独り言2019/09 (Pixiv Fanbox)
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数年前までブログでひっそりと書いていた独り言を、代わりにここに書いていこうかと思って、書いています。ライフログ的な意味も込めて。あんまり考えずに書くのであんまり考えずに読んでね。っていうか肩の力を抜いてアウトプットをする練習だからあんまり読まなくてもいいよ。
あっという間に8月が過ぎて、9月になってしまったね。温めてたPTを出してしまってすっからかんな感じだけど、どんなものなら書けるだろうって考えてる。
小説を書くって、自分にとっては今までずっとそんなに難しいことじゃないって思ってたんだけど、そうじゃないと気づかされた一年だった。
僕は基本的に感覚の赴くままにつらつらと書き出していって、おいしいところを切り取ったり肉付けしたり、そんな風に小説を書くのだけれど、ある時、ふっとその『感覚』がなくなってしまう感覚があった。旅しているときに頼りにしてたコンパスが狂っちゃったみたいな感じ。具体的に言うと、自分が何に興奮するのかうまく言語化できないのと、加えてイメージの抽象度を全く具体化できなくなるっていう。
まあ、その理由については諸説、自分の中で解釈してて、まあどの理由であったとしてもどうしようもないかなと思って、諦めるしかないかなって思ってる。
で、結論から言うと今までの執筆スタイルだと限界なのかなと思った。でも小説は書きたいと思ってる。書くのは楽しいから。ただ、感覚に頼った書き方は難しいんじゃないかなと思ってるってこと。
前から思ってはいたんだけど、昔はたくさんいたはずのホモMCを書いていた作家さんはなんで急に筆を折ったり、書かなくなったんだろうって。たぶん、小説を書いていたころは若くて時間があったけど、仕事が忙しくなったとか実生活との折り合いがつかなくなって、書くことをやめちゃったのかなと思ってた。でも最近、自分も小説が書けなくなってきて、少し違うんじゃないかなと思い始めてる。なぜなら、若さはなくなってきてはいるけど、僕には時間はいっぱいあるからね。失業してるし。
僕よりも若い方はたぶん知らないと思うけど、2000年代くらい、pixivもなかったころに催眠術の部屋って掲示板があって、大体のホモMC小説はそこに集約されてた。一種のコミュニティというか、コロニーというべきか。僕たちみたいな趣味を持った人間が集まれる場所はそこくらいしかなくて。玉石混淆というか、作品の質や傾向にはバラつきがあったけど、たまにきらりと光る作品がぽっと投下されて、そのたびにわーっと群がってたイメージ。僕は、個人サイトを持っていたからそっちでしか投稿したことはなかったけど。パブリックな掲示板に小説を投稿するってかなり勇気のいることだと思うから、そこで投稿してた人はかなりバイタリティ溢れてる人が多いと思う。だって、自分のサイトで公開する分には見つけた人が偶然読んでくれて気に入ってくれればいいなあ、くらいなスタンスでいいけど、掲示板に投稿するってことはおりゃー! 見てくれー! どうだ俺の小説はー! って掲げるような感じじゃない? いやちょっと大袈裟に言いすぎだけど。自分の小説にそこまで自信が持てなくて、いや、実際掲示するほどの質を持ったものを書いていなかったからそれでいいんだけど、そう。だから僕はそんなコロニーからは離れて、細々とブックマークをまとめたり、海外小説を紹介したり、小説を見つけづらい場所に書いて、見てくれたひとからこっそり拍手を貰ったり。コロニーというよりは、小さな洞穴というか。屋台のおでん屋みたいなそんな感じだった。
でもいつの間にかそんなコロニーもpixivの登場で一気に衰退していった。そんな風になるとは当時は思ってなかったけど、正直催眠術の部屋は本当に昔ながらの掲示板だし、ログは流れて消えちゃうし、文字はなぜかボールド体だし、webarchiveには1ページ目しか保存されないし。機能的にすげーとは言えない感じだったから、いつかどこか別の場所に住みやすいところが見つかったら、住人たちが散り散りに移住していくのもまた必然だったのかもしれないけどね。
