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 体育教師は、蒸し暑いグラウンドの熱気に包まれながら、汗だくで生徒に檄を飛ばしている。いつもの授業風景だ。いつもと何も変わらない。いつもと何も変わらないはずなのだが、何かがおかしい。その違和感の正体はすぐ目の前に存在しており、確実に網膜はその正体をとらえているはずなのだが、しかし何度、脳内で思考を繰り返そうと、それは違和感ではないのだという結論に至ってしまう。

 まるで計算途中の式を、他人の手でぐちゃぐちゃに塗りつぶされて、到底答えと思えないような答えを強制的に書かされているような、そんな"幻想"すら抱いてしまう。

 しかし、現実に異常はないのだから、何をどうする必要もない。体育教師は体育教師としての役目を全うするのみだ。

 

 それが自分という『人間』に与えられた唯一の役割なのだ、と廣田義雄は思考し、その結論に頷くことしかできない。そして彼は、違和感の正体に言われるがまま、両腕を曲げて筋肉を強調するようにポージングした。

 

 役目を全うすることができる喜びに頭が塗りつぶされながらも、授業を続けなければという教師としての思考がぐちゃぐちゃに混ざり合い、その感情は気づいたときには早く勃起しなければという使命感に変わっていた。

 

 体育教師として、しっかりと筋肉をアピールしなければ。そしてそれに羞恥し、性的に興奮し、辱めを受けなければならないという強い使命感が胸を熱くさせる。

 

 そう、それが自分という体育教師という役目を全うするべき人間――いや『人形』に与えられた使命に違いないのだから。

 

*

閑話『筋肉人形』

*

 六月。

 梅雨前線が近づく最中。晴天の下、グラウンドで行われる授業は蒸し暑く、体育教師を含むその場にいる誰もが辟易としていた。しかし、堂々とグラウンドを横切って、授業の風景に混ざろうとしているその二人はだけ例外だった。

 

 「何突っ立ってるんですか?」

 平瀬勝は蛇のようにちらちらと舌を覗かせながら笑うと、二の足を踏む男を促した。

 「いやあ……本当に、良いの?」

 「ここまで来ておいて、今更何言ってるんですか」

 

 ここまで来ておいて。

 確かにそうだ、と男は思った。部外者が校門を通り、学校の敷地内に侵入している時点で今更な話だ。しかし、実際に教師と生徒がいるグラウンドに侵入し、あまつさえその授業に割って入るというのには少しばかり覚悟が必要に感じられる。

 そもそも男は、部外者である自分が学校の校庭になぜ堂々と立っていられるのか、自分の状況を正しく理解することはできなかった。そもそも自分が平瀬とどういう経緯で知り合い、ここに至ったのか、それすらも曖昧でよく分からなかった。

 ただ唯一分かるのは、平瀬勝という少年が自分の願望を叶えることができるということだけ。それだけは奇妙なほど確信に満ちているのだが、それを素直に飲み込めるほど、男も迂闊になれるほど楽観的な性格ではなかった。

 

 額に汗の玉を浮かべながら、突き刺すような日光に焼かれて、いかつい顔を一層険しくしながら、生徒たちに号令をかける体育教師の姿が目前に迫ってくる。

 

 ――教師は振り向くと部外者である自分を誰何する。答えに窮した自分は、体育教師に拘束され不審者として警察に突き出される。常識的に考えれば、そうなってしかるべきなのだ。だからこそ男の足取りは重くなる一方だった。

 

 しかし、近づくにつれてその不安感はじわじわと期待に変わってゆくのを感じる。

 既に男の姿は体育教師から見ても目視できる距離だろう。

 しかし、近づいてくる不審者に対して何の反応を示すこともなく授業は粛々と続けられている。それは何故なのか? 理由は分からない。理由は分からないが、今この瞬間には男の考える『常識』は適用されないのではないだろうか。なぜなら平瀬勝という少年は自分の願望を叶えることができるのだ。

 男が何度も夢想した光景は、現実にはありえないと考えていたその幻想は、もしや本当に現実になろうとしているのではないか。そんな期待感が男の足取りを早めさせる。

 その初夏の暑さが見せる蜃気楼のような授業風景。何事もなく繰り広げられる日常的な風景にそこに近づけば近づくほど、圧倒的な非現実感が男を飲み込むように魅了していった。

