[概要] ホームオフィス(Overtime B) part 3 (Pixiv Fanbox)
Content
概要
Overtime Bルートの続きです。
今回は、記憶の改竄や思想の刷り込み諸々を趣味全開で書いている感じです。
Overtimeの最初に構想を練った時に思いついたプロット全てを書き起こしている感じなので、やはりオムニバス感があるかもしれません。
Bルートは、各話パラレルな話という感覚で読んだ方が良いかもしれません。
趣味で前半にMCっぽくない描写を入れてしまったので、お詫びにサンプルは少し長めです。
サンプル
(6,000/14,000字程度)
14.
岩本は、トレーニング用のベンチに腰掛けながら、拳にグローブを固定した。
グローブは、ウェイトを持つ際に手首にかかる負荷を軽減する目的や、単純に滑り止めのために使っている。グローブを装備したその分厚い掌は、バーベルを握った。
日課のトレーニングは欠かすことはできない。
どんなに特別な日であろうと。
岩本の家には、これからいくつも空き部屋ができる予定だった。
妻と離婚し、子供も手放すことに決めているからである。
もちろんその空き部屋のうちのひとつは、伴侶である安藤の部屋になる。
それ以外の部屋に関しても、空き部屋のままにしてしまっては勿体無いため、それぞれ家具を一新し、新しい使用用途を決めて使うことにしていた。どう使うかについて、まだ決めかねている部屋がほとんどだ。
しかし、既にどう使うか決まっている部屋があった。
トレーニングルームだ。
岩本の身体を鍛えるために使うホームトレーニング用の部屋は、安藤の強い意向もあって優先的に準備を進めたため、しっかり機材が揃っており、既に使える状態だった。
ボディビル大会への出場経験もある岩本は、もともとトレーニング用の機材を家にも設置して利用していた。しかし、岩本の場合、トレーニングはジムを利用することが主だったため、もともと家にあった機材は、簡易的なものと呼べるレベルのものだった。今後、ホームトレーニングのみで身体を鍛えていくにあたり、中途半端なトレーニング器具は必要ないという安藤の鶴の一声で、岩本はそれらの機材、設備をあっさり全て処分した。
トレーニング用の器具の全てを一新し、そのトレーニングルームは完成した。
岩本は金額の上限を定めず、より良い設備を揃えた。その投資額は尋常な金額ではない。その全ては岩本の長年の労働で得た対価が貯蓄されている銀行口座から引き落とされた。それだけの金額をかけた甲斐あって、岩本家のトレーニングルームは、完全にジムの代替として使えるほどに、備品やマシン、トレーニングに関する全ての設備が充実しており、そこは岩本の逞しい肉体をさらに力強く育むにふさわしい聖地というべき場所へと変貌を遂げていた。
「いつもこういう格好でトレーニングしてるんですか?」
「どうした。退屈したのか?」
安藤から声をかけられて、岩本はトレーニングベンチから身体を起こし尋ねた。
隣のベンチに座っている安藤は首を振る。
「チーフが筋トレしているところを見ているのは楽しいですよ」
「それなら構わんが」
筋トレしている姿を眺めていったい何が楽しいのだろうと思ったが、安藤が楽しいというなら実際にそれは楽しいことなのだろう。
トレーニングルームで運動するのは岩本だ。岩本がトレーニングをしている間、トレーニングをしない安藤は、自然と手持ち無沙汰になる。別に一緒にいる必要もないのだが、岩本がトレーニングをするとき、安藤はよく隣のベンチに座って、じっくりと岩本の身体、筋肉の動きひとつひとつをつぶさに観察しているようだった。
岩本は、袖ぐりが広めで身体に対してルーズにフィットするタンクトップと、通気性が良さそうでシンプルなショートパンツを身につけていた。その他にはグローブやベルトなどのトレーニングギアを装備している状態だった。