でも個人的にはあのほのかに漂うアングラ感は嫌いじゃなかったし、僕もいつかもう少し小説をうまく書けるようになったら投稿してみたいなとは思ってたよ。その時は、どうだー! 俺の小説はー! いいだろー! って心の中で呟きながら投稿ボタンを押してたね、きっと。
ふと、そんな感傷的な気分になったわけ。それだけ。
*
小説を書くのってきっとそんなに難しくないんだけど、読んで面白いものを書くのは難しいと思う。文章の良し悪しなんてよくわかんないけど、良い悪いはなんとなく感じるよね。
僕が小説を書くうえで意識していたこと。(まあ、これを壊してスタイルを変えていかないと僕は小説を書けないかもしれないんだけど)
まず、文体や文章の美しさ。誤字脱字をなるべく減らすとか、段落を意識して書くとか、長文を書く時の基本的な作法を守ること。あ、今はあんまり意識して書いてないからダメな例なんだけどね。
基本的な文章というか、文を書けない人はたぶん面白い小説を書くことは難しい。面白いアイデアを出すことができても、それを小説に落とし込むのは難しいと思う。小説って媒体の基本的な構造は、書かれた文章から汲み取った言葉を読者が脳内で類推してイメージに置き換えていって、それが物語になっていくものなんだと思うんだけど、そもそも文が書けてないと脳に届かなくてイメージにならずに、ただの言葉のまますとんと目の前に落ちるというか。
書いてる本人のイメージをいかに読者に届けるかが小説であってその伝達手段事態に問題があると何も伝わらないって話。逆に言うと、伝わってないだけですっごい面白い話を書いてる可能性もあると思う。たまに文章へったくそやなあと思いながらも読むとすっごい刺さってくる作品があるんだけど、これ。たぶん、読者の読解能力とかイメージの類推能力とか、作者との思考パターンが激しく類似してるときにだけ起こる奇跡的な伝達。そんなことあったかな。
二つ目は文章の長さ。小説を書く上で、たぶんどのくらい文章を書けるかその人の能力を測る指標でもあると思うんだけど、どのくらいの長さの小説を書けるか。例えば初期の僕は、1,000字の掌編、少し長く書けても完結しない話が限界だったんだけど、首輪を書いたあたりから少し安定して長文が書けるようになったと思う。長文が書けるようになったのと比例して、たぶん描写とか読みやすさ、文体も少しずつ色が出始めた感じ。良くも悪くも僕としての方向性が決まっていって、それまでニュートラルというか見えなかった粗も見えるようになってきて、小説を書くときに悩むことの次元がひとつランクアップした感じだったと思う。
あ、もちろん長けりゃいいって話じゃないよ。僕も書けるようになればなるほど、どんどん無駄な文章が増えてきて引き算を少しずつ覚え始めるんだけどさ。
でも、長くというか太く?書けるけど、あえて引き算して読みやすく文章や構成を引き締めるのと、全然短いものしか書けなくて、長く書こうとしても破綻しちゃうってのは大きな違いだから、文章自体は冗長でへたっぴでも整合性が取れてて、話が展開してる長文が書けるほうが、短いものしか書けない人よりは技量だけでいうと上だと思う。もちろん小説自体が面白いかは抜きにしてね。
絵で言うと、たぶん顔だけ書くのうまい人がいるじゃない。短い小説が得意な人はたぶんそれ。長くて面白くなくても、やっぱり身体とか背景とか全部一式かけてて、あんまりうまくない絵を描ける人のほうがトータルで見ると伸びしろがあるっていうのに似てると思う。
小説の長さの話って実はすごく深くて、話してたらきりがないくらい話せるんだけど。
小説書き始めのころにありがちな間違いとして、文字数稼ぎのために地の分を使うとか、特に関係ない必要のない描写を増やさなきゃ小説っぽくならないって思いこむやつ。僕も陥りそうになったことがあるけど。最低限の文章で書いてても、最低限の『物語』を書こうとすると決して短くはならんのよね。水増ししなきゃ長くならないって思ってるのは、『物語』じゃなくて『場面』しか書けてないからなんよ。
