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 そこに、男がいた。

「俺は小説の中にいる」

 男は喋った。

「ここはホモ小説。つまり俺はこれからホモの慰み者にされるということか」

 男は悟った。

 男は胡座をかき、顎髭を撫でた。目を開くことができない。周囲の様子は一切わからない。それは、目を開くと描写がめんどくさくなるという作者の都合からだった。

 それは良いとして。

 その時、芳しい何かの匂いが男の鼻腔をくすぐる。

 その匂いとは、おそらく女の体臭であろう。

 そして、男はその女の声を聞いた。

「……わたし、あなたのこと好きよ」

 ぞわり。耳の中を掻き回されるような、妙な響きを持つ声だった。

「俺も好きだ」

 男は答えた。

 男は単純だった。

 男がその女に抱く第一印象は、いい匂いだなあというものであった。男は、元来女が好きだった。いい匂いのする女は、もっと好きだ。だから、男の返答は、その気持ちを率直に答えたまでのことだった。

 しかし、同時に男は疑問を抱いた。

 なぜホモ小説にも関わらず、この空間に"女"が存在しているのかということだ。

 そこで男は、女に問いかける。

「お前は、いったい何者なんだ?」

 すると女は、こう答える。

「わたしは、あなたが本来住んでいる物語とは、別の物語の登場人物」

「それは何の冗談だ?」

「冗談だと思う?」

 女の指先が、胸板に触れるのを男は感じた。指先は冷たく、それは不意に死を男に連想させた。

 彼女から発される甘い匂い。その芳香の正体に男は思い至った。

 これは、樟脳の匂いだ。昔から防虫剤として使われるこの匂いを男は、子供の頃に嗅いだことがあった。それは、亡くなった祖母の着物の匂い。形見分けの時に嗅いだ匂い。彼にとって、この甘い香りは死を連想させる匂いだった。

「別の物語の登場人物が同時に居合わせることなどできるはずがない」

「いいえ、できるわ。だって今も文章として、あなたとわたしは同時に存在しているでしょう?」

 女の指先に力がこもる。胸に鋭い痛みが走る。

 この女、爪を立てているのか?

「仮にそうだとして、そんなことは俺には関係ない話だ」

「ええ、そうね。だってあなたは、これからホモ小説の登場人物として、慰み者になるんでしょう?」

 女は笑った。

 女の腕が背中へと回され、豊満な胸が押しつけられる。むっと樟脳の香りが強くなる。女は、裸だった。

「だけど、例えばそう。そんなあなたが、この物語でもし慰み者になる前に惨たらしく殺されて、ただの肉塊になったとしたら、この物語を読んだ人はどう思うかしら」

 男は生唾を飲み込む。この女は、気が狂っているのか?

 依然として目を開くことはできない。

「どうして目を開くことができないか分かる? それは物語が始まっていないからよ」

 女は、男の首筋に唇を当てて囁いた。

「だからね、こうしてあなたのことを愛してあげようと思ったの」

 だって、と女は続ける。

 

 物語は始まる前が一番、面白くて美味しいんだもの。

 首筋にチクリと何かを刺すような感覚。

 そして、男の意識は再び遠のいていった。

 次に目が覚めたときに、男が聴いた音は波の音だった。

 海にいるのだろうか。そう思った時、声をかけられた。

「おはよう」

 男の傍らにいる裸の女は、長い髪をかき上げながら言った。

「ここはどこだ?」

「砂浜よ。ほら、見てごらんなさい。水平線が見えるでしょう」

「見える。俺にこの景色が見えるということは、もう物語は始まっているということなのか?」

 女は、微笑む。

「まだ始まってないわ。これから物語が始まるの」

「俺は一体何をすればいいんだ?」

「簡単なことよ。あなたの目の前に広がる世界の流れに従えばいいだけ。ひたすら従順に、ね」

「それだけでいいのか?」

「ええ」

 男は、思い出した。

 帰るべき場所の名前を。

「……ホームオフィス」

 男は呟いた。

「それが、あなたが本来存在するべき物語の名前?」

「ああ」

 返事と同時に女の唇が、男の唇に触れる。

「わたしは、あなたが帰る場所とは違う物語から来たの。決して交わることのない夢の世界から」

「夢?」

「そう。夜に見る、夢の世界から」

「それはまた、非現実的な話だな」

「そうかもね。でも、あなたの物語だってわたしから見れば、十分に非現実的よ」

 女の冷たい指先が男のペニスに触れる。

「決して交わることのない世界に生まれ落ちたわたしたちは、同じ親から産み落とされた。つまり兄妹みたいなもの。ねえ、わたしたち二人が存在するこの世界で、わたしたちの肉体は交わることができると思う?」