そんな岩本の姿が、安藤の目には物珍しく映ったようだ。まるで子供のように目を輝かせて、じろじろと遠慮なく岩本の格好を観察している。そんな様子を見て岩本は、手の甲で額にかいた汗を拭いながら、少し呆れるように笑った。
「俺の格好がそんなに珍しいか?」
「ええ、とても。僕はあまりそういう本格的なトレーニングしたことがないので」
それを聞いて、岩本は少し考えてから、思いついたように言った。
「……もし興味あるなら、一式見繕ってやろうか?」
「本当ですか?」
「ああ、当たり前だろう。欲しいものがあるならなんでも買ってやる」
何気ない言葉とやりとりだった。
しかし、実際に安藤が望みさえすれば、どんなものでも岩本は買い与えることだろう。たとえ地獄のような負債を抱える結果になったとしても買い与えるはずだ。
「でもそんな重そうなもの、持ち上げられるようになる気がしないんですが……」
岩本の扱っているウェイトを見ながら、安藤は唸る。
そんな安藤を見て、岩本は思わず声を上げて笑ってしまった。
「こんな重量を持ち上げようなんて、俺と一緒にボディビルでも始めるつもりか?」
豪快な笑い声を上げる岩本を見て、そんなに笑わなくてもいいじゃないですかと口を尖らせた。岩本はすまんすまんと平謝りしながら、不機嫌になりかけた安藤のご機嫌をなんとか取りなす。
「こんなに重たいものを持ち上げなくても十分な運動はできる。運動をする一番の目的は、健康になることだ。だから、健康的な量の運動から始めればいい。いやもしも、お前がもっと筋肉をつけたいっていうなら話は別だが、それでも徐々に負荷を上げていけばいいんだ。何も心配することはないよ」
岩本は、安藤と向かって優しく諭すような口調で言った。
運動をする一番の目的は、健康。
言いながら、岩本は「あくまでも安藤の場合は」と心の中で付け加える。
では、岩本自身の場合はどうだろうか?
岩本は、自分の使っているウェイトにちらりと目を向けると、その充分すぎる重量を眺めながら、さらにそれを増やしたいという耐え難い欲求が湧き上がるのを感じた。
「僕のために、もっともっと、マッチョになってくださいね」
岩本の脳裏には、幻聴のように、安藤の声がこだましていた。
――そうだ。俺はもっとマッチョにならなければならない。
日常生活に支障をきたすほどの筋肉ダルマにならなくてはいけない。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」
安藤の好奇の視線を感じながら、岩本は慣れた手つきで重量を追加していった。
そしてトレーニングを再開する。
噛み砕きそうなほどに歯を食いしばりながら。
岩本にとって今までボディビルはあくまでも趣味の範疇だった。しかし、これからは今まで以上にその肉体を逞しく鍛え上げる必要があった。
何しろ岩本の肉体は安藤の所有物だ。
その肉体は、安藤に楽しませるためだけに存在している。それをしっかりと管理し、育み、鍛え上げて、安藤の理想とするマッチョマンとしての仕上がりを保ち続ける。岩本にはその責務があるのだ。
もちろん今の段階でも、岩本の肉体は、一般的な成人男性と比較して非常に逞しかった。首、肩、腕、胸、尻、脚。発達した身体中のありとあらゆる筋肉と、日本人離れした骨格とが相まって、そのボリューミーな迫力は圧倒的だった。
強く鍛え上げた岩本にとっても自慢の筋肉だ。いや、自慢の筋肉、だった。
「この程度の筋肉で満足しているんですか?」
安藤の言葉ひとつで、その自慢の筋肉は一瞬で価値を失い、貧弱な肉の塊に堕ちた。時間をかけ、立派に鍛え上げた岩本の自慢の肉体にすら、安藤は少しも満足しなかった。その十分すぎるほどの分厚さを誇る岩本の肉体が、さらなる肥大化を遂げることを、安藤は望んでいたのだ。
