた。
3.
「戻りました」
事務所の扉が開き、作業服姿の男が入ってくる。
目深に被った作業帽は、どこかくたびれていて、暗く影のある印象を与える。
彼は、荷物を降ろし、ふうと息をついた。
「お疲れ、首尾はどうだ?」
柴田が声をかける。
「明日から搬入作業を任されることになりました。もう少し深く潜り込めそうです」
言いながら、彼は作業帽を外した。
作業帽を外す。
それだけの違いで、彼の印象は様変わりした。
潜入捜査用のパーソナリティを演じている彼にとって、それが演技の『オン』と『オフ』を切り替えるスイッチだからだ。
刈り上げられたうなじ。青々しい短髪。
太く男らしい眉の下には、力強い意志を感じさせる瞳。
それらの持つ印象は、精悍という一言に集約される。
まさにその精悍さこそが、若松慎吾という男の持つ本来の印象だった。
「順調そうだな。やるじゃねえか」
柴田が肩を叩くと、若松は「大げさですよ」と苦笑した。
「例の研究所の案件か。感触はどうだ?」
内藤が静かに尋ねると、若松は襟元を正した。
「現状、怪しい点は特に見受けられませんね。まだ深く潜り込めていないから、というのもあるかもしれませんが」
「やっぱりただのガセネタなんじゃねえの? マインドコントロールなんて時代錯誤すぎるだろ。世界大戦じゃあるまいし」
時代錯誤という単語に反応して、コンピュータを操作する青木の手が止まりかけたが、彼らの会話に水を差すことはなかった。
若松慎吾は、『新宿』班の中で、一番の若手である。
特務機関のエージェントとしては、最も経験の浅い新人だ。
しかし、人手不足のしわ寄せは、新人である若松にも及んでいた。
現在、若松は単独での潜入捜査を敢行している。
本来であれば、新人を単独の任務にあてがうことは、望ましいと言えない。
しかしながら、前職において若松には多少なりとも潜入捜査の経験があった。
そして、この案件は、情報の信用度が著しく低く、事前調査によって査定された脅威度が最低レベルであったため、任務失敗のリスクが低かった。
それらの理由を加味した上で、半ば実地研修としての意味合いや、新人である若松の能力を測るという目的も兼ねて、若松は、単身で任務を遂行している状況にあるというわけだった。
若松は、作業服を脱ぐと丁寧にそれをハンガーにかける。
インナーとして着用していた黒いタンクトップ一枚の姿になると、くたびれた作業服の中に隠されていた筋肉の存在感が一気に増したように感じられる。
規格外な肉体を持つアサルターと並ぶと、若松の体つきは、相対的には控えめに見えるかもしれない。
しかし、客観的に見れば、若松のそれが『筋トレを趣味とするような一般的なトレーニーの体つき』とは、一線を画することが分かる。
例えるならば、格闘技を生業とする選手に近いシルエットだった。
黒いタンクトップ一枚の姿のまま、若松は両腕を挙げて、大きく伸びをした。
その拍子に、腋から黒々と茂る体毛が晒される。
男所帯の『新宿』では、そんなことは日常茶飯事だ。
本人も含めて、誰も気にも留めることはなかった。
若松は肩を回しながら、ロッカーに向かい、中からスポーツバッグを取り出した。
「潜入続きで、だいぶ鈍っちまったんで、久々に付き合ってもらえますか?」
スポーツバッグを担ぎ上げ、若松は柴田に向かって言った。
「構わんが、鈍ってる状態なのに、いきなり俺相手で良いのか?」
「もちろんです。柴田さん相手が、一番張り合いがあるんで」
「俺は班長や内藤みたいに器用じゃねえから、後から頼まれても手加減できねえぞ」
挑発的なニュアンスを込めて柴田が言うと、若松の眼が僅かに鋭く細められた。
「それ、俺に向かって言ってます?」
ひりつくような張り詰めた空気が、事務所内に流れる。
「おいおい、お前ら。やり合うなら、他所でやってくれ」
あきれ顔を浮かべて、内藤は言った。