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笑顔の初接客

「ねぇ、あの店員さんって男の人だよね」


「え~、どっちだろうね……。そう言われると男に見えるかも……」


開店して間もない店内。

入口近くを歩いていた二人組の女性客の小さな声が、不思議なくらいはっきり耳へ届く。


聞こえないふりをしようとしても、どうしても意識してしまう。

胸の奥がどくどくと鳴り、さっきまで必死に覚えた立ち方まで分からなくなってしまう。


スカートの裾や胸元が気になる。

頭のてっぺんから足のつま先まで見られている気がして、身体中が落ち着かない。


逃げ出したい。

今すぐバックヤードへ駆け込んで、この服を脱いでしまいたい。


けれど、ここで働いている以上、たとえどれだけ恥ずかしくても、お客様の前で立ち尽くしているわけにはいかない。


そんな僕の様子に気付いたのか、莉子さんが明るく声を掛けてくれる。


「ゆまちゃん、ちゃんと声出して!緊張するけど頑張ろうね」


名前を呼ばれるたびに胸がざわつく。

さっき決められたばかりの呼び名なのに、店内ではもう誰も「遊馬君」とは呼ばない。

僕だけが、その違和感に取り残されていた。


「あっ、はい……」


息を吸い込み、できるだけ高い声を意識する。


「い、いらっしゃいませ~……」


思った以上に情けない声だった。

それでも莉子さんは笑顔で頷く。


「うんうん、その調子。あとは笑顔を忘れないでね」


その一言に励まされる反面、逃げ道もなくなる。


笑顔、挨拶、接客。


店員としては当たり前のことなのに、今の僕にはそのどれもが難しい。


(こんなの……心が持たないよ……)


お客様が来店する度に、自分が見られている気がする。


「あそこの店員さん、背が高いね」


「うん、モデルさんみたい」


そんな会話まで耳に入り、複雑な気持ちになる。


男だと気付かれているのか。

それとも、本当に女性店員だと思われているのか。

どちらでも胸が苦しかった。


僕は何度も深呼吸を繰り返し、心の中で自分に言い聞かせた。


(僕は女の子なんだ)


(だから女の子の服を着て接客しているんだ)


(これは仕事。恥ずかしがる必要なんてない)


何度も何度も繰り返す。

最初は白々しかった言葉が、不思議と少しだけ身体の力を抜いてくれる。


肩の力を落とし、教わった通りに脚をそろえる。

胸を張りすぎず、背筋だけを伸ばす。


鏡の前で何度も直された姿勢を思い出しながら店頭へ立つと、不思議とさっきより視線が少しだけ怖くなくなっていた。


◆


そのとき、一人の女性客がゆっくりとこちらへ歩いてきた。

年齢は二十代半ばくらいだろうか。

店内を一周するように見渡したあと、僕の前で足を止めた。


「すみませ~ん」


突然声を掛けられ、身体がびくりと震える。


「あっ、はいっ!」


思わず返事だけが大きくなる。


女性は驚くこともなく、小さく笑みを浮かべた。


「そのスカート、可愛いですね」


そう言って指差したのは、今まさに僕が履いている千鳥柄のスカートだった。

思わず視線を落とす。


(ぼ、僕が履いてるスカートだ……)


さっきまで恥ずかしくて仕方がなかったその服を、お客様は純粋に「可愛い」と言ってくれた。


「まだ在庫ってありますか?」


「は、はい!今週入荷したばかりなので、全サイズそろっています」


女性は安心したように頷き、改めて僕のスカートへ目を向ける。


「実際に着た感じってどうですか?」


その質問に、一瞬だけ言葉が止まる。


(着た感じ……)


朝、白峰店長が話していたことが頭の中によみがえる。


『着心地を知らないまま、お客様へ勧めることは失礼だと思わない?』


この質問を受けて初めて、その意味が分かる。

僕はゆっくりと言葉を選んだ。


「見た目より生地が柔らかくて、動きやすいです」


女性は興味深そうに耳を傾けている。


「ウエストも締め付けが強すぎないので、長時間履いていても苦しくありません。それに、千鳥柄なのでシンプルなトップスに合わせやすくて、一枚あるといろいろ着回せると思います」


話しながら、自然とスカートへ手を添える。

朝は触れるだけで恥ずかしかったのに、不思議と今は商品の説明として受け入れられていた。


気が付けば、緊張は少しずつ消えていた。

女性は何度も頷きながら笑顔になる。


「そうなんですね。一度、試着してみてもいいですか?」


「はい、もちろんです!」


ラックから同じスカートを取り出し、サイズ表記を確認する。

女性の体格を見ながら、教わったことを思い出す。


「僕……あっ……私はLサイズを履いているんですけど、お客様でしたらMサイズがちょうどいいと思います」


「じゃあMをお願いできますか?」


試着室へ案内し、カーテンを閉める。

僕は少し離れた場所で待ちながら、落ち着かない気持ちで試着室の方を見つめていた。


数分後、カーテンが開く。

千鳥柄のスカートを履いた女性が、少し照れくさそうに姿を見せた。


「どうですか?」


鏡の前で身体を横に向けたり、一歩踏み出してみたりしながら、履き心地を確かめている。

丈もウエストも違和感はなさそうだ。


「とてもお似合いです!」


自然と言葉が出ていた。


「今日着ているトップスとも色合いが合っていますし、落ち着いた雰囲気でいいと思います」


女性は鏡の中の自分をもう一度見つめ、小さく頷く。


「じゃあ……これ下さい」


その一言を聞いた瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなる。


僕は商品を丁寧に受け取り、レジへ案内する。

バーコードを読み取り、お会計を済ませ、きれいに畳んだスカートを紙袋へ入れる。


最後に袋を両手で差し出すと、女性は嬉しそうに受け取った。


「ありがとうございました。また来ますね」


「あっ、ありがとうございます!」


少し噛んでしまったけれど、お客様は気にする様子もなく笑顔で手を振り、店を後にした。


お客様がモール内の人混みに紛れて、見えなくなる。

そこでようやく、大きく息を吐いた。


(終わった……)


人生で初めての接客。

そして、自分の接客で商品をご購入いただいた瞬間だった。


白峰店長が静かに近づき、優しく微笑む。


「初接客でご購入までつながったね。おめでとう」


売り場の奥では、莉子さんが親指を立てながら満面の笑みを浮かべている。


「さすが、ゆまちゃん!自分で着てるからこその説明だったね。お客様もすごく安心してたよ!」


愛里さんも嬉しそうに拍手をしながら、小さく笑う。


「ゆまちゃん……説明がすごく分かりやすかった。私も勉強になったよ」


さっきまで頭の中は、女物の服を着ている恥ずかしさでいっぱいだった。


でも今は違う。


僕が実際にこの服を着ていたからこそ、お客様に商品の良さを説明できた。

それは、お店の売上になっただけじゃない。

僕が初めて、自分の力で生み出した成果だった。


達成感を感じていると、また別のお客様が来店された。

僕は笑顔を作って店頭へ向き直る。


「いらっしゃい……ませ……」


反射的に顔を上げた瞬間、僕は息をのんだ。

店内へ入ってきたのは、同じ学部の同級生、梨花ちゃんだった。



【3章につづく……】

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