岩本は自分の貧弱な肉体を恥じなければならない。
そして、その貧弱で醜悪な肉体を改善するべく、逞しいはずの肉体をさらにさらに鍛え上げる必要があった。その筋骨隆々な肉体を。身体中の筋肉をさらに肥大化させる必要があった。
どんな手段を使ってでも。
生半可なトレーニング器具は、無駄に場所を取るだけしか能のない玩具にすぎなかった。だからこそ専用のトレーニングルームを設け、最高品質のトレーニング用の器具、大量に配置する必要があった。トレーニングルームのために注ぎ込んだ膨大な資産について、岩本は少しも惜しいとも感じていなかった。
全ては愛すべき伴侶である安藤のためなのだ。
安藤の望みを叶えるためなら、どんな犠牲を払っても惜しくはない。
岩本にとっての物事を判断する際、最も優先すべき基準とは、安藤の望みに則しているかどうか。それだけが全てである。
そうあることが、岩本にとって、圧倒的に正しいことなのだから。
岩本が持ち上げたバーベルが軋む音が響いている。
尋常ではない負荷は筋肉を引き攣らせた。しかし、岩本はそれを心地よいとしか感じなかった。苦痛を感じていないわけではない。にもかかわらず、筋肉を酷使することが岩本にとっては圧倒的に気持ちが良いことだった。
一般的なトレーニーから見ると尋常ではない大きさの重量は、その重みをもって、岩本の逞しい肉体と、その内側に込められた健全な清らかな魂をゆっくりと蝕み、圧搾し、凝縮しながら、変態的な恍惚の坩堝へと引き摺り込む。
苦痛を感じたとする。しかし安藤のことを考えるだけで、それは霧散した。
どんな苦痛であろうと岩本の愛情は、それを凌駕した。岩本は幸せだった。そして、愛情という温かい感情の偉大さと、その尊さを実感するたびに、胸が熱くなる思いだった。
愛情というのは、脳内の神経伝達物質のことだ。
岩本の脳内は、アドレナリンをはじめとする脳内麻薬に支配されていた。愛の名の下に、その脳内で脳内麻薬たちは無尽蔵に放出され、その圧倒的な力を存分にはっきしていた。岩本の精神を支配する王族として君臨していた。岩本は自身でも気付かぬうちに脳内麻薬に支配され、その偉大なる王の力の前に、その魂を平伏させていた。
慈悲深き王は、従順なる下僕である岩本に愛情という名の神経伝達物質を注ぎ続けた。その人生観を歪ませるほどに大量の愛情を。
岩本は、他人に対してこんなにも深く温かい愛情を覚えたことは、これまでの人生の中で今まで一度もなかった。
際限なく湧き上がる愛情は、岩本のイメージの中で、やがて質量を持ち、液体の姿を得た。その液体は、血管の中を満たしていく。
そして、それは身体中の血管を満たしても、なお増え続けた。
毛細血管をこじ開けながら、その液体はたっぷりと筋肉の中に吸収されていく。その液体は、いや愛情は、身体中の筋肉を水風船のように膨張させていった。
尽きることのない愛情に際限はない。そして、岩本の肉体もその愛情を無尽蔵に受け入れた。動脈を限界まで膨張させながら、その愛情は力強い心臓の拍動によって生まれる圧力によって筋肉に流し込まれ続け、次々に吸収されていく。その度に質量を増していく筋肉たちは、筋肥大によって与えられる苦痛に、歓喜の声を盛大に上げ始めた。
そしてついに身体中の骨はその膨大な筋肉量を支えきれなくなり、崩壊を迎える。
その瞬間、皮膚を突き破るのではないかと思うほど急速に、そして爆発的に筋肉は膨れ上がり、原型を留めぬほど異常に肥大化した肉体は、まさに逞しさの権化となった。そしてそれは、神々しいほどに純粋な肉体。肉の塊となった。その中は愛情がびっしりとぎゅうぎゅうに詰まっている。筋肉でできた器。その中には、たったひとりの人間に対する愛情だけが、溢れんばかりに満ちている。
――ああ、これこそ俺の求める最高の肉体だ!