小説の構造って、まずタイムラインがあると思うの。出来事が起きて未来に進むのが基本のベクトルで、たまに回想やら視点が変わったりして、時間のポイントが過去に遡ることはあるけど、過去があって、今があって、文章が進むと時間も進む。
これが文章とほぼ等速に進む部分が『進行的な段落』。で、時間が止まったり、急速に進みが緩くなる『描写的な段落』。次に、時間が一気に飛んだり、さくさく時間が進んでいく『展開的な段落』。これ、たった今ノリで命名したから正式な小説の作法ではないんだけど、現時点の僕が小説の構成要素として感じる、各段落の分類。
このうちの三つ全てが欠けてる小説は、小説の体をなしてない駄文。このうちの二つが欠けてる小説は、よく伝わらない小説とか説明文、あらすじ。
んで、このうちの一つが欠けてる小説は、広がらない小説。小説としてギリギリ成り立ってるんだけど、掌編に近くて、どんなに水増しして文章を増やしても中編、長編になることができない小説。
んでね、『場面』の話に戻るけど、場面は『進行』と『描写』でほぼほぼ構成されて、場面との切り替わりや繋がる部分に『展開』が使われる感じ。いや、別に展開的な段落を入れなくてもいいんよ。展開的な段落を挟むと、場面と場面がソフトに結合されるってだけで。例えば改ページを入れてしまっても、そこに時間の跳躍があれば、少しハードランディングっぽいというか、読者としては!?ってなる場面の切り替わりになる感じ。この!?をあえて生かすのもあり。大事なのは、複数の場面を使って話を展開させること。
この話を展開させるっていうのが最初はすごく難しくて、ある意味勇気がいるというか。今までの場面とは全然違うことを書き出さなきゃいけないし、書き出さなきゃいけないからには書いてる自分の気持ちも別の場面に切り替えなきゃいけないし。
なんかちょっとふわふわしてきたけど。
1万字くらいのお話なら、濃密な場面だけの小説でも全然ありなんよね。むしろ1万字の中でいっぱい展開してたら、描写する文字数が足りなくなると思う。でも、少し長めの小説を書こうと思って、かつ展開を使わなかった場合、時間の進み方が等速以下になっちゃうから、すっごい不要な描写を詰め込んで文字数稼ぎをしなきゃいけないって発想に陥るわけよ。個人的には、これが小説を書き始めて順調に成長していったときに、ぶつかるであろう『1万字の壁』を超えるために理解しないといけないことだと思ってる。
ただこの壁を越えてしまうと、意識しないと一つ一つの場面が薄くなっちゃうって弊害もあると思ってて、それにエロ小説はたぶん、1万字くらいのながさがいちばん万人受けするから、無理に超える必要もなかったりするところが難しい。ただ越えられるようになると、話の緩急とか全体の構成にまで目を持っていきやすくなって、別の切り口から書きたいものを表現できるようになるんじゃないかなーとも思う。
何言ってんのかよくわかんなくなってきた。
あと意識してること。
僕は、小説を投稿するたびに、ブックマークとか点数とか評価がつくのがすごく嫌だった半面、どういう小説が高い評価を受けるのか分析したり、フィードバックしたりしてた。その結果、伸びるMC小説には、3つのポイントがあると勝手に思ってる。
一つ目は、肉体的な人物描写をしっかりすること。しっかりっていうのは別に文章量を増やせって意味じゃなく、ここぞというところに、印象に残る文章を突っ込むことが大事。例えばね、言葉だけで男性らしい肉体が喚起されるワードってあるじゃない。簡単なのからいうと、筋肉質、がっしり、精悍、分厚い、胸筋、はち切れんばかりの、血管とか。少し婉曲なのから言うと、腕まくり、よく食べる、肩を叩く、夕方になって伸びてきた髭とか。