 女の言葉に、男は答えなかった。答えられなかった。

「あなたの意志を聞きたいの」

 女は潤んだ瞳を男に向ける。

「わたしと、交わりたい?」

「……ああ」

 男は、少し目を背けながら答えた。

「素直な人」

 女は、男の耳元に口を近づけるとそっと囁いて笑った。

 そして、男に蔑むような視線を向けた。

「それじゃあ、今からわたしのことは、『お姉さま』と呼びなさい」

「……はい、お姉さま」

 考えるよりも先に男は答えていた。

 『世界の流れに従う』なるとは、こういうことか、と男は考える。

「跪きなさい」

 男は、抵抗を試みようとしたが、どんなに力を込めて抗おうとしても膝が砂浜の上についてしまう。男は、心の奥底で抵抗を続けながらも、這いつくばり土下座するように女の爪先に頭を下げた。

「そう、それでいいのよ。あなたみたいな逞しい男性も、わたしの前ではみんな男の子。決して抗えはしないの。ああっ」

 女の淫らな体液が、股下から滾れ落ちて、足元を濡らした。

「ゾクゾクしちゃう。ねえ、わたしの脚を舐めたいでしょう?」

「はい、お姉さま。俺にその脚を舐めさせてください」

 まただ。

 考えるよりも先に、言葉を喋ってしまう。

 そして厄介なのは、喋った言葉がそのまま、自分の気持ちにフィードバックされてしまう点だった。

 現に男は、女の脚を舐めたいと感じている。

「素直な子は、んんっ、大好きよ……。特別に許可するわ。全部舐めて、ねえ、綺麗にしてくれるんでしょう?」

「もちろんです。俺のことを道具のように扱ってください」

 男は、そう言ってから、自分が道具のように扱われるということが、途方もなく魅力的に感じ始めた。

 そんな男の従順な言葉に、"女"はたまらず"ペニス"を勃起させた。

 流石に、そこまでは従順に展開に従っていた男も、女の股間からそそり立つその立派な男性器に対して、唖然と目を奪われていた。

 とんでもない巨根だ。それが女体から聳え立っている。

「あらあら、お姉さまのおちんぽに見惚れちゃったの?」

「ど、どうして、チンポが女の身体から……」

「あらあら、もう忘れちゃったのぉ?」

 女がかがみ込むと、男の鼻先にそのペニスが突きつけられる。

 強い男性ホルモンを感じさせる匂い。

 それと相反するような甘い女の吐息が、男の耳をくすぐる。

「そう。この小説は、ホモ小説だってこと」

「そんな展開があってたまるか。あまりにも非現実的だッ!」

 男はあまりの展開に狼狽して腰が引けている。

「だから言ったでしょ。わたしの物語は、非現実的なお話なのよ。そんなことより、さあ、道具のように振る舞いなさい。大好きなお姉さまのおちんぽを綺麗に隅々までペロペロしたいでしょう? あなたがそう望んだのよ! さあ、始まったわ! 抵抗しても無駄よ! この物語の展開に、あなたはただ従順になればいいの!」

 そんなわけがあるか。そう答えたかった。

 しかし、裏腹に男の言葉は、物語に強制されて紡ぎ出されていく。

「オッ、お姉さまの、立派なッ、おちんぽをッ、気持ちよくする道具としてッ、クソッ、俺を、畜生ッ、こき使ってくださいッ!」

 男に抵抗する術はなかった。

「よくできました。あなたの大好きなおちんちんを舐めるのよ。さあ! 早く!」

 男は自分のペニスよりも遥かに大きい、女の巨根に舌を這わせた。むせかえるような臭気と口の中に広がる塩気に、脳髄が痺れた。

「もっとよ。もっと奥まで飲み込んで。喉の奥のほうまで使うの。そう、上手いじゃない。ああッ……」

 尋常ではない量の我慢汁が、女のペニスからどくどくと溢れ出す。

 元はこの体液は、愛液だったものだろうか。きっとそうに違いない。そうでなければ、あまりの不快感にヘテロセクシャルであるこの男は、吐き気を堪えきれなくなるだろう。だから、男は必死に自己暗示をかけて、そう思い込むことでしか、この状況を受け入れることができない。

