僕の見た夢02 (Pixiv Fanbox)
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夢を見ていた。
それが夢だと気づいたのは、そこに僕の身体と言えるものがなかったからだ。
まるでドラマを撮影するカメラのように、切り取られたシーンが目の前で上映されている。そんな他人行儀な夢を、僕は見ていた。
視界に映っているのは、マンションの駐車場だ。
姉夫婦の住むマンション。何度か訪れたことがある。その駐車場に間もなく、増淵康之と姉の乗った自家用車が駐車される。僕はそれを知っていた。
思った通り、野外の駐車場の一角に、見覚えのある車は止まる。
小さな既視感。
もしかしたら僕はこの夢を前にも見たことがあるのかもしれない。
車を出た増渕と姉は、会話をしながら遠ざかってゆく。時折、笑みを交えながら、仲睦まじい夫婦の後ろ姿。平和な日常。そんなつまらない日常が終わるのは、間もないのだということも、僕は知っている。
視点は変わり、僕はマンションの部屋の前にいる。
廊下の端にあるエレベータのランプが順に上昇してゆき、扉が開く。エレベータから出た増渕と姉は腕を組みながら、二人の愛の巣であるこの部屋に向かってくる。
朗らかな増渕の表情がどんどん大きく目の前に迫ってくる。鼻や唇が触れるのではないかというほど間近で見る表情。少し皮脂の浮かんだその肌の質感まで見て取れる。
――姉の前では、そんな風に笑うんだね。
そう呟いた僕の言葉は、彼らに届くことはない。
固定されていた視点は、カメラをまるでハンディカムに持ち替えたようによろよろと動き始める。カギを開けて、玄関へと入る彼らにつかず離れず距離を保ちながら、克明に二人の姿を映し出している。
「ただいま」
増渕の野太い声が誰もいないはずの部屋に響く。
誰が部屋で待っているわけでもないのに、わざわざただいまなんて言う必要ない。でも律儀というかなんというか、増渕らしいと僕は思った。
……増渕らしいと言えるほど僕が彼のことを知っているのかと言われれば、そうではない。しかし、これは僕の夢なのだから今この瞬間だけは、僕が誰よりも増渕のことを理解しているということにしておいても、誰にも文句も反論もされることはない。
彼のことをどう思おうと許されていいはずだ。少なくとも夢の中くらいは。
明かりをつけて、廊下を進む。
増渕はそのままリビングに、姉は脱衣所へ。
「きゃっ」
小さく悲鳴が上がる。姉の声だ。
その声に、何事かと増渕は慌てて、脱衣所に向かう。
そして、中を見て顔をしかめた。
マンションの脱衣所はシンプルな構成で、洗面台と洗濯機が並んでおり、L字に曲がれば浴室に続いている。彼らにとっては見慣れた脱衣所に、見慣れぬ男がいた。姉は、その男を見て驚き、思わず悲鳴を上げたのだ。
男は、いたずらがバレてしまった子供のように、薄気味悪く笑みを浮かべながら、『行為』を止めようとしない。『行為』というのは、彼が脱衣所から取り出したであろう下着を顔に押し付け、深呼吸するようにその匂いを味わっていることだ。手に持っているその下着が女物の下着であれば、増渕もそれほど困惑しなかっただろう。しかし、彼の『行為』は増渕に大いなる困惑をもたらした。なぜなら、彼の手に持っている下着は、増渕が今朝、脱いだばかりの紺色のボクサーブリーフだったのだから。
彼はボクサーブリーフを裏返すように、内側を剥き出しにして、その前開き部分に向かって丹念に鼻を擦らせている。犬のようにふがふがと呼吸を繰り返し、まるでその臭気の全てを身体に取り込もうとするがごとく、それを続ける。
よくよく見れば、下着はひとつだけではない。彼の足元には、男物のタンクトップやシャツ、靴下、あらゆる下着が散らばっており、その全てがどれもくしゃくしゃに丸められていた。恐らくは今、ボクサーブリーフにしているイニシエーションを、それらの下着に対しても行ったであろうことが、増渕にも容易に想像がつくだろう。
異常な行為に一度は度肝を抜かれた増渕だったが、彼を不審者だと判断すると、その男らしい眉をつりあげた。
「ここで何をしている! 不法侵入で警察を呼ぶぞ!」
見ている僕まで思わず怯むほどの怒声。通常であれば、それは適切な判断だったのかもしれない。しかし、これは僕の夢の中なのだ。愛する妻を庇いながら、不審者に対峙するその男らしい姿は、男の劣情を滾らせるばかりだった。
「何をしてるって、見てわからないのかい?」
男はまったく臆することなく、ひらひらとボクサーブリーフを振って見せる。涎でもついたのだろうか、その表面は少し湿り気を帯びて、色染みができているように見える。
「見ての通り、増淵康之くんの脱ぎたてパンティをたっぷり味わっていたところなんだよ。驚かせてしまってすみませんね、奥さん。安心してください。僕の興味があるのは、旦那さんの増淵康之くんだけですので、ああ……男らしい康之くんの顔を見ながら、パンツに染み付いたおちんぽの匂いを嗅ぐのは格別だなあ……ふーっふーっ」
そう言って、恍惚した表情のままボクサーブリーフを嗅ぎ続ける男の姿に、姉は怯え切って増渕の腕を強く掴んで震えていた。
「何なんですか、あなた……! いったいどうやって入ったの!? ねえ、康之さん早く、早く警察を……」
姉の言葉に頷き、男に対して警戒したまま、増渕はジーンズに入った携帯を取り出す。
「あ、警察とか面倒なのは止めてくださいね。そうそう。僕にはこの部屋に立ち入って、増淵康之くんの下着を嗅ぐ正当な権利があるんですけどね、ふひ、ふひひ」
男の言うことに構わず、携帯のダイヤルをプッシュする増渕。
ハンディカムの向こう側、男と僕は目を合わせた。
増渕はすぐに慌てた様子で、携帯を耳から離し、画面を凝視する。
「どうしたの、あなた……? 早く……」
「ダメだ。圏外になってる……」
増渕は携帯を何度か振り、電波状況が変わらないか確かめるがどうしようと無駄だった。姉もそんな増渕の様子を見かねて、自らの携帯を取り出すが、その画面に目を落とすと泣き出しそうな顔になった。
「どうして……うちで圏外なんて」
「おそらく、……何か妨害電波のようなものを使ってるんだろう。俺はこいつを見張ってるから、君は外に行って警察を呼んでくるんだ」
「そんな、私一人で!?」
「大丈夫。この部屋から離れれば携帯はすぐ使えるようになるはずだ。警察に連絡したら、すぐ俺のところに戻ってくればいい」
緊張に固まった表情を少しほぐして、増渕は姉に笑いかけてみせ、もう一度、大丈夫と手を握った。
またこの笑顔だ。
僕は増渕のこんな表情みたことないのに。
姉は視線を泳がせながらも、強く頷き、弾けるように玄関へ駆け出し、飛び出していった。まあ、もう姉が戻ってくることはないんだろうけど。だって、これは僕の夢だから、姉なんていないほうが都合が良い。
それに外に出たって携帯は繋がらないし、姉は鍵を持っていくのを忘れて飛び出していったし、部屋の錠は――、そう、ちょうど今、増渕自身が閉めたところだった。
増渕は、自分がなぜ鍵を閉めたのか、困惑していた。まるでこれでは外に出て行った姉を締め出すようではないかと、不思議に思っていることだろう。
だけど、何の不思議もない。これは僕の夢なのだから。