これはね、パクるといい。言い方が悪いな。媒体はエロ小説でも、普通の小説でも、新聞でも辞書でも何でもいいんだけど、見た瞬間にぐっとくる言葉をインプットするなり、メモるなり、リストアップするなり。言葉だけをピックアップするのもいいし、どういう文で使われてたか例文付きでピックアップしてもいい。使うときはちゃんと自分で考えた文章に使うんだけどね。つまりは、いかに刺さる語彙を持ってるか。そしてそれをマンネリ化させずに、かつ、記憶から薄れないように何度も何度も読者の頭に叩き込んで男性的なイメージを喚起し続けてイメージを強化し続けられるかが非常に重要だということ。
これをしっかりしないと、ぼやーっとしたイメージの男がエッチなことをされる小説になってしまうというか。いや、ぼやーっとしてるのはいいんだけど、あえて肉体的な描写をせずに読者のイメージにゆだねる場合もあると思うし。でも、共通して男性らしさっていうのはイメージに刷り込んでおかないと、その登場人物が自分の好みの男性だと思いこむことすら難しくなるというか。そう、別に具体的な姿かたちを説明せんでもええねん。ぐっとくるワードで、人物を装飾できるか。これが万人受けするかどうかの条件の一つ。
次に性的表現をしっかり描き切ること。
僕にとって一番面倒なのはこれ。僕個人の好みでいうと、MC作品は別にセックスしてなくても、なんなら射精しなくても、どんだけ本人が不本意な状況で理不尽かつ無頓着?にかつ、狡猾に性的な搾取がされているかということが重要なんだけど、万人受けいう点では僕の好みはマイノリティに属する意見になる。つまり、みんな濃厚なエロが読みたいんよ。多分。
だから、MC描写して満足しそうになるところをぐっとこらえて、性的描写。かつ、本番。オナニーよりもアナルセックス! セックスの強さは半端ない。いや、本当は段階を踏むのが良いと思う。軽い性的接触から、徐々に強く、そしてアナルセックス! これな。
で、性的描写ってすごいめんどくさいの。書くのが。でもそこをこらえて、ぐぐっと具体的で濃密な場面を書ききることが非常に重要。ここさえちゃんと書けてると、なんならMCに興味のない層にもリーチする可能性すら生まれる。
……あくまでも万人受けを目指すならね。
で、最後に。最初の人物描写にもつながる話なんだけど、登場人物の自由意思を永続的に奪わないこと。これは小説に限定した話なんだけど、いわゆる人形化や奴隷化を、文章表現で描ききるのは相当な技量が必要。これは僕はいろんなところで何度も言ってることなんだけど、登場人物から人間味とか人格を感じられなくなった瞬間に、積み上げた人物表現がすべて水に流されて、ただの男の形をした人形にしか感じられなくなる現象。そうダッチハズバンド化現象が起こるってわけよ。(今、命名した)
小説の中で、人間味や人格を感じる部分ってどこだろうって考えたときにね、所作とセリフだと思うの。人形化や奴隷化はその二つの要素を、複数の登場人物に対して共通化させてしまうことが多い。「はい、ご主人様!」なんて言わせた瞬間に、その登場人物の没個性化が始まる。そして個性をなくした登場人物はどんどんダッチハズバンドになってゆく。
あ、あくまでもこれは小説の話よ。文章のみで表現しようとした場合の話。
挿絵がある場合とか、漫画とかは例外ね。
と、語り始めると気づくかもしれないけど、これは万人受けするかどうかの話というよりは、単純に僕が興奮するかどうか、好みの話なんよね。でもこれが多分重要。
つまり、結果的に3つ目の万人受けするための要素は、自分が興奮すること。もしそれがマニアックな要素であっても妥協しないってこと。1つ目の要素と2つ目の要素は、めんどくさいかもしれないけど盛り込まなきゃいけない要素。だけど、欠けちゃいけないのは自分がノリノリで乗りに乗って興奮できる要素をしっかりと入れること。それがないと、ただ万人受けのみを狙って書いた結果、なんとなくエッチだけど、結果、深く刺さらない小説になってしまうんじゃないかと思う。個人的に思うのは、やっぱり胸を貫くような小説は、その作者の好みが凝縮されてないと成立しにくいんじゃないかと思う。怨念みたいなフェティッシュが、発射された小説という名の矢の加速度になるというか。
