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「魔法陣だ」

 最初に気づいたのは、アルフォンスだった。

 大地に組みあがっていく複雑怪奇なそれは、新しい旅立ちを始めようと歩き始めた勇者アルフォンスとその騎士クリストファー、そして賢者であるコトワリの歩みを阻むように現れた。

 

「まずいな」

 コトワリは、アルフォンスとクリスに下がるように促す。

「これは何の術式だ? 見たところ一般的な魔法ではないようだが」

 クリスはコトワリにそう問いかけるが、コトワリは脂汗を浮かせたまま何かを思案している。そして意を決したように、クリスに向き直った。

「これは、賢者だけが使うことができる魔法陣だ。恐らく、自分の現身を離れた場所に顕現させるための――」

「――その通り」

 未完成の魔法陣から声が響く。その声はそれ自体が魔力を帯びているがごとくどこか神秘的で、神々しさを感じさせる女性の声だった。

「継承は不完全だったと聞いていたけれど、よく勉強しているじゃない。コトワリ」

 魔法陣はますます複雑度を増していき、基礎となる円からまるで根を生やす様に刻印や紋章が周囲に広がったかと思えば、さらに外周に新たな円を生じさせた。コトワリはその魔法陣に干渉せぬようにとじりじり後退する。

 不意に魔法陣の中心に像が結ぶ。はじめはぼんやりと霞がかかったようにぼやけたそれはやがて銀色の長いローブを羽織った女性の姿に変わっていった。

 ゆっくりとその賢者は目を開いた。

「あなたは、ウツシヨか?」

 コトワリは恐る恐る尋ねる。

「いかにも。私はウツシヨ。けれど、初めましての挨拶は我々賢者には不要。なぜならあなたに私がウツシヨであると分かるように、私もあなたがコトワリであることを認識できる。それだけで十分。そうは思わない?」

 その冷たい視線が向けられるだけでコトワリは身震いした。

「まさか怯えているの? 我々は元々は同胞。長い歴史の中で決別することはあったけれど、その因縁は過去。私はいつも"現世"しか見ない。だから怯える必要なんてないでしょう? コトワリ」

「……ああ。僕は……いや、私は君との格の違いと、君のその毒気に当てられているだけだよ。ウツシヨ」

 コトワリの答えに、ウツシヨはくすりと肩を揺らして笑った。

「生きた時間の永さは違えど、賢者である以上、我々は同格でしょう」

 その姿はまるで少女のようにも見える。しかし、人間離れしたその気配は、相対するものに対してその姿が彼女の本質でないことを本能的に理解させるようだ。

「――だからこそ、何故?」

 ウツシヨの表情から笑みが失せる。

「どうしてあなたは役目を果たそうとしないの? コトワリ。どんなに不完全な継承でその英知が途切れ失伝しようとも、賢者としての役目についての知識が失われることは絶対にない。それにあなたにはそこの歪みがこの私以上にはっきりと見えているはず」

 彼女の視線はアルフォンスのほうに向けられる。

 いや、違う。アルフォンスはすぐに気づいた。彼女のその視線は、自分ではなく、自分を庇い、剣を構えるクリスにまっすぐと向けられているのだ。

 

「コトワリ、あなたの役割は世界の法≪ルール≫から逸脱した歪みを矯正すること。もしもあなたが故障しているのなら、私たちは盟約に従い、あなたを再構築しなければならない。私はあなたのことを嫌悪していない。むしろその人格、魂の気高さはとても美しく、新鮮で艶めかしいと感じる。私を煩わせないで、コトワリ」

「私、いや俺にその愛の告白を伝えるために、わざわざ遠路はるばる顕現したのか?」

「……それはもしかして挑発のつもり? あはは。生意気な口も可愛くて嫌いではないけれど」

 クスクスと笑うウツシヨの細められた目の奥は決して笑っているようには見えない。

「……おい、クリス。これがどういう状況かを理解しているか?」

 コトワリは、視線をウツシヨから外さず言った。

「概ね」

「アルフォンス君との別れの挨拶は必要か?」

「必要ない」

「命乞いは?」

「すると思うか?」

「では、俺と運命共同体になる覚悟を決めるまでに時間は必要あるか?」

 アルフォンスは、背中越しにクリスの迷いを感じた。彼はどう答えるべきか迷っている。

 ウツシヨはというと、急かすわけでもなくじっとコトワリとクリスの動向を観察しているようだった。

「ない」

 そう答えた瞬間に、クリスの周囲に魔法陣が現れた。

 同時にクリスは、サーベルの切っ先をウツシヨに向けると躊躇なく無詠唱で炎槍≪ファイアランス≫を放った。赤い炎の槍は、ウツシヨの胸部を貫き抉り、そのまま突き抜けると空中に炎の軌跡を残しながら霧散した。ウツシヨは無表情のままだった。その身体は色彩を失い、まるで炎で溶かされた金属のようにどろりと溶け、貫かれた胸部を中心にして銀色に液状化してゆく。そしてそれは次第に強大な翼を持つ竜の姿へ少しずつ変化をし始めた。

 

「ウツシヨは、魔力を用いてそこに『ないもの』を『あるもの』にできる力を持っている。彼女の前では幻と現実との区別は必要ない」

 コトワリは脂汗を拭おうともせず、術式の展開に集中しながら言葉を続ける。

 

「つまり何が言いたいかというと、彼女が生み出すものは紛い物であって紛い物ではない。それはオリジナルと同等か、それ以上の力を持っている。そしていま彼女は、はっきり敵意を持って竜を顕現させようとしている」

「ということは、あいつの術が完成すると本物と同等の力を持った竜が襲い掛かってくるってこと?」

 アルフォンスは少しずつ組みあがっていく銀色の竜の姿を見ながら、汗ばむ手で剣を握りなおす。

「先制攻撃したのが藪蛇だったか?」

 クリスの言葉にコトワリは大きく首を振った。

「むしろ不意打ちが成功しなかったら、我々は多分もう死んでる」

「だろうな。それで、法の賢者様は俺を……"歪み"をどうするつもりなんだ?」

「この魔法陣がしようとしていることは、つまり治外法権を作ることだ。あくまで俺、あっ、いや僕は法の安定を司る賢者だから、自ら法を乱すことようなことはできないが、異邦人に一時的に特例法を適用することはできる」

「つまり?」

「本来、君が"元居た場所"で行使できていたはずの力を、"ここ"でも一時的に行使できるようになる。理解は?」

「概ね」

「よろしい。ところで恐る恐る聞くのだけれど、クリス君、……向こうで竜の討伐経験は?」

 半目を開けて問いかけるコトワリに向けて、クリスは不敵に頷いてみせた。そしてクリスの周囲に展開されていたコトワリの魔法陣が紅蓮に染まり霧散するのと、ウツシヨの魔法陣から銀色の竜が完全に顕現し、その翼をはためかせ飛翔したのはほぼ同時だった。

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