 その体育教師、廣田義雄は腰に手を当てながらグラウンドを走る生徒たちを視線を向けている。しかし、傍らにいる授業に参加していない少年と普段着の男。遠めに見てもやや不自然に思える二人に対して、体育教師は不自然なほど注視することはなかった。

 

「こちら、廣田義雄先生。先生は今日は何でも言いなりになってくれるそうです」

 平瀬はおどけるような口調で「ね、先生」と言いながら、体育教師の肩を叩いた。

 

 肩を叩かれたことには反応するのか、廣田は視線を二人に向けた。

 射抜くような眼光に、男は思わず怯み、息を飲んだ。

 ――叱られる! 思わず学生時代のトラウマが蘇る。

「……ああ、何でも言いなりになってやるがそんな当たり前のことを何故聞く必要がある」

 廣田は、訝しむようにそう言い放つと、二人にはまるで関心がないように再び視線の先を生徒たちに向けた。

 

「すっ、すごい。本当にこの先生が僕の言いなりに……なるってことなんだよね!?」

 興奮して少し声を上ずらせた男。やれやれというように少年は、体育教師の肩を揉んで見せる。馴れ馴れしく身体に触れられようとも、体育教師はそれを咎めようとしない。

 

「廣田先生。ポージングしてください」

 肉体的な接触を受けただけではなく、はっきりと呼びかけられ、あまつさえ少年から指示を受けた体育教師。その反応を、男は恐る恐る伺う。

 肩を叩かれた時よりも少し鈍感になっているのか、廣田の反応は眉を少し引きつらせただだった。生徒たちに目を向けたまま、眉を引きつらせ、そして両腕を曲げる。もっこりと盛り上がった力瘤に男は目を輝かせた。しかし、少年はそれでは満足しなかったようだ。

 

「廣田先生。もっと筋肉を強調してポージングしてください。俺は世界で一番強くて逞しい男なんだぞって思いこんでるナルシストみたいに自慢の筋肉を見せつけてくださいよ。ボディービルの大会とか見たことないんですか? もっともっとアピールしないとそんなのじゃ全然足りませんよ」

 

 廣田はポージングを止めると、イラついたような視線を少年にはっきりと向けた。

 そしていい加減にしろと言わんばかりに息を吐いた。

 

 息を吐ききった体育教師は、今度は逆に深く吸い込みぐっと胸を張る。そして先ほどとは比べ物にならないほど力を込めて両腕を曲げて、見事にダブル・バイセップスを決めて見せた。力を籠めるあまりにこめかみに血管が浮かんで見える。強く歯を食いしばっているせいで、口角が上がり笑っているようにも怒っているようにも見える。

 しかし、よくできましたと二回り近くも年齢の離れた少年に嘲るように言われ、頭を撫でられているというのに、それを咎めることも叱りつけることもしないところを見ると、体育教師は決して"怒っている"のではない。

 

 どうぞ召し上がれ、という言葉は男にはもう必要なかった。

 男は体育教師に身体に触れる。恐る恐る胸に掌を押し付けると、筋肉の弾力がはっきりと伝わってくる。ポロシャツの上から指をなぞらせて、体育教師の乳首を見つけるとそれを人差し指と中指の間につまみながら、遠慮がちに鷲掴みにする。

 

 ちらりと体育教師は男を一瞥する。目と目を合わせながら、乳首を刺激すると体育教師はほんの少し眉をひそめたが、やはり咎めることはなかった。男は少年と顔を見合わせると、引きつらせるように顔を歪ませて、――笑った。

「ああ、すごいっ、本物の体育教師っ」

 憐れなポージング人形に成り下がった体育教師を勢いよく抱きしめ、その筋肉質の肉体に頬ずりする。子供ころから何度夢見たことだろうか。偉そうに振る舞う体育教師を好きなように命令して慰み者にしてやるという空想に何度浸ったことだろうか。それは今まさに現実に叶えられたのだ。

 

「先生。ポージングやめ」

 少年の声に体育教師は筋肉を弛緩させる。

「先生。ポージングして」

 ほらほら急いでと促され、体育教師は再び全身の筋肉に渾身の力を込める。

 やめ、ポージング、やめ、ポージング。命令に従って、筋肉を動かす体育教師。その応答速度が、少年の満足するレベルまで俊敏にチューニングされるまで延々と繰り返される。

 