そもそもフェチって、先天的に持っている場合もあると思うけど、後天的に植え付けられることがほとんどだと思うんよ。僕の場合、MCフェチは先天的なものだったけど、汗とかSMとかエログロとか、そういうのはたぶん、後天的にそういう尖った作品に刺された結果、新しく芽生えたフェチだと思うの。
つまり自分の好きを作品に乗せると、誰かの胸に芽吹く可能性がある。
最後の要素は、万人受けする作品を書く要素ではなく、自分の作品を万人に受け入れさせるための要素というか。やっぱり尖ってる部分があるほうがぐっときやすいと思う。
という3点を心がけて書いてました。でも毎回、万人受けする作品を書こうと思ってたわけじゃなくて、なんというか書いてて余裕があるとき? 筆が進むーってフィーバータイムが来たときに入れるようにしたり、1つ目の肉体描写に関しては書き終わった後に、加筆したりとか段落の順番を変えてみたりとか、そういうところで少し補ってた感じ。とにかくアナルセックスは強い。これは確実。
でも万人受けする作品を書くことにそんなに意味はないかなと思うよ。特に性的描写なんかは、MC作品には必須要素ではないからね。人格の描写をするときに、肉体的な描写は絡んでくるからおのずと1つ目の肉体描写は満たさなきゃいけなくなることはあると思うけど、結局マインドコントロールした相手をどうしたいのかどうしたら満足するかは人それぞれで、書き手次第だと思うし。僕は射精させなくても充分興奮できるし。むしろさせないほうが興奮するタイプ。
何の話だっけ。
なんかめっちゃ書いてるやん。
小説書くのって難しいよねって話。特に人の好みに合わせて書こうとすると難しいね。好きなように書いていいと思うんだけど、せっかくなら読んで喜んでほしいなと思うし。
いっぱい小説を書けてた時によく思ってたのは、エンターテイナーでありたいって思ってた。楽しませることが第一って。でも葛藤もあった。
好きに書いてくださいとか、好きに書いたものが好みなので読みたいとか、たまに言われることもあったけど、自分の好きなものよりストライクゾーンを広く意識して書いたものばかりを書いてるのに、急にマニアックな僕しか喜ばんようなものを書いたって絶対、読みたいと思ってるものとは違うやろうなと思ってた。
僕が自分の好みだけで描いた作品っていったいいくつあるだろう。いろいろ書いたけど、そうね、やっぱりブックマークが少ない作品ほど自分の趣味に偏って、万人受けなんて意識せずに書いてる作品が多いかな。
書きたいものと、書けるものと、書けないものと、書きたくないものは全部違う。
結局、小説を書くこと自体が楽しいのか、小説を書いた結果、喜んで貰って楽しいのか、その違いは自分の中で区別しておくべきだと思うし、苦しんでまで書けるものや書きたくないものを書く必要はもしかしたらないのかもしれない。だから、僕は励ましの言葉も、感想も、続きを期待する言葉もあんまり好きじゃない。良かった時だけ、いいねが押されるくらいの距離感がちょうどいいな。褒められて伸びるタイプでも、叩かれて伸びるタイプでもないし。洞穴の中に茂るコケみたいな感じ。光も水も必要ない。むしろ少し飢えてるくらいがちょうどいい。そんな感じってのが本音の部分。……本音いっても怒られないよね。これ独り言だし。
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書きたいように書いてみて、面白くなかったらまあそれはそれでいいし、刺さらないものを書いて、結果人が減って、またこじんまりとやっていくのも、それはそれでいいとも思うし、あんまりこだわらずに、エンターテイナーしすぎずに、でも、たまに楽しませるくらいの気持ちで、書いていけたらいいな。と、今はちょっと思う。
まあ潤沢に供給があるかと言われればそうではない状況だと思うから、可能な限りネタ製造マシーンに徹することができればそれが一番なんだけどもね。
そうあれたらいいなって理想の自分と現実、それができない自分を認めないといかんよね。そろそろ。
全然ポジティブなこと言ってる。いま。
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(追記用余白)