おびただしい量の脳内麻薬は、そんな幻覚を岩本に与えた。
岩本の幻視したその異常なほど肥大化して発達した『理想の肉体』の姿は、焼きごてを押し付けるように、脳裏に焼き付けられた。瞳を閉じるだけで、それは写真のようにはくっきりと岩本の目に映る。その瞼の裏に映るその『理想の肉体』は、異様な高揚感を岩本に与えた。
それは、ただの幻影にすぎない。
今は、まだ幻影に過ぎない。
しかし、トレーニングを続けることで、幻影は現実となる。それはなんと素晴らしいことだろうか。岩本は、自分自身の肉体がその幻影通りに変貌を迎える未来の予感に胸を躍らせる。『理想の肉体』となった自分を安藤に捧げることで、いったいどれほど安藤を喜ばせることができるだろうか。喜び、新しい玩具を与えられた子供のように目をキラキラさせて、安藤が自分の肉体に誉を与えたとき、いったいどれほどの達成感が得られるだろう。
想像するだけで、岩本の脳は絶頂に達しかけた。
「――フーッ!」
セットを終えた岩本は起き上がりベンチに座った。
荒く乱れる呼吸を落ち着けようと試みるが、酸素を供給せよと矢継ぎ早に求めてくる自らの肉体の強権には、しばらく抗えそうになかった。
全身からは滝のように汗が噴き出していた。その汗を拭こうと、岩本はタオルに手を伸ばす。しかし、それは安藤に阻まれ、タオルに岩本の手が届くことはなかった。
「フーッ……、どうした? 代わりに、拭いてくれるのか?」
滴る汗を岩本は手の甲で拭いながら尋ねる。
「トレーニングでかいた汗は綺麗な汗ですから、拭う必要なんてないでしょう」
「フーッ!! フーッ!! ハハ、そりゃあどういう理屈だ」
息も絶え絶えになりながら、岩本は笑った。
激しい呼吸に肩を上下させる岩本の隣に、安藤はぴったりと寄り添うように座り、その太く逞しい腕に頬を寄せた。頬に触れる腕は、鉄を溶かすほど熱を帯びている。激しい運動を終え、蒸れた肉体からは湯気が立ち上っている。隣にいるだけでその強い熱気と臭気は、否が応でも伝わってくる。
「折角こんなにいっぱいかいた汗を拭うなんて、もったいないですよ」
岩本の鎖骨の溝に溜まった熱い汗を、安藤は指で掬い取ると口に入れた。舌先に触れる塩辛さを味わう。一口では物足りない。そう思った。
「ハァ……、冗談はいいから、早くタオルを……」
岩本にそんな安藤の感情を察することなどはできなかった。
だから安藤は、岩本に理解させることにした。
「でも、チーフは『トレーニングでかいた汗は、拭かずにそのまま垂れ流すことが、大好きでたまらない』んですから、タオルなんて必要ありませんよね」
「何を言って……ウッ!!」
頭を軽く小突かれる衝撃。
実際に頭に殴られたわけではない。ただの錯覚だ。
しかし、なぜかさらに激しさを増した呼吸は、岩本に目を回させた。
トレーニングの疲れのせいだろうか、と岩本は思った。
しばらく岩本は、俯いたまま動かなかった。呼吸が落ち着き始めると、岩本はゆっくりと顔を上げた。
「ああ。俺はトレーニングでかいた汗が身体を流れる感触を楽しむこの瞬間が、実は大好きなんだ。しっかりトレーニングできたという実感に繋がるからな。……不潔に感じるかもしれないな。だが、汗を流し切ったあとはすぐにシャワーを浴びるから問題ないんだ。流石に放置したら、酷い匂いになっちまうからな」
岩本の額から汗が無尽蔵に垂れる。タオルを使うことのできない岩本は、それを再び手の甲で拭った。
「不潔? すぐにシャワーを浴びる? 酷い匂い?」
安藤はつまらなさそうに鼻で笑ってみせた。
「汗の匂いは酷いくらいがちょうどいいんじゃないですか」
「いや、汗臭いのは流石に不快だろう?」
「いいえ。チーフは『自分の汗臭い匂いが好き』なんですから。だから『汗をシャワーで洗い流すなんてもったいない』と思っているんです」
「馬鹿な。そんなはずが……うっ」
岩本は、糸の切れた操り人形のようにガクンと項垂れる。