「……マジで人形みたいですね、先生」

 少年の言いなりになる体育教師の姿に、男は感動を覚えていた。

 授業は続いている。いつも通りの授業だ。

 しかし腰に手を当て生徒を見守る教師は、背後から男に抱きしめられていた。男の腕が内部に差し込まれているせいでポロシャツは捲りあがり、教師は筋肉質でありながら年相応に脂が乗り、むっちりとした腹筋を露出させている。汗ばんだ肌を愛撫する男の手はポロシャツの中を縦横無尽に動き回り、思い出したように乳首を刺激してくる。刺激を受けた乳首は、教師の意志とは関係なくピンと隆起し、それは男を喜ばせた。密着した背中には完全に勃起した男の性器がごりごりと擦り付けられている。時折、それは教師の臀部に分け入るように押し付けられているが、教師は男が何を望んでいるのか気づいているのだろうか。いつも通りに授業を進めるその表情からはそれをうかがい知ることはできない。

 成人した男性同士が密着している。そしてこの暑さだ。教師の背中はまるで水を浴びたように汗まみれになっていた。少しでも放熱しようと全身から汗が吹き出ている。しかし、そんな汗も男を喜ばせるためのエッセンスに過ぎなかった。短く刈り上げられた後頭部から流れる体育教師の汗は、うなじに蛞蝓のように這う男の舌に受け止められる。一滴たりとも逃すまいと男は熱心に汗の雫を追いかけて口づけを繰り返した。繰り返すうちに体育教師の焼けた首筋は、男の唾液とその唇の痕跡にまみれていった。

 

「……先生、ポージングしてくださいよ」

「ああ」

 体育教師は男の言葉に機敏に従った。一瞬、返事は敬語にさせたほうが興奮するだろうかと思案したが、やはり体育教師はふてぶてしい態度のままのほうが体育教師らしい。そんな体育教師でなければ意味がないと男はほくそ笑んだ。

 無防備に晒された腋に顔を近づける。男は生きた操り人形の腋から、独特の香しい体臭をたっぷりと吸い込みながらゆっくりじらす様に顔をうずめていった。

 

 腋汗すごいですよ。

 そう指摘されても別段、体育教師は、まあそうだろうなとしか思わなかった。

 これだけ蒸し暑いのだから腋汗もたっぷりかいているだろう。

 見てください。

 そう言われて初めて、体育教師は自分の腋を見なければと思った。しかし、ポージングは続けなければという強い義務感も同時に感じる。従ってぎこちなく小首をかしげるような体勢になってしまったが自らの腋に目を向けることができた。しっかりとポロシャツに汗が染み込んで色が変わってしまったその部分が視界に入り、ああ確かに言われた通り、腋汗すごいなと体育教師は思った。そう思っていると視界が男の頭で塗りつぶされる。ああ、自分の腋に顔を埋めているのだと体育教師は理解したが、なぜそんなことを好んでするのだろうと――、疑問に思うことはなかった。

 

 こんな風に嗅がれて恥ずかしくないんですか。

 そう言われて初めて、体育教師は自分の腋に顔をうずめて深呼吸を繰り返している男の存在を初めて認識した。明らかに興奮している見知らぬ男が、自分の身体の匂いを嗅いでいる。その姿に、体育教師に残された『正常』な精神からたちまち嫌悪感が立ち昇ろうとした瞬間、それは遮られる。

 

 だけど先生は自分の体臭を嗅がれるのが大好きなんですよね。

 そんなに本気でポージングしちゃって、命令されてポージングするのも大好きなんですよね。でも恥ずかしくないんですか? 恥ずかしいんですよね。だけど大好きなんですよね。どうしてか分かりますか? 簡単ですよ。恥ずかしいから興奮するんです。だって先生、その恰好どう見てもナルシストだし、筋肉見せるのも大好きでしょ。

 

 ――やめろ。

 

 知ってますよ。特に同性の男に見せつけたくて仕方ないんですよね。そのためにいっぱい鍛えたんですよね。そういう不純な動機で身体鍛えて、恥ずかしくないんですか? 恥ずかしいですよね。どんどん恥ずかしくなってきますよ。自分の筋肉質な身体がどんどん恥ずかしくなってきましたね。

 

 ――やめろ。

 

 体育教師は心の中でそれらの言葉を否定する強い意志を感じた。しかし、その意思は腋を執拗に嗅ぎ続ける男がその匂いを吸い込むたびに、まるで自分の意志そのものが吸われているかのようだった。憤りの感情が膨れ上がり爆発しそうになるたびに、感情の風船が針で突かれ破裂するように霧散する。そして霧散したその感情は、自らの体臭とともに吸われていって自分の感情が玩具のように扱われている事実をぼんやりと認識しながらも、抗うことができない。抗うことができないどころか、溜まって溜まって溜まって、憤りが破裂しそうになるたびに抜かれて霧散するその繰り返しは、体育教師に味わったことのない不可解な快感を覚えさせていた。