 しかし、無情にもその我慢汁は、女のペニスにぶら下がる巨大な睾丸から生み出された正真正銘、カウパー腺液だった。しかしそれを男が知る術はない。男は必死で我慢汁を啜りながら、ペニスを刺激する。男性であるが故にどこを刺激すればペニスが喜ぶのかを知り尽くしている男は、正確に舌と喉の奥を使って女を悦ばせた。

「ああっ、わたしたち交わっているのよ。わたしのおちんぽと、あなたのお口で、身体と身体が交わってるッ」

 男は、口内で吐き出される大量の我慢汁を飲みこむことしかできず、必死だった。

 だから、気づくことができなかった。自分のペニスがガチガチに勃起しているということに。他人の男性器をしゃぶりながら性的な興奮を感じているということに。

「ああっ、わたしのキンタマちゃんから精子が迫り上がってくるの分かるッ。分かっちゃったのッ! お姉さまのおちんぽ様から、ドピュドピュ射精しちゃう、男臭くて苦い精液をしっかり飲み込むのよ。一滴も残さずに、美味しそうに味わうの。あなたは道具なの。道具はお姉さまに絶対服従するの。いいわね。ああッ」

 そう叫ぶなり、女は絶頂した。女の巨大なペニスからは、信じられないほどの量の精液が発射された。それは男の口内から食道へと容赦なく流れ込み、胃袋を満たした。

「ゲホッ、ゴホォッ」

「あらあら、吐き出しちゃダメじゃない。せっかくお姉さまが気持ちよくしてくれたんだから、全部舐め取りなさい」

 男は口内に残った精液を涙ぐみながら飲み込み、そして女のペニスにこびりついた精液も舐め取り、地面にこぼれた精液をも舐める。

「精液は美味しい? 美味しいでしょう? ……だって」

「うっ」

 勃起したペニスを女の足の指で刺激され、男は思わず声を漏らした。

「大の男なのに、精液をゴックンしながら、おちんぽペロペロしながら、こんなにビンビンに勃起しちゃってるんだもの! アハッ!」

 男の身体は、羞恥で熱くなる。

「オッ、精液美味しいですッ。オッ、俺は、精液に興奮する飲精大好きな変態ですッ」

 そう言葉にした途端に、尋常ではない倒錯した興奮と快感が、暴力的に男の脳内を埋め尽くす。

 足で踏まれるペニスへの刺激が脳の痒い部分をカリカリ擦られるように、信じられない心地よさをもたらしている。

 男は白目を剥いて、身体中の筋肉を痙攣させた。

 そして、男のペニスは手に触れることなく、足に踏まれる刺激のみで射精した。

 女の爆発的な射精とは対称的に、それは静かな射精だった。ドクドクと濃く粘度の高い白濁液が地面をじっとりと濡らしていく。

「あらあら、慎ましい射精ね。どう? おちんぽ、気持ちいい?」

「はい。おちんぽ、気持ちいいです。お姉さま……」

 男の精神からは、もう抵抗する感情は失われつつあった。

 従順であることこそが正しい。そうすることで幸福を感じることができる。

 男の脳は、そう学習してしまったのだ。

「これであなたとわたしは交わった。わたしのおちんぽで、あなたを支配したの。あなたは、わたしのモノ。わたしの虜。わたしの奴隷。わたしの家畜。わたしのためだけに、おちんぽを気持ちよくさせるためだけの存在になったの。その筋肉も、汗も、唇も、全てわたしの所有物。わかった?」

「はい、俺の全てはお姉さまの所有物です」

 ごくごく自然に、それが当たり前のように男は感じ、そして言葉を発していた。

 そして思った。

 この物語がホモ小説なのだとしたら。

 この女はもしかすると、女ではなく最初から男だったのかもしれない。

了

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