 

 言われるがままにポージングを取りながら見知らぬ他人に身体を自由にさせている。肉体だけではなく、精神までも自由にならず、他人の思うがままに支配される未知の経験に本来は怖れを抱くべきなのだろうが、その本来抱くべき感情すらもあっけなく吸い出されて、すり替えられてしまう。

 

「はあ……はあ……」

 

 蒸し暑さとともに身体の内側からくすぶるような熱を感じる。どんどん思考が鈍くなってゆくのと同時にむくむくと込み上げる熱。いや、込み上げるというよりも、むしろ捻じ込まれるという表現が近いかもしれない。

 

 先生、気づいてますか? チンポ固くなってきてますよ。

 頭の中で言葉が反響する。

 先生は、何もおかしくないですよ。

 誰かが自分の性器を握りしめている。そしてそれが勃起していることを指摘している。視線の先には、生徒たちがいる。授業中だ。これは異常なのだと頭のどこかで理解しているのだが、その異常すら興奮に思えてくる。疑問だらけだ。この状況はいったい何なのか。愛しい恋人を愛撫するかのように性器をなぞる手つきは何なのか。なぜ男同士で、男に対してこんなことをしているのか。考えれば考えるほど、異常を感じれば感じるほど、それに抗うことをしない自分に対しての疑問に置き換わってゆく。

 

 自分とは一体何なのか。

 その疑問に対する答えは、不意に囁かれた。

 

 先生は、人形なんですから、言うとおりにしていればいいんですよ。

 

 腋の匂いを嗅ぎ続けていた男は、ポロシャツの袖の隙間から舌を滑り込ませて、濃く茂った腕の付け根に向かってゆく。こそばゆい感覚に鳥肌が立つ。身の毛がよだつような不快――、ではない。不快ではない。不快ではない。これは不快ではない。不快ではない。不快ではない。やめろ。不快ではない。不快ではない。不快ではない。むしろ――。

 

 むしろ、気持ちがいいでしょう?

 

 そう問いかけられて、欠けたパズルのピースがカチッとはまるような気がした。気持ちがいい。すごく気持ちがいいのだ。言われた通りにすることも、屈辱を感じることも、内心では異常であるということに気づいていながらそれを容認してしまう憤りも、何もかも気持ちいい。もっと気持ちよくなるためにはどうしたらいいだろう。

 

「うっ」

 

 ポージングをしたままの姿勢のため、視線を向けることができない。しかし、自分の性器が最大限に勃起し、その鈴口からダラダラと垂れる我慢汁を亀頭に塗りつけられ、男の手で乱暴にまるで土がついた芋でも洗うように擦りあげられている光景がありありと目に浮かぶ。ああ、気持ちいい。ああ、もう、もう勘弁してくれッ! 頭がおかしくなる!

 やめてくれ――ッ!

 

 それは体育教師の心の奥底から沸き上がった最後の抵抗だった。

 しかし、その言葉は声にはならなかった。なぜならちょうどその時、体育教師の唇は、その見知らぬ男の唇によって塞がれてしまったのだから。その言葉は混じり合う唾液とともに男に吸われて飲み干されてゆく。

 

「先生、射精してください」

 

 ポージングを止めることもなく、男同士の接吻を止めることもなく、生徒たちがいる授業中のグラウンドで射精をしろと命令された体育教師の汗だくの身体は、おうおうと喉の奥を震わせながら慟哭を漏らした。そして激しく扱かれるまま性器は、まるで玩具の水鉄砲のように大げさに白くて臭い精液をグラウンドに撒き散らした。

 

「ん……あ……」

 唇が解放される。

 すごい、すごいと喜ぶ男の声が聞こえる。まるで子供のように射精という自分の生理現象に喜びはしゃぎ、吐き出された精液を手に取り、その粘度を確かめては歓喜に震えている。それを見て、体育教師はその異様な光景を――、心から誇らしく思い、その射精という生理現象をもたらした自分の身体を今まで以上に誇らしく感じ、ポージングに込める力をより一層強めるのだった。

Comments

mtosak

完結するまで、感想はまだかかないでもらえるとうれしいです。